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黒猫再び

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 数日後、いつものように師匠と二人で街の見回りをしていると、農場の辺りで黒猫が寄ってきた。

「師匠、黒猫!」
「あ、本当だ。……この気配、ミカゲ様だよ。あの後無事に山を下りることができたんだな、良かった」

 師匠が足下まで来た黒猫を抱き上げる。

「こんにちは、ミカゲ様」

 そこに私が挨拶をすると、猫もぺこんと頭を下げた。
 そして、驚いたことに。

「こんにちは。臆面もなく無断で街に入ってきてすまない」
「え!? うそ、しゃべった!?」

 黒猫は、語尾をお約束の「にゃ」にすることもなく、普通にしゃべった。

「前に書き換えてもらった術式を組み直して、音声変換の術式も組み込んだんだ。君たちに少し話がしたかったから」
「すごい、一つだけでも複雑な術式を二つ合わせて組み上げるなんて……。ジョゼも言っていたけど、作術のセンスがあるのですね」
「君たちのところの魔道士には遠く及ばないよ。今、私は自分の街……ラタにいる。術の有効範囲拡張の配列を教えてもらったおかげで、山に登る必要がなくなったんだ」
「そうなんですか、それは良かったですわ! 街からなら、道中で危険な目に遭うこともないですものね」
「おまけに、サラントの街中まで入っていけるようになった。……ただこれ以上は、先に君たち……というか、領主のご令嬢に許可を取ってからと思ってな。ここで待っていたんだ」

 相変わらずミカゲは真面目な男だ。

「街中には自由に入っていただいて結構ですわ。ただ、奥の屋敷の中だけは、私か師匠が一緒にいる時しか入らないようにしてください」
「そうか、心得た。ありがとう。……ええと、少し悩んでいたのだが、あなたのことはなんと呼んだらいい? 美由殿か、ミュリカ殿か」
「そうですね、師匠と三人での会話が多いでしょうから、美由と呼んでいただいた方が分かりやすいかもしれません」
「分かった、ありがとう、美由殿」

 猫がまたぺこりと頭を下げるのが可愛らしい。
 つい頬が緩んでしまう。

「じゃあ、ミカゲ様。よろしかったら街をご案内しますわ。ちょうど師匠と街の見回りをしている最中でしたから」
「それはありがたいが……いいのか?」
「もちろんです。ミカゲ様は師匠のお友達ですもの。ね、師匠?」
「そうですね。ただ、街中では声をお出しにならないようにして下さい。注目を集めてしまうと、今後サラントに来づらくなってしまうかもしれませんので」
「ああ、了解した。……ところで、その堅い言葉遣い、やめてくれないだろうか。私は敵国の人間で、君たちに敬ってもらう立場ではない。それに、その……とても友人らしくないと思う」
「はあ、友人らしくない……?」

 私はミカゲの言葉にちょっと驚いた。
 王族は生まれながらにして人の上に立つ人間だ。プライドが高く、目下の者に敬意のない言葉を掛けられたら不機嫌になる者も多い。
 当然友達と言っても、王族ともなればそこに上下関係は存在する。それを崩してはいけないと思ったのだが。

「ミカゲ様は、私たちとフラットな関係でいたいということ?」
「そうだ。私には信頼できる部下はいるが、対等に話をしてくれる者がいない。……この間、巧斗殿が友達になろうと言ってくれた時、このような立場ではできるはずがないと思っていた友人が、できるかもしれないことが嬉しかった。もし可能なら……強がる必要がなく、馬鹿なことをすれば叱ってくれ、くだらないことで笑ってくれる、そんな間柄になれたらありがたい」

 ……なるほど、ヴィアラントでの彼は孤独なのだな。
 対等であるはずの兄は敵だし、信頼できる部下はいても、弱音を吐くこともできない。いつもリーダーたる姿を見せなくてはならない。軽口を叩く相手なんでいないだろう。

 一方ここは敵国、ミカゲが虚勢を張る必要がない場所。私たちは彼の立場に影響を受けない人間。
 さらにそこに師匠もいるとなれば、ミカゲがここに友人という名の癒やしを求めるのは必然だろう。

「わかりました、ミカゲ様。私は年下だから相応の敬語は使わせてもらうけど、皇嗣として扱うのはやめるわ。考えてみたら私、アイネルの皇嗣だってほとんど皇嗣扱いしてないし」
「……じゃあ俺も、敬語をやめるか。はあ、結構勇気がいるなあ。一応俺の方が年上だし、美由に言うようなタメ口になるけど、いいのか?」
「もちろんだ。うん、とても新鮮な感じで、どこか少しこそばゆいな」

 そう言った黒猫のしっぽが、嬉しそうに揺れている。

「ではひとまず話がまとまったところで、街中に繰り出しますか、ミカゲ様」
「そうだな。……しかし、猫の姿の私を様付けで呼ぶのもおかしくないか? いっそ、呼び捨てでも」
「さすがにそれはまだハードルが高いなあ……。だったら、猫の時は違う呼び方にするのはどうですか。たとえばミーちゃんとか」
「ミーちゃん! いいなそれ、可愛い!」

 私の提案に師匠が諸手を挙げて賛成した。

「ミ、ミーちゃんはちょっと可愛すぎないか……?」

 それにミカゲが若干難色を示したけれど。

「いいじゃないか、ミーちゃん。可愛らしい黒猫にとても合ってる」
「……いや、巧斗殿の方がかわ……じゃなくて、いい匂いが……ええと、うん、そうか」

 甘い香りのする師匠に間近でにこにこと微笑まれて、頭をなでなでされて、ミカゲはキョドりつつも結局ミーちゃんを受け入れた。
 あー、やられてんなあ。

「じゃあ行きましょうか、ミーちゃん」
「う、うむ」

 頷いた黒猫は、するりと師匠の腕から地面に降りた。

「降りちゃうのか? 抱っこしていってもいいんだけど」

 動物好きの師匠はちょっと残念そうだ。しかし、ミカゲは首を振った。

「いや、歩いて行く。……その、巧斗殿に抱かれてると、香りが……こう、妙な気分になるというか……」

 心中お察しします。

 それにしても、ここで自分から離れる自制心が素晴らしい。もしも動物憑依でギース兄様あたりが猫になったら、間違いなく師匠の服の中に入ろうとする。絶対だ。

「ミーちゃん、ここからは人通りが多い。しゃべっちゃだめだぞ?」
「うむ、分かった」
「いやいや、そこは『にゃー』だろ」
「……にゃあ」

 師匠の言葉に素直なミカゲ。『にゃあ』が彼そのままの声なのがちょっと面白い。
 それを聞いた師匠もやっぱり笑って、身を屈めて黒猫の頭を撫でた。

「ふふ、いい子だにゃあ、ミーちゃん」

 ……師匠の『にゃあ』は何故にこんなに可愛いのか。
 ミカゲが間近でその『可愛い攻撃』を受けてよろめいた。ある意味、ものすごい精神攻撃だ。

「じゃあ行こうか」

 そんな攻撃を仕掛けた師匠は、まるで何事もなかったかのようにまた歩き出す。その後ろを黒猫がよろめきつつもついて行った。

 ……うん、頑張れ。
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