【完結】鳳凰抱鳳雛 ~鳳凰は鳳雛を抱く~

銀タ篇

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天魔波旬拝陸天(魔界の皇太子)

098:南柯之夢(三)

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 ――刹那。

 重い金属音が聞こえ、鬼燎帝きりょうていの剣が煉瓦の地面に深く突き刺さった。

「くっ……!」

 拝陸天バイルーティエンの手には剣が握られたままで二人はにらみ合う。
 ということはだ。
 鬼燎帝きりょうていが破れ、拝陸天バイルーティエンが勝利したのだ。

「勝負あったようだな」

 剣を差し向けた拝陸天バイルーティエンを苦々しい顔で睨みつけた鬼燎帝きりょうていは、地上に残っていた禁軍兵に向かって手を向ける。

陸叔公りくしゅくこう、危ない!」

 咄嗟に煬鳳ヤンフォンは叫ぶ。禁軍兵の持っていた剣が彼らの手から離れ、一斉に拝陸天バイルーティエンに向かって飛んで行ったのだ。追いすがる剣の群れをすべて撃ち落とし、次なる攻撃を鬼燎帝きりょうていに放とうとした瞬間、彼の目が見開かれて煬鳳ヤンフォンに注がれる。

(えっ!?)

 小鳳シャオフォン――、拝陸天バイルーティエンの口がそう言いかけたことを理解したときには既に遅かった。目の前に迫った鬼燎帝きりょうていが伸ばす鋭い爪先が、煬鳳ヤンフォンの視界を覆いつくす。

「っ!」

 咄嗟に掌打を繰り出そうと体が自然に動いたが、結局それは放たずに終わってしまった。目の前に躍り出た淡青たんせいの影。その向こうに見える燐光りんこうの軌跡が防壁陣を展開し、鬼燎帝きりょうていの攻撃を弾いたからだ。

凰黎ホワンリィ!」

 弾かれた鬼燎帝きりょうていは無様に地面に転がった。凰黎ホワンリィ神侯シェンホウは次なる攻撃に備え、煬鳳ヤンフォンの周りを静かに旋回する。
 一連の光景を目の当たりにして、その場にいた者たちはみな唖然として動けなかった。皆が恐れる鬼燎帝きりょうていの力は半端なものではないはずだ。
 それなのに――皇太子だけではなく、よもや一人の若者によって攻撃を弾かれるなど誰一人思ってはいなかった。

「お、おのれえぇぇ! この、この朕をこうも侮辱するとは……! 許さん、許さん!」

 鬼燎帝きりょうていの怒りで地面が震え、そしてひび割れた。足元が音を立てて崩れ落ち、未だ残っていた一部の民たちは、驚き慌ててその場から逃げ出してゆく。
 立ち上がろうとした鬼燎帝きりょうていの前に拝陸天バイルーティエンが立つ。
 憐みすら浮かべた表情を実の父親に向け、彼の心中は一体どのようなものだったのだろうか。

「皇帝陛下――いや、父上。軍神と恐れられた貴方がこうも無様な様子を皆に見せつけるとは実に惜しいことです。なぜ負けたと分かったときに素直にそれを認めることができなかったのですか?」
「黙れ! 父である朕に楯突こうとは、まことに不義な息子であることよ。なぜ朕の邪魔をするのだ、大人しく言うことを聞かぬのだ!?」
「――、ですよ」

 まくし立てた鬼燎帝きりょうていに、微かな拝陸天バイルーティエンの言葉が返された。それはすぐには聞き取ることができず、思わず鬼燎帝きりょうていも「なんだと?」と聞き返す。

「貴方が間違っているから、ですよ。父上」

 そして今度ははっきりと皆に聞こえるくらいの声で拝陸天バイルーティエンは言った。

「一体どこから間違っていたのか、戦以外のことを始めたときなのか、祖父上を殺してしまったときなのか。それとも泉美チェンメイを追い出したときなのか――私にも分かりません。しかし、そのすべてにおいて貴方は間違っておられました。泉美チェンメイも私も、貴方に随分とそれを訴えましたが、結局それが貴方に届くことはなかった。貴方は軍事以外のことには無頓着であり、国を纏める力も持ち合わせてはいなかった。誰かに助力を請うこともなければ、自分の力でなんとかしようとする気概すらありませんでした」

 鬼燎帝きりょうていは静かに語る拝陸天バイルーティエンを睨みつけながら、黙って話を聞いている。拝陸天バイルーティエンは話ながらふと表情を変えた。

「――思えば不可解なものでしたね。戦うこと以外全く何もできなかった貴方が祖父上を殺し、そしてその忠臣を罠に嵌め――新たな皇帝の座についた。皇位についたあとも戦うことでしか民衆の支持を得ることができなかった貴方が、人界にんかいに目を向け翳冥宮えいめいきゅうの人々を罠に嵌めた。とても貴方らしくないことばかりでした。そこまで貴方を駆り立てたのは一体なんだったのですか? 魔界まかいの頂点という地位だけでは飽き足らなかったのでしょうか?」

 拝陸天バイルーティエンの話に驚き、煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィを見る。煬鳳ヤンフォンの意図を汲み取ったのか凰黎ホワンリィも頷いた。

(確かに陸叔公りくしゅくこうの言う通り、おかしな話だ)

 鬼燎帝きりょうていは武術には長けているが、政務には全く頓着がなく正直に言えば策略が得意なようには思えない。

 ――にもかかわらずだ。

 当時の皇帝をわざと皇魔壇おうまだんで殺し、自らの即位に反対する臣下にその罪を着せた。さらには翳冥宮えいめいきゅうを乗っ取るために周到な計画を立て、崩壊させたのだ。
 いくらなんでも、鬼燎帝きりょうてい一人で考えたにしては良く出来すぎている。

「ふっ……ふははははははははははははははははは!」

 鬼燎帝きりょうていが仰け反って大きく笑う。

「笑止! そのような昔の出来事を今更――――――」

 その瞬間、皆が息をすることも忘れて目の前で起きたことを凝視した。他の者たちよりも鬼燎帝きりょうていの近くにいた拝陸天バイルーティエンすら声を出すこともできなかった。

「――――――は?」

 鬼燎帝きりょうていの胸から剣が突き出ている。つまり『それ』は背後から鬼燎帝きりょうていの体を突き破って目の前に出てきたということだ。
 そしてその背後に立っている人物、それは一人の禁軍兵だった。彼の手には見たことも無い光を放つ剣が握られていた。

「先帝は死んだ。そしてその他の国にいた優秀な国王たちも死んだ。感謝しているぞ、鬼燎帝きりょうていよ」

 煬鳳ヤンフォンの耳の奥まで刺さったその声は、背筋がぞくりと泡立つほど冷たい。それは鬼燎帝きりょうていの威圧的な雰囲気などとは全く別の感覚だ。声から読み取れぬ謎めいた無の感情と、底知れぬ闇と虚無。人は感情の測れないわけの分からぬものを恐怖と感じることがあるが、いまの感覚がそれに近い。

 鬼燎帝きりょうていは信じられないという顔で背後の人物を見ると、口から血を吐いて不敵に笑い、背後の男を振り払う。背後にいた禁軍兵はひらりと軽やかにそれをかわして距離をとる。
 すぐさま金貪ジンタン銀瞋インチェンが禁軍兵に飛び掛かったが、彼らですら掠ることさえ叶わない。見かねた拝陸天バイルーティエンが男に向かおうとした矢先、鬼燎帝きりょうていが口を開いた。

「――なるほど。朕は用済みだと……お前たちにとってはそういうことなのだな?」
「な……?」

 拝陸天バイルーティエンから声が漏れる。

 ――いまなんと言ったのか?

 思わず煬鳳ヤンフォンは心の中で問うた。
 仮にも目の前にいるのは魔界まかい鬼燎帝きりょうていだ。その彼がいま口にした言葉、それはどう考えても鬼燎帝きりょうていが何者かに利用されていた、というようにしか聞こえなかった。
 鬼燎帝きりょうていはよろけながらも立ち上がると拝陸天バイルーティエンを見て、そして黒冥翳魔こくめいえいまを見る。

「――いいだろう、お前たちにひとつ教えてやろう。あやつらは清らかな顔をしてとんでもないことをやってのける奴らよ。百年前の翳冥宮えいめいきゅうの件も、朕が取り引きに応じさえしなければ……」

 翳黒明イーヘイミンが驚いて鬼燎帝きりょうていに駆け寄ろうとしたが、凄まじい断末魔と立ち昇った炎柱に阻まれて近寄ることはできなかった。

 黄金色の炎柱は天に届くかと言うほど激しく燃え上がり、同じ炎を使う翳黒明イーヘイミンも、そして煬鳳ヤンフォンすらもその炎にたじろいだ。
 燃え上がる炎とその中にいるはずの鬼燎帝きりょうていを、呆然と煬鳳ヤンフォンは見る。しかし、それをやったのが誰かということを思い出して、急いで煬鳳ヤンフォンは禁軍兵の姿をした何者かを探した。

「あそこ!」

 凰黎ホワンリィの声で去ろうとしていた禁軍兵の姿に皆の視線が集まった。すぐさま禁軍兵らしき者は虚空に陣を描く。煬鳳ヤンフォンはすぐに以前、彩藍方ツァイランファン黒炎山こくえんざん煬鳳ヤンフォンたちを助けるときに使った転移陣に似ていると気づいた。

 だが、彩藍方ツァイランファンが使ったものよりも不安定で、煬鳳ヤンフォンにはその詳細を読み取ることはできない。陣は揺らめきながら暗鬱な光を放ち、真っ黒な空間が切り取られたかのように口を開ける。

「捕まえろ!」

 誰かが叫ぶ声がする。皆が一斉に走り出すが、それより早く『禁軍兵の姿をした何か』は踵を返す。

 ――白い軌跡がすらりと閃く。

 禁軍兵は人の形をした紙片へと変わり、はらりと地に落ちた。紙には呪文のようなものが描いてあったので、恐らくは呪符だったのだろうと思われる。

「――どうやら仮初めの身体であったようだな。仮に捕らえたとて、どのみち無駄であったということか……」

 拝陸天バイルーティエンが呟く。彼の手には未だ愛剣が握られている。誰よりも早く動き、逃げ出そうとした禁軍兵……の姿をした何者かを斬ったのは拝陸天バイルーティエンだった。しかし切った瞬間に何者かは紙切れに変じてしまったのだ。

 残ったのは呪文が書かれた真っ二つの呪符のみ。
 鬼燎帝きりょうていがいたはずの場所にはただ微かな燃えカスが残るのみで、本当にそこに鬼燎帝きりょうていがいたのかどうか、目の前でその光景を見たはずなのにそれでも信じることはできなかった。
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