黄金の檻の高貴な囚人

せりもも

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アルプスに咲いた花

出会い

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 ホーファーの処刑から少しして、彼をヨーハンに紹介したホルマイラー男爵から、新たな決起の相談がもちかけられた。
 南ドイツとイリュリア地方で、反フランス蜂起を計画しよう、というものだ。




 これは、しかし、極秘裏に動かねばならなかった。
 外相メッテルニヒが牛耳るオーストリアは、外交力を強化し、厳正な中立を保つことを第一義としていた。
 日の出の勢いのナポレオンに逆らうことは、メッテルニヒも、兄の皇帝も、望んでいなかった。

 フランツ帝は、事務仕事の好きな、四角四面の、凡庸な皇帝だった。弟のカールやヨーハンの方が、よほど、才気がある。
 だが、メッテルニヒには、凡庸な皇帝の方が、都合がよかった。それに、長男の即位が、ハプスブルク家の鉄則だ。




 メッテルニヒは、常に、カールとヨーハンの動向に神経を尖らせていた。
 廷臣たちに唆そそのかされ、二人の弟が、長男である皇帝の地位を脅かすことのないよう、監視を緩めなかった。

 カール大公が公務を全て退いたのは、ナポレオンに敗北したことだけが理由ではない。常に兄帝への造反を疑われ、監視される息苦しさから、解放されたかったのだ。

 しかし、ヨーハンは、軍を退かなかった。カールより11歳若い彼は、まだ、20代の若者だった。彼は、愛国心に燃えていた。





 ほどなくしてメッテルニヒは、ヨーハンとホルマイヤー男爵の密談を突き止めた。
 ……ヨーハン大公に、蜂起煽動の動きあり。
 メッテルニヒの報告を受け、フランツ帝は、即座に、弟ヨーハンを、ウィーンの自宅に軟禁した。


 「傭兵では、もはや、戦えません!」
 兄の皇帝に、ヨーハンは必死になって、国防の必要性を説いた。
「傭兵たちは、金のために戦っているに過ぎない。だから、危険が迫れば、武器を投げ捨てて逃げ出してしまう。彼らは、国の為に戦う国民兵には、絶対に、敵わないのです! 国民兵は、自分の身が危険に晒されようと、必死になって戦います。祖国を……愛する家族や生活を……守ろうとするんです! 傭兵が、勝てるわけがない! どうか兄上陛下! 国防の意識を!」

 実際に、フランス革命軍と戦った経験から出た改革意識だった。今までの戦争の在り方は、フランスの民兵には通用しない。戦場でヨーハンも、また、兄のカールも、痛いほど感じていた。

 「お前は何を言っているのだ?」
しかし、兄帝には、伝わらなかった。
「国民が忠誠を誓うのは、国オーストリアに、ではない。わがハプスブルク家に、だ!」

 頭の固い兄には、偉大なる先祖から受け継いだ規律を蔑ろにすることはできなかった。
 自宅監禁は、血気にはやる弟を、ハプスブルクというシステムから守るための措置でもあった。


 ヨーハン大公は、この時から、1833年までの20年間、兄の皇帝により、チロル立ち入りを禁じられている。
 ホルマイヤー男爵の方は、メッテルニヒにより、逮捕された。




 この国オーストリアを信じ、この国ハプスブルク家の為に戦ったのに、処刑されたアンドレアス・ホーファー。
 頓挫した蜂起の計画。屈辱的な自宅軟禁。そして、チロルとの悲しい別れ。

 シェーンブルンの庭園で出会った男の子……姪の息子……と話していて、ヨーハンの胸を襲った憂愁とは、まさにこのことだった。


 ウィーン会議後も、戦争はあった。
 上アルザスのフューニンゲン(ユナング)では、フランス軍が要塞に立てこもった。ナポレオンが、エルバ島から脱出したからだ。
 ……再び、戦争の時代が蘇るのか。
 ヨーハンの胸に、苛立ちが芽生えた。

 フューニンゲンは、フランスの、ドイツへの玄関口だ。ヨーハンは、要塞を包囲し、爆撃攻撃を仕掛けた。都市の外にある要塞への砲撃は、実に、11日間に及んだ。
 敵の防戦は見事だった。負けたフランス軍は、誇り高く、勇敢で、高潔だった。そのフランス兵を殲滅させ、要塞を血に染めて、オーストリア軍の砲撃は終わった。
 ヨーハンは、つくづく、戦争への嫌悪を感じた。


 彼は、シェーンブルンで声をかけた子どもを、この時の戦いと結びつけて考えることはしなかった。子どもは、ナポレオンのただ一人の「正当な跡継ぎ」であったのだけれども。







 やがて、ワーテルローでナポレオンは破れた。メッテルニヒが辣腕を振るい、ヨーロッパに、再び、平和が訪れた。
 時間を巻き戻した、古い体制による平和だ。

 だが、ヨーハンは、鬱々として楽しまなかった。

 ナポレオン戦争の頃、敗戦が続く極限状況の中では、将校も兵卒もなかった。軍隊で彼は、身分の低い兵たちと一緒になって、重い大砲や武器を運んだ。
 みんないっしょに、泥まみれになった。

 ヨーハンは、兵士たちが過酷に扱われ、ひどい刑罰を受けている現場を、何度も目撃した。
 ……人が、このように扱われていいものなのか。
 次第に、民衆への共感が、彼の心に芽生えてきていた。


 彼はまた、宮廷というものに、嫌悪を感じた。
 目上の者の機嫌を取り、根回しをする。
 王や王子の結婚が、国の外交や文化を左右する。堅苦しい儀式。虚礼。
 ゴシップに飢えた連中が、常に、宮殿の廊下で聞き耳を立てている……。

 チロルの件は、ヨーハンの「前科」となって残った。軍務だけでなく全ての役職を退いた兄のカールと違い、ヨーハンは、未だ、軍籍にある。
 メッテルニヒの猜疑深い眼差しは、決して、ヨーハンからそらされることはなかった。

 息苦しかった。
 宮廷に、彼の居場所はなかった。




 ヨーハンに、山の澄んだ空気と、遥かな景観を教え、山歩きの楽しさに導いたのは、ヨハネス・フォン・ミュラーだった。
 ミュラーはスイスの歴史家で、彼の著作にインスピレーションを得て、シラーは戯曲、『ウィリアム・テル』を書いている。


(ヨハネス・フォン・ミュラー)



 ヨーハンは、アルプスの山を愛した。
 そして、山に住む、純朴な人々を。

 アルプスの人々の飾り気のない好意は、宮廷政治で傷ついたヨーハンの心を、優しく癒やしてくれた。
 彼は、アルプスの麓、シュタイアーマルク州の産業の振興に尽力するようになった。


 ウィーン会議が終結してすぐの頃、この地方を、飢饉が襲った。
 ヨーハンは彼らに、じゃがいもの苗を渡し、その作付を奨励した。
 農作物の収穫方法の合理化や、家畜の育成についても、尽力した。

 鉱工業では、叔父から相続した私財を投じ、炭鉱を買い取った。それを基盤に、鉱石採掘の近代化を断行した。
 また、イギリスでジェームズ・ワットに会った経験から、早くから、鉄道の重要性を見抜いていた。
 今日、グラーツ(シュタイアーマルク州の州都)を通る鉄道の青写真を初めて描いたのは、ヨーハン大公であるといわれている。


 こうした産業育成の一方で、ヨーハンは、アルプスの人々の啓蒙に務め、また、その生活や風俗習慣を、記録に留めさせたりもした。







 出会いは、1819年のことだった。

 山の奥まったところにある、トプリッツ湖畔で、ヨーハンは、笑いさざめいている、一群の少女たちを見かけた。
 白いブラウスに、金の縁飾りの付いた緑色の胴衣は、若くはつらつとした彼女たちに、とてもよく似合っていた。

 中のひとりが、ヨーハンの目を引いた。
 つややかな髪、切れ長の瞳、きれいに通った鼻筋。

 アンナ・プロッフル。
 地元の郵便局長の娘だった。

 話しかけると、彼女の目が、ヨーハンの目を捉えた。
 大きな瞳が、柔らかくへこんで、ヨーハンの目線を受け止める。

 何を話したのか、よく覚えていない。
 ただ、ヨーハンは、夢中だった。

 話している間中、彼女は、決して、ヨーハンから目をそらさなかった。
 印象的な瞳で、優しくヨーハンを見つめながら、いちいち、丁寧に頷いている。

 受け容れられている、と、ヨーハンは感じた。
 この娘に、自分は、受け容れてもらっている。

 心が、丸く癒やされていくのを感じた。
 今までの自分の人生は、無駄ではなかったと悟った。全ては、この娘と出会うための、必要な布石だったのだ。

 ヨーハンは37歳、アンナは15歳だった。




 ヨーハンは、自分の山荘に、娘たちを招いた。
 本当は、アンナと二人っきりになりたかった。だが、いくらなんでも、性急過ぎた。

 娘たちと食事をしたり、冗談を言い合ったり、時には、楽器を奏で、歌い踊ることもあった。
 アンナは、機智に富んでいた。それでいて、ヨーハンを言い負かすことは、決してない。控えめで、優しい性格だった。

 ヨーハンは、アンナのことばかり考えるようになった。
 こんな風に誰かのことを思うことは、今まで、決してなかったことだ。
 ヨーハンは、自分が優しい人になったように感じた。
 アンナが、自分を造り変えてくれたのだ。

 もはや、アンナと別れて暮らすことは、ヨーハンには、耐え難かった。
 彼は、アンナの父の郵便局長に、娘との結婚を申し込んだ。



(アンナ・プロッフル)






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