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第一話 彼の物語
6、最良の結末
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その日から、少女を宇宙へと送り込むための準備が始まった。
けれども、宇宙へと人を送り込む、という行為についてはそう難しいものではない。なにせ、彼女を閉じ込めているこの牢獄そのものが宇宙船なのだから。
かつて、愛を見失った人類が、愛を求め続ける人類を宇宙へと放り出す際に利用したのが、この牢獄だった。愛を見失った人類は、愛を求め続ける人類を治療するとの名目で監禁したけれども、その監禁場所を宇宙船の中に作った。
そう、愛を見失った人類は、彼らの治療をするつもりも、投獄し続けるつもりもなかったのだ。初めから、彼らを宇宙へと放り出すつもりでこの建造物を作っていた。彼らに二択を迫ったのも、この施設が十分に完成されたからだ。彼らが愛を求めて宇宙へと飛び出すとわかっていて、治療する気も隔離する気もなく、ただ追い出して輸送するためだけの装置を作っていたのだ。
その用意周到さに吐き気を覚える。愛を見失い、他人を思いやる心を失い、すべてをシステマティックに考えるようになってしまったからこそ、そんなふうに平然と同胞を切り捨ててしまえるような精神を持ち合わせてしまうようになってしまったのだろう。そんな僕たちが滅びゆくのは必然だ。
けれども、今はそのおかげで、少女を宇宙へと送り出せる。
初めから、彼女は宇宙船の中にいるのだから。設備は十分に整っている。食料、水分の備蓄量にも不備はない。超光速航行も可能だ。あとはスイッチ一つで彼女を乗せたこの宇宙船を打ち上げることができる。
ただ、その前にやらなければいけないことがあって、未だ少女を宇宙へと送り出すことはできていなかった。宇宙を航行している間の少女の健康状態を管理するAIのプログラミングだ。まあ、その作業もたった今終えたところだ。もういつでも彼女を送り出せる。あとはいつ、彼女を送り出すか、だ。
正直、いつだっていい。なんなら今すぐに打ち上げたって問題はない。
迷いはなかった。彼女がそれを望んでいるのなら、その願いを今すぐにでも叶えてあげるべきだろう。
透明の強化有機ガラス越しに、彼女の姿が見える。その隣で、僕は宇宙船の最終チェックを行う。その作業をしながら、僕は彼女に語りかける。
「ここからキミを出すための準備が整った。これで、キミは自由だ」
パネルを操作しながら話す僕は、彼女の顔を見ない。見ることができない。
……いや、僕は意識して彼女の顔を見ようとしていないのだ。彼女がどんな顔をしているのかを見ることが怖くて、目を逸らしてしまっている。
彼女が希望に目を輝かせていても、不安に押しつぶされようとしていても、どちらも今の僕にとってはつらい表情だ。
「これからキミは、たったひとりで数年間の宇宙の旅をすることになるのだけれども、その間の孤独は我慢してほしい。実はこの建物自体が宇宙船なんだ。だから、キミはそのまま部屋の中にいてくれればいい。キミの世話をするAIも搭載したし、本や映画の娯楽も、多く装備しておいた。それで暇は十分に潰せると思う。そうして数年をやり過ごせば、キミはあちらにたどり着ける。愛を求め続ける人類のもとへと。キミが求めるものは、きっとあちら側にあるんだろう。そこで、キミはここでは得ることのできない幸福を得ることができるはずだ」
そう、この地球上に彼女の求めるものは存在しない。
「キミの幸運を祈っている。遥か彼方でキミが幸福になってくれるのならば、ここでの仕事を放棄した僕も報われる」
そこまで話したところで、最終チェックの作業は無事に終えた。
「むこうにはきっと、こんな無機質な地球上にはいないような、容姿も、人格も、才能も持っている、眩く輝くような人間が五万といるはずだ。キミならば、むこうでそんな人と出会い、幸せになることがきっとできるんだろう。それを、僕も望んでいる。さあ、行っておいで」
そう言って、僕は操作パネルから離れようとしたものの、それができずに、通信機能のスイッチを眺める。
ほんの少しの静寂。
その間に、彼女はなにかを言っているのだろうか。彼女の声は、届かない。
「……ああ、せめて最後にキミの声を聞きたかったな」
気が付けば、そんなふうに言ってしまっている自分がいた。けれども、その言葉に嘘はない。僕は本当に彼女の声が聞きたかった。
「きっと、僕はキミを好きだったんだ」
そんなもの、いまさら改めて口にするまでもないことだった。
ひと目彼女を見たときに“僕が愛というものを知っていたのなら、彼女のその姿を見て、美しいと思えたのだろう”だなんて思ってしまったことこそが、すでに彼女の存在そのものを美しいと思っていたことの証明だ。
初めて出会ったあの瞬間に、僕はどうしようもなく彼女に落ちてしまっていたのだ。
確かに僕は愛を知らない人間だった。けれどもきっと、彼女と出会って、初めてその表層に触れたのだろう。
彼女の表情の豊かさに心を動かされ、ともに笑うことで僕はより彼女に惹かれていった。
僕は、彼女と出会うことで愛を知ったのだ。それは、きっと愛の本質にはほど遠い上層の上層の部分なのだろうけど。それでも、僕はそれを知ることでこれまでにはなかった充実感を得ることができた。毎日彼女のもとへと仕事に向かうことを楽しみにするようになっていた。こんなことは、これまでには一度もなかったことだ。そして、今はそんな彼女を宇宙へと送り出そうとしている。
僕は、生まれて初めて人のために行動している。彼女を幸せにしたくて動いている。
その結果、僕は彼女を失うことになるのだけれども、そんなことはかまわない。彼女の隣に立つのが僕でないことは不本意だけれども、それでも彼女がここに残って、監獄の中にいるよりはずっといい。遥か彼方で彼女が幸福に過ごしてくれている、と信じていられるのならば。彼女のいない、愛のない世界でだって、僕は生きていける。
「なるべく椅子に座っておいたほうがいい。これからこの宇宙船は少し、揺れるからね」
結局、僕は彼女の顔を最後まで見ることができなかった。
彼女の顔を見ることなく、僕は部屋を出る。宇宙船を出る。そして、船から少し離れた管制塔から、宇宙船の発射ボタンを押す。
轟音とともに白煙を散らしながら、船は群青色の空に溶けていく。それを眺めなら、僕はまざまざと思い知る。
――ああ、きっと。僕は愛を見失った人類ではあったけれども、彼女と出会って愛を知ってしまったのだ。
後に残ったのは、宙へと続く白い帯だけ。
遥か彼方へと、僕の最愛の人が去っていく。
けれどもきっと、これが最良の結末だ。
けれども、宇宙へと人を送り込む、という行為についてはそう難しいものではない。なにせ、彼女を閉じ込めているこの牢獄そのものが宇宙船なのだから。
かつて、愛を見失った人類が、愛を求め続ける人類を宇宙へと放り出す際に利用したのが、この牢獄だった。愛を見失った人類は、愛を求め続ける人類を治療するとの名目で監禁したけれども、その監禁場所を宇宙船の中に作った。
そう、愛を見失った人類は、彼らの治療をするつもりも、投獄し続けるつもりもなかったのだ。初めから、彼らを宇宙へと放り出すつもりでこの建造物を作っていた。彼らに二択を迫ったのも、この施設が十分に完成されたからだ。彼らが愛を求めて宇宙へと飛び出すとわかっていて、治療する気も隔離する気もなく、ただ追い出して輸送するためだけの装置を作っていたのだ。
その用意周到さに吐き気を覚える。愛を見失い、他人を思いやる心を失い、すべてをシステマティックに考えるようになってしまったからこそ、そんなふうに平然と同胞を切り捨ててしまえるような精神を持ち合わせてしまうようになってしまったのだろう。そんな僕たちが滅びゆくのは必然だ。
けれども、今はそのおかげで、少女を宇宙へと送り出せる。
初めから、彼女は宇宙船の中にいるのだから。設備は十分に整っている。食料、水分の備蓄量にも不備はない。超光速航行も可能だ。あとはスイッチ一つで彼女を乗せたこの宇宙船を打ち上げることができる。
ただ、その前にやらなければいけないことがあって、未だ少女を宇宙へと送り出すことはできていなかった。宇宙を航行している間の少女の健康状態を管理するAIのプログラミングだ。まあ、その作業もたった今終えたところだ。もういつでも彼女を送り出せる。あとはいつ、彼女を送り出すか、だ。
正直、いつだっていい。なんなら今すぐに打ち上げたって問題はない。
迷いはなかった。彼女がそれを望んでいるのなら、その願いを今すぐにでも叶えてあげるべきだろう。
透明の強化有機ガラス越しに、彼女の姿が見える。その隣で、僕は宇宙船の最終チェックを行う。その作業をしながら、僕は彼女に語りかける。
「ここからキミを出すための準備が整った。これで、キミは自由だ」
パネルを操作しながら話す僕は、彼女の顔を見ない。見ることができない。
……いや、僕は意識して彼女の顔を見ようとしていないのだ。彼女がどんな顔をしているのかを見ることが怖くて、目を逸らしてしまっている。
彼女が希望に目を輝かせていても、不安に押しつぶされようとしていても、どちらも今の僕にとってはつらい表情だ。
「これからキミは、たったひとりで数年間の宇宙の旅をすることになるのだけれども、その間の孤独は我慢してほしい。実はこの建物自体が宇宙船なんだ。だから、キミはそのまま部屋の中にいてくれればいい。キミの世話をするAIも搭載したし、本や映画の娯楽も、多く装備しておいた。それで暇は十分に潰せると思う。そうして数年をやり過ごせば、キミはあちらにたどり着ける。愛を求め続ける人類のもとへと。キミが求めるものは、きっとあちら側にあるんだろう。そこで、キミはここでは得ることのできない幸福を得ることができるはずだ」
そう、この地球上に彼女の求めるものは存在しない。
「キミの幸運を祈っている。遥か彼方でキミが幸福になってくれるのならば、ここでの仕事を放棄した僕も報われる」
そこまで話したところで、最終チェックの作業は無事に終えた。
「むこうにはきっと、こんな無機質な地球上にはいないような、容姿も、人格も、才能も持っている、眩く輝くような人間が五万といるはずだ。キミならば、むこうでそんな人と出会い、幸せになることがきっとできるんだろう。それを、僕も望んでいる。さあ、行っておいで」
そう言って、僕は操作パネルから離れようとしたものの、それができずに、通信機能のスイッチを眺める。
ほんの少しの静寂。
その間に、彼女はなにかを言っているのだろうか。彼女の声は、届かない。
「……ああ、せめて最後にキミの声を聞きたかったな」
気が付けば、そんなふうに言ってしまっている自分がいた。けれども、その言葉に嘘はない。僕は本当に彼女の声が聞きたかった。
「きっと、僕はキミを好きだったんだ」
そんなもの、いまさら改めて口にするまでもないことだった。
ひと目彼女を見たときに“僕が愛というものを知っていたのなら、彼女のその姿を見て、美しいと思えたのだろう”だなんて思ってしまったことこそが、すでに彼女の存在そのものを美しいと思っていたことの証明だ。
初めて出会ったあの瞬間に、僕はどうしようもなく彼女に落ちてしまっていたのだ。
確かに僕は愛を知らない人間だった。けれどもきっと、彼女と出会って、初めてその表層に触れたのだろう。
彼女の表情の豊かさに心を動かされ、ともに笑うことで僕はより彼女に惹かれていった。
僕は、彼女と出会うことで愛を知ったのだ。それは、きっと愛の本質にはほど遠い上層の上層の部分なのだろうけど。それでも、僕はそれを知ることでこれまでにはなかった充実感を得ることができた。毎日彼女のもとへと仕事に向かうことを楽しみにするようになっていた。こんなことは、これまでには一度もなかったことだ。そして、今はそんな彼女を宇宙へと送り出そうとしている。
僕は、生まれて初めて人のために行動している。彼女を幸せにしたくて動いている。
その結果、僕は彼女を失うことになるのだけれども、そんなことはかまわない。彼女の隣に立つのが僕でないことは不本意だけれども、それでも彼女がここに残って、監獄の中にいるよりはずっといい。遥か彼方で彼女が幸福に過ごしてくれている、と信じていられるのならば。彼女のいない、愛のない世界でだって、僕は生きていける。
「なるべく椅子に座っておいたほうがいい。これからこの宇宙船は少し、揺れるからね」
結局、僕は彼女の顔を最後まで見ることができなかった。
彼女の顔を見ることなく、僕は部屋を出る。宇宙船を出る。そして、船から少し離れた管制塔から、宇宙船の発射ボタンを押す。
轟音とともに白煙を散らしながら、船は群青色の空に溶けていく。それを眺めなら、僕はまざまざと思い知る。
――ああ、きっと。僕は愛を見失った人類ではあったけれども、彼女と出会って愛を知ってしまったのだ。
後に残ったのは、宙へと続く白い帯だけ。
遥か彼方へと、僕の最愛の人が去っていく。
けれどもきっと、これが最良の結末だ。
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