それはまるで魔法のようで

綿柾澄香

文字の大きさ
1 / 30

プロローグ

しおりを挟む
 誰もいないはずの夜の廃墟で、桐宮きりみや拓光たくみはひとりの女の子と出会った。

 誰もいない廃墟に入り込むという行為は、決して褒められたものではないかもしれないけれども、この街に引っ越してきたばかりの拓光は、まだこの街のことを知らなかったから、散歩がてらに新しく知らない道に入っていくことはよくあった。初めて入る店に並ぶ商品を眺めるのは楽しいし、街ゆく人々を観察するのも面白い。以前に住んでいた場所の人たちとまったく違う人たち、というわけではないのだけれども、それでも何かが違う。それがきっと、土地柄や育て来た環境によるものなのだろう、と拓光は思う。この街に来てから一度、頭に変な白いふわふわとした感じの帽子をかぶったおじいさんとすれ違って驚いたけれども、ああいった飛び抜けた変な人というのは特別なのだろう。きっと、どこの街にも一定数はいる種類の人たちなのだ。

 その日の夜は、本屋からの帰り道を少し回り道して歩いていて、その廃墟を見つけた。

 五階建ての半端な高さの建物。なにかの企業のオフィスだったのか、それとも学習塾のような場所だったのか、よくわからないけれども、扉は壊れていて、そこにはテープが何枚も重ねて張られていた。その建物の一角に人影がちらりと見えたのだ。

 廃墟とはいえ、それほど古くて朽ちていたわけでもないので、抵抗はなかった。それよりも、好奇心の方が勝った。

 人影が見えたのは三階だった。当然、エレベーターは稼働していなかったので、階段をのぼっていく。

 内装もそんなに汚れていなくて、ほこりも積もっていない。廃墟になってからそう時間は経っていないのだろう。けれども、階段をのぼるたびに足が重く、気持ちが沈んでいきそうになるのは、やはり人が日常的にこの場を利用していないからなのだろうか。空気が淀んでいるように感じる。

 足を一歩前に踏み出す度に空気は重くなっていく。けれども、それはむしろこの先に何かがあるのだ、という期待も膨らませる。

 拓光は、外から人影が見えた目的の部屋の前に立つと、ゆっくりとドアを開いて、そのわずかな隙間から、部屋の中の様子をうかがった。

 ほとんど物が置かれていない室内。あるのは、一脚の椅子と、そのすぐそばに置かれた海外ブランドのペットボトルのミネラルウォーターだけ。そして、ひとりの女の子の後ろ姿が見えた。

 肩にかかるくらいの長さの、黒くて艶やかな髪が揺れる。けれども、顔は見えない。ピンクとグレーのパーカーに、デニムのミニスカート。そのスカートからは七分丈の黒のレギンスが覗いている。足元には白のスニーカー。コンビニでアイスを買って、その帰りの途中のようなラフな格好だ。

 こんな時間に、こんなところで、女の子がひとり、なにをしているのだろうか、と拓光は首を傾げたものの、今ここでこうしている自分自身も、彼女と同じようなものじゃないか、と苦笑する。

「うるさいわね、今度こそうまくいくわよ」

 と、突然その女の子が声を上げたので、拓光は慌てて顔を隠す。けれども、耳を澄ますと、どうやら拓光に向けては言っていないようだ。室内に彼女以外にもうひとりいるのかもしれない。と、もう一度ゆっくりと拓光はドアの隙間から室内を覗き込む。

 けれども、室内には彼女ひとりしか見えない。彼女はひとりで地面に向かって、言葉をぶつけてから、右手を伸ばした。

 その伸ばした右手の先に、白いひもが現れる。何も無い空間から、手品のように。そして、女の子は右手の人差し指だけを振るう。すると、その白いひもはひらひらと空中を漂う。その右手の動きに合わせるようにして、まるで踊るように。

 そうしている内に楽しくなってきたのか、女の子もかかとを起点にくるりと一回転する。

 その瞬間に、はじめて彼女の顔が見えた。目や鼻、口のパーツはそれぞれ、やや大きいものの、綺麗に配置されていて、整っている。楽しそうに笑い、その口元には八重歯が見える。綺麗に整った顔のパーツの中で、唯一いびつなその八重歯が、際立って見えた。

 人差し指を振るいながら、楽しそうに白いひもを操る女の子。

 それはまるで、小さな白い龍を操っているようで、なんだかとても美しく見えた。その光景に見惚れてしまい、ため息さえも吐いてしまいたくなるほどに。

 そうして最後に彼女はそのひもを空中で綺麗に蝶々結びにして、手のひらの上に乗せた。

「ほら、どうよ」

 少し誇らしげに、彼女は胸を張る。もちろん、その言葉を向けた相手は室内には見当たらない。
 だから拓光は思わず、部屋の中に入って、言ってしまった。

「すごいよ、本当にすごい!」

 と。

「……」

「……え?」

 けれども、それは明らかに失策だった。彼女のその沈黙がすべてを物語っている。今、このタイミングで飛び出すべきではなかった、と。いや、そもそもこの場に出てくるべきタイミングなんてなかったのだ。ただただ目の前で起きた光景に感動した後に、そのままなにもせずに踵を返すべきだった。

 それは、最悪の出会い。
 けれども二人にとって、とても重要な出会いでもあった。

 廃墟が崩壊する。

 足場が崩れて、拓光が落ちていく。その様子を、彼女は無表情でただ眺めている。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

夫の妹に財産を勝手に使われているらしいので、第三王子に全財産を寄付してみた

今川幸乃
恋愛
ローザン公爵家の跡継ぎオリバーの元に嫁いだレイラは若くして父が死んだため、実家の財産をすでにある程度相続していた。 レイラとオリバーは穏やかな新婚生活を送っていたが、なぜかオリバーは妹のエミリーが欲しがるものを何でも買ってあげている。 不審に思ったレイラが調べてみると、何とオリバーはレイラの財産を勝手に売り払ってそのお金でエミリーの欲しいものを買っていた。 レイラは実家を継いだ兄に相談し、自分に敵対する者には容赦しない”冷血王子”と恐れられるクルス第三王子に全財産を寄付することにする。 それでもオリバーはレイラの財産でエミリーに物を買い与え続けたが、自分に寄付された財産を勝手に売り払われたクルスは激怒し…… ※短め

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない

柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。 目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。 「あなたは、どなたですか?」 その一言に、彼の瞳は壊れた。 けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。 セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。 優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。 ――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。 一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。 記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。 これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

処理中です...