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第5話  体温と信頼と

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おかしい。
先日からオリヴィエの様子がおかしい。

戦闘は問題なく参加してくれている。
聖職者なだけあって、身だしなみもしっかりしている。
相談をすれば親身になって答えてくれるし、日課のお祈りも欠かしていない。

じゃあ何がおかしいか?
場面場面での行動がおかしい。

さっきのお昼の時もそう。
オリヴィエは岩に腰かけて、僕より先に食事を摂っていた。
僕はそこから拳4つ分くらい空けて座り、遅れて食事を摂った。
頭の中は不安やトラウマで一杯で、味なんかわからなかったけども。
食事を終えたとき、気づくとオリヴィエがピッタリ寄り添っていた。
ほんと直ぐ側で、妙に良い笑顔で。

「近いよね?」

僕がそう言うと、

「魂の距離と等しい近さなので大丈夫です」

なんて返された。
魂の距離って何?!
そんなものいつ測った、なんて質問は野暮なんだろうけどさ。

例の「●●しないでくださいね」とかいう謎の釘指しも健在だ。
その問いかけに対して、やらない、見ない、わかってると答えると、決まって寂しい顔をされる。
これって僕が悪いのかな?
でもそこで迂闊に行動したら、きっと身も心も変態になっちゃうよね。
そもそも風呂覗きなんか変態というより犯罪じゃない?

だから僕はもう諸々流すことにした。
変わった癖だと思うしかない。
たひたび寂しそうな顔をされてしまうけど、お互い慣れた方が楽だと思う。


話は変わって、僕たちは今とあるダンジョンに向かっている。
冒険初心者の力試しに丁度いい場所らしい。
出てくる魔物もあまり強い者はおらず、効率良く戦闘できるのがポイントだとか。
そこでしばらくレベル上げと、素材を集めてお金を貯めようと考えている。

ちなみにこの情報は、オリヴィエが聞き込みをして得た情報だ。
その間僕が何してたかって?
近くの壁に隠れてましたが、何か?
僕がいると会話が成立しなくなるからね、仕方ないよね。


噂のダンジョンは石造りの洞窟だった。
当然だけど中は薄暗くて、外から様子は伺えない。
オリヴィエは懐から明かりの灯る魔法石を取り出して、眩い光を生み出した。


「私が明かりを持ってますので、レインさんは戦闘に集中してください」
「ありがとうオリヴィエさん。そうさせてもらうよ」
「暗がりで離れると危険です。側から離れないでくださいね」
「戦闘に集中させてくれるんでしょ? ベッタリされたら戦えないよ」


全く……どこまで本気でどこから冗談なのかわからないよ。
オリヴィエのため息に聞こえないフリをして、僕たちは初めてのダンジョンに挑むことにした。
未知なる洞窟なんて怖くてしょうがないけど、より良い未来の為だ。
自分の弱い心と向き合いながら、一歩一歩奥へと踏み込んだ。
洞窟の中はやっぱり暗く、ジメッとしていた。
魔法石の光が届かない場所は視界が届かないので、魔物の存在に気を付ける必要がある。
焦らずに注意深く進むことにした。


しばらく探索をしていると、ここが初心者向けダンジョンというのも頷けた。
魔物の数が程よいというか、集団で襲って来ることがない。
多くてもせいぜい3体止まりで、1体で現れることもザラだった。
無理せず訓練や稼ぎが出来るのは本当に助かる。
なにせ装備は相変わらずショートソード1本で、初日から何も新調できていない。
せめて盾なり鎧なりの防具がすぐにでも欲しかった。


ここ辺りで一番多い敵は「とげとげネズミ」だ。
素早い動きで駆け回ってこちらを翻弄し、体当たりを仕掛けてくる。
確かに全体的に速くはあるけど、こっちにもオリヴィエのクイックがある。
速度で後れをとることはなかった。



だが楽に勝てるとは言ってない。
戦闘の度にクイックと回復をする必要があるので、長い時間ここに籠る事は無理みたいだ。
5体を倒してお互いのレベルが上がった時点で、今日の探索を切り上げた。
もちろんとげとげネズミの素材をきっちり回収して。

街に戻ると、初回と同じ要領で宿を借りた。
正直罪悪感が凄いけど、これは割り切るしかなさそうだ。
二人分のお金を置いていくから勘弁して欲しい。
人数分キッチリ払ってるのに不便を感じている訳だから、おあいこって事にしてくれないかな。

実際一人用で借りてるから部屋が狭い。
ベッドが一つだけあり、それ以外には何もない。
自由にできる領域が狭すぎて、着替えをするのにも一苦労だ。
無理矢理二人で泊まってるせいかもしれないけど。


部屋に着くなりオリヴィエは着替えたいと言った。
だから僕は部屋の反対側を向くようにして背を向けて、着替え終わるのを待っていたんだけど。


「レインさん、今だけは振り向いてはいけませんよ。なんかこう、生まれたてみたいな状態ですから」
「はいはい、わかったから早く着替えてよね」
「またそんなことを言って、本当は見たい……あっ!」
「え、なになに?!」


って、あぶなっ!
つい振り向いちゃうところだった。
オリヴィエが「失敗ですか。」とか呟いてる。
キミは自分の肩書きについて思い出した方がいいよ。

食事は宿に入る前に済ませていたから、あとは寝るくらいしかすることがない。
夜の街に繰り出す気分でもないし、僕は気軽に出入りできないしね。
だからこういう時は早く灯りを消してしまう。
もちろんオリヴィエがベッドで、僕が床だ。


「レインさん、床というのはさすがにあんまりです」
「だからといって女の子を床に寝かせるわけにはいかないよ」
「じゃあせめて一緒に寝ましょう。私は全く嫌じゃありませんから」
「いや、いいよ。これ以上自分に対して負い目を抱えたくないんだ。おやすみ」
「……はい、おやすみなさい」


今のは本心だった。
普通にしていても白い目で見られるのだから、せめて細部に至るまで自分を律しようと考えている。

今日まで僕は普通に接してきたはずなのに、街の人たちの対応は散々だった。

ただそこに居るだけで悲鳴をあげられて。
ただ買い物をしているだけで蹴り飛ばされ。
ただ子猫を守ろうとしたら、街中の人が僕を殺しに押し掛けてきた。

あの光景は僕に強烈なダメージ与えて、今もフラッシュバックに苦しめられている。
戦闘中はさすがに大丈夫だけど、今みたいに何もしていない時間は本当に辛い。


この街も前の街程じゃないにしても、僕を見る目は厳しいものだ。
常にひそひそ話や悲鳴が背中を追いかけてくる。
そんな目に曝され続けると批判されることが怖くなる。
そうすると、模範解答以外を選択しないようになる。

僕は身をかがめるようにして眠りにつこうとした。
どうやらすぐには眠れそうにない。
暗闇の中で覚醒している時間は、もはや地獄だった。
いまだにあの時の声が、それはもう生々しく耳に残っているから。


悶々としながらトラウマに耐えていると、突然柔らかいものが体を包み込んだ。
僕の頭を抱えるようにして、オリヴィエが僕を抱きしめている。
暗がりのせいで表情まではよく見えない。
それが一層体温を、胸の柔らかさを、心臓の鼓動をより際立たせた。


「レインさん、怖がらないでください。大丈夫ですから」
「オリヴィエさん、一体何を」
「レインさんが日々心を傷つけられている事、私も胸が本当に張り裂けそうです」
「うん」
「あなたは素晴らしい人です。とても真っ直ぐな魂を持っています。それは私が保証します」
「……うん」
「だから自分を追い詰めないでください。自棄にならないでください。もし仮に世界中の人があなたを否定したとしても、私は必ず味方でいます」
「………ぅ」
「泣きたい時はいつでも泣いてください。私の胸ならいつでも貸しますから。それであなたの心が軽くなるのなら、私も嬉しいです」
「ぅぅ、ぅうう……」


泣いた。
子供みたいに延々と泣いた。
オリヴィエは言葉通り、僕が落ち着くまでずっと抱きしめていてくれた。
少しだけ彼女という人が理解できた気がする。
そんな夜だった。
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