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執事の狩り
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「シグモント・ボルティネ様」
俺のすぐ横には、黒っぽい服に身を包んだ男が立っていた。がりがりに痩せて、背が高い。
「だ、誰だ!」
灯りを向ける。暗がりに青白い顔がぼう、っと浮かび上がった。
「執事にございます。トラドとお呼びください」
眼窩が深く落ちくぼみ、犬歯が異様に大きく見える。
「地下室へ行かれましたか?」
「……いや。ドアが開いてるか確かめただけ。気まぐれで」
精一杯の嘘を重ねる。たくさんの柩を見たことバレたら、俺は殺されるのだろうか。
「湿気や虫が入ります。扉はきちんとお閉め下さい」
俺が飛び出してきたばかりのドアを、トラドは、ぎぎぎ、と音を立てて閉めた。
特に疑っている風もない。よかった。執事は俺が地下室から出てきたところを見てはいなかったようだ。
「何かご覧になりましたか?」
背中を向けたまま尋ねる。
「なっ、何もっ!」
精一杯、否定した。とてもじゃないけど、たくさんの棺桶を見ました、などと言える雰囲気ではない。
「それはようございました」
ドアを施錠し、執事は振り返った。最初から鍵をかけておいてくれたらよかったのに、と思った。
不意に執事がすり寄って来た。
「とてもいい匂いだ。シグモント様。あなたはとてもいい匂いを放っていらっしゃる」
「あ……」
もしかして、地下室の死体の匂いが移ったとか?
ぞっとした。
でも、いい匂いって言ったよな。しかも二度も。ありえない。もしかして、変態さんとか? あのカルダンヌ家の執事だ。変で普通なのだ。
混乱の中で、激しく自分を呪った。そもそもこの館を逃げ出すつもりだったのに、のこのこ地下室へ行くなんて。
「ところで、このような夜半にどちらへ?」
何心無いという風に執事が尋ねる。
「すっ、少し外の空気が吸いたくて」
「それはようございました。幸い私の勤務時間は終わりました。よかったら、御一緒しましょうか?」
「いやっ、いや、いい」
力いっぱい断った。早くどこかへ行って欲しい。
「ご遠慮なさらずとも」
「貴方には貴方の用があるでしょう?」
トラドが自分のことに気持ちをそらせてくれることを願った。
「はい。これから狩りに参ります」
「ふ、ふうん」
外出するなら好都合だ。一度部屋に戻って、出直せばいい。地下室へ寄り道した分のヘマも取り戻せるというものだ。
それにしても……。
「狩り? こんな夜中に?」
思わず問いかけると、トラドはにたりと笑った。
「さようでございます。ですが、外出の必要はなくなりました。こんな素晴らしい獲物が間近にございましたゆえ」
手首をがっちりと握り込まれた。電光石火の速さで俺の首筋に顔を埋めてくる。逃げる暇もなかった。
……獲物?
「ああ、いい匂いだ」
まるで犬のように鼻をクンクン鳴らしている。
「あの、ちょっと、執事さん?」
「トラドにございます」
「それじゃ、トラドさん。いったい……」
「何をしている!」
雷のような声が聞こえた。比喩ではなく、本当にあたりの空気がびりびり震えたくらいだ。
目の前に立ちはだかっていたのは、ヴァーツァ・カルダンヌ公だった。
どうしてこの家の人間は気配もなく現れるのか。心臓に悪いこと、この上もない。
「これは、公爵様」
トラドが俺から離れた。そんな執事を、ヴァーツァがぎろりと睨む。
「シグは俺の客だ。手を出すなと言ったろ?」
「申し訳ございません。あまりに良い匂いを放っておいででしたので」
「それは認める」
俺は、コロンなどはつけていない。俺の収入では、そんなものを買う余裕などない。主従二人の会話は、全くもって意味不明だ。
ヴァーツァが俺に向き直った。深いため息をつく。
「君に手を出そうとするなんて、本来ならトラドは処分しなければならない。けれど、今、俺の力は弱まっている。思うように使用人を操ることができない。トラドは自ら形を保てる貴重な人材だ。不始末があったからといって、消すわけにはいかないんだ」
消す、だって?
よくわからないけど、なんだか物騒なことを口走っている。
横目で執事を見ると、さっきまでの勢いはどこへやら、しょんぼりと項垂れてしまっている。無表情だけど、見方によっては恐怖に震えているようにも見える。
少し、気の毒になった。
「トラドさんは何も悪いことはしていません。僕は迷惑なんか少しも被っていない」
そう言うと、トラドははっとしたように俺を見た。どのみちこの人は、俺が地下室へ下りたとは思っていない。安心しろ、という風に頷いて見せた。
表情の乏しいトラドの顔に、感謝の色が浮かんだ……ような気がする。
「そうか。君がそういうのならいいんだ」
ヴァーツァがため息をついた。
「確かに今回は、トラドだけが悪いわけじゃない。彼はむしろ、素直に流されただけだ。罪は君にある」
「はい?」
襲われかけたのは俺だぞ? その俺に一体、何の罪があるというんだ?
「頼むからシグ。フェロモンを垂れ流すのは止めてくれ」
「?」
フェロモン? なんだそれは。俺は何かを垂れ流した覚えはないぞ。
しかし、抗議をする暇はなかった。言い終わるなりヴァーツァは、ぐずぐずとその場に崩れ落ちてしまったからだ。
俺のすぐ横には、黒っぽい服に身を包んだ男が立っていた。がりがりに痩せて、背が高い。
「だ、誰だ!」
灯りを向ける。暗がりに青白い顔がぼう、っと浮かび上がった。
「執事にございます。トラドとお呼びください」
眼窩が深く落ちくぼみ、犬歯が異様に大きく見える。
「地下室へ行かれましたか?」
「……いや。ドアが開いてるか確かめただけ。気まぐれで」
精一杯の嘘を重ねる。たくさんの柩を見たことバレたら、俺は殺されるのだろうか。
「湿気や虫が入ります。扉はきちんとお閉め下さい」
俺が飛び出してきたばかりのドアを、トラドは、ぎぎぎ、と音を立てて閉めた。
特に疑っている風もない。よかった。執事は俺が地下室から出てきたところを見てはいなかったようだ。
「何かご覧になりましたか?」
背中を向けたまま尋ねる。
「なっ、何もっ!」
精一杯、否定した。とてもじゃないけど、たくさんの棺桶を見ました、などと言える雰囲気ではない。
「それはようございました」
ドアを施錠し、執事は振り返った。最初から鍵をかけておいてくれたらよかったのに、と思った。
不意に執事がすり寄って来た。
「とてもいい匂いだ。シグモント様。あなたはとてもいい匂いを放っていらっしゃる」
「あ……」
もしかして、地下室の死体の匂いが移ったとか?
ぞっとした。
でも、いい匂いって言ったよな。しかも二度も。ありえない。もしかして、変態さんとか? あのカルダンヌ家の執事だ。変で普通なのだ。
混乱の中で、激しく自分を呪った。そもそもこの館を逃げ出すつもりだったのに、のこのこ地下室へ行くなんて。
「ところで、このような夜半にどちらへ?」
何心無いという風に執事が尋ねる。
「すっ、少し外の空気が吸いたくて」
「それはようございました。幸い私の勤務時間は終わりました。よかったら、御一緒しましょうか?」
「いやっ、いや、いい」
力いっぱい断った。早くどこかへ行って欲しい。
「ご遠慮なさらずとも」
「貴方には貴方の用があるでしょう?」
トラドが自分のことに気持ちをそらせてくれることを願った。
「はい。これから狩りに参ります」
「ふ、ふうん」
外出するなら好都合だ。一度部屋に戻って、出直せばいい。地下室へ寄り道した分のヘマも取り戻せるというものだ。
それにしても……。
「狩り? こんな夜中に?」
思わず問いかけると、トラドはにたりと笑った。
「さようでございます。ですが、外出の必要はなくなりました。こんな素晴らしい獲物が間近にございましたゆえ」
手首をがっちりと握り込まれた。電光石火の速さで俺の首筋に顔を埋めてくる。逃げる暇もなかった。
……獲物?
「ああ、いい匂いだ」
まるで犬のように鼻をクンクン鳴らしている。
「あの、ちょっと、執事さん?」
「トラドにございます」
「それじゃ、トラドさん。いったい……」
「何をしている!」
雷のような声が聞こえた。比喩ではなく、本当にあたりの空気がびりびり震えたくらいだ。
目の前に立ちはだかっていたのは、ヴァーツァ・カルダンヌ公だった。
どうしてこの家の人間は気配もなく現れるのか。心臓に悪いこと、この上もない。
「これは、公爵様」
トラドが俺から離れた。そんな執事を、ヴァーツァがぎろりと睨む。
「シグは俺の客だ。手を出すなと言ったろ?」
「申し訳ございません。あまりに良い匂いを放っておいででしたので」
「それは認める」
俺は、コロンなどはつけていない。俺の収入では、そんなものを買う余裕などない。主従二人の会話は、全くもって意味不明だ。
ヴァーツァが俺に向き直った。深いため息をつく。
「君に手を出そうとするなんて、本来ならトラドは処分しなければならない。けれど、今、俺の力は弱まっている。思うように使用人を操ることができない。トラドは自ら形を保てる貴重な人材だ。不始末があったからといって、消すわけにはいかないんだ」
消す、だって?
よくわからないけど、なんだか物騒なことを口走っている。
横目で執事を見ると、さっきまでの勢いはどこへやら、しょんぼりと項垂れてしまっている。無表情だけど、見方によっては恐怖に震えているようにも見える。
少し、気の毒になった。
「トラドさんは何も悪いことはしていません。僕は迷惑なんか少しも被っていない」
そう言うと、トラドははっとしたように俺を見た。どのみちこの人は、俺が地下室へ下りたとは思っていない。安心しろ、という風に頷いて見せた。
表情の乏しいトラドの顔に、感謝の色が浮かんだ……ような気がする。
「そうか。君がそういうのならいいんだ」
ヴァーツァがため息をついた。
「確かに今回は、トラドだけが悪いわけじゃない。彼はむしろ、素直に流されただけだ。罪は君にある」
「はい?」
襲われかけたのは俺だぞ? その俺に一体、何の罪があるというんだ?
「頼むからシグ。フェロモンを垂れ流すのは止めてくれ」
「?」
フェロモン? なんだそれは。俺は何かを垂れ流した覚えはないぞ。
しかし、抗議をする暇はなかった。言い終わるなりヴァーツァは、ぐずぐずとその場に崩れ落ちてしまったからだ。
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