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【一】蛇妖
三
「巻き込んでしまった、済まない」
散乱してしまった絵を拾い集めていると、先ほどの青年――青月が隣に屈みこんだ。手には竹紙を持っており、どうやら散らばった絵を集めてくれたらしい。
そこでようやく黄琳は、目の前にいる青年をまじまじと見つめた。
高く結い上げた長い髪を簪で留め、白絹の滑らかで真っ白な交領袍を、薄青に染められた幅広帯で締め上げた姿。端正な顔と真っ直ぐな眼差しは、彼がいかに真っ当に育ったかが一目で分かる。公子という呼び方では足りないほど勇ましく凛々しい。吹き抜ける一陣の風のように、爽やかな佇まい。
(むかつくほどに、爽やかで真面目そうな好青年……)
先ほど、あんなにも周りから歓声が溢れた理由が分かった気がした。
「別に、公子様のせいじゃないでしょ」
つい素っ気ない態度で返してしまう。彼のような人物は、人生において、およそ苦労などしたことが無いのだろう。そう思うと少し面白くなかった。
けれど青月はそんな嫌味を気にするでもなく、申し訳なさそうに眉尻を下げ微笑む。
(まさに清真剣、だな)
嫌味がないのが、嫌味である。
「店が壊れたのは、私が彼を怒らせてしまったからだ。……壊した店の修理代と、それに駄目になった絵があったら、それも買い取ろう」
「いや、お気遣いなく」
「几が壊れたら、店を出せぬだろう」
「まあ、そうすけど……」
何せ相手は知州の息子だ。こんなボロい店の修理代など、大した額でもないのだろう。ならば意地など張らずに払って貰うのも悪くはないか、そう考え直すと「じゃあ、お言葉に甘えて」と言い直す。
「では証文を書いておこう。……紙を使ってもいいか?」
散らばった紙を何枚か手に取った青月は、一枚に目を留めた。そこに描かれているのは、璃愁ではないが、売り物として黄琳が描いた絵だ。絵を見た瞬間、青月の瞳が僅かに開く。
「…………いい絵だな」
ご冗談を。さっきもこの絵で滾々とお説教喰らったばかりですよ。
そう言おうと卑屈な笑みを浮かべかけた黄琳だったが、青月の表情が思いのほか真面目で世辞には聞こえず、不覚にも困惑した。どう言葉を返していいか分からない。どうせ誰にも認めてもらえないし、と続けそうになったが、それではあまりにも惨めだ。動揺を悟られぬよう、手早く青月の手から絵を奪い取ると、
「ど、どうも……」
と締まらない言葉で礼を言った。
「この絵も君が描いたのか?」
いつの間にか他の絵にも手が伸びている。自分の絵に興味を持たれることが気恥ずかしく――しかし、青月の持つ一枚を見た黄琳は表情を一変させた。
「それは失敗作なんで!」
慌てて青月の手から竹紙をひったくり、後ろ手に隠す。それは騒動の前に見ていた一枚――客に見せなかったほうの璃愁の絵だった。
「そうか? 画風は違うが、どちらも良い絵だと思う」
褒めてもらえるのは嬉しいが、問題はそこじゃない。その絵の問題点は別にある。黄琳は慌てて誤魔化すように、青月にまっさらな竹紙と筆を押し付けた。
「そらどうも。はい、紙と筆」
「有り難う。ではここに君の名を」
「へ?」
「証文には君の名も必要だろう。書いてくれるか」
「あ、ああ……」
そういえばそうだと思い、筆を受け取り竹紙の隅に自分の名前を書き足した。そもそも露店の修理一つにそこまで仰々しい証文は必要ないのだが、敢えてそうするのは、この青年――青月の律義な性格ゆえのものなのだ。
青月は黄琳の書いた文字を見て、今度は黄琳を見る。
「唐黄琳か。……私は、周青月だ、宜しく」
既に誰かが大声で紹介してくれた後だがな、と青月は笑った。
「私の故郷は陽城にある。修理代は近日中に必ず届けるゆえ、済まぬが少し待っていてほしい」
それでは必ず、ともう一度強く言うと、青月はその場を去っていった。人ごみの中に埋もれてなお、彼の存在感は強く、白い長袍が遠ざかる様子がまだ見える。
(なんだか調子が狂う奴だ)
真面目というか、世間ずれしているというか。
「いいこと、急いで青月様のことを調べてらっしゃい! お父様に頼んで、縁談の機会を作って頂くのよ!」
「ですが、お嬢様、陶公子は……」
「あんな男どうだっていいわ! あいつのほうから婚約破棄してきたんだから。それより、青月様よ! 何たって知州様の御子息、あの凛々しさ……。決めたわ、私は青月様と婚約するわ!」
「……」
背後から聞こえてきたのは、先ほど婚約破棄されたばかりの胡家のお嬢様だ。どうやら先ほどの一件で青月に惚れ込んだらしい。こんな人目に付けくところで婚約破棄をしてきた男など、百年の恋も冷めるだろう。そこに関しては黄琳も同意見だった。
「あのお嬢様に青月様の奥方が務まるとは思えんけどな」
「おっさん、どうしてだい?」
黄琳の周りにはたくさんの野次馬が集まっている。その中で一番事情に通じているであろう講釈師が肩を竦め、首を振った。『福』の文字が入った扇を広げ、軽快な音を立ててまた閉じる。
「青月様は心技を磨く破邪の名門である清雲閣の最後の門弟として、幼い頃より厳しい修行を続けられた御方なんだ。軟弱な公子とはわけが違う。先だって閣主の雲夕霞が病に倒れた際は、今わの際に青月様を次の閣主にと選んだそうだ。甘やかされて育った御令嬢には、見向きもしないだろう」
「随分買いかぶるね」
あまりにも彼が青月のことを褒め称えるので、黄琳は少々驚いた。
「買いかぶりなんかじゃないさ。青月様には修業時代より何度も助けられているからな。更に言えば、ひと月ほど前に青月様は京師で刑部侍郎に任官されたとか。故郷である陽城に戻ってきたのは……貴人の暗殺を企てた凶悪犯を内密に追いかけているから……って噂だ」
「へぇ、あの坊ちゃんがねえ」
確かに清廉潔白そうな青年ではあった。ただ、そこまで讃えられるほどの人物なのかは、正直分からない。何より黄琳はこの城市で過ごすようになってまだひと月。彼のことは今日初めて知ったばかりなのだ。
ともあれ、街の皆が彼のことを慕っていることだけはよく分かった。
散乱してしまった絵を拾い集めていると、先ほどの青年――青月が隣に屈みこんだ。手には竹紙を持っており、どうやら散らばった絵を集めてくれたらしい。
そこでようやく黄琳は、目の前にいる青年をまじまじと見つめた。
高く結い上げた長い髪を簪で留め、白絹の滑らかで真っ白な交領袍を、薄青に染められた幅広帯で締め上げた姿。端正な顔と真っ直ぐな眼差しは、彼がいかに真っ当に育ったかが一目で分かる。公子という呼び方では足りないほど勇ましく凛々しい。吹き抜ける一陣の風のように、爽やかな佇まい。
(むかつくほどに、爽やかで真面目そうな好青年……)
先ほど、あんなにも周りから歓声が溢れた理由が分かった気がした。
「別に、公子様のせいじゃないでしょ」
つい素っ気ない態度で返してしまう。彼のような人物は、人生において、およそ苦労などしたことが無いのだろう。そう思うと少し面白くなかった。
けれど青月はそんな嫌味を気にするでもなく、申し訳なさそうに眉尻を下げ微笑む。
(まさに清真剣、だな)
嫌味がないのが、嫌味である。
「店が壊れたのは、私が彼を怒らせてしまったからだ。……壊した店の修理代と、それに駄目になった絵があったら、それも買い取ろう」
「いや、お気遣いなく」
「几が壊れたら、店を出せぬだろう」
「まあ、そうすけど……」
何せ相手は知州の息子だ。こんなボロい店の修理代など、大した額でもないのだろう。ならば意地など張らずに払って貰うのも悪くはないか、そう考え直すと「じゃあ、お言葉に甘えて」と言い直す。
「では証文を書いておこう。……紙を使ってもいいか?」
散らばった紙を何枚か手に取った青月は、一枚に目を留めた。そこに描かれているのは、璃愁ではないが、売り物として黄琳が描いた絵だ。絵を見た瞬間、青月の瞳が僅かに開く。
「…………いい絵だな」
ご冗談を。さっきもこの絵で滾々とお説教喰らったばかりですよ。
そう言おうと卑屈な笑みを浮かべかけた黄琳だったが、青月の表情が思いのほか真面目で世辞には聞こえず、不覚にも困惑した。どう言葉を返していいか分からない。どうせ誰にも認めてもらえないし、と続けそうになったが、それではあまりにも惨めだ。動揺を悟られぬよう、手早く青月の手から絵を奪い取ると、
「ど、どうも……」
と締まらない言葉で礼を言った。
「この絵も君が描いたのか?」
いつの間にか他の絵にも手が伸びている。自分の絵に興味を持たれることが気恥ずかしく――しかし、青月の持つ一枚を見た黄琳は表情を一変させた。
「それは失敗作なんで!」
慌てて青月の手から竹紙をひったくり、後ろ手に隠す。それは騒動の前に見ていた一枚――客に見せなかったほうの璃愁の絵だった。
「そうか? 画風は違うが、どちらも良い絵だと思う」
褒めてもらえるのは嬉しいが、問題はそこじゃない。その絵の問題点は別にある。黄琳は慌てて誤魔化すように、青月にまっさらな竹紙と筆を押し付けた。
「そらどうも。はい、紙と筆」
「有り難う。ではここに君の名を」
「へ?」
「証文には君の名も必要だろう。書いてくれるか」
「あ、ああ……」
そういえばそうだと思い、筆を受け取り竹紙の隅に自分の名前を書き足した。そもそも露店の修理一つにそこまで仰々しい証文は必要ないのだが、敢えてそうするのは、この青年――青月の律義な性格ゆえのものなのだ。
青月は黄琳の書いた文字を見て、今度は黄琳を見る。
「唐黄琳か。……私は、周青月だ、宜しく」
既に誰かが大声で紹介してくれた後だがな、と青月は笑った。
「私の故郷は陽城にある。修理代は近日中に必ず届けるゆえ、済まぬが少し待っていてほしい」
それでは必ず、ともう一度強く言うと、青月はその場を去っていった。人ごみの中に埋もれてなお、彼の存在感は強く、白い長袍が遠ざかる様子がまだ見える。
(なんだか調子が狂う奴だ)
真面目というか、世間ずれしているというか。
「いいこと、急いで青月様のことを調べてらっしゃい! お父様に頼んで、縁談の機会を作って頂くのよ!」
「ですが、お嬢様、陶公子は……」
「あんな男どうだっていいわ! あいつのほうから婚約破棄してきたんだから。それより、青月様よ! 何たって知州様の御子息、あの凛々しさ……。決めたわ、私は青月様と婚約するわ!」
「……」
背後から聞こえてきたのは、先ほど婚約破棄されたばかりの胡家のお嬢様だ。どうやら先ほどの一件で青月に惚れ込んだらしい。こんな人目に付けくところで婚約破棄をしてきた男など、百年の恋も冷めるだろう。そこに関しては黄琳も同意見だった。
「あのお嬢様に青月様の奥方が務まるとは思えんけどな」
「おっさん、どうしてだい?」
黄琳の周りにはたくさんの野次馬が集まっている。その中で一番事情に通じているであろう講釈師が肩を竦め、首を振った。『福』の文字が入った扇を広げ、軽快な音を立ててまた閉じる。
「青月様は心技を磨く破邪の名門である清雲閣の最後の門弟として、幼い頃より厳しい修行を続けられた御方なんだ。軟弱な公子とはわけが違う。先だって閣主の雲夕霞が病に倒れた際は、今わの際に青月様を次の閣主にと選んだそうだ。甘やかされて育った御令嬢には、見向きもしないだろう」
「随分買いかぶるね」
あまりにも彼が青月のことを褒め称えるので、黄琳は少々驚いた。
「買いかぶりなんかじゃないさ。青月様には修業時代より何度も助けられているからな。更に言えば、ひと月ほど前に青月様は京師で刑部侍郎に任官されたとか。故郷である陽城に戻ってきたのは……貴人の暗殺を企てた凶悪犯を内密に追いかけているから……って噂だ」
「へぇ、あの坊ちゃんがねえ」
確かに清廉潔白そうな青年ではあった。ただ、そこまで讃えられるほどの人物なのかは、正直分からない。何より黄琳はこの城市で過ごすようになってまだひと月。彼のことは今日初めて知ったばかりなのだ。
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