朝になるまでモフッてやるから覚悟しろ

せりもも

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仏の罰

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 月の美しい晩だった。
 仰ぎ見る本堂の屋根に、白い鳥の姿があった。

 この寺の屋根には、向かって左右に、しゃちほこが置かれている。本当はしゃちほこではなくて、何かの聖獣らしいのだが、溂にはよく理解できていない。なんでも、聖人が徳をなす時に現れるという。

 七緒は、右側の聖獣の方を向いて、ぼんやりとしていた。
 「なな……」
 呼びかけようとして、そのあまりの美しさに、溂は息を呑んだ。

 月の光を浴びて、白く輝くようだ。
 だが、同時に、どこか寂しげだった。
 黒々と横たわる広い屋根には、七緒の他に、誰もいない。はらわたに染み渡るような孤独が、その姿にはあった。

 美しさとは、寂しさのことなのだ、と溂は思った。
 しばらく、その姿に見とれていた。

 ふと、唇が、小さく動いていることに気づいた。
 七緒の目線は、聖獣の上辺りに浮いていた。何も見ていないようだ。唇が尖り、先端が、小さく空く。

 ……そういえば、七緒はよく、こんな風にぼんやりしている。
 溂は思った。
 ただ、ぼんやりしているだけだと思っていたが……。

 溂のポケットには、さっき渋沢からもらった補聴器が入っていた。それを、耳にはめてみた。

 しなやかで伸びの良い声が、嫋々と流れてきた。
 意味はわからない。でも、誰かを呼んでいるのだと伝わってきた。
 誰か……孤独を分かち合ってくれる存在を。
 生きてよいのだと、頼もしく肯定してくれる存在を。

 歌声が、苦しく辛く、哀しく、押し寄せてきた。それなのに、甘く優しく、懐かしい。
 耐えきれないほど孤独なのに、その孤独を美しく彩っている。
 胸に深く染み入り、苦しかった。でも、酔うほどに心地いい。

 膝の力が抜け、溂はその場に蹲ってしまった。
 いつまでも、この歌を聞いていたかった。そして、歌の主を、抱きしめてやりたかった。

 足元の砂利が音を立てた。
 唐突に、歌が途切れた。

「溂」
人間の言葉が降ってきた。

 溂は、顔を上げた。
「降りてこい、七緒」

 鳥は羽を広げた。
 ばさばさと羽音を立てて、舞い上がる。
 溂のすぐ前に降り立った。

「それは、歌か?」
 目の前の七緒に向かって、溂は尋ねた。
 七緒の顔が、ぱっと明るくなった。
「そうだよ。聞こえたの、溂」
「うん。聞いた。意味はわからなかったけど」
「ずっと歌ってた。生まれてからずっと。溂の歌を」

 溂は、胸を衝かれた。
 七緒は、人には歌声を聞かせるくせに、自分には歌ってくれないと思っていた。
 でもそれは、違った。
 七緒は、ずっと歌っていたのだ。
 ただ、溂には聞こえなかっただけ。それでも、七緒は、歌い続けた。
 溂を恋する歌を。

 もういい、と、溂は思った。
 たとえ「運命」が、作られたものであっても。
 七緒が自分を好きな理由が、偶然に偶然を重ねた結果であっても。
 今、七緒は目の前にいて、溂のことを好きでいてくれる。
 これ以上、何も望まない……。

 「なな。ごめんな」
溂が言うと、七緒は不安そうな顔をした。
「なにを謝ってる?」
「俺はお前に、嘘をついた」
「うそ?」
「つっ、……番いに、なりたくないって。でも、それ、嘘だった。本当は、」
「溂!」

 目の前が真っ白になった。
 七緒が溂に飛びついたのだ。白い羽が溂を取り込み、抱きしめた。細かな羽毛が月の光を浴びて飛び散る。
 溂は七緒を押しのけようとした。けれど、七緒は溂を離そうとしない。信じられないくらいの馬鹿力だった。
 なんとか口と鼻だけ、羽の外へ出した。

「七緒が、好きで好きで、たまらない」
ようやくのことでそれだけ言うと、また、抱きしめられた。

 「……え?」
 七緒が何か言っている。
 ふわふわもふもふとした羽の中で、溂には、よく聞こえない。

「何?」
 耳元に唇が寄せられた。熱く、しっとりと湿っている。
 甘く耳たぶを噛んで、囁いた。

「……仏の罰」

「お前はっ!」
思わず溂は叫んだ。

 境内でしたら、罰が当たる。
 確かに前に、そんな風に言ったけど……。

「家に入るぞ。ついてこい」
 力いっぱい抗って、白い拘束を解いた。
「今までさんざん人をあおりやがって。このままで済むと思うなよ。朝になるまでモフッってやるからな。覚悟しとけよ」
 ずんずんと、後をも見ずに、歩きだす。
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