「何もない、静かな部屋」 キスを待つ頬骨シリーズ2.5

水ぎわ

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第2章「白日の影のごとく」 

第22話「あの指が欲しい」

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(UnsplashのYevgeniy Gradovが撮影)

 たまきは聡の剣幕けんまくにちょっと引きながら答えた。

「明日、その家へ行ってみようと思います。
 あの、私ひとりで行けますよ、サト兄さん?
 住宅街のまんなかにあるお家なんです。危ないことなんて、なにもありませんから」
「どういう家なのか、全然わからないじゃないか。たまちゃん一人に行かせられない。おれが一緒にいく」
「おまえは明日、終日あいさつ回りだ」

 音也おとやがそう言うのを聞いて、聡はイライラと裸足はだしのかかとをオットマンに打ち付けた。

「じゃあ、明後日あさってはどうだ。だめだ、おれが横井先生の事務所に行く日だ……」
「サト兄さん、今はお忙しい時ですから私ひとりで行きます。大丈夫です」
「だめだ」

 聡は強く言った。

「女の子ひとりじゃ絶対だめだ。おれじゃなくても、だれか他のやつを連れていけ。そうだ、今野こんのはどうだ?」

 聡は、選挙準備用に参議院議員の横井謙吉よこいけんきち事務所から借りている若い男の名前を出した。
 いいアイディアに思えたが、音也は缶ビールを飲んでいるだけで答えない。
 聡はひとりで勝手にうなずいた。

「コンにしよう、あいつなら時間もある。そう言っておくよ」
「——聡」
「サト兄さん」

 音也と環が同時に言った。ふたりは思わず顔を見合わせて、環が笑った。
その様子が、また聡のかんにさわる。

「なんだお前ら、気持ち悪いな」

 音也は不機嫌そうな聡をじろりと見やり、それから柔らかい視線で環に言った。

「環ちゃん、先に話を」

環は音也を見て不思議そうな顔をしたが、すぐ聡に向かい、

「今野さんは事務所のかたです。うちの事を頼むのはいけませんよ」

 聡はあきれて、

「かたいこと言うなよ、たまちゃん。車で行ってちょっと家を見るだけだろ」
「けじめです。危ないことをするわけではありませんから一人で行きます」
「だめだ、だめだ」

 聡はやけのようにタオルを振りまわして叫んだ。

「おふくろがいたら、絶対にたまちゃんだけでは行かせないぞ。
 音也、お前もさっさと言え」

 音也は聡を無視して環に話しかけた。

「環ちゃん、細かいことはあす決めよう。朝飯のときにね」

 音也がにこりとそう言うと、環はようやく表情をゆるめて部屋に戻っていった。
 聡はやや肉厚の唇をむっととがらせたまま、リモコンでテレビのチャンネルをむやみに変えていった。

 どす黒い、嫌なものがはらじゅうを満たしている。
 そこへ、音也の声が刺さりこんできた。

「聡」
「うるせえ、音也。おれはまちがっちゃいねえぞ」
「聡、テレビを切れ。話したいことがあるんだ」
「聞きたかねえよ」
「聞け」

 音也は聡の手からリモコンをとり、テレビを切った。

「明日、環ちゃんに誰かがついて行くのはいいが、今野では困る」
「はあ?」

 聡は顔を上げた。
 音也がソファのすぐ横に立って、腕を組んでいる。

 考えごとをするときの癖で、長い指で強く唇をなぞっていた。大きい爪が唇に食い込んでたまらなくエロティックに見えた。
 聡の視線が、くぎ付けになる。

 あの指が欲しい、と思う。

 あの爪が、あの指を動かしている音也の骨が欲しい。音也の肉と骨を動かしている、神経が欲しい。

 楠音也のぜんぶが、ほしい。

 しかし音也は淡々としゃべり始めた。

「明日、誰が環ちゃんについて行ってもいいんだが、今野と二人きりではまずい」
「どういう意味だ。まさかあのヤロウ、たまちゃんに気があるのか」

 まだそこまでいかないが、と音也は続けた。

「今野には、そういう気持ちがあると思う」

 ふん、と聡は鼻を鳴らしてソファの上にふんぞり返った。乱暴に、良く筋肉のついた脚を高く上げて、組む。

「コンのやろう、いい度胸どきょうだ。
 おれの目の前でたまちゃんに手を出そうとはな。明日しめあげてやる」

 音也はちらりと聡を見下ろした。

「気になるか」
「あたりまえだ。おれの妹に手を出すヤロウはタダじゃおかねえ」
「法的にも血縁的にも、環ちゃんは妹じゃない」

 音也のその言葉を聞いて、松ヶ峰聡はゆっくりと立ち上がった。
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