上 下
221 / 266
第三部

第4話  銀貨2枚

しおりを挟む
まおダラ the   3rd
第4話  銀貨2枚



幼い叫び声。
大人の女の絶叫。
そして漂う血の臭いに、通りは騒然としてた。
怪我人は生きているようだが、ウカウカしていられない。
あれだけの血を流せば長くは保たないからだ。


「エリシア。治療師を呼んでこい」
「わかった。ライルは?」
「状況の確認をする。急げ」


そう言い残して、オレは人垣をかき分けて馬車の方へと向かった。
血の臭いや悲壮な空気がより濃くなっていく。
最前列までやってくると、状況の酷さに体が固まってしまった。

血溜まりの上に転がる、青白い顔の少女。
上半身だけ身を起こしている若い女。
それを見下ろすように立つ、でっぷりと太った男。
その男は女たちを心配する素振りを見せず、車輪の方に顔を向けている。


「随分と汚れてしまったものだ。下賎な三等民の血でなぁ?」
「ど……どうかお許しを」
「許せとは認識違いも甚だしい。プリニシアの公用車を何と心得る!」
「ガフッ!」


女の顔が蹴りあげられた。
辺りに血飛沫が広がる。
群衆から悲鳴や嗚咽。


「お許し、ください。この子、だけでも」
「公務を妨げる事がどれほど罪深いか、貴様は判っているのか! 三等民の、ゴミクズ、分際で!」
「ガフッ! ゴホッ!」


女が何度も踏みつけられた。
その反応も次第に弱々しいものになっていく。

ーーこの野郎、調子に乗りやがって!

オレはナイフを手に飛び出そうとした。
だがそれを押し止めるような頭痛が走る。
そして思い起こされたのは、カンド院長の照れ笑い。

ーーそうか。ここで手を出したらダメだ!

相手はプリニシア人で、公用車に乗れる身分の男だ。
貴族の中でも位が高い人間だろう。
オレが事を構えようものなら、確実に孤児院にまで迷惑がかかる。
迷惑どころか、全員が収容所行きになるかもしれない。

それについては周りの野次馬も同じだ。
誰も彼もが憐れに思いつつも、決して助けようとはしない。
逆らえばどうなるかを知っているからだ。


「これほどの無礼を許しては示しがつかぬ。死を持ってして償え!」


男は携えていた剣を抜き放った。
柄に埋め込まれた赤い石が禍々(まがまが)しく輝く。

ーークソッ。落ち着け、考えろ、工夫しろ!

剣が天に向かって振り上げられる。
まるで未使用品のような美しい白刃。
これ見よがしに高々と掲げ、そして……。


「死ねぇッ!」
「ああッ!」


周りから次々と悲鳴が巻き起こった。
祈りと懇願が混じりの声。
動いたのはオレ一人。
渦中へ身を踊らせた。

ーーパシッ。

女の首が斬られる手前で、刀身を左手で掴む。
ギリギリ間に合った。
口上も含めて全部だ。

男と目が合う。
相手はまずは驚愕して、それが困惑に変わっていくのが手に取るようにして判る。


「き、貴様は何者だ! 剣を素手で止めるとは!」


問いかけには答えず、相手の眼を睨み付けた。
それでビクリと体を震わせたのが、刃越しに伝わってくる。


「不敬な、逆らうつもりか?! 我が父はプリニシアの……」
「いいえ閣下。私は御身に降りかかるであろう災いについて、具申したいだけです」
「わ、災いだと?」


取って付けたような敬語が飛び出して、我ながら寒々しいと感じる。
言い慣れてない割りにはスンナリ言えたな。
形式上の態度とはいえ最高にイラつく。

その気分を誤魔化すように、指先に力を込めた。
するとバキリと音を立てて、剣に大きなヒビが入る。
男は眼を白黒させつつオレと刃を交互に見た。


「今何をした!?」
「私は何も。これは魔王の呪いですよ、閣下」
「呪い……?」
「ここはレジスタリア。人族の高貴な方々には、このように災いが起きるようです。幸い剣だけで済みましたが、早く馬車に戻られた方が賢明です」
「魔王は死んだ。魔王は遥か昔に死んだのだ。生者に一体何ができようか」
「それが、ここしばらく凶兆が散見されていまして。力を誇示するような破壊を伴って。突然炎に焼かれた者さえおります」
「それは報告にもあった。だが、にわかに信じることは……」
「閣下、危ない!」
「な、何だ!? 突然炎が!」


オレはがら空きの方の手を使って、自分の背後に炎を呼び出した。
立ち昇る火柱がわずかに肌を焼く。

男から見たら、まるでオレが庇ったように見えるだろう。
こけおどしのお遊び程度の熱量だが、脅しには十分だったらしい。
男が尻餅を突く。
さらにガタガタ震えるのを見て、成功を確信した。


「閣下。あなた様にとってこの街は、いや、レジスタリアはもはや危険です! 急ぎ本国へお戻りください!」
「う、うむ。私が逃げおおせるまで退路を確保せよ」
「承知しました!」
「引き上げだ! 急げ!」


玉が転がるように、男は太った体を必死に動かして馬車に乗り込んだ。
そして馭者(ぎょしゃ)のムチが強く打たれる。
遮るものは一人もおらず、そのまま外門の方へ一直線に駆けていった。


「馬二頭。薄紫。車体右側に血痕」


人垣の隙間から馬車の特徴を確認していると、エリシアの姿に遮られた。
こちらに向かって駆けてくる。
そのすぐ後ろには年老いた男が続く。


「どいて。手当てをするから」
「道を空けろ! 治療師じゃ!」


その言葉で僅かにどよめく。
クソ野郎は逃げ去ったが、まだ被害者が残っている。
今も急場は終わっちゃいない。


「怪我人はここだ。頼む」
「これはまた、酷いもんじゃ」
「助かるか?」
「ともかくやってみよう」


爺さんの両手が少女の胸元にあてがわれ、それから淡く輝きだす。
その手から発せられたのは、ボヤッとした青い光。
それはやがて、少女の体全体にも伝わっていく。

しばらくそうしていると、今度は大人の女の方に手が伸ばされた。
そしてやはり両手を胸元にあて、青く光らせた。
交互に続けること数度、汗を拭いつつ爺さんが息を漏らした。


「ふぅ。どうにか山は越えた。もう命の心配は要らんよ」
「助かったぞ。治療費は銀貨2枚で足りるか?」
「足りるも何も多すぎるくらいじゃ。あいにく釣り銭の用意はないぞ」
「だったら余った金で、食事やら寝床の用意をしてやってくれ。オレは外さなきゃならん」
「それは構わん、承ろう。ちなみにお前さんは亭主かね?」
「この女のか? 違うよ」


大切な金を初日に全部吐き出す結果になったが、これで良かった気がする。
お人好しな笑顔を思い出しつつ思う。

例の2人は数人の男たちに抱えられている最中だ。
これから診察台にでも運ばれるんだろう。
いまだ眼を覚まさないが、死の気配は感じない。
寝顔も多少の安らかさがある。
それだけ見届ければ十分だった。


「後は任せた。エリシア、行くぞ」
「いいけど。目的地は?」
「冒険は後回しだ。一つやり残したことがある」
「わかった。逃げ切られると面倒。早く行こう」
「まだ何をするか言ってねぇぞ」
「幼馴染み。これくらいお見通し」


エリシアが外門へ駆け出した。
オレが追う格好になっているが、正しい方へ向かっている。
目的地はプリニシアへの街道。
狙うはもちろん、さっきの貴族だ。

このまますんなりと帰す訳にはいかない。
権力を傘に着て好き勝手やったツケを、しっかりと払って貰う。
しおりを挟む

処理中です...