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13話「繋がり」 side:鷲

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 それはおそらく、禁断の果実――――
 欲してはいけない。近づいてはいけない。手にしてはいけない。
 触れれば最後、後戻りはできない。
 一口齧れば、底なしの快楽へと堕ちるのみ。

 Ωの発情期とは、そういうものだ。


「ねぇ、お兄ちゃん。子作りしよ」


 あの日のことは今でもハッキリと覚えている。
 休日の昼下がり。両親がいない家で妹と二人きり。
 昼寝をしていた俺の腹の上に、いつの間にか妹が跨っていた。


「舞花、お前……」


 花の蜜を連想させる甘ったるい匂い。一息嗅ぐだけで、体の熱がジンと高まる。
 噂では聞いていたけど、体験するのは初めてだった。
 Ωの発情期のフェロモン。


「あのね、お兄ちゃんの子供が欲しいの。発情期の時にセックスすれば妊娠は確実なんだって。だからシよ? お兄ちゃんと幸せな家族を作りたいの」


 誰だ、こいつは。この女は、本当に俺の妹なのか?
 舞花はまだ13歳だ。最近ランドセルが取れたばかりで、怖がりで泣き虫でいつも俺の後ろをくっついていた子供だ。
 それが雄を誘うような挑発的な態度をとっている。


「わたしのナカに、お兄ちゃんの精子、注いで」


 耳元をくすぐる囁きに、ビクリと肩を震わす。
 次にあの小さい舌先でチロチロと耳を舐められた。
 そのままゴリゴリと俺の股間に自分の秘部を擦り合わせてくる。布越しに刺激される感触にやや自分の性器が硬くなる。
 俺の反応に舞花はクスクスと笑い、行為はじょじょにエスカレートしていく。
 俺の動かない手を両手で握り、自分のスカートの下へ誘う。
 我慢できず、妹の体を突き飛ばした。


「いい加減にしろっ!!!」


 驚きに目を見開く舞花。
 まん丸な瞳がうるうると潤み、たちまち大粒の涙が零れた。
 ズクンと、罪悪感に心臓が縮まるような思いだったが、やんわりと断った。


「ごめん……ごめん、舞花。でもよくないよ、俺たち血が繋がっているし、家族なんだから」
「そんなの関係ない! だってわたし達、こんなに愛し合ってるんだよ?」
「俺も舞花は好きだけど、それは家族としての好きだ。お前とは違う」
「じゃあ何で、ココ、こんなにしてるの?」
「――――っ……」


 不意に、舞花の足先が俺の硬くなった性器をギュッと抑えつけた。
 痛みに顔を歪めると、舞花は勝ち誇ったように告げた。


「家族にこんな風にはならないでしょ? やっぱりお兄ちゃんもわたしと繋がりたいんだ」
「違うっ! これはΩのフェロモンのせいだ! 体が勝手に反応してるだけで……」
「それでもいい」


 断言する。覚悟を決めた表情で、舞花は続けて言った。


「学校の血液診断でΩだって分かった時、お先真っ暗だった。でもね、お兄ちゃんと家族を作るっていう夢があったから、この先の未来に、ほんのちょっと希望の光が見えたの。繁殖しか能がないって悪口言われてもへこたれない。好きな人を自分のモノにできるなら、Ωの性質だってとことん利用してやるって決めたから」


 語気鋭く言い放つ。が、反して華奢な肩を震わせている。
 あの細い体のどこに大胆さと、勇気が備わっているのか。
 Ωとしての性を自覚し、受け入れた妹を強くて逞しく感じた。

 だけど、やっぱり自分の方が早くに生まれてきて、その分世界を知っている。
 この世界の定められたルールを知っている。
 その一つを、教えなきゃいけない。


「……βとΩは妊娠できないんだ」


 まるで死刑宣告をうけたみたいに、固まる妹。
 その小さい口からは何度も「うそ、うそ、うそ」と紡がれる。
 それからプツンと、糸が切れたみたいに家を飛び出して行った。
 あの時すぐに追いかけていればと数えきれないほど後悔し、自分を恨んだ。

 フェロモンを垂れ流したまま、乱れた服のまま、外に飛び出し――――
 妹は数人のαにレイプされ、望まぬ子を孕んだ。

 それからは自殺するまで、俺といっさい口を聞くことはなかった。




♢♦♢♢♦♢




「……なんで俺、βに生まれちゃったんだろう」


 深夜の公園。
 ブランコに座り、持っていたタバコに火をつける。
 吐いた煙を見上げ、呟いた一言に、もちろん返してくれる者はいない。
 息子がまさかαだったとは、本当に驚いた。
 正直、自分だけそれを知らされなかったことや、息子が琴と寝ていたことは、憤慨せずにはいられない。

 だけど鵠が琴のうなじを噛んで番にした時、ほんの少し、安堵してしまった。
 これで琴を俺の未練から解放させてあげられる、と。
 そもそも琴と家族ごっこを始めたのは、舞花への贖罪だ。
 舞花の叶えられたかった夢を、同じΩの琴に押しつけた。
 俺の我が儘によるもの。

 ……これでよかったんだ。
 自殺しようとするまで苦しんでいた琴は、これで救われる。
 鵠と子供を作って二人だけの幸せな家庭を築く。
 妹を殺したも同然の俺が、一人のΩの人生を照らす役割を果たしたんだ。
 これで………いいんだ。
 俺は幸せになっちゃいけないんだ。


「……………」


 あんなに泣き腫らしたのに、目から一筋の涙が落ちた。


「……もしも、この世界がαとΩだけだったら、こんな思いしなくてすんだのかなぁ」


 真情を吐露するが、すぐに沈黙の闇に呑み込まれた。
 シンと静まり返った無人の公園。
 独りで声を殺し、泣いた。
 とうぜん、誰もいない―――――はずだった。


「家に帰ろう、鷲」


 近づいてきた人の気配に気づかなった。
 幻聴かと思い、うなだれた顔を上げる。
 月を背後にして立った、琴の姿があった。
 油断していた。鵠を放っとけないだろうと思っていた。


「こ…………と。なんで、ここが」
「すぐに分かったわけじゃねぇよ。2時間くらいはしらみつぶしだ。ここは最後の頼みだった」


 この公園は、三人の思い出の場所。
 まだ家に来たばかりの鵠を残して、俺と琴で出かけてた時だった。
 家に帰ると、居るはずの鵠がいなくて。
 誘拐されたんじゃないかと思って、俺たちは血眼で探した。
 探し当てたのが、わりと家から近いこの場所だった。


「鵠を見つけた時も、あいつ一人でポツンとブランコに座ってたな。今のお前みたいに。俺たちがどうして勝手に外に出たんだって問い詰めたら大泣きして、『また捨てられたかと思った』って言ったんだよな。可愛かった、ほんとうに」
「その可愛い息子をほったらかしにしていいのか?」
「その息子がお前を連れ戻してこいと、頼んできた」
「何のために?」
「また三人で暮らしたい。息子だけじゃない。俺も、鷲に戻ってきて欲しいと思っている」
「……もう戻る気はないと言ったはずだ」
「俺たちはお前が必要なんだ」
「どうしてだ。お前は俺のしがらみから解放されて、自由になった。鵠とも両想いのはずだ。今さら俺に何の未練があるんだ」


 投げやりな台詞に、琴は寂しそうに目を細めた。
 もう傷つけたくない。
 傷つきたくない。
 二つの思いが心で右往左往する。
 だけど琴は話を続ける。


「……鷲からは数えきれないほど色んなものをもらった。鵠に出会えた。家族の幸せを味わうことができた。あの時から、お前は俺の中でなくてはならない存在になったんだ。自分を形作る上で絶対に欠かせない一部なんだ」


 鵠も同じ気持ちだ、と付け加える琴。
 俺だってそうだ。
 この5年間、夢みたいに幸せで楽しくて――――
 終わらせたくない。


「でも、もうお前とは繋がれないんだぞ」


 俺は残酷な真実を口にした。
 番になったΩは、発情期がこない。
 そして番にしたα以外と性行為しようとすると、生理的な嫌悪感から、眩暈や嘔吐をしてしまう。

 だけど琴は、優しい手つきで涙で濡れた俺の頬に触れた。
 少し顔を上げると、琴の唇が俺のと重なり合った。


「繋がれなくても、心は繋がってる」


 「キスや抱きしめることならできるんだ、それだけで俺たちはじゅうぶんだろ?」と言い放つ琴。
 少し度肝を抜かれた。
 あの傷だらけだった琴を守ってきた。
 大事に大事に。他のαの悪意にさらされないように。
 そのはずが、俺なんかよりも精神的に強くなっている。
 前に進もうとしている。
 ……俺だけが過去にしがみついている。


「今まで俺と鷲で共有していたものに、鵠が加わるだけなんだ。そんな難しく考える必要なんてない」
「そんな簡単に言うな。無理だ。αとΩとβで暮らすなんて」
「無理じゃない。三人なら乗り越えられる」


 「帰ろう、鷲。鵠が待ってる」と琴が手を差し出す。
 何だか馬鹿らしくなった。
 俺だけが世界のルールに縛られていて、当の琴たちはそれを打ち破ろうとしているのに。
 かけてもいいのだろうか。三人が重なり合う未来に。
 まだ鵠を許したわけじゃない。αが憎い気持ちは変わらない。
 だけど、二人を好きという気持ちは紛れもない本心で。

 まだ整理はつかない。
 けど、自分の手はゆっくりと、差し出された手に添えようとして――――――
 急に、穏やかな琴の表情が険しくなり、俺の名を呼んだ。


「鷲!!!」


 後ろからガバリと、羽交い締めにされた。
 同時に鼻と口を覆う布。ツンと刺激臭がした。
 クロロホルム――――そう気づいた時には、視界がグニャリと歪んで、暗転した。




♢♦♢♢♦♢




 バシャリ。
 バケツ一杯分の水をぶっかけられ、強制的に覚醒した。
 冷えた床に横たわっていた。
 手は後ろに、足とともに結束バンドで拘束されている。
 顔を上げて辺りを見回す。

 ――――どうやら地下の駐車場らしい。一面灰色のコンクリートだ。
 すぐ横に同じように拘束された琴がいた。
 無事だったことに胸を撫でおろし、起こそうと口を開いた瞬間――――


「やあやあ目が覚めたかい? ストーカー君」


 小馬鹿にしたような声に、その方へ顔を向ける。
 黒い高級車に寄りかかる、男がいた。
 年は俺と変わらないか、少し下くらいの20代の男。
 その男の隣に、190㎝くらいの、顔に傷の入った男が立っていた。
 二人とも黒いスーツを着ていて、明らかにカタギじゃない雰囲気を纏わせている。


「……誰だ、あんた達」
「え~その反応ひどくなぁい? キミが散々追いかけていた男のこと、忘れちゃったのぉ? あんなに熱烈にアプローチかけてくるからさ、僕も答えてあげなきゃって思って招待したのに」
「まさか――――」


 大阪から東京を股にかけてΩの違法風俗店を経営してるオーナー。
 その男の捜査を俺は担当していた。
 まさに目の前の男が、そのオーナーだった。


「やっと気づいたか。えーと、鷲ちゃんだよね? キミのことは色々調べさせてもらったよ。藤堂にね」


 男はチラリと隣の屈強な男を見ると、藤堂と呼ばれた男は無言でうなずいた。


「お初にお目にかかるね、僕はΩの売春を目的とした違法風俗店をいくつか経営してる。鴉島(からしま)だ。ちなみにキミの大嫌いなαだよ」


 「ヨロシク」と、鴉島は意地の悪い下品な笑みを浮かべた。


「俺と琴を……どうするつもりだ」
「ブハッ! 何そのドラマみたいな台詞! いや~実はヤクザの若頭もやっててさぁ、警察の足がつくのは嫌なんだよねぇ。キミ、結構しつこくてさぁ、このまま尻尾掴まれる前に先手必勝ってやつ? こっちから出向いて処理しようかなって」


 ガン、と鴉島の足が俺の背中の上に置かれ、グリグリと体重をのせられる。


「ぐっ……」
「だぁかぁらぁ、鷲ちゃんには悪いけど、奥さんと仲良く殺されてくんない?」


 俺を見下ろす視線は虫けらのように。
 鴉島は声を弾ませて言った。
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