黒犬と山猫!

あとみく

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忘年会からはじまった恋

第6話:僕が助ける隙もある

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「宴もたけなわではございますが、そろそろお時間になって参りました!」
 何人かが、「なぜ山根が?」という顔できょろきょろしはじめる。何か突っ込まれないうちに、僕はさっさと切り札を使った。
「えー、本日は、少々不手際もありましたが、大月さんにも来ていただきました!普段あまり接する機会がなかった方も多かったかと思いますが、この機会に、親交が深まったのではないでしょうか!」
 みんなの注目が、一気に僕から大月さんへと移る。大月さんが一言「シンコーだけにね」ととぼけた顔で言うと、爆笑が起こり、場がどかんと盛り上がった。僕は心の中でお礼を言った。
 あとは、さっさと偉い人に回してしまえばいい。こういうのは先に言ってしまった者勝ちだということを、僕も少ない社会人経験から学んでいる。
「それでは、最後に一言、桜田支社長からご挨拶を賜りたいと存じます。では、お願いいたします!」
 多少大げさに手を差し出して、上座の偉い人を担ぎ出す。そこは支社長も慣れたもので、多少酔っていようが、何百回、何千回とやってきた朝礼と同様、さっさと始め、途中クドクド、最後に励ましという名の鞭を入れて締める。
「・・・というわけで、今年一年、みなさんよくやってくれました。そして、いよいよ来年、我が社の正念場です。本当にね、正念場と言って過言でないと思います。社運が懸かってます。でも、こうやって、今日、みなさんと話してね、大月くんじゃないが、シンコーを深めてね(一同笑い)、大丈夫だと思いました。みなさんならやってくれると信じてます。一緒に乗り越えられるとね、私は思いました。ですから、週末ね、ゆっくり休んで、来週からどっと忙しくなると思いますから、一丸となってね、頑張っていきましょう。どうもありがとうございます」
 やや遅れて、一同拍手。
「ではね、最後、松田くん。一本締め」
「え、私ですか」
「そうそう」
 そのまま何本締めでもやってくれていいのに、なぜか一課の課長に華を持たせる(?)のも恒例である。
「それでは僭越ながら、締めさして頂きます。えー、では、皆様お手を拝借。よーお!」
 パン!
 ・・・パチパチパチ。
「はい、どうもありがとうございました」
 僕も人心地ついて、みんなと拍手をしていたが、ふと、支社長が僕に目で合図しているのに気づく。危なく見逃すところだった。
「はい、それではみなさん、時間も迫っておりますので、順番に出てくださーい。足元に気をつけて!」
 羊を動かすときは、言葉よりも「空間」と「視覚」。
 研修部の女性講師の方々から教えてもらった豆知識が役に立った。
 僕は喋りながら、座敷のふすまを次々開けていく。涼しい空気がすっと入り、雰囲気が変わる。ふすま側に座っていた女性陣がすぐに反応し、手早くそれを引き継いでふすまを全開にした。あとは何も言わなくても、甲斐甲斐しく靴を並べてくれたりしている。
 僕は勤勉かつ余裕を持って行動しているよう精一杯見せかけて、大またで座敷をあっちこっち移動した。大月さんが「おっ補佐くん!」という表情でこちらに会釈する。僕も笑顔でそれに応えた。内心、利用してしまったような部分もあるので申し訳ない気持ちがあるが、大月さんも楽しんでくれているようなので、良かったことにする。
 座敷からだいたい人がはけた頃、一課の鈴木がやってきた。
「お、うまくやった?」
「何とか」
 急に力が抜け、同時に緊張がぶり返してくる。
 さっき、鈴木が背中を押してくれなかったら、こうはなっていなかった。

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ぐったりする黒井の隣で時計を睨みながら、何の決断も出来ずにいた、その時。
 同期の鈴木がトイレにやってきたのだった。
 誰かがトイレに来るということを失念していた僕は慌てた。別にやましいことなどないのだが、幹事が酔い潰れているということが上司に知れれば「何だ、だらしない」ということになるだろうし、それを見て隣でうだうだしていた僕は更にみっともないことになる。
「よう」
「あ、ああ」
 鈴木は見るなり黒井の様子に気づいたようで、すぐに寄ってきた。
「どした」
 僕に尋ねる。
「何か、飲みすぎたみたいで」
 なんて無責任な言動だろう。まあ実際、何もせずただ隣に座っていただけであって、呆れられても仕方ないのだが。
 しかしそんな僕を責めることもなく、鈴木は慣れた調子でさっさと屈むと、黒井の顔を覗き込んで、そっと腕に手をかけた。
「おい、大丈夫か?具合悪いか?」
 鈴木は元柔道部の主将で、ザ・体育会系の猛者なのだった。しかも図体の割にガサツなところもなく、むしろマメでよく気がつくから、当然上司のお気に入りであり、同期からも一目置かれている。こういう、飲み会での諸々も、何度となく経験しているのだろう。
「な、どこがまずい?」
「・・・暑い」
 弱々しい声で黒井が言う。
「暑い?水飲むか?」
 ややあって、黒井は首を振っていやいやをした。
 鈴木は立ち上がると、僕に向かって事も無げに、「こりゃだめだ」と言った。
「だめって・・・」
「無理だろう。お前、代わってやれ」
「え」
「挨拶。締めの。そろそろ頃合いだろ。鍋もだいたい終わってるし、適当に見計らって締めちゃえ。こいつ俺が看とくから」
「わ、分かった」
 そうして僕はようやく立ち上がり、座敷へ向かったのだった。


・・・・・・・・・・・・・・

 
 座敷の喧騒もなくなり、雰囲気まで違って見えた。人がいなくなると、むしろ狭く感じるから不思議だ。さっきまであんな大人数がひしめいていたとは思えない。
 店員が眉をひそめない程度にテーブルなどをざっと片付け、同時に座布団の間にケータイなどが落ちていないか二人で見て回った。
「そういえば山根って、電車何線だっけ?」
 ふいに鈴木が尋ねる。
「京王線だけど」
「桜上水って近いか?」
「桜上水?ああ、近くはないけど、途中」
「そっか。じゃあ悪いけど、あいつ、黒井。送ってやってくんないかな。タクシーで」
「え、俺が?タクシー?」
「ちょっと、電車じゃ無理そうだから」
 鈴木が財布を出し、札を出そうとする。僕はよく分からないまま、しかし反射的に「いいよいいよ」と止めた。
「別に、送るってんなら、送るし」
「いや実を言うとさ、ここ、俺が幹事やることになってたんだわ。でもちょっと、遠方の案件が立て込んでてさ、そしたら黒井がやるって言ってくれて。だから、ありゃ、俺の責任」
 ・・・何だ、そうだったのか。
「いや、でも、俺も、助けてもらっちゃったし。それにほら、方向一緒だったら、俺もちょうど、タクシーで帰りたかったし?乗っけてやるから、大丈夫だって」
 よく考えもせず、おかしなことを口走っていた。それでも鈴木は無理に金を出そうとはせず、「すまんな。今度奢る」とスマートに財布を引っ込めた。

 座敷の点検を済ませ、入り口へ向かう。先を行く鈴木が会計の店員と何やら話していた。
「えーと、これですね。720円になりまーす」
「はい、すんません。じゃこれで」
 会費は前払いで、忘年会飲み放題コースで払ってあるはずだが。
「どしたの?」
「ああ、これね。たぶん香川さんあたりじゃないかなー、飲み放に入ってないポン酒」
 こんなものを、幹事が自腹で払うのか。
 ここで立て替えておいて、来週になってそれらしき人物に「あの時飲みました?720円払ってくれます?」と言って回るわけにもいかないだろう。そんなことをするくらいなら、確かに千円くらい払ってしまった方がマシだ。しかし、幹事なんてどこまで損な役回りなのだろう、僕はやはり絶対にやりたくない。
 僕も一応財布を出したが、「いいから」と目で制された。ここは黙ってお願いしておく。そこで後始末もようやく終わり、僕たちもエレベーターに乗りこんだ。

 鈴木は、本音がどうかはおいといて、たぶん「出来る」からやっているのだろう。やって、出来ることだから、やるし、出来るのだ。ただ僕は、黒井も同じ人種だと思っていた。だから当然のように幹事をやっているのだと。しかし本当は、やりたかったというより、鈴木を助けたのだろう。そう思うと、黒井だって最初から何でも備わっていて何でも出来る人間ではなくて、今回のように僕が助けるような隙もあるのだと、つまり、「同期の黒井さん」じゃなくて、「友人」でいいんじゃないかと、多少思い上がりかもしれないが、そう思った。
 エレベーターを降りると、酔っぱらいが路上まで溢れ、まだぐだぐだと騒いでいた。鈴木がすぐに歩きだし、「皆さん、家に帰るまでが忘年会でーす!」と野太い声を張り上げる。みんな、鐘が鳴らないと帰りもしないのだ。
 鈴木が支社長を見つけ、「解散!!おつかれさま!」と鶴の一声を入れさせた。それを合図に、駅の方へぞろぞろと塊が動き出す。鈴木が早足で戻ってきて、「あそこ、バス停のベンチで座らせてる。じゃ、頼むな」
 腕を二回叩き、余計なことは言わずに去っていく。僕はみんなに見られないうちに、冷たい風を切って黒井の元へ急いだ。「あれ、そういえば黒井さんは?」などと話題に出ていないのが、無事フェードアウト出来て良かったような、腹立たしいような(無理に飲ませたのはお前らだろう)、複雑な気持ちだった。
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