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幸せかい?

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 多くの人が行き交う病院のロビーで名前を呼ばれたような気がして、レスカは振り返った。

「…レスカ」
「マクロン様…」

 数年ぶりに、まさか隣国の病院で顔を合わせるとは思っても見なかった二人は、驚いた顔で見つめあった。

「久しぶりだな。」
「ええ。」

 邪魔にならないようロビーの端、中庭に面した大きな窓の側に寄って、ぎこちない挨拶を交わす。

「マクロン様はお仕事でこちらへ?」
「ああ、この病院の設備や、最近話題になっている薬の研究所の視察にな。」
「素晴らしい病院ですよね。」

 外科、内科などの専門の医師が同じ病院で連携を取って治療するという、医療に力を入れているこの国が鳴り物入りで開院した総合病院だ。昔ながらの医療体制を見直す為、ラインハルトの命令で視察に訪れたのだ。

「ラインハルト殿下もジュリア妃殿下もお元気ですのね。」
「ああ、相変わらず人使いが荒いよ。レスカは…」
「私、新しいお薬の臨床試験に協力させていただいていますわ。」
「え?治験者ってことか?」
「はい。今日は定期検診でしたの。」

 新薬の情報をいち早く手に入れたダルジオは、ひと月悩んでレスカに打ち明けた。危険もある新薬の治験だ。ダルジオとマシュー、レスカの父親も交えて話し合い、新薬の治験を受ける事にしたのだ。

「思ったより新しいお薬と相性が良かったようで、副作用もないんです。」

 ふんわりとした笑顔はマクロンの記憶にある笑顔と一緒だった。

「今は…」
「レーちゃん!」

 人の流れを縫って急ぎ足で近づいてきたマシューがレスカの手をとる。

「だめだよ勝手にいなくならないで!探しちゃったじゃないか。」
「ごめんなさい。少しだけと思って。」

 親しげに話す二人に、ほんの少しだけマクロンの心がもやっとする。二人は仲の良い兄妹のようにも見えるし、友達のようにも見える。
 数年前にはこのように見えていたのだろうか。

になんの御用でしょうか?」
「は、母ぁ?」
「ふふっ。夫の連れ子ですわ。」
「ああ、そういえば。…こんな大きな子だったのか。」

 身長こそレスカとそれほど変わらないが、よく見ればまだ幼さの残る顔立ちだ。マクロンを睨みつける姿は、威嚇する仔犬のようで微笑ましい。

「レーちゃん。父さんが待ってるから行こう。」
「ええ、そうね。マクロン様のお連れの方もお待ちのようだわ。」

 レスカの視線を辿れば、目立たないように離れて立っていた女性が軽く頭を下げた。彼女とマクロンをじっと見たレスカは、納得したように微笑む。

「彼女は…」
「マクロン様もご結婚されたのですね。」
「いや、結婚はまだ…」
「綺麗な方ですね。マクロン様がお幸せそうで良かった。」
「あ……ありがとう。」

 レスカの微笑みにつられて思わずマクロン顔も緩む。そういえば嬉しそうに笑うとき、ちょっと小首を傾げたようにするのはレスカの癖だったと、取り止めもないことがマクロンの頭を掠めた。
 マクロンのほんのわずかな笑顔を見て、レスカはマシューを促し歩き出す。多分こんな偶然は二度とないだろう。
 マクロンは背を向けたレスカを引きとめる。

「マクロン様?」
「レスカ…今、幸せかい?」
「ええ。とても幸せですわ。」

 振り向いたレスカは眩しいほどの笑顔で応えた。

 レスカの姿が人の波に消えるまで見送ったマクロンに女性が近づく。

「今の方、何か誤解されていたみたいですよ。」
「ああ。」
「「お幸せに」と言われました。私はただの部下だと言っておいた方が良くないですか?」
「多分、もう会うこともないだろうから誤解したままでいい。」
「どなたなのですか?」
「……元婚約者」
「はい?宰相補佐官筆頭殿に婚約者がいらっしゃったのですか⁉︎」
「元だ!元。」

 スタスタと歩き出すマクロンに「見栄っ張りですね。」という言葉が追い討ちをかける。

「見栄くらい張らせろ。」

 変わらない、いや、それ以上美しく微笑むレスカに対して、自分も幸せなのだと思って欲しい。お互いにこれで良かったのだと。




 
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