4 / 13
第一話 彼の物語
4、こちら側には届かない
しおりを挟む
それからも、僕はときおり牢獄の中の少女に語りかけた。
その中で、人類が二つに分かれたことについてもいくらか話した。小さな頃からこの牢獄に入れられていた少女は、そのことを知らないはずだ。けれども、それを彼女に教えてはいけない、という規則はなかった。まあ、彼女にそれを教えてはいけないという規則なんて作らなくても、普通はわざわざ彼女にそんなことを教えないのだろうけど。
ならば、なぜ僕は彼女にそれを教えたのだろうか。
わからない。けれども、そうすることが正しいのだ、となんとなく思ったのだ。まあ、ただの気まぐれだ。その事実を知って、彼女が傷付こうが、悲しもうが、どうだっていい。ただ、この地球に残された、唯一の愛を知る人類である彼女は、それくらいのことを知っていたっていいのだとは思う。
「やあ、今日も健康そうでなにより」
あいさつ代わりにそう言うと、少女は僕の方を向き、その唇の両端を持ち上げた。これまでに、なんども見てきたその表情の意味を、僕は最近までは知らなかったけれども、ようやく知ることができた。
どうやら、彼女がよく作るこの表情は、笑顔というものなのだという。
彼女があまりにも毎日のようにその表情を見せるものだから、その意味を調べたくなったのだ。調べてみれば、その表情の意味はすぐにわかった。かつての映画なんかの映像にも多く記録されていて、昔はそう珍しくもない表情だったらしい。今の人類はそんな表情は浮かべないけれども、それは愛を見失ったことと関係しているのかもしれない。
笑顔は、幸せな時や楽しいとき、嬉しいときなんかに見せる表情なのだという。たしかに、そういった感情を感じ取りにくくなった今の人類には、無縁のものなのかもしれない。ただ、苦しいときや悲しいときに浮かべる笑顔というものもあるらしく、結局のところ、笑顔というものの本質というか、正体はうまく掴つかめないままだった。
ただ嬉しくて笑うだけではなく、嘲笑、冷笑、失笑、微笑、大笑、等々。とにかく、いろいろな種類の笑いというものがあるようだ。
嬉しくても悲しくても笑うのならば、いつその表情を作ればいいのか、わからないじゃないか。けれどもまあ、それはつまりいつ作ってもいい、ということなのだろう。
だから、僕に向かって笑みを浮かべる少女に対して、僕も笑顔を作ってみた。唇の両端を持ち上げて、目を細める。映像で見たものの真似にすぎない、模造品の笑み。上手にできているかはわからないけれども、それでもこれが僕なりの笑顔だ。
僕のその顔を見て、少女は大きく目を見開いた。
それは、初めて見た彼女の表情だった。けれども、その表情の意味は知っている。笑顔というものを調べるときに、他にもいろいろな表情があるということを知った。その中に見つけた表情のひとつが、今の彼女の表情だ。
彼女のその表情は、驚いている顔だ。
彼女がいったい何に驚いているのかがわからなくて、僕は首を傾げる。それを見て、彼女は涙を流した。さっきまでは驚いていた彼女が、今度は涙を流したのを見て、今度は僕が驚く。まあ、彼女のように目を見開くような大きな表情は作っていないけれども。僕たち愛を見失った人類は、表情の変化に乏しい。大きな表情を作るのは苦手だ。
少女は涙を流しながら、笑っている。
やっぱり、僕には笑うタイミングというものはよくわからない。
「キミはどうして泣いているんだ?」
そう訊ねると、少女はパクパクと口を動かした。けれども、その声はこちら側には届かない。
「ああ、そうだったね。キミの声はこちらには聞こえないんだった」
僕は今、初めて彼女の声を聞きたいと思っている。彼女がいったいなにを思って微笑み、そして涙を流しているのか。
彼女の声を聞く方法が無いわけではない。この牢獄を開けば、簡単に彼女の声を聞くことができる。けれども、そうしないのはなぜなのだろうか。自分でもそれがわからない。いや、きっとそれは、僕の仕事が彼女の管理であって、彼女の話を聞くことではないからだ。この檻から彼女を出してしまうということは、僕が仕事を放棄するということ。他者との繋がりが希薄なこの世界で、個人に与えられた役割は、非常に大きな割合を占める。いわば、その個人のアイデンティティそのものともいえるものだ。
だから、僕は彼女をこの檻から出すことができないのだ。彼女をここから出すということは、僕自身を否定することになる。
「なにも言わなくていい。キミの声は届かない。だから、僕が一方的に話すだけだ」
ただ、それでもなにかを懸命にこちらに伝えようとする彼女のその姿から、なぜか目が離せない。
彼女はいったいなにを伝えようとしているのだろうか。
その中で、人類が二つに分かれたことについてもいくらか話した。小さな頃からこの牢獄に入れられていた少女は、そのことを知らないはずだ。けれども、それを彼女に教えてはいけない、という規則はなかった。まあ、彼女にそれを教えてはいけないという規則なんて作らなくても、普通はわざわざ彼女にそんなことを教えないのだろうけど。
ならば、なぜ僕は彼女にそれを教えたのだろうか。
わからない。けれども、そうすることが正しいのだ、となんとなく思ったのだ。まあ、ただの気まぐれだ。その事実を知って、彼女が傷付こうが、悲しもうが、どうだっていい。ただ、この地球に残された、唯一の愛を知る人類である彼女は、それくらいのことを知っていたっていいのだとは思う。
「やあ、今日も健康そうでなにより」
あいさつ代わりにそう言うと、少女は僕の方を向き、その唇の両端を持ち上げた。これまでに、なんども見てきたその表情の意味を、僕は最近までは知らなかったけれども、ようやく知ることができた。
どうやら、彼女がよく作るこの表情は、笑顔というものなのだという。
彼女があまりにも毎日のようにその表情を見せるものだから、その意味を調べたくなったのだ。調べてみれば、その表情の意味はすぐにわかった。かつての映画なんかの映像にも多く記録されていて、昔はそう珍しくもない表情だったらしい。今の人類はそんな表情は浮かべないけれども、それは愛を見失ったことと関係しているのかもしれない。
笑顔は、幸せな時や楽しいとき、嬉しいときなんかに見せる表情なのだという。たしかに、そういった感情を感じ取りにくくなった今の人類には、無縁のものなのかもしれない。ただ、苦しいときや悲しいときに浮かべる笑顔というものもあるらしく、結局のところ、笑顔というものの本質というか、正体はうまく掴つかめないままだった。
ただ嬉しくて笑うだけではなく、嘲笑、冷笑、失笑、微笑、大笑、等々。とにかく、いろいろな種類の笑いというものがあるようだ。
嬉しくても悲しくても笑うのならば、いつその表情を作ればいいのか、わからないじゃないか。けれどもまあ、それはつまりいつ作ってもいい、ということなのだろう。
だから、僕に向かって笑みを浮かべる少女に対して、僕も笑顔を作ってみた。唇の両端を持ち上げて、目を細める。映像で見たものの真似にすぎない、模造品の笑み。上手にできているかはわからないけれども、それでもこれが僕なりの笑顔だ。
僕のその顔を見て、少女は大きく目を見開いた。
それは、初めて見た彼女の表情だった。けれども、その表情の意味は知っている。笑顔というものを調べるときに、他にもいろいろな表情があるということを知った。その中に見つけた表情のひとつが、今の彼女の表情だ。
彼女のその表情は、驚いている顔だ。
彼女がいったい何に驚いているのかがわからなくて、僕は首を傾げる。それを見て、彼女は涙を流した。さっきまでは驚いていた彼女が、今度は涙を流したのを見て、今度は僕が驚く。まあ、彼女のように目を見開くような大きな表情は作っていないけれども。僕たち愛を見失った人類は、表情の変化に乏しい。大きな表情を作るのは苦手だ。
少女は涙を流しながら、笑っている。
やっぱり、僕には笑うタイミングというものはよくわからない。
「キミはどうして泣いているんだ?」
そう訊ねると、少女はパクパクと口を動かした。けれども、その声はこちら側には届かない。
「ああ、そうだったね。キミの声はこちらには聞こえないんだった」
僕は今、初めて彼女の声を聞きたいと思っている。彼女がいったいなにを思って微笑み、そして涙を流しているのか。
彼女の声を聞く方法が無いわけではない。この牢獄を開けば、簡単に彼女の声を聞くことができる。けれども、そうしないのはなぜなのだろうか。自分でもそれがわからない。いや、きっとそれは、僕の仕事が彼女の管理であって、彼女の話を聞くことではないからだ。この檻から彼女を出してしまうということは、僕が仕事を放棄するということ。他者との繋がりが希薄なこの世界で、個人に与えられた役割は、非常に大きな割合を占める。いわば、その個人のアイデンティティそのものともいえるものだ。
だから、僕は彼女をこの檻から出すことができないのだ。彼女をここから出すということは、僕自身を否定することになる。
「なにも言わなくていい。キミの声は届かない。だから、僕が一方的に話すだけだ」
ただ、それでもなにかを懸命にこちらに伝えようとする彼女のその姿から、なぜか目が離せない。
彼女はいったいなにを伝えようとしているのだろうか。
0
あなたにおすすめの小説
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる