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海誓山盟明和暗(不変の誓い)

128:陰謀詭秘(四)

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「怪我はありませんか……?」

 煬鳳ヤンフォンの耳横で凰黎ホワンリィの声が聞こえる。しっかりと凰黎ホワンリィに抱かれ、守られた煬鳳ヤンフォンには怪我など一つもない。

「うん。凰黎ホワンリィのお陰で俺は大丈夫だ。……それより、凰黎ホワンリィは?」
「私もこれくらいで怪我などしません。それより煬鳳ヤンフォン、あれを見て」

 声を抑えた凰黎ホワンリィが、指で差し示す方向には見覚えのある人物が立っている。閑白シャンバイの隣に立つその人物の顔からは、何の感情も見えてこない。真珠のような白く美しい髪と、透けるような白い肌、そして淡い色の瞳。
 煬鳳ヤンフォン黒曜ヘイヨウの記憶の中で見た――翳白暗イーバイアンその人だった。
 煬鳳ヤンフォンの視線に気づいた翳黒明イーヘイミンが、視線の先を見て硬直する。

「嘘、だ……」

 瞬きもせず翳黒明イーヘイミン翳白暗イーバイアンを凝視した。煬鳳ヤンフォンが見た記憶の中で――最後に残った翳黒明イーヘイミン翳白暗イーバイアン。二人は死力を尽くして殺し合い、辛くも勝ったのは翳黒明イーヘイミンだった。
 しかし、翳白暗イーバイアン一人だけなぜこうして傷一つない姿で煬鳳ヤンフォンたちの前に立っているのか。

(さっき閑白シャンバイだって『翳冥宮えいめいきゅうの人間を跡形もなく消し飛ばした』って言ったよな?)

 ――となると、やはり目の前にいる翳白暗イーバイアン閑白シャンバイが作り出した偽物だろう。

黒明ヘイミン! そいつもきっと、さっきの人たちと同じただの偽物だ!」

 煬鳳ヤンフォンはすぐさま動けぬ翳黒明イーヘイミンに向かって叫ぶ。それでも大切な弟と同じ姿では、彼は躊躇うだろうが。

「偽物とは人聞きが悪い。こいつは確かに空っぽの人形だが正真正銘、こいつが殺した双子の弟さ。もっとも、損傷も激しかったんで止むを得ず手心を加えなければならなくなってな……血は根に与え、搾りカスは肥料にして新たに仙果の身体を作り出してやったんだよ!」

 閑白シャンバイの言葉が信じられず、煬鳳ヤンフォンは言い返す。

「そんな、馬鹿な! だって……!」

 翳冥宮えいめいきゅうの人々は、翳黒明イーヘイミンが一人一人灰に還したと彼が言っていた。翳白暗イーバイアンも例外ではないはずだ。
 口の端をあげて閑白シャンバイ煬鳳ヤンフォンを見た。

「あろうことか、こいつは、自分の弟だけは他の奴らと同じように灰にすることができず、結局体を残しちまったのさ! 笑っちまうよな! これ幸いと手間暇かけて元の状態に近づけたというのに……魂魄は戻せず、他人の魂魄を入れることもできない! クソッ! いちいち糸を引いてやらないと何もできない、ただのゴミだ!」

 翳黒明イーヘイミンの目が赤く輝き、閑白シャンバイへ斬りかかる。しかし表情の無い顔でするりと前に進み出た翳白暗イーバイアンによってそれは遮られてしまった。

「くそっ……! どいてくれ! 頼む! 白暗バイアン!」

 それでも翳黒明イーヘイミンはなんとか翳白暗イーバイアンを押しのけて閑白シャンバイの元へ行こうとするのだが、立ちはだかる翳白暗イーバイアンを前にして、刃を向けることができない。

「どうした? 私を殺したいんじゃないのか? できないよな! だって大切な弟が前にいるんだから! 二度殺し合ったとしても、三度めはもうできないよな!」

 目の前で叫んでいるのは、一体どのような魔物なのだろうか。とても昇仙したものとは思えぬ有様を目の当たりにして、恐ろしく不気味にさえ思えた。

 翳黒明イーヘイミンはすっかり閑白シャンバイの言葉で怒り、我を忘れかけている。このままでは危険な状態になってしまう、煬鳳ヤンフォンは焦った。

 対峙するのは閑白シャンバイ翳黒明イーヘイミンの二人だが、弟である翳白暗イーバイアンがいる以上、安易に手を出すことは難しい。特に、あの記憶を見たあとでは、このまま二人を戦わせてしまったら、もういちど翳黒明イーヘイミンは自分を見失ってしまうだろう。

「空っぽの捨て駒だがお前に対しては非常に役に立つものだなぁ、こいつは。お喋りもそろそろ飽いたことだし、ここらで決着をつけようか」

 閑白シャンバイは袖の中から幾枚もの紙片を取り出した。

「あっ……それは!」

 凰黎ホワンリィが叫ぶ。間違いなくあれは、先ほど閑白シャンバイ翳冥宮えいめいきゅうの人々の偽物を作り出していたものと同一のものだ。

「私は鳥になる前――邪教の術師だと言われ処刑されたことがあるんだ。羽化登仙したあとでかつての記憶を取り戻したが……人間であったときの経験がいまこうして、役に立つとはね」

 閑白シャンバイが呪文を唱えると、閑白シャンバイと同じ姿をした分身たちが十数人ほど現れる。

煬鳳ヤンフォン

 凰黎ホワンリィが囁く。

「あの人形は、術者と同じ能力を持っています。恐らくまともに戦うのは無理でしょう」
「なら……やっぱり本体を叩くしかないのか?」

 凰黎ホワンリィは頷く。

「ですが、相手もそれは百も承知。そう容易くはさせて貰えないでしょう。それに翳黒明イーヘイミンの様子も心配です……」

 凰黎ホワンリィの向けた視線の先には、防戦一方の翳黒明イーヘイミンの姿が見える。いまは閑白シャンバイのほうが遊んだ気になっているのでまだいいが、閑白シャンバイが本気を出したのなら翳黒明イーヘイミンも太刀打ちできないはずだ。

 特に、翳白暗イーバイアンが彼の盾になっている以上、翳黒明イーヘイミン翳白暗イーバイアンを傷つけることはできない。もし、翳黒明イーヘイミン翳白暗イーバイアンに刃を向けるならば、そのときは二人で死ぬ覚悟を決めたときだ。

(そんなこと、させるものか!)

 何か打開策はないものか、煬鳳ヤンフォンは必死で先ほど見た記憶を手繰り寄せる。

「そうだ、藍方ランファン! あの箱どこにやった!?」
「あの箱?」

 鸞快子らんかいし小黄シャオホワンのことを守ってくれているため、彩藍方ツァイランファンには比較的余裕があるようだ。仙界せんかいの同様のものと比べれば数段落ちるとはいえ、数体がかりで立ちはだかる鉄鉱力士てっこうりきしはなかなかに圧巻だ。凰神偉ホワンシェンウェイ翳黒明イーヘイミンは先ほどから一人で戦っているというのに、彼の周到さはさすがというべきか。

「ほら、お前が拾ってきた開かない箱だよ!」
「ああ……これか?」

 煬鳳ヤンフォン彩藍方ツァイランファンの襟首を掴むと、彩藍方ツァイランファンはどこからか先ほど見つけてきた箱を煬鳳ヤンフォンに見せる。

「そう、それ!」

 確かに鍵は掛かっているが、煬鳳ヤンフォンはその箱に見覚えがあった。

煬鳳ヤンフォン、でもそれは開かなかったのではないですか?」

 閑白シャンバイの分身を退け、凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンに近づく。この箱に鍵がかかっていることは、煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィも、この場にいた全員が知っている。だからこそ過去を垣間見るために鸞快子らんかいし翳黒明イーヘイミンの持っていた絵を使ったのだが……。

「箱くらい力入れりゃ開くだろ!」

 そう言うと力任せに煬鳳ヤンフォンは箱をこじ開けようと試みる。――当然、箱は開かない。

「駄目だ。なんか封印でもかけてあるのか? ただの木箱がびくともしないなんてこと、ある訳がないよな?」

 相当な力を入れたにもかかわらず、箱からは軋む音一つ聞こえてはこない。

「くそっ、絶対にこの中にあるはずなんだ……! 開け!」

 それでも諦めず、煬鳳ヤンフォンは力を込める。それを見て彩藍方ツァイランファンが腰に差してある道具を箱に当て「貸してみろ、俺がやる!」と煬鳳ヤンフォンの代わりに試みた。

 そうこうしている間も皆は戦っている。堪らず煬鳳ヤンフォン黒曜ヘイヨウを両手で抱えて覗き込む。黒曜ヘイヨウはいつでも来い、という顔で煬鳳ヤンフォンを見つめていた。

「よし……! 黒曜ヘイヨウ、存分にやってやれ! でも無理はするなよ! 退けるだけでいい!」

 煬鳳ヤンフォン黒曜ヘイヨウにそう言って激励を飛ばす。黒曜ヘイヨウは一声鳴くと閑白シャンバイの分身目掛けて飛んで行く。始め閑白シャンバイと戦ったときは全く相手にならなかった黒曜ヘイヨウだったが、二度目ともなれば警戒も怠らない。

 襲い掛かる分身たちをかく乱するようにすり抜けて、相手の油断を誘う。力と力でぶつかっても競り負けるだけ、力を使いすぎても煬鳳ヤンフォンに負担をかけるからだろう。

(本当なら黒曜ヘイヨウだって白暗バイアンのもとに行きたいだろうに……)

 煬鳳ヤンフォン黒曜ヘイヨウの心遣いを有り難く思う。

「貸してください!」

 しびれを切らせた凰黎ホワンリィが、彩藍方ツァイランファンから箱を奪おうとすると、黄色い影が側にやってきた。

ホワン大哥にいに、僕に開けさせて」
「……」

 彩藍方ツァイランファン凰黎ホワンリィは、互いに両端を持ちながら小黄シャオホワンを呆然と見つめる。その後二人で顔を合わせ頷くと、恐る恐る小黄シャオホワンの両手に小箱を載せてやった。
 小黄シャオホワンは箱のそっと小箱を撫でると鍵穴のついた前蓋に触れる。その瞬間、小黄シャオホワンの身体に黄金色の光が見えたような気がした。

(まさか……、気のせいか?)

  そんなはずはないと煬鳳ヤンフォンは眼をこする。けれどもう一度見たときには光は消えている。

(いや……でも、あんな綺麗な光、見間違うはずないよな)

 果たして凰黎ホワンリィはいまの光を見たのだろうか?
 色々な考えが煬鳳ヤンフォンの脳裏に浮かんでくるが、しかし小黄シャオホワンの叫んだ言葉でそんなことは頭の隅っこに追いやらねばならなくなってしまった。

「……開いた!」

 小黄シャオホワンの声に反応して、煬鳳ヤンフォンも、凰黎ホワンリィもそして彩藍方ツァイランファンも箱を覗き込みむ。ゆっくりと開かれた小箱からは白い光が箱から零れだし、翳冥宮えいめいきゅうに仄かな灯りをともしたのだ。

「やっぱり……!」

 その中にあったのは煬鳳ヤンフォンの予想通り。
 煬鳳ヤンフォンは小箱の中身を大切に手布に包むと、急いで翳黒明イーヘイミンの元に向かって走り出した。

 翳白暗イーバイアンの剣が翳黒明イーヘイミンの脇腹を掠める。すんでのところでそれをかわした翳黒明イーヘイミンだったが、至る所から血が流れこの状態を維持するのもそろそろ限界がきているようだ。

「ああ、もう! 師兄の身体なんだぞ! 大事にしろ!」

 堪らず彩藍方ツァイランファンがそう叫び、翳黒明イーヘイミンの間に割り込んだ。

「済まない」
「謝るなら、とっとと翳冥宮えいめいきゅうを復興させてその体を返しやがれ!」
「はは……」

 翳黒明イーヘイミンがふっと笑った。遠慮ない彩藍方ツァイランファンの正直な言葉に思わず笑ってしまったのだろう。もう少し言い方があるだろうとは思うのだが、そう言いつつも彩藍方ツァイランファンはいま、翳黒明イーヘイミンを助けようとしている。

「酷い怪我じゃないか! いいか、お前の弟はもうとっくに死んでいるんだ。いくら体がそこにあったって、百年以上経ったいま、戻ってくることは絶対にありえない。諦めて割り切るんだ!」
「割り切れるものか! 俺だって死んだ。魂魄しか残っていない。それでも百年以上経ったいま、こうしてこの場所に戻ってきたんだ!」

 彩藍方ツァイランファンの言葉に、翳黒明イーヘイミンは言い返す。
 他でもない自分のことなら我慢できようが、意識も魂魄すら無かったとしても、目の前に弟がいたら諦めきれないのも無理はない。

 ――特に、もっとも大切な存在であるのならなおさらだ。
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