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静かなる慟哭

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「侯爵。」
「これはラインハルト王太子殿下。」

 公式の場ではないと、礼をとろうとした壮年の男を押しとどめる。

「レスカ嬢の婚姻が決まったと聞いた。」
「お気に留めいただきありがとうございます。幸い良縁に恵まれました。」
「後妻と聞いたが。」
「ええ、娘を大切にして下さる、レスカが選んだ相手です。」
「其方は良い父親であるな。」
「勿体ないお言葉にございます。」

 互いに短い挨拶をして、ラインハルトは執務室に歩き出しながら、今別れたばかりの男の顔を思い出して少し笑ってしまう。
 侯爵は気が付いているのだろうか?
 鬼の政務官と言われた男が親バカの顔をして笑っていたことを。
 きっとレスカは幸せになるのだろう。
 


 ラインハルトが執務室に戻ると、マクロンが書類を手にぼんやりとしていた。

「なんの書類だい?」
「…!ああ、リンド男爵家の処刑執行報告書だ。」

 リンド男爵家は取り潰し。
 リンド男爵及びリンド男爵令嬢は殺人未遂及び国家反乱罪で絞首刑。

 学生時代から追いかけてきた、違法薬物の密売事件がこれで全て終わったのだ。いや、薬物依存などの諸問題は残っているが、王都の貴族たちに静かに蔓延しようとしていた『楽園の雫』は製作者と共に消え去った。

「そうか、今日終わったか…」


ーーー色々と心に苦さを食むような思いを味わった事件だった。
 自分の能力を過信して解決に踏み出し、もう少しで高位貴族の後継者やその婚約者を失うという、取り返しのつかないことになるところだったのだ。
 学園で違法薬物が使用されていると気がついたのは、学園に入学してから2年と少しを過ぎた頃だった。
 思考を乱し多幸感を生み出すだけのそのクスリは、違法薬物としては危険な部類に属するものではないと思われた。だから自分たちでこのクスリの出所を調べようと、簡単に考えてしまった。
 あのクスリの恐ろしいところは、別のクスリを混ぜることによって生じる依存性だ。服用を続ければ相手に服従し自我を崩壊させるほどの依存だった。
 
 最高学年になってしばらくするとリンド男爵令嬢がレスカから嫌がらせをされているという話を聞いた。生徒会の仕事でマクロンに近づくと毎日嫌がらせをされるのだという。
 生徒会役員の婚約者たちからも嫌がらせをうけているのだと、俯いて耐えるリンド男爵令嬢に同情した。
 その時は単純に令嬢たちの嫉妬だと思っていた。男爵令嬢という身分で生徒会役員となった、優秀な彼女に対するつまらない嫉妬だと。

 だが、それからレスカとマクロンの婚約が解消されたと聞いた時にレスカに会って、自分の思考がおかしい事に気がついた。
 レスカに会ったのは入学してから初めてだったのに、学園に入るまでよく一緒にいた時と同じようにレスカに錯覚している。
 学園のいく先々で会うのは、マクロンの側にべったりくっついているリンド男爵令嬢だ。
 なぜそんな勘違いをしていたのか。

 その違和感に調べてみれば、生徒会のお茶やコーヒーにクスリが仕込まれていたなどと、あまりの杜撰さに眩暈がするようだった。
 我々生徒会役員はリンド男爵令嬢の使ったクスリによって、思考を誘導され彼女の望むままの行動をとっていたのだ。
 しかし、確固たる証拠がない。
 それに生徒会役員、私も含め将来国政に関わってくる予定の人物たちをクスリで籠絡して何を企んでいるのか。目的を探ろうと男爵令嬢を泳がせた。
 
 そうこうしているうちに、冬の舞踏会でリンド男爵令嬢は籠絡した男子生徒たちと婚約者に婚約破棄を突きつけるという騒ぎを起こした。その上ジュリアに冤罪を着せようとして失敗し、階段から突き落とそうとした。
 ジュリアは幸い軽症で済んだが、この事件でリンド男爵令嬢は捕まった。
 
 取調べをしていくうちに、生徒会入りの決め手となった優秀な成績は、クスリで操った教師に成績を操作させていたという学園の不正を、学園側も調査していたのだという。

 私が自分で解決するなど、自己満足のようなことを考えず、学園側と早くに連携しておけばここまで大きな騒ぎにはならなかったのではないだろうかと思うこともあるのだ。

ーーーしかしリンド男爵令嬢あの女の目的が、これだけ大それた事しておいて「王子様と結婚したかった!」ってなんだ?頭が悪いのか?



 ラインハルトは一つ頭を振って、椅子にどっかりと座る。

「そういえばマクロン。お前はどうして気がついたんだ?自分がクスリを使われてるって。」
「……レスカが誕生日のプレゼントをねだってこなかったんだ。毎年誕生日が近づくとレスカがそれとなく欲しいものをねだってくるんだ。」
「ふーん。」
「今思えば俺に手間をかけさせない為だったのかもしれない。」

 ボソボソと喋るマクロンを、珍しいものを見るような顔でラインハルトは見つめる。その視線を見返すこともなく遠くを見つめたままだ。
 
「俺は、いつもくっついてくる、俺に依存しているレスカが鬱陶しいと思っていた。
 でも、鬱陶しいとか思っておきながら、入学したのに縋ってこないレスカにイライラして皆のいる前で貶めたんだ。

 でも今になって思うのは、依存していたのは俺も一緒だったって。
 後をついてくるレスカを、助けているつもりで見下して安心していたんだ。」

 なぜ気が付かなかったのだろう。
 レスカはマクロンに依存していたわけじゃない。
 マクロンに瑕疵がないよう、いつもいつでもレスカはマクロンを助けていた。それはこれ見よがしの仕事の手伝いではない、甘い甘言でもない。ただただ寄り添って。

「俺はレスカを傷つけた。」
「まあ、もあったしな。」
「いや……クスリの影響は関係ない。」

 マクロンがずっと後悔しているだろうことは気がついていた。
 リンド男爵令嬢の対応に追われている間に、レスカは誰にも言わず学園を去っていた。

「婚約解消の時、父に言われた。もし俺が望むのならレスカを娶ってもいいと。共に労りあって歩いていくつもりがあるならば婚約の解消はしないと。
 俺は逃げたんだ。病気のレスカを助けながら公務なんてできないと。俺に依存するレスカがたまらなく嫌だった。」

 ぼんやりとうわ言のように紡がれる言葉は静かな慟哭なのではないかと、握りしめた手を見てラインハルトは思った。

「だが少しは未練があるんじゃないのか?」
「?」
「レスカに誕生日プレゼントを送ったと聞いた。」
「ああ。」
「送った。」

 街で今、女の子に人気のあるというテディベア。
 小さなガラス玉のネックレスをつけた可愛らしいベアは桃色が一番人気なのだという。
 『彼女の好きな色は何色ですか?』と聞かれたとき、マクロンは答えを知らなかった。テディベアを選んだのも人気のある商品だからと勧められただけで、レスカの好みなど何も知らなかった。

「俺は、レスカが好きなものを知らないと、その時初めて知った。」
「……馬鹿だな。」
「ああ。大馬鹿だ。」









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