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第9章「何かを我慢している男は、どうしてこんなに美しいのだろう」
第58話「星も静まるような、美しい男」
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(UnsplashのSimon Launayが撮影)
「先生、エレベーターまでお送りしましょう」
音也は周囲を気にして、丁寧な口調で続ける。
聡はもうめんどうくさくなって、一泊用バッグをぶら下げてホテルロビーを歩き始めた。
「なんだよ、”お送りする”って。どうせお前は隣の部屋にいるんだろ」
エレベーターのボタンを押した音也の顔は、いやみなほどに整っている。
聡はいぶかしげに、親友のきらめくような美貌を見た。
「音也?」
「わたくしは、別フロアです」
「はあ? なんだって?」
「12階のジュニアスイートのお部屋をお取りしておきました。わたくしは別フロアにおりますので、ご用の際《さい》にはスマホにご連絡ください」
聡がよほどおかしな顔をしたのだろう、音也は華麗な身体をすっと近寄せてささやいた。
「おまえはスイート、おれは標準客室。これも経費削減だ」
「経費ぃ? そんなこと、これまで考えたこともなかったじゃないか」
「これからはシビアになってくるからな。カネの問題は選挙前からクリアにしておいたほうがいい」
音也はトンと聡の肩をエレベーターに向かって押した。音也にふれられたところから、聡の全身に熱が走る。
飢えているから。
些細《ささい》な接触が七色《なないろ》の電撃となって、脳天まで一気に駆け上がる。
聡はわずかに顔を赤くしながら、
「言っていることの意味が分からねえ……くそ、俺を押すんじゃねえよ、音也!」
そう言うのと、音也に突きこまれたエレベーターの扉が閉じ始めるのがほぼ同時だった。
聡はエレベーターの中で身体をひねって外を見た。閉まりかける扉の前で、音也がひとりで立っている。
「明日の朝、7時にお電話いたします。お休みなさいませ」
そう言って、音也は何かから解放されるかのようにすがすがしく微笑んだ。
しゅっと軽い音を立ててエレベーターの扉がしまりきる。
呆然として12階まで運ばれた。
「なんだ、ありゃ。なんだって別フロアに……経費? 聞いていねえぞ」
聡は首をひねりながらエレベーターを降りた。
このフロアはジュニアスイートの部屋がズラリと並んでいるようで、一部屋ずつの間隔が広い。
カードキーに書いてある部屋番号を探していく。
「1210……1210……おっ、ここだな」
カードキーをドアのスロットに差し込み、部屋に入ってドアを閉じようとする。
その時、ついさっき聡が行き過ぎたばかりの斜め向かいの部屋から物音がした。
廊下をへだてて3メートルほど離れた、向かい部屋がひらく。
長身の男が優雅に出てくるのが見えた。
聡が思わずつぶやく。
「あれ……井上《いのうえ》さんじゃねえか?」
見慣れたホテルマンの優雅な長身が深夜の廊下に立っていた。
井上清春。
星も静まるような、美しい男だ。
「先生、エレベーターまでお送りしましょう」
音也は周囲を気にして、丁寧な口調で続ける。
聡はもうめんどうくさくなって、一泊用バッグをぶら下げてホテルロビーを歩き始めた。
「なんだよ、”お送りする”って。どうせお前は隣の部屋にいるんだろ」
エレベーターのボタンを押した音也の顔は、いやみなほどに整っている。
聡はいぶかしげに、親友のきらめくような美貌を見た。
「音也?」
「わたくしは、別フロアです」
「はあ? なんだって?」
「12階のジュニアスイートのお部屋をお取りしておきました。わたくしは別フロアにおりますので、ご用の際《さい》にはスマホにご連絡ください」
聡がよほどおかしな顔をしたのだろう、音也は華麗な身体をすっと近寄せてささやいた。
「おまえはスイート、おれは標準客室。これも経費削減だ」
「経費ぃ? そんなこと、これまで考えたこともなかったじゃないか」
「これからはシビアになってくるからな。カネの問題は選挙前からクリアにしておいたほうがいい」
音也はトンと聡の肩をエレベーターに向かって押した。音也にふれられたところから、聡の全身に熱が走る。
飢えているから。
些細《ささい》な接触が七色《なないろ》の電撃となって、脳天まで一気に駆け上がる。
聡はわずかに顔を赤くしながら、
「言っていることの意味が分からねえ……くそ、俺を押すんじゃねえよ、音也!」
そう言うのと、音也に突きこまれたエレベーターの扉が閉じ始めるのがほぼ同時だった。
聡はエレベーターの中で身体をひねって外を見た。閉まりかける扉の前で、音也がひとりで立っている。
「明日の朝、7時にお電話いたします。お休みなさいませ」
そう言って、音也は何かから解放されるかのようにすがすがしく微笑んだ。
しゅっと軽い音を立ててエレベーターの扉がしまりきる。
呆然として12階まで運ばれた。
「なんだ、ありゃ。なんだって別フロアに……経費? 聞いていねえぞ」
聡は首をひねりながらエレベーターを降りた。
このフロアはジュニアスイートの部屋がズラリと並んでいるようで、一部屋ずつの間隔が広い。
カードキーに書いてある部屋番号を探していく。
「1210……1210……おっ、ここだな」
カードキーをドアのスロットに差し込み、部屋に入ってドアを閉じようとする。
その時、ついさっき聡が行き過ぎたばかりの斜め向かいの部屋から物音がした。
廊下をへだてて3メートルほど離れた、向かい部屋がひらく。
長身の男が優雅に出てくるのが見えた。
聡が思わずつぶやく。
「あれ……井上《いのうえ》さんじゃねえか?」
見慣れたホテルマンの優雅な長身が深夜の廊下に立っていた。
井上清春。
星も静まるような、美しい男だ。
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