黒犬と山猫!

あとみく

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バレンタインの物理学合宿

第117話:何も言わずに繋いだ手

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 明大前の駅前をぶらついていると電話が入り、「終わったよ、どこ?」と。美容院の方へ向かうと、ちょうど前から電話の相手が歩いて来た。
「あ!何だ、感じ変わった」
「う、うるさいな。何だかこうなったんだ」
 スタイリングというやつだ。帰って髪を洗って、適当に撫でつけてしまえば明日はいつも通りになるはずだ。本当は今すぐそうしたいけど、しょうがない。まったく落ち着かなかった。またニット帽をかぶってしまいたい。
「ねこ、こういう顔してたのか。いつも前髪で、よく見えなかった」
「い、いいよ見なくて」
「へえ!そっか、こんなやつだったんだ。何だ、うん、猫っぽい」
 そういう黒井はこざっぱりしたイケメンになっていた。ゆるいウエーブがかかって、きっちり整髪料で整えられて、ああ、これはモデルだ。まあ、きっと五分刈りだろうがずるずる伸ばそうが、どうせ何だって似合うんだろう。
「も、もう帰るよ」
「え?ちょっと待ってよ。夕飯食べてこう」
「いいよ、うちでご飯にかつお節でもかけて食うよ」
 僕がさっさと歩き出すと、「待ってよ!」と黒井が追いかけてきて、後ろから腕を回して抱きついてきた。
「や、やめろって」
「機嫌直して?」
「わ、分かったから離せ。まったく、どうしたんだよ」
 駅前で人目がなければ、されるがままされたいよ。本当はどきどきしてしょうがない。離せと言いつつその腕を取って、触れたままの僕だ。やめろと言いつつ歩調を合わせて、肩を触れ合ったままの僕だ。
「あのね、美味しいイタリアンのお店があるって聞いたんだ。一緒に行こう」
「・・・い、今?」
「そう。神谷町だって。駅、知ってる?」
「知ってる、けど、そんなに行ったことはないよ」
「俺も降りたことない。あのさ、新しいとこ行こうよ、ほんのちょっとだけど、別のとこ」
 ・・・ほんのちょっと、別のところ。
 先に歩いて駅の路線図を見上げる黒井の後ろ姿を見ながら、僕も何となく上を見た。目が痛いせいか、ぼんやりして駅名がさっぱり見えない。それでも、ほんのちょっと、いつもと違う路線、違う駅というのは、<どこにも行けない>僕にとって、微かな魅力だった。そして、こうやって強引に僕を連れ出す黒井は、どうしてこうなんだろう、とまた思った。振り向いて、どこで乗り換えだとか、新宿じゃなくて渋谷だとか、嬉しそうに言う。
「ね、いいでしょ?行こうよ」
「・・・まあ、自分の味にも、ちょっと飽きてきたし」
「あ、俺はお前の味、好きだよ?」
「・・・い、いや、俺は外のものが食べたいよ。イタリアン、行こう」
「何だ、照れた?」
「うるさい」
「あはは、そういう顔、してたんだ。いつも、しかめっ面」
「み、見るなって。さっさと行くぞ」
 僕は早足で改札を通った。京王線に向かうと腕を取られて、「渋谷だってば」と井の頭線へ。何だよ、美味しいイタリアンだなんて、ディナーだなんて、デートみたいじゃないか。もう、顔がにやけそうだ。好きな人に誘われて、いつもと違う駅に、ディナーだなんて。


・・・・・・・・・・・


 電車の窓に映る自分をちらと見て、ちょっとありかなとか、思ってしまったり。
 そのすぐ横にいる黒井が、ここ二日のだらっとした感じから一変して、更にかっこよくなってたり。
 そして、混んだ電車で座席の前に二人並んで吊り革につかまって、揺れてなくたって肩なんかずっと触れ合って、どうでもいい会話の度に、肩や背中を叩かれたり、タッチされたりするもんだから。
 意識、したら最後、何だか触られたくてしょうがなくなってしまった。
 またブーツで少し背が高い黒井は、この車両の中でもダントツかっこいい。日曜の夕方、明大前から渋谷なんてオシャレした若者だらけだけど、前の席の女の子たちがちらちら見てるのは分かってる。スーツの僕と黒井を見比べて、どういう取り合わせ?みたいな顔。
 そしてまた、パスタでは何が好きなんて話しながら、僕の肩をぽんぽん叩いて顔を寄せてくる。目の前にはこっちを意識してる女の子たち、真っ直ぐ見れば窓に映る自分たち。もう、どこを見てればいいんだよ。目が泳いでまともに黒井を見れば、にっこり笑い返される。うつむいたって、隠してくれる前髪がないんだよ!
 そして、少し手や肩が離れれば、揺れに乗じてくっついていく僕がいた。ちょ、ちょっと揺れただけだよ、でももうちょっと寄りかかっても、大丈夫だよね。もう、ちょっと。
 不自然なくらい体重を預けたって、「え、何?」みたいな顔はされない。そしてふいに、吊り革の左手首をつかまれ、袖をまくられて、ああ、時計ね。僕も無言で黒井の両手首を探り、ああ、お前は時計してないのか、とまた前に向き直る。女の子たちの視線を浴びながら、別に、何も言わず相手の体のどこにだって触れてもいいくらいの仲なんです、なんて取り澄ました顔をしてみせる。何だこの自意識過剰のしてやったり感。
 終点、渋谷に着いて、ぞろぞろと人が降りる。しばらくドア前で人の流れを待っていると、下の方がごそごそして、黒井の左手が僕の右手を探り当てた。そのまま、腕をつかむでもなく、手首を引くでもなく、手のひらが、握られた。僕はそれを握り返し、誰にも見えないところで、手を、繋いだ。
 心臓が跳ね上がる。下半身さえ、疼く。電車の暖房で少し汗ばんだ手のひらが、隙間もないほど、ぴったりと。顔を見ないまま少しずつ、半歩ずつドアへ進んで、どきどきはおさまらない。「はぐれないでよ」って強引に引っ張られるのとは違う。僕たちは今、ただ手を繋ぎたくて繋いでるんじゃないかって、ああ、胸が詰まる。ようやく席を立ったすぐ後ろ女の子たちにも見えていない。何かの衝動が腹の奥からやってきて、それが腕に伝わって、そのまま痙攣みたいに、強く手を握った。そうしたら同じくらい握り返されて、体が震えた。後ろ姿は何も言わなくて、お互い、黙って手だけ繋いでいる。五秒、十秒過ぎても、なお。
 そしてドアをくぐる頃ふいに手は離され、誰かに割り込まれた。やがて改札前で合流する頃には、反射的に、何事もなかったかのような顔を貼り付けた。お願い、何も言わないで。そのまま今のひとときを秘め事にして、確信犯だったと思わせてくれ。


・・・・・・・・・・・


 渋谷から山手線で恵比寿まで、そこから日比谷線で神谷町。まるで何かの一線を越えたかのような、緊張と焦燥に襲われる。な、何もない、ただ手を繋いだだけ、いつものことだ・・・。
 心拍数は下がらないまま、欲求は更に急上昇。たぶん完全に物欲しそうな顔で見ていると思う。でも、だって仕方がない。本当に欲しくてしょうがないんだから。
 日比谷線で目の前の席が一つ空いて、黒井がさっさと座った。鞄を渡して、戯れに膝を突っつく。はさまれる。もう、黒井しか見えてない。だめだ、ちょっと、うん、だめだな。だめだとしか言いようがない。腑抜けだ。骨抜きだ。もう、お願いだから、奴隷にしてください・・・。

 神谷町で降りて、何番出口か分からないけどとりあえず地上に出る。「何とかガーデンとか言ってたなあ」って、また迷子になっちゃうの?もう、道も間違えて店も間違えて、ホテルにでも入っちゃえばいいのに。ああ、気持ち悪いなあ、自分。友達だ、親友だと思ってたやつの中身がこれなんて、最悪だね。ごめん。でもしょうがない。手を繋いだのはお前なんだ。
 しばらくうろうろして、ようやくそれらしい案内板を見つけた。そして目指すイタリアンの看板を見つけ、大きなビルのエスカレーターを上がる、が、うん、暗いね。閉まってる。虎ノ門に近い、森ビルだらけのオフィス街で、日曜はレストランもカフェも休みらしい。
「ま、しょうがないよ」
「・・・ああ、せっかく来たのにな。ごめん、デート失敗」
「・・・っ、べ、別に、また、今度」
「そうだね」
 むなしくエスカレーターを降りて、元来た道を戻る。デートだって。デート、だって。
「そういえば俺たちさあ、ろくなレストランに行ったことないね」
「そ、そう、だね」
「もっと美味しいレストランとか、お洒落な居酒屋だとかバーだとか、そう、寿司屋とか、焼き肉屋とか・・・何でお前と行ってないんだろう?」
「さ、さあ、ねえ。最近、仕事忙しいし?」
「まあ、ね。あとは、お前の飯がうまいからかな」
「う、うまくもない。そんな、大したものじゃ・・・」
「俺、餌付けされてる?」
「・・・っ、ば、バカなこと」
「わん、わん!」
 あ、頭をどついてやりたいけど、綺麗にセットされた髪を乱したくなくて、手を止めた。ああ、もう、どうしたらいいんだ!
「あ、ねこ、あれ」
「え?」
 肩を揺すられて、指さした方を見ると、オレンジの看板。
「え、ロイホ?」
「結局、俺たちらしい?」
「・・・ま、そうかも」
「よし、パフェ食おう!」
 タイヤ跡で雪の障害物競走みたいになった横断歩道を青チカで走り抜けて、クラクションを鳴らされながら、二人三脚みたいに腕を取り合ってゴールした。意味もなく大笑いしてじゃれあってどつきあって、気安く肩に腕なんか置いちゃって、「じゃ、行くか」なんて。ああ、どうしてここがファミレスなんだ。ロイホとラブホってちょっと似てるのに、うん、どうして<ご休憩>がないんだ・・・。


・・・・・・・・・・・・・


 結局ビールを飲んで、ポテトだの唐揚げだの、安い居酒屋みたいなメニューが並ぶ。黒井は何だかんだ言って、あまり一人前のメニューを頼まないのだ。そして食べたいものを好きなだけ食べ、残り物を僕が片づけていくことになる。
「あ、あとこれ頼もう。ウインナー盛り合わせ」
「はいはい」
 鉄板にアツアツのウインナーが来て、ああ、ビールが進む。頼んだら何でも出てくるって素敵。
「うまいね」
「うん。・・・ヴルスト食いたくなる」
「・・・ぶるすとって何」
「あ、ヴルストってね、ドイツの、まあウインナー」
「へえ。何か違うの?」
「うーん、太い、かな」
「ふうん」
「こんな太いのもあって、えへへ、かぶりついて、食いちぎるの、何か、痛い」
「は?」
 黒井が手でその太さを示し、何だか卑猥な手つきで僕はその意味を理解した。
「がぶっといくとさ、肉汁が、こう」
「や、やめろって」
「えへへ、すごい、噛みごたえが」
 フォークで刺したウインナーを、「これは、細いね」なんて噛みちぎる。どうして僕の顔を見るんだよ。
「な、何か痛いし、食いづらいじゃないか」
「あはは、今度ドイツ料理屋行こう。ああ、行きたいとこいっぱいあるなあ」
「食い気ばっかりだな」
「色気もあるよ」
「そ、そうだね!」
 ここが個室だったらいいのに!こんな向かい合わせじゃなくて、隣に座りたい!僕は衝動的に立ち上がって、トイレに立った。どこか、薄暗い、個室の居酒屋で飲み直せないかな。どうして今日はこんなにだめなんだろう。どうして、こんなに・・・。

 トイレで手を洗って少し頭を冷やし、いまだに慣れない自分の顔をしばし見つめて、席に戻った。周りの席では一緒にいたって各自スマホをいじってるのに、黒井は何もせず、帰ってくる僕の顔をただ見ていた。
「あ、あのさ」
「うん?」
「な、何、その・・・頭、そんなに変?」
「・・・俺が?」
「いや、俺が」
 じっと見つめられるので、目を逸らした。
「・・・頭が変って、それは」
「いや、その、髪がだよ」
「え?髪型?お前?・・・似合ってるよ」
「・・・な、何だってそんな、俺を見るんだよ。何か変?」
「違うよ」
「じゃあ、何」
「失礼いたします・・・」
 唐突に、パフェが届いた。ああ、さっきの間に頼んでたのか。そして、僕の前にはなぜかアイスが置かれた。
「あの、これ?」
「それ、お前の。俺も食べるけど」
「あっそう」
 黒井はひとしきりパフェをつついて、僕もアイスを食べた。甘いけど、味なんかよく分からない。・・・何か、あるわけ?いったい、何だっていうんだ?
「・・・あの、それで」
 僕が促すと、黒井は意味深な視線を寄越して、はにかんで笑った。
「あのね、俺、・・・お前の中身、少し、見たよ」
「・・・は?」
「お前はまた、覚えてないかもしれないけど」
「な、何のこと?」
「お前はさ、どこにも行けないって言ったけど・・・ずるいかな。俺は、いったんだ」
「え?」
「たぶん・・・うん、いっちゃったよ」
「あ、あの・・・ど、どこへ?」
「うん?どこって、それは・・・」
 うつむいていた顔を上げて、僕の目を見て、黒井は言った。
「お前の、中にだよ」
「・・・」
 ・・・。
 え?何だって?
 俺の中に?
 ・・・イっちゃったって?
「何だろうね。どうしてだかよく分かんないけど、いつの間にかそんな感じになってて、それで・・・入って、いけちゃったんだ」
「は、はいったって・・・な、何が?」
「何って、俺が、だよ」
「ど、どこへ?」
「だから、お前の、なかに」
「え、それで・・・いっちゃったの?」
「うん・・・いった」
 ど、どうしてウインナーが浮かぶんだよ。見たこともないヴルストが浮かぶんだよ。血の気が引いて、尻の穴がきゅんとする。何だこれ、知ってるぞ。ああ、座薬だ。黒井の手で、その指で、ずるりと入れられちゃったあの座薬・・・。ひい。
「ちょ、ちょっと待ってくれる?あの、思い出すから」
 ええと、何だ。昨日?
 確か黒井先生がブラックホールの話をしろって言って、ええと、ちゃんと自分の頭で考えろって叱られて、それで、それで・・・。
 うん?
 何か、葛藤したんだっけ。
 何か、言いたいけど言えなくて、ああ、それで途中から頭痛が・・・。
 え、それで「悪いけど寝るね」って、寝たんだっけ?違う、そんなこと言ってない・・・。
 うん?何だか気分が悪くなったのか。あれ、それで・・・。
 ・・・。
 ふいに宇宙人の顔が浮かんだ。あ、やっぱりいたんだ、あいつ。
 ・・・。
 ・・・え?
 そんなわけない。そりゃ幻覚だ。また頭がイカれて、そんなもの見たんだ。イメージしたら、口に出したら、浮かんじゃうから・・・。
 ・・・また幻覚を、見てたのか?
 急に息苦しくなった。心拍数が上がる。どういうこと?僕は確かにあの暗い部屋で宇宙人を見た。見るわけない!そうだ、それは幻覚だからだ。また金縛りに遭ったのか。・・・そこで宇宙人に襲われた?いいや、そんなことない。あいつはおとなしかった。そんなことより・・・。
 ・・・?
「そんなわけないよ。いや、そんなわけない」
「・・・うん」
「そ、そんなんじゃ、お前は、う、う・・・」
「・・・宇宙人?」
「え、何で、それ」
「言ったら、出てくるって」
「・・・え?」
「意外と、地味だって・・・」
「え、な、何で知ってるの?え、何で?」
「俺は、怖いから、見なかったけど。名前は・・・」
「名前?・・・ああ、付けたっけ?まさか、分かるの?」
「・・・地味な、ジミー」
「はあ!?・・・おい、何これ、降霊術か何か?ちょっと、怖いよ、どういうこと?」
「・・・」
 黒井は目を伏せたまま立ち上がって、ジャケットと伝票を持って歩きだした。
「お、おい、待てよ」
 僕も慌ててコートと鞄を取る。レジで、「お釣りはいいです」と黒井の声。「・・・じゃ、寄付しといて」と出口へ向かう。おい、待てよ。お前はいったい何なんだ。まさか、そんな!
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