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送別会
第153話:お嫁さんを希望
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・・・ああ、ここって。
藤井とあれこれした公園じゃないか。
ちょっと後ろめたい思いで、黒井と一緒に入り口から入る。いや、もう、しょうがないよね。ちょっとの浮気は許してよ、なんて、ほんとにダメ男だな。
黒井がおそらく望月に電話をかけて、この間の例の場所とは違う、右奥の方へ歩いた。多くの花見客でにぎわう中、見知った顔が何人か、ブルーシートを敷いているのが見えた。
「おおーっす!」
「おつかれー!」
何となく、出席の返事も出していないのに勝手にくっついてきた感じで、普段来ないくせに何だよ、と思われているような気がした。それで、黒井の後ろで何となく他の花見客を眺めていたけど、「あれ、山根くんまさか今日出だった?」「え、マジで?四課、出てんの?」と振られ、あ、そういえば、と焦った。
「え、確か一緒にいるって・・・三課も?え、黒井さんそのカッコで?」
「マジすか!三課ラフっすね」
「中山課長の方針?」
「中山さんあれできっとすげーラフな人なんだよきっと」
「え、どんな?」
「あのね、・・・寝巻き。土曜は寝巻きで出社!」
「うわあ。そ、それラフすぎるってかもうそれラフじゃなくない!?」
まだ何も言ってないのに、もうお酒が入ってるのか勝手にどんどん盛り上がっていく。ちょっと無骨な感じの望月に軽そうな榊原がつっこんで、女の子二人組がカラカラ笑いながら積み木みたいにネタを重ねて、やがてガシャンと壊して、また笑う。うん、面白いんだけど、このスピード感についていけないんだよな。結局僕が土曜出社してようがいまいがどっちでもよくて、ただ笑えるネタを探して遊んでるんだ。まあ、僕がこのスーツでゆうべ何をしていたかは彼らが知る由もないんだから、どうでもいいけど。
黒井はそのまま笑いに巻き込まれ、僕は適当に荷物の整理なんかを手伝って、やがてどんどん人が集まり始めた。誰かが来るたび「あーっ!」「やっほー!」と歓声が上がり、別に、毎日会ってるくせに、まあ、私服で土曜に集うってだけで盛り上がるもんか。
大体人が揃ったのは18時半過ぎで、十二人くらい?途中で電話が入り、鈴木が遅れてくるらしい。渋滞に巻き込まれてるって、え、車?そういえば他のみんなも、バッグとかやたらブランド物だし、タブレットでフェイスブックの写真とか見せあって、何かリア充だなあ・・・。
「あれ、山根くん何でスーツ?今日出社?」
最後にやってきた女の子に訊かれ、「あ、いや・・・」と濁す。まったく、スーツの方が目立つなんて、面倒くさいな・・・。
「あれだよ、山根くんね、黒井さんち泊まってそのまま来たんだよ」
「えっ、そうなの?何、先に送別会やってたの?」
「・・・じゃない?」
「え、山根くんだけ?二人でプレ送別会?」
・・・どうして何でもさっさと知ってるんだよ。ああ、そうだ、この物知り女は年末の騒動のときもやたら噂に詳しくて、あることないことマックで喋ってたんだった・・・。
その時、望月が何やら立ち上がって開会の挨拶的なものが始まったので、うやむやになって助かった。
「えーそれではみなさん、宴もたけなわではございますが・・・」
思わず僕でさえつっこみそうになった。
「それ違う!」
「終わんな!」
「まだ始まってなーい!」
もっちーウケる!と女の子たちが手を叩き、望月は「えー、もとい」などと別段動じてなくて、また朴訥に「えー、この度はお集まりいただきまして誠に恐縮です」と続いた。
望月は阿久津と榊原と、それから黒井のことをメールのとおり繰り返し、そして、菅野は「何と・・・急遽オーディションが入り、遅れて来るそうです!」と発表した。一課、ニ課の連中はあまり知らないはずだが、ヒューヒューと歓声が上がる。ああ、そうだったのか。
それから、手元に配られているプラスチックのコップに手近な缶ビールを注いで、乾杯となった。手酌でいいやとビールを取ったら、隣にいた金井が「どうぞどうぞ」と注いでくれたので、
「どうもどうも」と、こちらも注ぎ返した。横田もこういう場所にこないやつだし、別に、同期とはいえ特に話したいやつもいないんだけどね・・・。
「では、ひとまずここにいるお三方の新たな門出を祝しまして、・・・ええ、いいですか?じゃあ、かんぱーい!」
「がんぱーい!!」
その場で杯を上げ、それから誰かれなく鳴らないコップを合わせ、ビールを飲んだ。・・・別に、うまくもないけど、まあいいか。
何だか拍手が起こって、あとは並んだものを食べながら笑うだけだった。一課の残業中のあり得ないエピソードだとか、マジヤバイお客さんの話とか、何となく笑っていると「四課はどうよ?」と誰かが振ってくる。僕は日本橋のお局様の話をして、誰かが「あ、それ聞いたことある!」と反応し、「あれでしょ?何かすごかったらしいよ」「へえ、そんななの?」「山根くん、一対一で立ち向かったわけ!?」と盛り上げてくれた。ああ、武勇伝らしきものがあってよかったし、それに、語る機会があってよかった。あの時のストレスが少し消えていく気がして、誰かに話すだけでやっぱり軽くなるもんだなと思った。本当はもっと微に入り細を穿って顛末を話したいけど、ちょっとすっきりしたからもういいや。
最初は、女子が固まって、男子は何となく二分して話していたけど、やがて鈴木がやたら大人っぽいジャケットで現れ、直後にひらひらスカートの菅野が来ると、もうごちゃごちゃに混ざって歓談になった。黒井はさいたまから来ている浅見と話してたけど、鈴木がひととおりみんなに声をかけてからは、鈴木と話し込んでいた。まあ、僕だって今更ここで黒井とわざわざ何を話すのかもわかんないけど、何だか距離感はあやふやになっていった。
「山根さん!来てくれたんですね!・・・なんて、別にあたしのためじゃないか」
「え、ああ、お疲れさま。オーディションだったんだって?」
菅野がやってきて僕の隣に座った。ビールを持ち上げるけど、「あ、あたし、これで」と手のひらサイズのチューハイをこちらに見せる。僕も缶のままそれで乾杯し、何となく旧友に会った気分。カワイコちゃんを独占するわけにはいかないけど、五分くらい喋ったっていいよね。
「聞いてくださいよー、ちょっと、手応えアリかもです」
「ほんと?すごいじゃん」
「何かね、また例によって個性がないだの声量が足りないだの言われたんだけど、でも、このままボイトレして、五月のライブに出られるかもって」
「え、ほんと?ライブ?」
「そんな大層なあれじゃないと思うけど、まあ・・・頑張りマス!」
「へえ、何か、春だね。いろいろ、進んでるんだ」
「そうですよー。山根さんは?春、来た?」
「えっ・・・、ど、どうかな。呼んでは、いるんだけど」
「ははっ、呼んでるんだ。・・・何だかわかんないけど、応援します」
菅野は「お腹すいちゃった」と、僕が買ってきたカツサンドに手を伸ばした。あ、黒井はちゃんと食べたのかな。
ひとしきり菅野の今日の話を聞いていると、そのうち女子が興味津々で話に加わってきて、「すごーい」「えー、かっこいー!」の連発だった。根掘り葉掘り聞かれても満更ではない様子の菅野はついに新曲のさわりだけ歌い出したりして、大喝采だった。しかし、女子の質問も表面的なものだけでなく、生活面や情緒面など深くつっこんでいて、ああ、僕たちもみんないい年になったんだなあ、としみじみした。やがて話は結婚観に移り、どうやって恋愛から結婚になるのかという真剣な討論になった。
話を振られないうちに、逃げた。
いやいや、結婚とか、そんなの元々縁遠いだろう上に、・・・ねえ。
ほんの少し酔ったのか、ふわふわとした気分でトイレに向かった。人が芝生にひしめいているせいで、あの時の閑散とした風景とは印象が全然違って、地理もよく分からなくなる。
いつもほどの疎外感は感じないけど、だからって早く戻りたいほど居心地がいいわけでもなく、微妙なところだった。ゆっくり散策しながら、他の花見客の歓声を聞いて少しハレの気分になって、ああ、ようやく夜桜を見上げた。全然見てなかったな。そして、さくらジェラートの味がふとよみがえり、少し照れた。
戻ってみると、さっき菅野を囲んでいた女子が黒井を囲んでいて、逆に菅野が男子に囲まれていた。ああ、まあそうなるのか。全体的にみんな酔いが進んでいて、菅野は顔を手で覆って、どうやら下ネタを振られて困っているらしい。颯爽と現れて助けたいけど、まあ楽しそうだからどうでもいいか。僕だって、いちいち怒ったり笑ったりしてくれる菅野と話して楽しんだわけだし、でもそれはただ席が隣だってだけで、本来菅野はこうやってみんなにちやほやされるような存在だったんだ。しゃしゃり出るのもみっともないし、でも女の子と話している黒井を見たくもなくて、微妙に真ん中に座った。横田がいれば皮肉を言いながらだべって、唐揚げでもつまむんだけどな。
「お、山根くん。来た来た。黒井くんのお母さんやってるんだって?」
「・・・は?」
声をかけてきたのは鷹野だった。少しアンニュイな雰囲気で、小料理屋の女将でも出来そうな、姉御肌。長い髪をかきあげて、「んー、意外だねえ!」と訳知り顔で笑う。な、何だよ意外って。自分だって、あのちょっと不似合いな浅田さんとあんなこと、してたくせに。
「な、何なのそれ」
「今ねー、黒井くんに聞いてたんだ。料理出来るらしいじゃん。今日お手製はないの?」
「な、ないよ。別に、そんな」
見ると黒井はちょっと、酔ってるみたいだった。へらへらして、女子に聞かれたことに「そうだよーえへへ」なんて答えている。一瞬で嫉妬が駆け巡り、でもそれは女子と馴れ馴れしく接していることとというより、僕とのことを軽々しく喋っていることについてだった。
さっさと僕がいなくなれば話題を盛り上げなくて済むだろうと思ったけど、「あ、黒井さんこぼすよ!危ない!」「ほら、お母さん面倒みてあげて!」なんて言われて、結局立ち去れない。
・・・っていうか、そのお母さんっての、どうにかなんないの?
そこ、<お嫁さん>じゃだめなわけ?役割的にはお嫁さんでも、いいはずだよねえ?
・・・あれ、僕が怒ってるのはもしかしてそこなのか。引きつった笑顔で「嫁です!」と訂正したいけど、ま、するわけにもいかないしね。そして、自分で苦笑したら、ちょっと気がおさまった。
見ると黒井はちょっと眠そうにぐんにゃりしていて、一瞬忘年会の時の、あのトイレの前に座ってうなだれていた姿が蘇り、思わず立ち上がって女子の間を縫い、隣に駆け寄った。危なっかしく持っていたコップを取り上げて、倒さないよう脇に置く。
「お、おい、ちょっと、酔ってる?」
「・・・うん。何か、そうかも」
「気分悪いか?」
「んーん、へいき」
・・・よかった、大丈夫か。
確かに本人が言ってたとおり、黒井が具合を悪くしたのは忘年会くらいだった。あとは僕の風邪を移されもせずぴんぴんしてたし、こんな風に心配することもほとんどなかったんだ。それに比べて僕ときたら、体もアタマも、まったくひ弱というか、ネジが外れやすいというか。
「っていうかさあ、二人ってそんな、仲良かったっけ?」
訊いてきたのはあの噂好きの女子。まったく、散々不仲だとか、言いなりになってるとか下克上とか好き勝手憶測で話しといて、本人の前ではしれっとしてるね。
「まあ、別に」と適当に流そうとするけど、先に、ハイになっている黒井が答えてしまった。
「あのねえ、別に、そーいうんじゃないよ」
「え、そうなの?だって、おうちに呼んだり、遊んだりするんでしょ?」
「・・・うん」
「それで、ご飯作ってもらうんでしょ?」
「・・・うん」
「じゃあ仲良しだよー」
そう言いつつ、隣と「でも、何してんだろうね。ってか何話すんだろって感じ」・・・って、まんま聞こえてるからさ。
「なかよし?ねえ、俺ら仲良しなんだって。知ってた?」
「えっ、・・・そ、そう?どうだろね」
何だか腹立たしい反面、やっぱり、こんな状況であっても黒井の隣にいられて喜んでいる僕がいる。
「あはは、黒井さん何かかわいー」
「え、そう?俺かわいい?・・・んー、別にかわいくないよー」
「やだー!そういうのがかわいいんだってー!」
「ねえ、お前もそう思う?おれってかわいい?」
・・・か、かわいいっていうより、かっこいいんだって。何回言わせんだ。
「へ、変なこと振るなよ。どっちでもいいよそんなの」
「えー、なんだよ、仲良しじゃないのー?」
「べ、別に関係な・・・」
何だかとろんとして、危ないかなって思ったその時、黒井が僕にふらりともたれかかってきた。周りをコップや食べ物に囲まれているから、よろめかないよう必死で受け止める。
「おい、ちょっとクロ!」
「・・・なんか、ねむい」
ため息をついて、「ったく・・・」とつぶやくけど、「・・・え、山根くん、くろって呼んでるの?」と指摘され、あ、やっちまった。
「えー、くろってやっぱりかわいくない?」
「何かいいねー!」
ああ、黒井のこと言えないな。ちょっと嬉しくて気を抜いたらすぐこれだ。
女子の話題に言及することなく、少し真面目に「大丈夫か?」と訊いた。いや、心配してるというより、これ以上茶化されないように、だ。
「んー、・・・おしっこ」
おい、女子の前でそういうこと言うなって!
「じゃ、じゃあ行って来い」
「場所、わかんない」
「・・・わ、分かったよ」
女子が笑い半分に「だいじょーぶ?」と声をかけて見守る中、僕は黒井を立たせて、コップを蹴らないようシートの端まで歩かせ、肩を貸し、靴を履かせた。一部始終を見られていて、もう、どっか別の世界へ行きたい。いちいち「わあ、何か優しいー」とか「やっぱ仲いいんだねー」とか言われこそばゆくなるが、「やっぱお母さん・・・ってかお父さん?」と言われ、お嫁さんが更に遠ざかった。
藤井とあれこれした公園じゃないか。
ちょっと後ろめたい思いで、黒井と一緒に入り口から入る。いや、もう、しょうがないよね。ちょっとの浮気は許してよ、なんて、ほんとにダメ男だな。
黒井がおそらく望月に電話をかけて、この間の例の場所とは違う、右奥の方へ歩いた。多くの花見客でにぎわう中、見知った顔が何人か、ブルーシートを敷いているのが見えた。
「おおーっす!」
「おつかれー!」
何となく、出席の返事も出していないのに勝手にくっついてきた感じで、普段来ないくせに何だよ、と思われているような気がした。それで、黒井の後ろで何となく他の花見客を眺めていたけど、「あれ、山根くんまさか今日出だった?」「え、マジで?四課、出てんの?」と振られ、あ、そういえば、と焦った。
「え、確か一緒にいるって・・・三課も?え、黒井さんそのカッコで?」
「マジすか!三課ラフっすね」
「中山課長の方針?」
「中山さんあれできっとすげーラフな人なんだよきっと」
「え、どんな?」
「あのね、・・・寝巻き。土曜は寝巻きで出社!」
「うわあ。そ、それラフすぎるってかもうそれラフじゃなくない!?」
まだ何も言ってないのに、もうお酒が入ってるのか勝手にどんどん盛り上がっていく。ちょっと無骨な感じの望月に軽そうな榊原がつっこんで、女の子二人組がカラカラ笑いながら積み木みたいにネタを重ねて、やがてガシャンと壊して、また笑う。うん、面白いんだけど、このスピード感についていけないんだよな。結局僕が土曜出社してようがいまいがどっちでもよくて、ただ笑えるネタを探して遊んでるんだ。まあ、僕がこのスーツでゆうべ何をしていたかは彼らが知る由もないんだから、どうでもいいけど。
黒井はそのまま笑いに巻き込まれ、僕は適当に荷物の整理なんかを手伝って、やがてどんどん人が集まり始めた。誰かが来るたび「あーっ!」「やっほー!」と歓声が上がり、別に、毎日会ってるくせに、まあ、私服で土曜に集うってだけで盛り上がるもんか。
大体人が揃ったのは18時半過ぎで、十二人くらい?途中で電話が入り、鈴木が遅れてくるらしい。渋滞に巻き込まれてるって、え、車?そういえば他のみんなも、バッグとかやたらブランド物だし、タブレットでフェイスブックの写真とか見せあって、何かリア充だなあ・・・。
「あれ、山根くん何でスーツ?今日出社?」
最後にやってきた女の子に訊かれ、「あ、いや・・・」と濁す。まったく、スーツの方が目立つなんて、面倒くさいな・・・。
「あれだよ、山根くんね、黒井さんち泊まってそのまま来たんだよ」
「えっ、そうなの?何、先に送別会やってたの?」
「・・・じゃない?」
「え、山根くんだけ?二人でプレ送別会?」
・・・どうして何でもさっさと知ってるんだよ。ああ、そうだ、この物知り女は年末の騒動のときもやたら噂に詳しくて、あることないことマックで喋ってたんだった・・・。
その時、望月が何やら立ち上がって開会の挨拶的なものが始まったので、うやむやになって助かった。
「えーそれではみなさん、宴もたけなわではございますが・・・」
思わず僕でさえつっこみそうになった。
「それ違う!」
「終わんな!」
「まだ始まってなーい!」
もっちーウケる!と女の子たちが手を叩き、望月は「えー、もとい」などと別段動じてなくて、また朴訥に「えー、この度はお集まりいただきまして誠に恐縮です」と続いた。
望月は阿久津と榊原と、それから黒井のことをメールのとおり繰り返し、そして、菅野は「何と・・・急遽オーディションが入り、遅れて来るそうです!」と発表した。一課、ニ課の連中はあまり知らないはずだが、ヒューヒューと歓声が上がる。ああ、そうだったのか。
それから、手元に配られているプラスチックのコップに手近な缶ビールを注いで、乾杯となった。手酌でいいやとビールを取ったら、隣にいた金井が「どうぞどうぞ」と注いでくれたので、
「どうもどうも」と、こちらも注ぎ返した。横田もこういう場所にこないやつだし、別に、同期とはいえ特に話したいやつもいないんだけどね・・・。
「では、ひとまずここにいるお三方の新たな門出を祝しまして、・・・ええ、いいですか?じゃあ、かんぱーい!」
「がんぱーい!!」
その場で杯を上げ、それから誰かれなく鳴らないコップを合わせ、ビールを飲んだ。・・・別に、うまくもないけど、まあいいか。
何だか拍手が起こって、あとは並んだものを食べながら笑うだけだった。一課の残業中のあり得ないエピソードだとか、マジヤバイお客さんの話とか、何となく笑っていると「四課はどうよ?」と誰かが振ってくる。僕は日本橋のお局様の話をして、誰かが「あ、それ聞いたことある!」と反応し、「あれでしょ?何かすごかったらしいよ」「へえ、そんななの?」「山根くん、一対一で立ち向かったわけ!?」と盛り上げてくれた。ああ、武勇伝らしきものがあってよかったし、それに、語る機会があってよかった。あの時のストレスが少し消えていく気がして、誰かに話すだけでやっぱり軽くなるもんだなと思った。本当はもっと微に入り細を穿って顛末を話したいけど、ちょっとすっきりしたからもういいや。
最初は、女子が固まって、男子は何となく二分して話していたけど、やがて鈴木がやたら大人っぽいジャケットで現れ、直後にひらひらスカートの菅野が来ると、もうごちゃごちゃに混ざって歓談になった。黒井はさいたまから来ている浅見と話してたけど、鈴木がひととおりみんなに声をかけてからは、鈴木と話し込んでいた。まあ、僕だって今更ここで黒井とわざわざ何を話すのかもわかんないけど、何だか距離感はあやふやになっていった。
「山根さん!来てくれたんですね!・・・なんて、別にあたしのためじゃないか」
「え、ああ、お疲れさま。オーディションだったんだって?」
菅野がやってきて僕の隣に座った。ビールを持ち上げるけど、「あ、あたし、これで」と手のひらサイズのチューハイをこちらに見せる。僕も缶のままそれで乾杯し、何となく旧友に会った気分。カワイコちゃんを独占するわけにはいかないけど、五分くらい喋ったっていいよね。
「聞いてくださいよー、ちょっと、手応えアリかもです」
「ほんと?すごいじゃん」
「何かね、また例によって個性がないだの声量が足りないだの言われたんだけど、でも、このままボイトレして、五月のライブに出られるかもって」
「え、ほんと?ライブ?」
「そんな大層なあれじゃないと思うけど、まあ・・・頑張りマス!」
「へえ、何か、春だね。いろいろ、進んでるんだ」
「そうですよー。山根さんは?春、来た?」
「えっ・・・、ど、どうかな。呼んでは、いるんだけど」
「ははっ、呼んでるんだ。・・・何だかわかんないけど、応援します」
菅野は「お腹すいちゃった」と、僕が買ってきたカツサンドに手を伸ばした。あ、黒井はちゃんと食べたのかな。
ひとしきり菅野の今日の話を聞いていると、そのうち女子が興味津々で話に加わってきて、「すごーい」「えー、かっこいー!」の連発だった。根掘り葉掘り聞かれても満更ではない様子の菅野はついに新曲のさわりだけ歌い出したりして、大喝采だった。しかし、女子の質問も表面的なものだけでなく、生活面や情緒面など深くつっこんでいて、ああ、僕たちもみんないい年になったんだなあ、としみじみした。やがて話は結婚観に移り、どうやって恋愛から結婚になるのかという真剣な討論になった。
話を振られないうちに、逃げた。
いやいや、結婚とか、そんなの元々縁遠いだろう上に、・・・ねえ。
ほんの少し酔ったのか、ふわふわとした気分でトイレに向かった。人が芝生にひしめいているせいで、あの時の閑散とした風景とは印象が全然違って、地理もよく分からなくなる。
いつもほどの疎外感は感じないけど、だからって早く戻りたいほど居心地がいいわけでもなく、微妙なところだった。ゆっくり散策しながら、他の花見客の歓声を聞いて少しハレの気分になって、ああ、ようやく夜桜を見上げた。全然見てなかったな。そして、さくらジェラートの味がふとよみがえり、少し照れた。
戻ってみると、さっき菅野を囲んでいた女子が黒井を囲んでいて、逆に菅野が男子に囲まれていた。ああ、まあそうなるのか。全体的にみんな酔いが進んでいて、菅野は顔を手で覆って、どうやら下ネタを振られて困っているらしい。颯爽と現れて助けたいけど、まあ楽しそうだからどうでもいいか。僕だって、いちいち怒ったり笑ったりしてくれる菅野と話して楽しんだわけだし、でもそれはただ席が隣だってだけで、本来菅野はこうやってみんなにちやほやされるような存在だったんだ。しゃしゃり出るのもみっともないし、でも女の子と話している黒井を見たくもなくて、微妙に真ん中に座った。横田がいれば皮肉を言いながらだべって、唐揚げでもつまむんだけどな。
「お、山根くん。来た来た。黒井くんのお母さんやってるんだって?」
「・・・は?」
声をかけてきたのは鷹野だった。少しアンニュイな雰囲気で、小料理屋の女将でも出来そうな、姉御肌。長い髪をかきあげて、「んー、意外だねえ!」と訳知り顔で笑う。な、何だよ意外って。自分だって、あのちょっと不似合いな浅田さんとあんなこと、してたくせに。
「な、何なのそれ」
「今ねー、黒井くんに聞いてたんだ。料理出来るらしいじゃん。今日お手製はないの?」
「な、ないよ。別に、そんな」
見ると黒井はちょっと、酔ってるみたいだった。へらへらして、女子に聞かれたことに「そうだよーえへへ」なんて答えている。一瞬で嫉妬が駆け巡り、でもそれは女子と馴れ馴れしく接していることとというより、僕とのことを軽々しく喋っていることについてだった。
さっさと僕がいなくなれば話題を盛り上げなくて済むだろうと思ったけど、「あ、黒井さんこぼすよ!危ない!」「ほら、お母さん面倒みてあげて!」なんて言われて、結局立ち去れない。
・・・っていうか、そのお母さんっての、どうにかなんないの?
そこ、<お嫁さん>じゃだめなわけ?役割的にはお嫁さんでも、いいはずだよねえ?
・・・あれ、僕が怒ってるのはもしかしてそこなのか。引きつった笑顔で「嫁です!」と訂正したいけど、ま、するわけにもいかないしね。そして、自分で苦笑したら、ちょっと気がおさまった。
見ると黒井はちょっと眠そうにぐんにゃりしていて、一瞬忘年会の時の、あのトイレの前に座ってうなだれていた姿が蘇り、思わず立ち上がって女子の間を縫い、隣に駆け寄った。危なっかしく持っていたコップを取り上げて、倒さないよう脇に置く。
「お、おい、ちょっと、酔ってる?」
「・・・うん。何か、そうかも」
「気分悪いか?」
「んーん、へいき」
・・・よかった、大丈夫か。
確かに本人が言ってたとおり、黒井が具合を悪くしたのは忘年会くらいだった。あとは僕の風邪を移されもせずぴんぴんしてたし、こんな風に心配することもほとんどなかったんだ。それに比べて僕ときたら、体もアタマも、まったくひ弱というか、ネジが外れやすいというか。
「っていうかさあ、二人ってそんな、仲良かったっけ?」
訊いてきたのはあの噂好きの女子。まったく、散々不仲だとか、言いなりになってるとか下克上とか好き勝手憶測で話しといて、本人の前ではしれっとしてるね。
「まあ、別に」と適当に流そうとするけど、先に、ハイになっている黒井が答えてしまった。
「あのねえ、別に、そーいうんじゃないよ」
「え、そうなの?だって、おうちに呼んだり、遊んだりするんでしょ?」
「・・・うん」
「それで、ご飯作ってもらうんでしょ?」
「・・・うん」
「じゃあ仲良しだよー」
そう言いつつ、隣と「でも、何してんだろうね。ってか何話すんだろって感じ」・・・って、まんま聞こえてるからさ。
「なかよし?ねえ、俺ら仲良しなんだって。知ってた?」
「えっ、・・・そ、そう?どうだろね」
何だか腹立たしい反面、やっぱり、こんな状況であっても黒井の隣にいられて喜んでいる僕がいる。
「あはは、黒井さん何かかわいー」
「え、そう?俺かわいい?・・・んー、別にかわいくないよー」
「やだー!そういうのがかわいいんだってー!」
「ねえ、お前もそう思う?おれってかわいい?」
・・・か、かわいいっていうより、かっこいいんだって。何回言わせんだ。
「へ、変なこと振るなよ。どっちでもいいよそんなの」
「えー、なんだよ、仲良しじゃないのー?」
「べ、別に関係な・・・」
何だかとろんとして、危ないかなって思ったその時、黒井が僕にふらりともたれかかってきた。周りをコップや食べ物に囲まれているから、よろめかないよう必死で受け止める。
「おい、ちょっとクロ!」
「・・・なんか、ねむい」
ため息をついて、「ったく・・・」とつぶやくけど、「・・・え、山根くん、くろって呼んでるの?」と指摘され、あ、やっちまった。
「えー、くろってやっぱりかわいくない?」
「何かいいねー!」
ああ、黒井のこと言えないな。ちょっと嬉しくて気を抜いたらすぐこれだ。
女子の話題に言及することなく、少し真面目に「大丈夫か?」と訊いた。いや、心配してるというより、これ以上茶化されないように、だ。
「んー、・・・おしっこ」
おい、女子の前でそういうこと言うなって!
「じゃ、じゃあ行って来い」
「場所、わかんない」
「・・・わ、分かったよ」
女子が笑い半分に「だいじょーぶ?」と声をかけて見守る中、僕は黒井を立たせて、コップを蹴らないようシートの端まで歩かせ、肩を貸し、靴を履かせた。一部始終を見られていて、もう、どっか別の世界へ行きたい。いちいち「わあ、何か優しいー」とか「やっぱ仲いいんだねー」とか言われこそばゆくなるが、「やっぱお母さん・・・ってかお父さん?」と言われ、お嫁さんが更に遠ざかった。
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入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
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