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偃武修文番外編(番外編)
番外02:合縁奇縁(三)
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「だ、だからって、私たちは彼らからお金を貰ってないでしょ? ちょっとした駄賃変わりよ。可愛いものじゃない」
「初めは本当にそれだけのつもりだったのだろうな。しかし、占いが爆発的に人気を得たことでお前達は欲をかいた。……屋敷に仲間を呼び寄せ、金持ちから金を頂き、精気を奪い……そのうちの数人は命を奪い、入れ替わったのでは?」
「!」
途端、娘々の顔色が変わる。どうやら図星だったようだ。
「しょ、証拠はあるのかい!?」
「狐は死んだ者の髑髏を使って人に変ずるのだろう? ならば自ずと結論は出るだろう」
『なるほど。人が変わったっていうのはそのせいか』
納得したように黒曜が頷く。
「おおかた、権力者たちが言い寄ってきて利用できると思ったのだな。しかし欲をかき過ぎた。……命を奪った責任を、首謀者としてお前は償うべきだ」
凰神偉の言葉に真っ青になった娘々は、地面に突っ伏して叩頭する。
「お、お願いだよ! もう二度と悪さはしない! 私たちは人の世界で生きたかっただけなんだ! 妖邪にだって人の世で生きる権利があるだろう?」
「……お前の言うことは間違ってはいない」
「なら……!」
言いかけた娘々に対して、いっそう冷たい眼差しを凰神偉は向けた。彼女の言葉に心底呆れた表情で。
「だがそれは、人の世界の理を守り、法を守っている者だけが得られる権利。……もしお前が人の世で生きていきたいと望むならば、まず人の世の法を守るべきだ。それは人とて人成らざる者とて同じこと。……黒曜、人の世界では罪なき者を殺した場合はどうなる?」
『そりゃ、いたずらに人を殺したら、よっぽど酌量の余地が無い限り死で贖うのが普通だろうな』
黒曜の表情が僅かに翳る。
何故なら――彼もまた、過去に死で贖ったものであるからだ。
つまり、そういうことなのだ。
もはやこれまでと思った娘々は、敵わぬまでもと破れかぶれの攻撃をしかけた。
過而不改、是謂過矣(過ちを改めぬことが、過ちなのである)。
当然ながらそれは二人に傷一つだにつけることはできなかった。
* * *
徹夜で算命娘々の占いを待ちわびていた人々も、騒ぎの間に皆散ってしまった。恐らくこのあとは昨晩の騒ぎの話で持ち切りに違いない。
『あれで良かったのかねえ』
呆れた顔の黒曜は振り返って算命娘々の館を仰ぎ見る。既に舘には沢山の捕吏たちが入り、中で伸びている妖邪たちを次々に捕縛しているようだ。
きっとこの一件は彼らの手柄になるのだろう。
それでいいのか?と黒曜は言っているのだ。
凰神偉は涼しい顔で歩みを止めることなく歩き続ける。
「害の無い者もいるかもしれないが、それを見定めるのは我々ではない。あとは白宵城の者たちに任せることにしよう。……それに、殺した者と入れ替わった妖邪を調べなければならない」
娘々は人の世で生きたかっただけだと言ったが、彼女たちが最終的に目指していたのは白宵城の乗っ取りだったのだろう。
事がうまくいきすぎて欲深くなってしまったのかもしれない。
「悪事を働くものは人であれ妖邪であれ、等しく罰せられるだけ。そこに差などあるわけがない」
彼女たちは己の欲望のために誰かを犠牲にしたのだ。相応の報いを受けるのは仕方のないこと。
黒曜はニヤリと口の端を上げて凰神偉を見た。
「とかなんとか言って。氷の公子様にしては随分恩情をかけてやったじゃないか。なあ?」
「煩い」
ふてぶてしく言い返す凰神偉に、可笑しくてたまらないといった様子で黒曜は肩を震わせている。どこで仕入れた情報かは知らないが、彼は凰神偉が密かに『氷の公子』と世間から呼ばれていることを聞きつけたらしい。
揶揄っているのが分かるだけに、腹立たしい。
「そう言うなって。……俺はてっきり、あんたはあの場で算命娘々を殺すと思ったんだよ。……それが、なあ」
彼の言う通り――凰神偉は算命娘々の命乞いを聞き入れ、その場で命を奪うことは止めたのだ。別に絆されたわけでも、美女だったからという理由でもない。
ただ――。
「彼女や仲間たちが白宵城で人と共に生きることを真に望むならば、裁くのもまた白宵城の者たちであるべきだ。誰かの命を奪っていた場合、相応の罰を受けることになるだろうが……少なくとも占い小屋でのみ占いの対価に精気を奪った程度の者ならば、そう厳しい処罰は下らないだろう」
占いが真に当たっていたかはともかくとして。
噂と言うのは尾ひれがつきやすく、実際のところ算命娘々の占いは百発百中ではなかった。そして一部の占いは……娘々の仲間たちが『当たったように見せかける工作』を行っていたそうだ。
『詐欺の罪はどれくらいの罰になるんだろうな』
「さあな。詳しくは分からん。あとは彼ら次第だろう」
流石に彼らに対してそこまで世話をやいてやる義理もない。
『またまた、素直じゃないんだな。あいつらが不当な扱いを受けて理不尽な罰を与えられないように書状を書いてやったじゃないか』
屋敷には多くの狐精達が暮らしていた。中には幼い狐の子供も両親と共に娘々の手伝いをしていたという。
不安げに柱の影から凰神偉を覗き見ていた狐の子供の表情が、不意に幼かった弟の面影を思い出させた。
それだけの話。
「……私は人も人成らざる者も、人の世に生きることを望むならば平等に扱うべきであると伝えただけだ」
『はいはい。宮主様のそんな考えも、悪くないと思うぞ。算命娘々も感激して、最後に貢ぎ物をしたもんな』
「人聞きが悪い」
そう言いながら、凰神偉は腕の中に抱えたふかふかの布包みを確かめるように触れる。
「……何を見ている」
視線に気づき顔を上げると、黒曜がニヤニヤと笑って凰神偉のことをみていた。
『別に? 初めてあんたに会ったときは随分厳しい人だと思ったけど……。やっぱり凰黎の兄君なんだな、あんたは』
「馴れ馴れしく呼ぶな。お前の兄ではない。それに……」
(翳冥宮の翳黒明から分かれた存在なのに、こうも表情が違うのだな)
翳黒明にはまだ拭えぬ影が付き纏うが、目の前の黒曜の笑う表情は揶揄うような笑いでさえも晴れ晴れとしている。
やはりこれも――宿主の影響なのだろう。
大切な弟を掻っ攫っていった男の存在を不意に思い出し、凰神偉は僅かにイラっとした。
「この件は解決したと言っても差し支えないだろう。あとの入れ替わった者たちについては、恒凰宮の者たちにも手伝わせて調査させる。お前はいつ煬殿の元に帰るんだ」
『そろそろ帰ろうと思ってたところだよ。どのみち翳冥宮に用事があっただけだしな』
苦笑いした黒曜はクエェと鳴くと再び烏の姿に戻り空へと舞い上がる。
「今すぐなのか。気が早いな」
『いつ帰るって言ったり早いって言ったり、どっちなんだよ』
「流石に今すぐ帰るとまでは思わなかった」
一晩くらいは礼も兼ねて恒凰宮でもてなそうかと思ったのだが、と言いかけた言葉を凰神偉は飲み込んだ。
どうせまた翳冥宮へ向かう時に恒凰宮に立ち寄ることもあるだろう。
敢えて引き留めるのも野暮なことだ。
「別に。好きなようにするのがよかろう」
クエェと不満げに黒曜は鳴いたあと、凰神偉の肩に留まる。
『じゃ、明日の朝帰るよ。全然寝てなくて眠いし。このまま徨州まで飛んだらうっかり眠って川に堕ちそうだ』
黒曜に言われて、初めて朝まで一睡もしていなかったことに凰神偉は気づいた。夜恒凰宮を飛び出してそのまま算命娘々の調査にかかり、さらに屋敷に入って娘々に会い。
精気を吸おうとした娘々にぶち切れ叩きのめしたあとは、今に至るまで休む間もなく後始末に追われていたのだ。
既に朝日は昇り始め、人々は商いの準備を始めている。
「そうだな。流石に私も少し休みたい」
『だろ? じゃあ恒凰宮の一番ふかふかの寝台がある部屋で寝かせてくれよ』
「阿黎の部屋は許可できない」
『……なら二番目か三番目でいいよ』
弟の苦労には及ぶべくもないが、凰神偉もまた弟のぶんまで立派であれと絶えず肩肘張って生きてきた。燐瑛珂は掛け値なしに心から信頼する仲間であり家族でもあるが、それでも二人の間には主従という壁がある。
下らないと思いつつも、このように躊躇なく言葉を交わせる相手というのも悪くはない。
ふ……と口元を和らげて凰神偉は言った。
「そうだな……。鳥の姿で寝るつもりなのか、人の姿で寝るつもりなのか。話はそれからだな」
* * *
翳冥宮に出向いていた黒曜が暫くぶりに清瑞山へ戻ってきた。煬鳳と凰黎は卵を温めている手前、清瑞山から殆ど出られない。
買い物は善瀧や夜真たちが引き受けているが、それはそれで暇過ぎて仕方がないのだ。
「おかえり、黒曜。旅の話でも聞かせてくれよ……って、なんだ!? その包み!」
嘴に巨大な包みを吊り下げて戻ってきた黒曜を見て煬鳳は驚いた。烏の姿ではとても運べないと思ったのか、人ほどの大きさの黒曜は『クエェ』と鳴いて舞い降りる。
『凰黎の兄君から、凰黎に土産だよ。全部な』
「全部、ですか……?」
呆れと驚き半分で、大きな包みを凰黎はしげしげと見つめた。
『あとこれ、手紙も預かってきた』
「あ、有り難うございます」
戸惑いながら凰黎は兄からの手紙を受け取ると、中身を取り出す。
阿黎。
元気にしているか。
間がな隙がな卵を温める必要があるため、とても苦労していると黒曜から聞いた。
ささやかな物ではあるが身体に良い薬草を入れたから、是非使って欲しい。
それと、身体が固まって痛くないように膏薬も持たせた。
阿黎はやると決めたら絶対にやり通す性格だと知っているが、それでも辛い時は兄が代わるから遠慮なく呼んで欲しい。
――そうそう、まだ寒い日が続くので阿黎のために温かい襟巻きをつくらせた。
この襟巻きにまつわる黒曜の武勇伝でも聞きながら、退屈を紛らわせてほしい。
くれぐれも体には気を付けて。
兄より。
「襟巻き?」
包みを漁っていた煬鳳は、真っ白いふわふわの襟巻きが入っていたことに気づいたようだ。
『ああ、それな。俺と兄君の大活躍の話、きっと凰黎も煬鳳も楽しめると思うぞ』
「兄上と黒曜の? あの兄上が?」
よほど意外だったのか、凰黎は素っ頓狂な声をあげた。
『そ。俺と兄君の武勇伝!』
ふわふわの襟巻きは、白い狐の尾。
厳しい言葉を言いつつも最後に情けをかけてくれた凰神偉に対し、彼女が最後に見せた誠意の証し――彼女の白く美しい尾だ。
他の者は助かっても自分は命があるか分からない。それでも少しだけ命を延ばし仲間に便宜をはかってくれた凰神偉に対して、彼女は自分の尾を切ってせめてこれをと差し出したのだ。
戸惑った凰神偉だったが、黒曜に『誠意は貰え』と背中を押され、迷いながらも彼女から尻尾を受け取った。
その尾を加工したのが、この襟巻きというわけだ。
「へぇ、面白そうだな、聞かせてくれよ」
煬鳳は目を輝かせ、黒曜に促す。
黒曜はそんな煬鳳に勿体つけながら、
『長くなるぞ?』
と言った。
「あ、待ってください。じゃあお茶を淹れましょう。黒曜も小屋の中に入って。せっかくの珍しい話なのですから、ゆっくり楽しみましょう――」
黒曜の話は、暇を持て余していた彼らを大いに楽しませたようだ。
二人は時に笑い、時に遠い故郷の地に想いを馳せながら、空が暗くなるまでじっくりと話に聞き入った。
二人が卵を温める仕事から解放されたのはそれから数か月後。
そして、凰神偉の胸に飛び込んでいい存在には凰黎の他にもう一人、阿鸞も加わったという。
算命娘々がその後どうなったのか、凰神偉が語ることはなかった。
しかし、黒曜が時おり恒凰宮に立ち寄ると、変わった茶菓子が出されるようになった。
どこの店の菓子かと尋ねると、白宵城の小さな茶舗なのだと凰神偉は言う。
『狐娘茶舗』
店の名を聞いて、黒曜は尾のない狐の姿を思い出さずにはいられなかった。
<番外02:合縁奇縁 了>
「初めは本当にそれだけのつもりだったのだろうな。しかし、占いが爆発的に人気を得たことでお前達は欲をかいた。……屋敷に仲間を呼び寄せ、金持ちから金を頂き、精気を奪い……そのうちの数人は命を奪い、入れ替わったのでは?」
「!」
途端、娘々の顔色が変わる。どうやら図星だったようだ。
「しょ、証拠はあるのかい!?」
「狐は死んだ者の髑髏を使って人に変ずるのだろう? ならば自ずと結論は出るだろう」
『なるほど。人が変わったっていうのはそのせいか』
納得したように黒曜が頷く。
「おおかた、権力者たちが言い寄ってきて利用できると思ったのだな。しかし欲をかき過ぎた。……命を奪った責任を、首謀者としてお前は償うべきだ」
凰神偉の言葉に真っ青になった娘々は、地面に突っ伏して叩頭する。
「お、お願いだよ! もう二度と悪さはしない! 私たちは人の世界で生きたかっただけなんだ! 妖邪にだって人の世で生きる権利があるだろう?」
「……お前の言うことは間違ってはいない」
「なら……!」
言いかけた娘々に対して、いっそう冷たい眼差しを凰神偉は向けた。彼女の言葉に心底呆れた表情で。
「だがそれは、人の世界の理を守り、法を守っている者だけが得られる権利。……もしお前が人の世で生きていきたいと望むならば、まず人の世の法を守るべきだ。それは人とて人成らざる者とて同じこと。……黒曜、人の世界では罪なき者を殺した場合はどうなる?」
『そりゃ、いたずらに人を殺したら、よっぽど酌量の余地が無い限り死で贖うのが普通だろうな』
黒曜の表情が僅かに翳る。
何故なら――彼もまた、過去に死で贖ったものであるからだ。
つまり、そういうことなのだ。
もはやこれまでと思った娘々は、敵わぬまでもと破れかぶれの攻撃をしかけた。
過而不改、是謂過矣(過ちを改めぬことが、過ちなのである)。
当然ながらそれは二人に傷一つだにつけることはできなかった。
* * *
徹夜で算命娘々の占いを待ちわびていた人々も、騒ぎの間に皆散ってしまった。恐らくこのあとは昨晩の騒ぎの話で持ち切りに違いない。
『あれで良かったのかねえ』
呆れた顔の黒曜は振り返って算命娘々の館を仰ぎ見る。既に舘には沢山の捕吏たちが入り、中で伸びている妖邪たちを次々に捕縛しているようだ。
きっとこの一件は彼らの手柄になるのだろう。
それでいいのか?と黒曜は言っているのだ。
凰神偉は涼しい顔で歩みを止めることなく歩き続ける。
「害の無い者もいるかもしれないが、それを見定めるのは我々ではない。あとは白宵城の者たちに任せることにしよう。……それに、殺した者と入れ替わった妖邪を調べなければならない」
娘々は人の世で生きたかっただけだと言ったが、彼女たちが最終的に目指していたのは白宵城の乗っ取りだったのだろう。
事がうまくいきすぎて欲深くなってしまったのかもしれない。
「悪事を働くものは人であれ妖邪であれ、等しく罰せられるだけ。そこに差などあるわけがない」
彼女たちは己の欲望のために誰かを犠牲にしたのだ。相応の報いを受けるのは仕方のないこと。
黒曜はニヤリと口の端を上げて凰神偉を見た。
「とかなんとか言って。氷の公子様にしては随分恩情をかけてやったじゃないか。なあ?」
「煩い」
ふてぶてしく言い返す凰神偉に、可笑しくてたまらないといった様子で黒曜は肩を震わせている。どこで仕入れた情報かは知らないが、彼は凰神偉が密かに『氷の公子』と世間から呼ばれていることを聞きつけたらしい。
揶揄っているのが分かるだけに、腹立たしい。
「そう言うなって。……俺はてっきり、あんたはあの場で算命娘々を殺すと思ったんだよ。……それが、なあ」
彼の言う通り――凰神偉は算命娘々の命乞いを聞き入れ、その場で命を奪うことは止めたのだ。別に絆されたわけでも、美女だったからという理由でもない。
ただ――。
「彼女や仲間たちが白宵城で人と共に生きることを真に望むならば、裁くのもまた白宵城の者たちであるべきだ。誰かの命を奪っていた場合、相応の罰を受けることになるだろうが……少なくとも占い小屋でのみ占いの対価に精気を奪った程度の者ならば、そう厳しい処罰は下らないだろう」
占いが真に当たっていたかはともかくとして。
噂と言うのは尾ひれがつきやすく、実際のところ算命娘々の占いは百発百中ではなかった。そして一部の占いは……娘々の仲間たちが『当たったように見せかける工作』を行っていたそうだ。
『詐欺の罪はどれくらいの罰になるんだろうな』
「さあな。詳しくは分からん。あとは彼ら次第だろう」
流石に彼らに対してそこまで世話をやいてやる義理もない。
『またまた、素直じゃないんだな。あいつらが不当な扱いを受けて理不尽な罰を与えられないように書状を書いてやったじゃないか』
屋敷には多くの狐精達が暮らしていた。中には幼い狐の子供も両親と共に娘々の手伝いをしていたという。
不安げに柱の影から凰神偉を覗き見ていた狐の子供の表情が、不意に幼かった弟の面影を思い出させた。
それだけの話。
「……私は人も人成らざる者も、人の世に生きることを望むならば平等に扱うべきであると伝えただけだ」
『はいはい。宮主様のそんな考えも、悪くないと思うぞ。算命娘々も感激して、最後に貢ぎ物をしたもんな』
「人聞きが悪い」
そう言いながら、凰神偉は腕の中に抱えたふかふかの布包みを確かめるように触れる。
「……何を見ている」
視線に気づき顔を上げると、黒曜がニヤニヤと笑って凰神偉のことをみていた。
『別に? 初めてあんたに会ったときは随分厳しい人だと思ったけど……。やっぱり凰黎の兄君なんだな、あんたは』
「馴れ馴れしく呼ぶな。お前の兄ではない。それに……」
(翳冥宮の翳黒明から分かれた存在なのに、こうも表情が違うのだな)
翳黒明にはまだ拭えぬ影が付き纏うが、目の前の黒曜の笑う表情は揶揄うような笑いでさえも晴れ晴れとしている。
やはりこれも――宿主の影響なのだろう。
大切な弟を掻っ攫っていった男の存在を不意に思い出し、凰神偉は僅かにイラっとした。
「この件は解決したと言っても差し支えないだろう。あとの入れ替わった者たちについては、恒凰宮の者たちにも手伝わせて調査させる。お前はいつ煬殿の元に帰るんだ」
『そろそろ帰ろうと思ってたところだよ。どのみち翳冥宮に用事があっただけだしな』
苦笑いした黒曜はクエェと鳴くと再び烏の姿に戻り空へと舞い上がる。
「今すぐなのか。気が早いな」
『いつ帰るって言ったり早いって言ったり、どっちなんだよ』
「流石に今すぐ帰るとまでは思わなかった」
一晩くらいは礼も兼ねて恒凰宮でもてなそうかと思ったのだが、と言いかけた言葉を凰神偉は飲み込んだ。
どうせまた翳冥宮へ向かう時に恒凰宮に立ち寄ることもあるだろう。
敢えて引き留めるのも野暮なことだ。
「別に。好きなようにするのがよかろう」
クエェと不満げに黒曜は鳴いたあと、凰神偉の肩に留まる。
『じゃ、明日の朝帰るよ。全然寝てなくて眠いし。このまま徨州まで飛んだらうっかり眠って川に堕ちそうだ』
黒曜に言われて、初めて朝まで一睡もしていなかったことに凰神偉は気づいた。夜恒凰宮を飛び出してそのまま算命娘々の調査にかかり、さらに屋敷に入って娘々に会い。
精気を吸おうとした娘々にぶち切れ叩きのめしたあとは、今に至るまで休む間もなく後始末に追われていたのだ。
既に朝日は昇り始め、人々は商いの準備を始めている。
「そうだな。流石に私も少し休みたい」
『だろ? じゃあ恒凰宮の一番ふかふかの寝台がある部屋で寝かせてくれよ』
「阿黎の部屋は許可できない」
『……なら二番目か三番目でいいよ』
弟の苦労には及ぶべくもないが、凰神偉もまた弟のぶんまで立派であれと絶えず肩肘張って生きてきた。燐瑛珂は掛け値なしに心から信頼する仲間であり家族でもあるが、それでも二人の間には主従という壁がある。
下らないと思いつつも、このように躊躇なく言葉を交わせる相手というのも悪くはない。
ふ……と口元を和らげて凰神偉は言った。
「そうだな……。鳥の姿で寝るつもりなのか、人の姿で寝るつもりなのか。話はそれからだな」
* * *
翳冥宮に出向いていた黒曜が暫くぶりに清瑞山へ戻ってきた。煬鳳と凰黎は卵を温めている手前、清瑞山から殆ど出られない。
買い物は善瀧や夜真たちが引き受けているが、それはそれで暇過ぎて仕方がないのだ。
「おかえり、黒曜。旅の話でも聞かせてくれよ……って、なんだ!? その包み!」
嘴に巨大な包みを吊り下げて戻ってきた黒曜を見て煬鳳は驚いた。烏の姿ではとても運べないと思ったのか、人ほどの大きさの黒曜は『クエェ』と鳴いて舞い降りる。
『凰黎の兄君から、凰黎に土産だよ。全部な』
「全部、ですか……?」
呆れと驚き半分で、大きな包みを凰黎はしげしげと見つめた。
『あとこれ、手紙も預かってきた』
「あ、有り難うございます」
戸惑いながら凰黎は兄からの手紙を受け取ると、中身を取り出す。
阿黎。
元気にしているか。
間がな隙がな卵を温める必要があるため、とても苦労していると黒曜から聞いた。
ささやかな物ではあるが身体に良い薬草を入れたから、是非使って欲しい。
それと、身体が固まって痛くないように膏薬も持たせた。
阿黎はやると決めたら絶対にやり通す性格だと知っているが、それでも辛い時は兄が代わるから遠慮なく呼んで欲しい。
――そうそう、まだ寒い日が続くので阿黎のために温かい襟巻きをつくらせた。
この襟巻きにまつわる黒曜の武勇伝でも聞きながら、退屈を紛らわせてほしい。
くれぐれも体には気を付けて。
兄より。
「襟巻き?」
包みを漁っていた煬鳳は、真っ白いふわふわの襟巻きが入っていたことに気づいたようだ。
『ああ、それな。俺と兄君の大活躍の話、きっと凰黎も煬鳳も楽しめると思うぞ』
「兄上と黒曜の? あの兄上が?」
よほど意外だったのか、凰黎は素っ頓狂な声をあげた。
『そ。俺と兄君の武勇伝!』
ふわふわの襟巻きは、白い狐の尾。
厳しい言葉を言いつつも最後に情けをかけてくれた凰神偉に対し、彼女が最後に見せた誠意の証し――彼女の白く美しい尾だ。
他の者は助かっても自分は命があるか分からない。それでも少しだけ命を延ばし仲間に便宜をはかってくれた凰神偉に対して、彼女は自分の尾を切ってせめてこれをと差し出したのだ。
戸惑った凰神偉だったが、黒曜に『誠意は貰え』と背中を押され、迷いながらも彼女から尻尾を受け取った。
その尾を加工したのが、この襟巻きというわけだ。
「へぇ、面白そうだな、聞かせてくれよ」
煬鳳は目を輝かせ、黒曜に促す。
黒曜はそんな煬鳳に勿体つけながら、
『長くなるぞ?』
と言った。
「あ、待ってください。じゃあお茶を淹れましょう。黒曜も小屋の中に入って。せっかくの珍しい話なのですから、ゆっくり楽しみましょう――」
黒曜の話は、暇を持て余していた彼らを大いに楽しませたようだ。
二人は時に笑い、時に遠い故郷の地に想いを馳せながら、空が暗くなるまでじっくりと話に聞き入った。
二人が卵を温める仕事から解放されたのはそれから数か月後。
そして、凰神偉の胸に飛び込んでいい存在には凰黎の他にもう一人、阿鸞も加わったという。
算命娘々がその後どうなったのか、凰神偉が語ることはなかった。
しかし、黒曜が時おり恒凰宮に立ち寄ると、変わった茶菓子が出されるようになった。
どこの店の菓子かと尋ねると、白宵城の小さな茶舗なのだと凰神偉は言う。
『狐娘茶舗』
店の名を聞いて、黒曜は尾のない狐の姿を思い出さずにはいられなかった。
<番外02:合縁奇縁 了>
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