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陳蔡之厄黒炎山(黒炎山での災難)
045:狐死首丘(三)
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黒冥翳魔の件で黒炎山に行かなければならなかったのは最悪だが、十数年ぶりに訪れた故郷でこのような発見があるなんて。
この墓に花を供えたということは、きっとその人物も煬鳳と同じように、自分の他にも仲間が生きていると気づいたはずだ。
それは一体誰なのだろう。
煬鳳の胸は俄に高鳴った。
「こんなところに村があると思って来てみれば……なんだ。お前たちか」
聞き覚えのある口調に瞬間的にそれが誰であるかを直感する。
「下がってろ!」
咄嗟に凰黎と小黄の前に飛び出ると、煬鳳はすかさず黒曜を袖から放つ。袖口から飛び出した黒い鳳凰は黒い翼を羽ばたかせ、声を発した人物に飛び掛かる。相対する人物は、迫る黒曜を見ても相手は全く反撃の体制すら取ることは無い。
「馬鹿だな」
ボソリと呟き男は片手を振る。
煬鳳は一瞬何が起こったかわからなかった。
そのたった一振りで黒曜が『グエッ』という声を上げ、地面に叩き伏せられてしまったのだ。
あまりにも呆気なく、あっさりと。
「何だって!?」
煬鳳が黒曜を扱えるようになってから、このようなことはただ一度もなかったし、苦戦することだってなかった。
それなのに、こうも軽くあしらわれてしまうとは。
地面に叩きつけられた黒曜は這いつくばったまま翳炎を燻らせている。その尾の先は長く伸びて煬鳳へと繋がっていた。
「戻れ!」
慌てて煬鳳は黒曜の尾を引き、己の中に引き戻す。前回戦ったときに薄々感じてはいたのだが、煬鳳の翳炎はあの男と同じものであっても、炎の大本はやはりあの男に違いない。だから普段は負け知らずの黒曜も、あの男にだけは太刀打ちできないのだ。
様々な感情を込めて煬鳳は男に叫ぶ。
「黒冥翳魔!」
姿かたちは清林峰の森で会ったときと異なっている。あの時この男が使っていた死体は渓候のもので、初めて煬鳳と戦ったとき渓候の体を捨てて黒冥翳魔は去って行った。恐らくは新たな死体を見つけて借尸戻魂術を使ったのだろう。
今度の姿は、街を歩けばどこにでもいる商人のような身なりをした男だ。一目で死んでいると分かるのは、腹に大きな傷があり、服は赤黒い血で染まっていた。
「少しぶりだな、煬鳳。こんなところで会うとは思わなかった。……ああ、この男は別に殺したわけじゃない。旅先で盗賊に出会って命を落としたようだ」
煬鳳の驚きを察したのか、黒冥翳魔は言葉を切ったあと、言い添える。
己は五行盟からあらぬ疑いをかけられてここまでくる羽目になったというのに、当の本人は焦ることもない。余裕のその表情が心底腹立たしく思えてくる。
「ここは俺が昔住んでいた場所だ。居たっておかしくなんかないだろう」
「ああ、どうりで」
不貞腐れた煬鳳の言葉に片眉を上げ、得心したように黒冥翳魔は言った。しかし清林峰から犀安に戻ってきて、それから黒炎山へやってきたというのに、まさか黒冥翳魔に都合よく遭遇するとは幸運なのかそれとも不幸なのか。
煬鳳は五行盟での出来事を思い出し、黒冥翳魔に叫ぶ。
「黒冥翳魔。お前と俺が繋がってるんじゃないかって言われて今大変なんだ。だから潔白を証明するためにこうして黒炎山までやってきたのさ」
「それはそれは……気の毒だったな」
全くそう思っていない顔で、黒冥翳魔は目を細める。
「いいことを教えてやろう。お前と俺とはついこの前まで全く面識のない人間同士だ。しかし本当に気の毒なことだが、お前の炎は俺の力だ。つまり、全く無関係な者同士でもない」
「それは、この前のときから分かっていたことだ」
「ほう。賢いな」
「……馬鹿にしてるのか」
馬鹿にされていると感じ、煬鳳は気色ばむ。背後には凰黎がいて、小黄がいる。凰黎一人ならともかくとして、小黄を守りながら凰黎に戦わせるわけにはいかない。
「俺の翳炎がお前のものだったとして、だったらなんなんだ」
煬鳳が言った言葉に、黒冥翳魔は微笑んだ。
「なに。――俺の力なら返して貰おうと思ってな。教えてくれよ、どうやって俺の力を自分のものにしたんだ?」
「知るか! 俺が聞きたいくらいだ!」
すぐに黒冥翳魔から攻撃が来ることを予想して咄嗟に煬鳳は翳炎を打ち出した。しかし黒冥翳魔も同様に翳炎を放つ。互いの炎が触れた瞬間、煬鳳はとてつもない力によって体が引き寄せられるような、そんな感覚に陥った。
(まずい、黒冥翳魔に取り込まれる!)
恐ろしいことに、黒曜だけが引き付けられているわけではない。煬鳳自身も急激に黒冥翳魔へと引きずられているのだ。
迂闊だった。もっと早く気づくべきだったし、気づいていたのなら別の手立てがあったはずだ。運の悪いことに煬鳳はいま、自分の体と黒曜が持って行かれないよう踏ん張ることで精一杯、とても他のことに費やせる余裕がない。
このままでは体ごと黒冥翳魔に乗っ取られてしまう!
思わず唇を噛んだその瞬間、強い光が煬鳳と黒冥翳魔のあいだに迸った。
眼前に見えたのは凰黎が霊剣、神侯で黒冥翳魔を弾き飛ばす姿。
迅速果敢、掲げた神侯は六つの光となって宙に舞う。一振りから六つの刃へと変化じた神侯は、剣の軌跡で光を描く。
微かな動揺と共に黒冥翳魔は膝をつき、しかしすぐに我に返ると黒く燃える翳炎を凰黎に向かって放つ。
「陰在れば陽在り。また陽在れば陰在るように、互いを侵すこと莫れ」
「なんだと!?」
黒冥翳魔の動きが止まった。どうやら目の前の光景に驚きを隠せなかったらしい。
それもそのはず、神侯が描き出した光の防壁陣はいともたやすく黒冥翳魔の翳炎を打ち消したのだ。
驚く黒冥翳魔の隙をつき、凰黎が神侯の剣身の部分で思い切り打ち払った。彼のの手には一振りに戻った神侯が握られている。
凰黎の猛攻を耐えきることができず、黒冥翳魔は瓦礫の向こうへと飛んでく。
大きな音を立てて黒冥翳魔の姿が沈む。近くにぶつかる障害物もなく、かなり遠くにある崩れかけの家屋に突っ込んでしまったのだ。
「煬鳳、逃げましょう!」
「う、うん!」
煬鳳の手を取り凰黎が叫ぶ。もう片方は小黄の手をしっかりと握って、三人で来た道を戻るように駆け出した。振り返れば背後を警戒するように神侯の光の軌道を描くのが見える。何故だか煬鳳は、その光に奇妙な感覚を覚えた。
(凰黎は水行の門派だよな……?)
たしかに凰黎はふだん煬鳳の熱を下げるために水の力を使ってくれるのだが、先ほどの攻撃は水というよりは別の力に感じられたのだ。
けれどそのようなことに考えを傾ける余裕などなく、煬鳳たちは小黄を連れだって村の出口へと向かう。正直追いつかれるのも時間の問題だ。答えの出ない考えは明後日に捨て置いて、追いつかれたとき自分には何ができるのかを考えながら煬鳳は走った。
「煬鳳、熱は」
「平気さ、清粛から貰った索冥花は思った以上に効果があったみたいだ。少しくらいなら何ともない」
心配そうに尋ねた凰黎の言葉に、煬鳳ははっきりと返す。事実、清林峰で服用した索冥花は予想以上に効果を発揮してくれた。先ほど何度か黒曜を使ったが、今まで同じように黒曜を出していたら、すぐに体温が上がってしまって周囲の温度も上がっていたことだろう。貴重な最後の神薬を譲ってくれた清林峰の人たちに感謝しなければならない。
「それで、これからどうする?」
「一先ず思い切り戦える場所を探しましょう。ここで争っては、既に眠っている人々に障ります」
凰黎の言葉に煬鳳は背後の街並みを振り返った。この村が災厄に見舞われてはや十数年。村のどこにも恨みを募らせた影は見つからない。
――みんな、もう還ったんだ。
今この場所で争って、彼らの平穏を汚しては駄目だ。それに、墓に残された花……。また戻ってくる仲間のためにも、この場所を傷つけたくはない。
しかしすぐさま迫ってくる凶悪な気配を感じ取り、煬鳳はすぐさま凰黎を見た。
「止むを得ません、私がここで――」
凰黎がそこまで言いかけたときだ。
「こっちに来い!」
黒冥翳魔とも異なる誰かの声に、思わず二人で顔を見合わせる。小黄は真っ青な顔でぶるぶると震えている。煬鳳は小黄を抱え上げ「凰黎じゃないけど、我慢しろよ」と言って立ち上がった。今この瞬間は凰黎を頼るべきだ。
どうするか尋ねるより先に頷きあうと、声のした方へと三人で駆け出した。
「ここだ!」
結界で守られた入り口らしき場所に、青年が一人立っている。その足元には何かの陣が描かれていた。歳は煬鳳たちとそう変わらない。青年の出で立ちは筒袖の上衣姿で左衽の襟元には精細な刺繍がびっしりと描かれており、鋼劍の人たちが着ていたものによく似ている。頬を煤で汚し、およそ術などとは無縁にも見える青年だったが、煬鳳たちが結界の中に飛び込むのを確認すると、慣れた手つきで陣を発動させた。
瞬時に辺りの景色が違うものへと変化する。
「どうやらあの結界は、別の場所に移動するための入り口を隠すものだったようですね」
「その通り。ここはさっきどの場所から見てちょうど裏側にあたる場所さ」
凰黎の言葉に青年が答えた。青年はまだ小黄色を抱いたままの煬鳳に向き直ると、満面の笑みを見せる。その人懐こい笑顔を見た瞬間、何故だか煬鳳は胸の中に湧き上がる感情を覚えた。
「久しぶりだな、煬鳳! さっき黒冥翳魔が呼んだからまさかと思ったけど……」
「えっ……? て、ことは……?」
ここで会って「久しぶり」というのだから、絶対に鋼劍で過ごした仲間たちのなかの一人だ。それが誰なのか、まじまじと青年の顔を見ながらひとりずつ記憶の案かの顔を当てはめてゆく。
「すぐ思い出せよ! 俺だよ俺、藍方!」
「えーーーーーーっ!?」
彩藍方と名乗った青年は、忘れもしない鋼劍で過ごした日々の中で、煬鳳にとっては一番の友だった男だ。
* * *
五行盟の一つであった彩鉱門は、実のところ『どうなったのかわからなくなってしまった』という認識が正しい。清林峰にも様々な経緯があったように、彩鉱門にも姿を消す理由があったのだ。
かつて彩鉱門は金行使いの門派であり、鉱物の扱いに長け他門派の掌門などが使うような優れた武器などの鍛造を行っていた。ただの鍛造だけなら腕のいい鍛冶屋というだけだろう。しかし彼らの本当の存在理由は、門派に代々口伝で伝えられる、彼らにしか扱うことのできない鉱石の製錬と鍛造にあるのだと、門派を知る者は語り継ぐ。
彩鉱門の鍛造する霊剣は皆が喉から手が出るほど欲しくなるようなものばかり。他の門派とておいそれと邪険にすることはできなかった。
いわば彼らは唯一無二の武器を持っていたということ。
そんな彼らが、なぜ五行盟から消えてしまったのか。
答えは簡単なこと。
彼らが自ら、存在を隠したから。
あるとき『彩鉱門が禁忌の鉱物を手にした』という噂が広まった。その鉱物は彩鉱門にしか扱うことはできないが、それゆえ決して扱ってはいけないとされるものだったのだ。噂は瞬く間に睡龍の地全土に広がって、やがて彩鉱門を潰すべきだということまで口にするものが現れたのだ。
そこに異を唱えるものは殆どおらず、彩鉱門は滅門すべきだという論調が強まったのだが、さほど危機感を覚えた者はいなかった。なぜなら、みな彩鉱門は無くてはならないものだと思っていたが、無くなったとしても自分たちのところに呼び寄せておけばいい、などと都合のいいことを考えていたからだ。
自分達だけが彼らの技術を手中に収めることができるのならば、却ってそちらの方が好都合。
しかし、彩鉱門の当時の掌門はそのような考えも全て把握していた。彼は門弟たち全てを当時徨州の屋敷から退避させ、屋敷ごと全て爆破してしまったのだという。
もっとも、このことを知る者は殆どおらず、親交のあった蓬静嶺など限られたごく一部の者のみが知るところであった。だから、表向き彩鉱門は滅んでしまったことになっているし、当然それを漏らす者もいない。そうして何年も黒炎山の結界の中で彩鉱門の門弟たちは過ごしていたというわけだ。
この墓に花を供えたということは、きっとその人物も煬鳳と同じように、自分の他にも仲間が生きていると気づいたはずだ。
それは一体誰なのだろう。
煬鳳の胸は俄に高鳴った。
「こんなところに村があると思って来てみれば……なんだ。お前たちか」
聞き覚えのある口調に瞬間的にそれが誰であるかを直感する。
「下がってろ!」
咄嗟に凰黎と小黄の前に飛び出ると、煬鳳はすかさず黒曜を袖から放つ。袖口から飛び出した黒い鳳凰は黒い翼を羽ばたかせ、声を発した人物に飛び掛かる。相対する人物は、迫る黒曜を見ても相手は全く反撃の体制すら取ることは無い。
「馬鹿だな」
ボソリと呟き男は片手を振る。
煬鳳は一瞬何が起こったかわからなかった。
そのたった一振りで黒曜が『グエッ』という声を上げ、地面に叩き伏せられてしまったのだ。
あまりにも呆気なく、あっさりと。
「何だって!?」
煬鳳が黒曜を扱えるようになってから、このようなことはただ一度もなかったし、苦戦することだってなかった。
それなのに、こうも軽くあしらわれてしまうとは。
地面に叩きつけられた黒曜は這いつくばったまま翳炎を燻らせている。その尾の先は長く伸びて煬鳳へと繋がっていた。
「戻れ!」
慌てて煬鳳は黒曜の尾を引き、己の中に引き戻す。前回戦ったときに薄々感じてはいたのだが、煬鳳の翳炎はあの男と同じものであっても、炎の大本はやはりあの男に違いない。だから普段は負け知らずの黒曜も、あの男にだけは太刀打ちできないのだ。
様々な感情を込めて煬鳳は男に叫ぶ。
「黒冥翳魔!」
姿かたちは清林峰の森で会ったときと異なっている。あの時この男が使っていた死体は渓候のもので、初めて煬鳳と戦ったとき渓候の体を捨てて黒冥翳魔は去って行った。恐らくは新たな死体を見つけて借尸戻魂術を使ったのだろう。
今度の姿は、街を歩けばどこにでもいる商人のような身なりをした男だ。一目で死んでいると分かるのは、腹に大きな傷があり、服は赤黒い血で染まっていた。
「少しぶりだな、煬鳳。こんなところで会うとは思わなかった。……ああ、この男は別に殺したわけじゃない。旅先で盗賊に出会って命を落としたようだ」
煬鳳の驚きを察したのか、黒冥翳魔は言葉を切ったあと、言い添える。
己は五行盟からあらぬ疑いをかけられてここまでくる羽目になったというのに、当の本人は焦ることもない。余裕のその表情が心底腹立たしく思えてくる。
「ここは俺が昔住んでいた場所だ。居たっておかしくなんかないだろう」
「ああ、どうりで」
不貞腐れた煬鳳の言葉に片眉を上げ、得心したように黒冥翳魔は言った。しかし清林峰から犀安に戻ってきて、それから黒炎山へやってきたというのに、まさか黒冥翳魔に都合よく遭遇するとは幸運なのかそれとも不幸なのか。
煬鳳は五行盟での出来事を思い出し、黒冥翳魔に叫ぶ。
「黒冥翳魔。お前と俺が繋がってるんじゃないかって言われて今大変なんだ。だから潔白を証明するためにこうして黒炎山までやってきたのさ」
「それはそれは……気の毒だったな」
全くそう思っていない顔で、黒冥翳魔は目を細める。
「いいことを教えてやろう。お前と俺とはついこの前まで全く面識のない人間同士だ。しかし本当に気の毒なことだが、お前の炎は俺の力だ。つまり、全く無関係な者同士でもない」
「それは、この前のときから分かっていたことだ」
「ほう。賢いな」
「……馬鹿にしてるのか」
馬鹿にされていると感じ、煬鳳は気色ばむ。背後には凰黎がいて、小黄がいる。凰黎一人ならともかくとして、小黄を守りながら凰黎に戦わせるわけにはいかない。
「俺の翳炎がお前のものだったとして、だったらなんなんだ」
煬鳳が言った言葉に、黒冥翳魔は微笑んだ。
「なに。――俺の力なら返して貰おうと思ってな。教えてくれよ、どうやって俺の力を自分のものにしたんだ?」
「知るか! 俺が聞きたいくらいだ!」
すぐに黒冥翳魔から攻撃が来ることを予想して咄嗟に煬鳳は翳炎を打ち出した。しかし黒冥翳魔も同様に翳炎を放つ。互いの炎が触れた瞬間、煬鳳はとてつもない力によって体が引き寄せられるような、そんな感覚に陥った。
(まずい、黒冥翳魔に取り込まれる!)
恐ろしいことに、黒曜だけが引き付けられているわけではない。煬鳳自身も急激に黒冥翳魔へと引きずられているのだ。
迂闊だった。もっと早く気づくべきだったし、気づいていたのなら別の手立てがあったはずだ。運の悪いことに煬鳳はいま、自分の体と黒曜が持って行かれないよう踏ん張ることで精一杯、とても他のことに費やせる余裕がない。
このままでは体ごと黒冥翳魔に乗っ取られてしまう!
思わず唇を噛んだその瞬間、強い光が煬鳳と黒冥翳魔のあいだに迸った。
眼前に見えたのは凰黎が霊剣、神侯で黒冥翳魔を弾き飛ばす姿。
迅速果敢、掲げた神侯は六つの光となって宙に舞う。一振りから六つの刃へと変化じた神侯は、剣の軌跡で光を描く。
微かな動揺と共に黒冥翳魔は膝をつき、しかしすぐに我に返ると黒く燃える翳炎を凰黎に向かって放つ。
「陰在れば陽在り。また陽在れば陰在るように、互いを侵すこと莫れ」
「なんだと!?」
黒冥翳魔の動きが止まった。どうやら目の前の光景に驚きを隠せなかったらしい。
それもそのはず、神侯が描き出した光の防壁陣はいともたやすく黒冥翳魔の翳炎を打ち消したのだ。
驚く黒冥翳魔の隙をつき、凰黎が神侯の剣身の部分で思い切り打ち払った。彼のの手には一振りに戻った神侯が握られている。
凰黎の猛攻を耐えきることができず、黒冥翳魔は瓦礫の向こうへと飛んでく。
大きな音を立てて黒冥翳魔の姿が沈む。近くにぶつかる障害物もなく、かなり遠くにある崩れかけの家屋に突っ込んでしまったのだ。
「煬鳳、逃げましょう!」
「う、うん!」
煬鳳の手を取り凰黎が叫ぶ。もう片方は小黄の手をしっかりと握って、三人で来た道を戻るように駆け出した。振り返れば背後を警戒するように神侯の光の軌道を描くのが見える。何故だか煬鳳は、その光に奇妙な感覚を覚えた。
(凰黎は水行の門派だよな……?)
たしかに凰黎はふだん煬鳳の熱を下げるために水の力を使ってくれるのだが、先ほどの攻撃は水というよりは別の力に感じられたのだ。
けれどそのようなことに考えを傾ける余裕などなく、煬鳳たちは小黄を連れだって村の出口へと向かう。正直追いつかれるのも時間の問題だ。答えの出ない考えは明後日に捨て置いて、追いつかれたとき自分には何ができるのかを考えながら煬鳳は走った。
「煬鳳、熱は」
「平気さ、清粛から貰った索冥花は思った以上に効果があったみたいだ。少しくらいなら何ともない」
心配そうに尋ねた凰黎の言葉に、煬鳳ははっきりと返す。事実、清林峰で服用した索冥花は予想以上に効果を発揮してくれた。先ほど何度か黒曜を使ったが、今まで同じように黒曜を出していたら、すぐに体温が上がってしまって周囲の温度も上がっていたことだろう。貴重な最後の神薬を譲ってくれた清林峰の人たちに感謝しなければならない。
「それで、これからどうする?」
「一先ず思い切り戦える場所を探しましょう。ここで争っては、既に眠っている人々に障ります」
凰黎の言葉に煬鳳は背後の街並みを振り返った。この村が災厄に見舞われてはや十数年。村のどこにも恨みを募らせた影は見つからない。
――みんな、もう還ったんだ。
今この場所で争って、彼らの平穏を汚しては駄目だ。それに、墓に残された花……。また戻ってくる仲間のためにも、この場所を傷つけたくはない。
しかしすぐさま迫ってくる凶悪な気配を感じ取り、煬鳳はすぐさま凰黎を見た。
「止むを得ません、私がここで――」
凰黎がそこまで言いかけたときだ。
「こっちに来い!」
黒冥翳魔とも異なる誰かの声に、思わず二人で顔を見合わせる。小黄は真っ青な顔でぶるぶると震えている。煬鳳は小黄を抱え上げ「凰黎じゃないけど、我慢しろよ」と言って立ち上がった。今この瞬間は凰黎を頼るべきだ。
どうするか尋ねるより先に頷きあうと、声のした方へと三人で駆け出した。
「ここだ!」
結界で守られた入り口らしき場所に、青年が一人立っている。その足元には何かの陣が描かれていた。歳は煬鳳たちとそう変わらない。青年の出で立ちは筒袖の上衣姿で左衽の襟元には精細な刺繍がびっしりと描かれており、鋼劍の人たちが着ていたものによく似ている。頬を煤で汚し、およそ術などとは無縁にも見える青年だったが、煬鳳たちが結界の中に飛び込むのを確認すると、慣れた手つきで陣を発動させた。
瞬時に辺りの景色が違うものへと変化する。
「どうやらあの結界は、別の場所に移動するための入り口を隠すものだったようですね」
「その通り。ここはさっきどの場所から見てちょうど裏側にあたる場所さ」
凰黎の言葉に青年が答えた。青年はまだ小黄色を抱いたままの煬鳳に向き直ると、満面の笑みを見せる。その人懐こい笑顔を見た瞬間、何故だか煬鳳は胸の中に湧き上がる感情を覚えた。
「久しぶりだな、煬鳳! さっき黒冥翳魔が呼んだからまさかと思ったけど……」
「えっ……? て、ことは……?」
ここで会って「久しぶり」というのだから、絶対に鋼劍で過ごした仲間たちのなかの一人だ。それが誰なのか、まじまじと青年の顔を見ながらひとりずつ記憶の案かの顔を当てはめてゆく。
「すぐ思い出せよ! 俺だよ俺、藍方!」
「えーーーーーーっ!?」
彩藍方と名乗った青年は、忘れもしない鋼劍で過ごした日々の中で、煬鳳にとっては一番の友だった男だ。
* * *
五行盟の一つであった彩鉱門は、実のところ『どうなったのかわからなくなってしまった』という認識が正しい。清林峰にも様々な経緯があったように、彩鉱門にも姿を消す理由があったのだ。
かつて彩鉱門は金行使いの門派であり、鉱物の扱いに長け他門派の掌門などが使うような優れた武器などの鍛造を行っていた。ただの鍛造だけなら腕のいい鍛冶屋というだけだろう。しかし彼らの本当の存在理由は、門派に代々口伝で伝えられる、彼らにしか扱うことのできない鉱石の製錬と鍛造にあるのだと、門派を知る者は語り継ぐ。
彩鉱門の鍛造する霊剣は皆が喉から手が出るほど欲しくなるようなものばかり。他の門派とておいそれと邪険にすることはできなかった。
いわば彼らは唯一無二の武器を持っていたということ。
そんな彼らが、なぜ五行盟から消えてしまったのか。
答えは簡単なこと。
彼らが自ら、存在を隠したから。
あるとき『彩鉱門が禁忌の鉱物を手にした』という噂が広まった。その鉱物は彩鉱門にしか扱うことはできないが、それゆえ決して扱ってはいけないとされるものだったのだ。噂は瞬く間に睡龍の地全土に広がって、やがて彩鉱門を潰すべきだということまで口にするものが現れたのだ。
そこに異を唱えるものは殆どおらず、彩鉱門は滅門すべきだという論調が強まったのだが、さほど危機感を覚えた者はいなかった。なぜなら、みな彩鉱門は無くてはならないものだと思っていたが、無くなったとしても自分たちのところに呼び寄せておけばいい、などと都合のいいことを考えていたからだ。
自分達だけが彼らの技術を手中に収めることができるのならば、却ってそちらの方が好都合。
しかし、彩鉱門の当時の掌門はそのような考えも全て把握していた。彼は門弟たち全てを当時徨州の屋敷から退避させ、屋敷ごと全て爆破してしまったのだという。
もっとも、このことを知る者は殆どおらず、親交のあった蓬静嶺など限られたごく一部の者のみが知るところであった。だから、表向き彩鉱門は滅んでしまったことになっているし、当然それを漏らす者もいない。そうして何年も黒炎山の結界の中で彩鉱門の門弟たちは過ごしていたというわけだ。
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