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旧雨今雨同志们(古き友と今の友)

103:倚門之望(三)

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「まあいいや。それよりさっさと蓬静嶺ほうせいりょうに行こう。そのために俺たちわざわざここまで来たんだからな」
「へ? そのためにって?」

 彩藍方ツァイランファンは何を言っているんだという顔で煬鳳ヤンフォンを見た。

「あのなあ。特別な手段がなきゃお前たちが蓬静嶺ほうせいりょうに戻るまでに一体どれくらいの日数がかかると思ってるんだ?」
「あ……」

 そうだった。
 清林峰せいりんほう垂州すいしゅうの南方にあるため、同じ垂州すいしゅうの北方にある霧谷関むこくかんへはさほど遠くはない。しかし蓬静嶺ほうせいりょうへ行くならば全く逆の方向でかなりの距離があり、辿り着くにもそれなり距離がある。霧谷関むこくかんから徨州こうしゅう蓬静嶺ほうせいりょうに行くためにはには、恒凰宮こうおうきゅうからほどではないがかなりの日数を要してしまうのだ。

「理解したか? じゃ、善は急げだ」

 彩藍方ツァイランファンはそう言うと懐から鉄片のようなものをを取り出す。

鉄鉱力士てっこうりきし、顕現!」

 手の中にあった鉄片は、大きな翼を広げた姿へと変わる。雰囲気としては前に黒炎山こくえんざん彩藍方ツァイランファンが操っていた鉄鉱力士てっこうりきしに似ているのだが、今回現れたのはおよそ人には見えない鋼鉄の翼。力強い霊力の波動を感じることから、それが『ただの翼の形をした鉄』でないことは間違いない。

 一見、鳥のようにも見えるのだが、大きく異なっているの頭部らしき部分が存在しないこと。本当に翼だけの不可思議な姿をしているのだ。

「なんだこれ!?」
掌門しょうもんから借り受けた、とっておきの鉄鉱力士てっこうりきしなんだぜ。さ、乗った乗った」

 彩藍方ツァイランファンに促されるまま煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィを引き連れ、鉄鉱力士てっこうりきしの傍まで近寄ってみる。鉄鉱力士てっこうりきし重明鳥ちょうめいちょう瓊瑤チョンヤオと同じくらいの大きさで、大人四人でも容易く乗せことができるだろう。
 それでも煬鳳ヤンフォンには信じられない。目の前の鉄の塊が空を飛ぶなんて――。

「飛ぶのか? 本当に?」
「当ったり前だろ。万晶鉱ばんしょうこうの風切り羽を埋め込んであるんだ。燃料さえ与えてやればどれだけ遠くたってひとっ飛びさ」
「燃料? 燃料がいるのか?」

 燃料とは一体何なのだろうか。見た所食べ物を食べる口はないようであるし……そこまで考えて煬鳳ヤンフォンは面倒になったのでそれ以上考えないことにした。
 目を逸らせば俯く凰黎ホワンリィの顔がある。恐らくは蓬静嶺ほうせいりょうのことを考えているのだろう。それに、静泰還ジンタイハイのことも。
 煬鳳ヤンフォンは努めて穏やかに、楽観的に聞こえすぎないよう気を付けながら凰黎ホワンリィに話しかけた。

凰黎ホワンリィ、さっき彩藍方ツァイランファンが平気だって言ったろ? とにかくいち早く蓬静嶺ほうせいりょうに向かおう」
「は、はい。そうですね、急ぎましょう」

 意外なことだが、以前恒凰宮こうおうきゅうで兄と再会したときよりもずっと凰黎ホワンリィは動揺しているように見える。長く蓬静嶺ほうせいりょうで暮らしていた凰黎ホワンリィにとっては、やはり『嶺主りょうしゅ様』などと他人行儀に呼んではいても、実の肉親と同様に嶺主りょうしゅである静泰還ジンタイハイの存在は大きいのだ。

 全員が鉄鉱力士てっこうりきしに乗ったのを確認すると、彩藍方ツァイランファン清粛チンスウの方を見た。

清粛チンスウ、頼む」
「任せてください」

 なぜ清粛チンスウに頼むのか?
 と煬鳳ヤンフォンは思ったのだが、すぐにその理由は明らかにされた。

 清粛チンスウの体から迸る青炎の雷光。それは霆雷門ていらいもん榠曹ミンツァオたちが見せた木行の雷光だったのだ。もともと木行霆雷門ていらいもん清林峰せいりんほうから別れた門派であり、当然清林峰せいりんほうの面々も雷を扱うことができる。ただし、清林峰せいりんほうの門弟たちは穏やかな気性な者が集まっているため、霆雷門ていらいもんのように雷撃を使うことは滅多にない。

「少し眩しいので皆さん、目を閉じてください……!」

 目を瞑っても瞼越しに激しい光が焼き付いた。その激しさに煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィの胸の中に顔を埋めると、凰黎ホワンリィの掌がしっかりと煬鳳ヤンフォンを抱き込んでくれた。己もいま、義理の父のことが心配で仕方がないというのに――煬鳳ヤンフォンのことを気遣ってくれた凰黎ホワンリィの優しさに胸がぎゅっと締め付けられる。
 光がようやく落ち着きを見せた頃に、こんどは急速に浮遊感がやってきた。浮遊というよりは飛翔といった方が正しいかもしれない。

「と、飛んでる! こんなでかいものが!?」

 瞼を開けた煬鳳ヤンフォンは、己の周りを雲が過ぎていくのを見て驚いた。

「驚いたか! 剣に乗るのもいいけど、こういうのも悪くないだろ?」

 そう言って彩藍方ツァイランファンは満足げに笑う。移動には様々な手段があるが、瓊瑤チョンヤオを除けば鉄鉱力士てっこうりきしは確かに圧倒的な速さを誇っている。複数人で乗ることを考えても有用な手段の一つには違いない。
 しかし、彩鉱門さいこうもんといえば金行使いの門派。それがまさか、空を飛ぶ宝器を操るとは思わなかった。

 しかも、以前黒炎山こくえんざんで姿を見たときも随分と大きな石の巨人のような姿をしていると思ったものだったが、煬鳳ヤンフォンたちがいま乗っている鉄鉱力士てっこうりきしも負けず劣らず巨大で重厚。とても空が飛べるなんて思えなかった。
 にも関わらず驚くほどの速さで、そして全く危なっかしい様子もなく鉄鋼力士はすさまじい速さで空を翔けている。

「木行使いが雷を使えるように、金行は天の力を使うことができる。だからこいつが空を飛んだって不思議はないんだぜ」

 煬鳳ヤンフォンの疑問に答えるように、彩藍方ツァイランファンがそう付け加えた。

「私も初めは驚きました。通常、鉄鉱力士てっこうりきしは予め蓄えた霊力で空を飛ぶそうです。そこに雷の力を加えてやることで飛躍的に速度が上がるのだとか」
「もしかして、それで清粛チンスウが呼ばれたのか?」

 煬鳳ヤンフォンの問いかけに清粛チンスウはくすりと笑う。

「違います。確かに霧谷関むこくかんまでついてきたのは、少しでも早く徨州こうしゅうへ戻るお手伝いをする為ではあるのですが――」

 清粛チンスウは言葉を切ると、彩藍方ツァイランファンに振り返る。

ツァイ二公子、そろそろ本当のことをお二人に話してもいいですか?」
「そうだな――」

 彩藍方ツァイランファンは頷く。

「――実は、蓬静嶺ほうせいりょう嶺主りょうしゅ様が倒れたっていうのは……」
「嘘ですよね?」

 嘘だろう、と言おうとした矢先に凰黎ホワンリィの方が先にそう言ったので、煬鳳ヤンフォンは驚いた。が、説明しようとしていた彩藍方ツァイランファンはもっと驚いて目を丸くしている。

「知ってたのか!?」
嶺主りょうしゅ様が倒れたのなら、私にまずその報せが届くはずですから。そうでないということは、嶺主りょうしゅ様は倒れてはいない――つまり、倒れたというのは嘘だということ」

 先ほどの青い顔が嘘のように凰黎ホワンリィはきっぱりと言い切った。その表情には蓬静嶺ほうせいりょう嶺主りょうしゅへの揺るぎない信頼が浮かぶ。

「じゃ、じゃあさっきまで落ち込んでたように見えたのは!?」
黒炎山こくえんざんで隠れて過ごしていた彩鉱門さいこうもんの、ツァイ二公子がわざわざこうして霧谷関むこくかんまでやってきたのです。そして同じように清林峰せいりんほうチン公子も一緒に。これは何か裏があるだろうと思って、話を合わせていました。……だって、『細かいことはここでは言い辛い』って仰っていたじゃありませんか」

 あれほど不安で足元も覚束ない様子だった凰黎ホワンリィが、いまでは何事もなかったような顔で話している。
 先ほどあれだけ心配していたのに、自分だけが置いてきぼりになったようで煬鳳ヤンフォンは思わずむくれてしまった。

(一言くらい俺に説明あっても良かったんじゃないのか? 俺は凄い心配してたのに……)

 そう思っているとくるりと凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンに振り返る。

「御免なさい、説明する余裕がなかったのです。あの後すぐに霧谷関むこくかんを出てしまったものですから、伝える機会を逃してしまって……」
「お、俺は別に怒ってるわけじゃないから! ただ、凄い心配したから……」

 先に謝られてしまったら、これ以上文句など言えるわけがない。
 実際凰黎ホワンリィが何か伝える余裕があったかといえば、あの場で言うのは難しかったと煬鳳ヤンフォンでもわかっている。決まりの悪さを覚えて煬鳳ヤンフォンがそっぽを向くと、凰黎ホワンリィに顎先を捕まえられた。

蓬静嶺ほうせいりょうのことが落ち着いたら、玄烏門げんうもんにも寄りましょう。心配をかけたぶん、沢山……ね?」

 息がかかるほどの近い距離で、囁く凰黎ホワンリィの声。
 凰黎ホワンリィの言った意味を暫く咀嚼して、煬鳳ヤンフォンは顔を赤く染める。

「そ、そこまで怒ってたわけじゃないって……! 俺も彩藍方ツァイランファンの話は妙だと思ってたから、徹頭徹尾本当だなんて思ってなかったし! ただ……」

 慌てて言い繕うと言葉を探していると、背後でわざとらしい咳払いが聞こえてきた。

「あーゴホンゴホン。相変わらずいい雰囲気のところ悪いんだけど、俺たち二人も乗ってることを忘れないでくれよ」

 ジト目で煬鳳ヤンフォンたちを見つめる彩藍方ツァイランファンと、苦笑いしながら彩藍方ツァイランファンを見ている清粛チンスウ。周囲は淀みない蒼穹が広がっている。いっそ空でも見ていてくれと思わなくもないのだが、それゆえ鉄鉱力士てっこうりきしの背の上では見て見ぬ振りもし辛いようだ。

「そそそ、そんなつもりじゃなかったんだよ! 悪かったよ! もう、着くまであっち向いてるから!」

 そう言うと煬鳳ヤンフォンは慌てて二人に背を向け、ついでに凰黎ホワンリィも背を向けさせて二人でぴったりと並んで座る。
 隣で凰黎ホワンリィが微かに笑ったように思えたが、見返したらまた取り留めなくなってしまいそうで、煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィの顔を見ることができなかった。
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