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ミカゲの現状

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「昨日のミカゲ様のいた場所を確認してきたけど、もう死体は片付けられてたよ」

 見回りから帰ってきた師匠が報告に来た。

「そう、約束通りね。ちゃんとしてるわ、あの人は」
「ヴィアラントの上にああいう人がいるなら、国同士で仲良くできそうな気がするけどな。アイネル王も寛容な方だし」
「うーん、それはどうかしら……。昨日のあの状況を見るに、ミカゲはヴィアラントで危うい立場にいるようだったわ」

「……確かに、皇嗣というわりに、お供も連れていなかったし、魔道具の術式もご自分で生成されていると言っていたな……」
「王族なら、宮廷の一流魔道士が組んだ術式の魔道具を使えるはず。継承順位は一位でも、みんなに望まれているわけじゃない。……まあ、昨日暗殺部隊に襲われていたことを考えれば、薄々見えてくるわね」

 それでも彼を和解の糸口にと考えたのは、やはり皇嗣という国民への影響力からだ。ジョゼが私の判断であの首輪を返してもいいと言ったのは、その繋がりを断つなという意味もあったのだと思う。

「ヴィアラントの今の情勢について少し調べたいわ。ジョゼが送ってきた書簡にもいろいろ書いてはあるけど、術式とミカゲに会った時の対処についてが主だから……。父上は何か知らないかな」
「ダン様も王宮からの通達で知る知識しかないから、詳しく知りたいなら王都の方がいいと思うよ」

「王都……やっぱりジョゼか。諜報部隊もあいつの管轄みたいね」
「昔各地を廻っていたから、地方の基礎知識も豊富なんだよ。あと、情報は何でも自分で知ってまとめたい性分らしい」
「はあ……その知識欲は感服するわ。あの性格のせいで尊敬はできないけど」

「尊敬なんて、何の腹の足しにもならないので結構ですよ」

 不意に部屋の扉を開けて、思わぬ人物がやってきた。
 扉に背を向けていた師匠が、その声にさっと顔を青くする。そして、振り向くこともなく部屋の対極の隅に逃げていった。
 間にいた師匠が退けたことで、ばちりと男と目が合ってしまう。

 ……ジョゼだ。
 私はつい顔を顰めてしまった。

「……乙女の部屋にノックもなしで入ってくるなんて、デリカシーのない男ね」
「申し訳ありません、あなたを乙女だと思ったことがないので。……というか、刀とか書とか飾ってますし、異世界の武家の部屋じゃないですか」
「いいでしょ、趣味なんだから。……でも、あんたに話を聞きたいと思っていたからちょうど良かったわ。顔貸してくれる?」

 ここにいると師匠が怯えてしまう。
 私はとりあえず来賓室に移動しようと立ち上がった。が、ジョゼは勝手に中に入ってくると、ソファに腰を下ろしてしまう。

「今日はバラルダに行く途中なのですが、先日のミカゲの首輪の件が気になってちょっと立ち寄っただけです。あまり時間がないので、ここでお話ししましょう」
「あんた……本っ当に性格悪い……」

 にこりと笑ったジョゼは確実に分かってやっている。
 ギース兄様がジョゼも師匠を狙っていると言っていたけれど、これが歪んだ愛情の発露だとしたら、かなり質が悪すぎる。

「師匠、こいつと話をしている間は部屋から出てていいよ」
「おやおや、巧斗はミュリカ殿の近衛兵でしょう? ちゃんとその場に控えていなさい。いいですね?」
「わ、わかりました……」

 ジョゼが出て行かないなら師匠を出してあげようと思ったら、この野郎、隷属契約の絶対服従を発動しやがった。師匠はこの男の命令に逆らえない。
 普段師匠がジョゼを避けまくるのは必然と言えよう。

 この上は、聞きたいことをとっとと訊いて、早く話を終わらせてしまうに限る。

「……分かったわ。じゃあ早速本題に入りましょう。昨日、ヴィアラントの皇嗣、ミカゲに会ったのだけど」
「ほう、会えましたか。どんな男でした?」
「真面目で紳士。全然敵意がなかったわ。首輪も返しちゃった。……そういえば、あんたがミカゲの作った術式を書き換えたの? 一流の魔道士の術式を見る機会がないから勉強になるって感動してたわ」

 そう告げると、ジョゼも少し驚いたようだった。

「あの術式をその場で読み解いたのですか? それに、あの首輪の術式を組んだのがミカゲ本人と? ……ふむ、一流の魔道士の術式を見たことがないと言うなら独学でしょうし……、だとしたら、彼はかなりセンスがあるようだ」
「王族が自分で作術をするって珍しいよね。……これってさ、ヴィアラントの中で何かあるからでしょ? それを知りたいの。……昨日も、ミカゲはヴィアラントの暗殺部隊に襲われてたところだったし」
「暗殺部隊……なるほど、やはりヴィアラントの継承問題はくすぶっているのですね」

 ジョゼは一人で納得したようにうなずく。それから、少し真面目な顔で居住まいを正した。

「実はあなたたちとミカゲが会った意味はとても大きい。アイネル王国は以前からミカゲとの接触を望んでいました。それに成功した今、その接点は有効に使いたい」
「接触したいなら、私に彼を捕まえて王都に連行させれば良かったんじゃないの?」
「別に我々はミカゲと敵対したいわけじゃないのです。それに、彼を捕まえてしまうと、ヴィアラントにアイネル攻めの大義名分を与えてしまう。ミカゲは戦争のダシに使われることはあっても、人質としては役に立たないですし」

「え? 皇嗣だよ? それなのに人質として役に立たないって……」
「暗殺部隊なんてものを組織して彼を殺そうとしていた者が、誰だったと思ってるんですか。そんなことができる人間はそうそういませんよ」
「確かに、よほどの権力者じゃないと……。まあ、彼の継承一位がみんなに望まれているわけじゃないのは薄々分かってる。てことは、次の王位を狙ってる継承第二位の王族とか?」
「もっと上。まあ率直に言いますが、現王です。ヴィアラント王は、ミカゲに死んで欲しいんですよ。そんなやつ相手に彼を盾にしても意味がないでしょう」

「現王って……、お兄さんだよね?」
「そうです。腹違いだと聞いてます。時折、ヴィアラントから逃げてくる人間がバラルダで保護されて、王宮に送致されてくることがあるのですが、皆がそろって現王を暗愚だと評していますね」
「暗愚……。じゃあ、ミカゲの評判は?」
「ミカゲは皇嗣という肩書きはありますが、権力はほぼ取り上げられ、辺境の街を一つ治めているだけです。しかし、住民からの評判はすこぶる高い。一時期、他の街の多くの住民がそこに移住を希望したようですが、王命で禁止されたそうです」
「……その辺境の街って、もしかしてこの山向こうの……」
「はい。お察しの通りです」

 暗愚と評される国王と、民に慕われる王弟か。

「ヴィアラント王は、ミカゲが自分より国民に評価されているのが気に入らないのかしら」
「それもあるでしょうが、ミカゲが命を狙われる一番の原因は、あちらの国の『神のお告げ』です」
「……神のお告げ?」
「ヴィアラントの王は代々、神殿からの神のお告げで決まっていたんですよ。……実は十年前、ヴィアラントでは王位の移譲がありました。そこでお告げで次代の王に指名されたのは、本当はミカゲだったんです」
「え? じゃあ何でそれが現王に……」

「そのお告げを不服とした兄は、神殿を取り潰してしまったんです。居もしない神の妄言を信じるよりも、王家を崇めろと」
「えええ、それで通っちゃうの?」
「それがですね、ヴィアラントは先代も先々代も、お告げを聞かずに別の人間が即位してるんですよ。すでにそれが通っちゃってたんですね。……ただお告げ云々関係なく、自分の権力しか考えてない人間が王になったら、国がだめになるのは当たり前ですよね。おかげでここ五十年ほどで、ヴィアラントは大きく衰退してしまった」

 そういえば、隣国との関係が悪化したのは五十年ほど前からだと教えられた記憶がある。
 悪政により衰退するヴィアラントが豊かなアイネルを敵視して奪いに来るのは、そういう経緯があったわけだ。

「しかしそろそろ国民も業を煮やしていて、ミカゲを担ぎ上げようという動きがあるのです。それを知った現王は、ミカゲを亡き者にしようとしているわけですね」
「なるほど。……そして、アイネルとしても今後のために、ミカゲを擁立する手助けをしたいと」
「そうです。あの首輪を返したのなら、また動物に憑依してサラントに現れることもあるでしょう。ヴィアラントに何か大きな動きがあるまでは、できるだけあなたがミカゲとの信頼関係を築いてください」

「私っていうか、一応師匠がミカゲと友達宣言したけど」
「……巧斗が?」

 私の言葉に、ジョゼがわずかに眉を顰めた。

「……ミカゲもですか。全く困ったものだ、すぐに他の男を引っかけて……」
「ちょっと、師匠の前でそういう言い方しないでよ。心配しなくても、ミカゲは自制心のある紳士よ。真面目で潔白で、師匠が好きなタイプの人間だわ」
「巧斗の好きなタイプ……ねえ」

 ジョゼの眉間のしわがさらに深くなる。

「今まではヘタレと変態だけだったのに、厄介な男が増えましたね……」
「厄介さで言ったら、あんたも相当よ。聞いたわよ、隷属契約の継続条件。あんたには言いたいことが山ほど……」
「あ、すみません。もうバラルダに行かなくては。お邪魔しました」
「ちょ、都合良すぎでしょ!」

 私が文句を言い始めようとした途端、ジョゼはさっさとソファから立ち上がった。
 それを阻止しようと私も立ち上がりかける。しかし、師匠のことを考えると早く出て行ってもらった方がいいかもしれない。

 そう思って追わずにいたら、この男はそのまま師匠の方に歩いて行った。

「あんた、また師匠を虐めようと……!?」
「さっきの命令を解除するだけです。……巧斗、もう自由に動いていいですよ」
「解け、たっ……!」

 ジョゼが言いつつ師匠に手を伸ばす。しかしそれが触れる前に、師匠は部屋の隅から逃げ出して、私の後ろに回った。
 行き場を失った手を止めたまま師匠を振り返った男は、どこか不満げに見える。いつもなら、その怯えた態度に悦に入るところなのに。

 ふと、ギース兄様が言った、ジョゼも師匠を狙っている発言を再び思い出した。
 もしかしてこの男、対抗馬になり得るミカゲが現れたことで心境に変化が起きたか?

「お帰りはそちらからどうぞ」
「……分かっています。では、失礼」

 まあでもとりあえず、今回は師匠のためにもお帰りいただこう。
 扉に向かって手をかざすと、ジョゼは少し拗ねた様子で部屋を後にした。

「はあ、良かった……今回はすんなり帰ってくれて」

 背後の師匠が詰まっていた息を吐く。今日はたいしたことはされていないが、こっそりと腕輪を見ると、ジョゼと会わない間に減っていた隷属契約のメーターが、再びフルになっていた。
 きっとジョゼと一緒に居るだけで余程の恐怖なのだろうな。

 しかし、もしあの男がミカゲの登場で意識を変え、師匠を取られるかもしれないという危機感を持ったなら。そして自分が避けられているこの状況を改善する気になれば。

 ジョゼを、少しはましな男にたたき直せるかもしれない。
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