それはまるで魔法のようで

綿柾澄香

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17、壮大な物語

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 それは、拓光が思っていたよりもずっと、壮大な物語だった。

 平凡だったけれども、平凡だったからこそ幸せだった少女時代。魔法が科学と融合した世界で、苦しむ魔女たちを解放するために戦ったレジスタンス時代。そして月の牢獄に閉じ込められた数万年。その牢獄から抜け出して、地球上に帰って出会った、たったひとりの人類の生き残り、ヒジリ。そのヒジリと共に過ごした数十年。そしてヒジリの死後、八十六万年の時を経て、地球が滅びゆくのを目の当たりにし、この時代へのタイムトラベル。

 まるで、物語として語り聞かせるために歩んできたかのような、過酷な人生。
 語り終えた魔女は一息ついて、なにもない天井を眺める。

「どうだった?」

 そう訊かれて、拓光は口をつぐむ。

 そのあまりに大きすぎる物語に、どんな感想を言えばいいのかわからない。どんな言葉も、陳腐に聞こえてしまいそうで、何度か口を開いても、言葉は喉につっかえる。

「……綺麗だと、思った」

 それでもどうにかして絞り出した言葉はきっと、ひとりの人生に対する言葉としては正しいものではないのかもしれない。

 それでも、思ってしまったのだ。

 彼女が純粋に生きていた少女時代も、同胞の魔女たちを助けるために戦った気高さも、月の牢獄で過ごした数万年の孤独も、地球上に存在した最後の人類であるヒジリとの友情も、八十六万年にも及ぶ葛藤と苦悩も、地球の終末を前に抱いた絶望も。そのすべての選択と感情がとても美しいものだと思えたのだ。

「なによ、その感想」

 と、さすがに魔女も噴き出す。

 当然だろう。綺麗だ、と言った拓光自身でさえ、その感想はどうかと思っているのだから。

 それでも、その感想は決して大きく的を外してもいないとも思う。ただ、確信をもってそうと言い切れないので、拓光はただ困ったように頬を掻くしかない。

「まあでも、綺麗だと言われて悪い気はしないわね」

 それから少しだけ黙ってから、再び魔女は口を開く。

「……ねえ、貴方は私のことをどう思う?」

 それは、さっきも彼女に訊ねられた質問だった。けれども、さっきとは彼女の声色が違うし、表情も違う。なんだか友達が語りかけてくるような軽快さがある。

 だから、拓光の回答もさっきとは違うものになる。

「とても素敵な人だと思う」

「それだけ?」

 なんて、青の魔女はわかりきったことを、悪戯っぽい猫のような表情を浮かべながら訊ねる。
 もちろん、違う。彼女から話を聞いて、感じたものはさっきよりもたくさんある。

「戦うと決めたかつての決意も、月での孤独も、ヒジリと出会った時の君の喜びも、ヒジリを失った時の悲しみも、八十六万年の果ての地球の終末を前に抱いた絶望も、そのすべてが息をのむほど壮大で、美しい。
 ……それに、今見せているその笑顔がすごくいい。とても八十万歳を超えているとは思えない」

「ちょっと、レディに歳の話はタブーじゃない?」

 と、彼女は頬を膨らます。まるで、拓光と同世代の女の子のように。

「ごめんごめん、でも本当に魅力的だと思う」

「そう、まあでもそれだけ褒めてくれるのなら、よしとしよう」

 そう魔女は頷きながら両腕を組む。

 きっと、彼女とはこんな形で出会わなければ、いい友人になれたはずなのに。いや、彼女が今すぐ街を元に戻してくれるのならば、それからでも友人になれるはずだ、と拓光は思う。

 彼女と柏木アリサは性格的にも相性が良さそうだし、彼女が最も幸せだったというこの時代のこの街でならば、彼女だって幸せに暮らせるはずだ。今からでも彼女を説得できないのだろうか。

「あのさ、キミが今やろうとしていることは、どうしてもやらなくちゃいけないことなのかな?」

「今やろうとしていることって?」

「この時代のこの街を切り取ることさ」

 彼女が今ここでやめると言えば、きっとすべてがうまく収まるはずだ。

「……それはできない」

 けれどもやはり彼女は拓光の提案には首を縦には降らない。

 当然だろう。彼女は八十六万年の時をたったひとりで過ごしてきたのだ。そんな思考や葛藤はとうに終えているだろう。その果てにこの計画を実行に移したのだから、今さらたかだか十七年しか生きていない拓光の提案なんかに傾くわけがない。

 だから、彼女が拒めば、拓光にはもう打つ手もない。

「そうか」

「そうよ」

 と、二人は黙り込む。

 せっかくこの部屋の空気が和やかになっていたのに、部屋の中に南極大陸でも置いたんじゃないのかと思えてきそうなくらいに一気に冷え込む。

「貴方も私の計画には反対なの?」

 なんだか拗ねたような声を出して、魔女は拓光の目を見る。

「ああ、そうだね。さっきも言ったけど、やっぱり永遠は少し怖い」

「そう、ならどうする? 私の力は圧倒的よ。柏木アリサなんかじゃ話にならない。正直、この計画は私がこの時代に来た時点でほぼ完成しているようなものよ。それでも貴方はまだ諦めないというの?」

「諦める、諦めないの問題じゃない気もするけど。だって、これはもう俺の手には負えない話だ。明日天気になるか、雨が降るかは俺の努力じゃどうしようもない。それと同じことだよ。でも、明日の天気が晴れるように願い、祈ることならできる」

 それを聞いて、魔女は小さく溜め息を吐く。

「まあ、好きにすればいいわ」

 と、少し寂しそうに顔を伏せる。けれども、次に顔を上げたとき、その表情は妖しく笑っていた。いかにも邪悪な魔女のように。

「でもね、貴方なら、私を止めることができるかもしれないわよ」

「え?」

 それは想定外の一言だった。

 魔法なんて使えるわけもなく、特別突出した頭脳を持っているわけでもない。驚くような特技も持っていない、ただの平凡な人間である拓光に魔女を止める術なんて、あるはずがないのに。それでも彼女は拓光が止めることができると言い放ったのだ。

「……いったいどうすればキミを止められるんだ?」

「単純な話よ。私は莫大な魔力量を誇る魔女で、その魔力をもってこの街を切り取ろうとしている。なら、私から魔法の力を消し去ってしまえばいい」

「魔法の力を……消し去る?」

「そう。魔女が力を失う原因を貴方は知っているかしら」

 そういえば、一度だけアリサからそんな話を聞いたことがあるような気がして、拓光は部屋の天井にあるひび割れに一瞬だけ目をやり、そして魔女の顔を見る。

「キス……?」

「そう、魔女は同性とのキスでその力を相手へと移譲し、異性とのキスでその力を失う。貴方が私とキスをするのなら、力を失い、この計画も止まるわ」

 そう言って、魔女はぐっとその顔を拓光の顔に近付ける。
 白く、美しい肌。引き込まれそうになる瞳。愁いを帯びた表情。

 吐息を感じるくらいのその距離に、拓光は少し体を逸らしてしまう。それを見て、魔女は妖しげに笑う。

「どう? 私とキスしてみる勇気が、貴方にはある?」

 拓光は唾を飲む。

 ここで今、目の前にある彼女のその唇に触れれば、すべてが終わる。だとすれば、これ以上の好機はないのかもしれない。

 目を閉じて、大きく息を吸って、止める。決意して、ゆっくりと目を開き、そっと魔女の顔に自らの顔を近づけたところで、今度は魔女の方が少し上体を逸らす。

「ああ、そうそう」

 なんて、わざとらしく今思い出した、みたいな口調で魔女は肩をすくめる。

「ちなみに、今ここで私の唇に触れれば、貴方は死ぬわよ」

「え?」

「かつて、私は死を司る魔女、だなんて呼ばれていたりもしたんだけど……要は濃すぎる魔力は、普通の人にとっては毒なのよ。高濃度の魔力に触れてしまえば、普通の人間ならば死んでしまう。そして、私は魔力をより多く操ることのできる純血の魔女。その純血の魔女が八十六万年間、魔力を蓄積させてきたのだから、まあ結果は目に見えているでしょう? 触れた瞬間に貴方は死ぬわ。たとえ、この時代へのタイムトラベルに大量の魔力を消費してしまっているにしても、この時代に存在する平凡な魔女とは比べ物にならないほどの魔力を、私は体内に宿しているのだから」

 そう言って、魔女は少しそらしていた上体を元に戻す。再び彼女の顔は拓光の顔のすぐ前にくる。

「さあ、それでも貴方は私とキスをすることができるのかしら。貴方の命と引き換えに」

 そんなことを言われてしまって、躊躇しないはずがない。せっかく決心したはずの心を揺さぶられて、拓光は強く下唇を噛む。

「……ま、そうよね。さすがに死と引き換えに世界を救う、なんて映画の中のヒーローくらいにしかできないわよね」

 と、魔女は冷たく笑って立ち上がり、ワンピースの裾を翻す。

 すると、その全身は青い粒子に変換されたかのようにさらさらと消えてしまう。

 魔女のいなくなった部屋を静寂が包み込む。ただ静かになっただけなのに、この部屋全体がすごく広くなったかのような感覚に陥ってしまう。

 もしかしたら、さっきのあの瞬間こそが、魔女を止めるための唯一のチャンスだったのかもしれないのに、それをふいにしてしまった。

「……どうすればよかったんだよ」

 拓光は立ち上がって、座っていた椅子を蹴る。
 ばたん、と音を立てて、椅子は倒れる。けれどもそれはただ、部屋の静寂を際立たせるだけだった。

 もはや、拓光にできることは、願い、祈ることだけしかない。
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