黒犬と山猫!

あとみく

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山猫、デレる

第324話:飼い猫になった山猫

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 この前、一緒にこの地下通路を通ったのはいつなんだろう。
 今日は二人とも傘を持っていて、あまり密着して歩けない。それでも十分に近い距離で、黒井の歩調はやや速め。
 お、俺んち寄っていって、だって・・・。
 どうしよう、変な想像しちゃうけど・・・。
「・・・ねえ、ねこさあ」
「えっ、うん?」
「なんか、こんなの・・・久しぶりだね」
「・・・ああ、そうだね。うん」
「・・・」
「・・・」
「あのさ」
「うん?」
「・・・ぷはっ、はは」
「な、なに笑ってるんだよ」
「なんかさ、・・・俺たち、今まで、なに喋ってたのか、・・・よく思い出せない」
「・・・え、ああ」
「俺たち何回もここ、こうして一緒に帰った・・・はずなのにね」
「あらためて言われると、・・・確かに」
 記憶にあったのは、温泉行きたいという話と、バレンタインのチョコの好みの話、あとはお盆の帰省に僕も誘われた話・・・くらいか。
 一応三つも思い出せたわけだけど、それはどれも黒井に告白される前の話であり、僕の片想い中であって、そしてそこには多分にその想いが乗っていて、何となく話すのはためらわれた。

 それからしばらく無言で、ロータリーからまだ降っている雨が垣間見えたら「まだ止まないね」「雨だと傘がめんどくさい」と、他愛のない話。
「そういや今日お客さんとこでさ、あの、傘、ぶるぶるさせて水飛ばすってやつ?あるじゃん」
「ぶるぶる?・・・ああ、ばさばさやって水滴落とすやつ?」
「・・・それ。・・・いやそれだけど、お前さ、いちいち言い直さなくていいじゃん?俺の言ったので合ってるじゃん」
「・・・だって、ぶるぶるって、何か形容詞がおかしかったんだよ」
「うるさいなお前。・・・お前ってうるさいな」
「・・・何で二回言うんだ」
「すごくあらためてそう思ったから」

 そうして改札を抜けて、ホームの列に並ぶ。
「それで、その傘のやつがどうしたの?」
 「あ、だからさ、俺がそれやろうとしたら・・・」「・・・え、でもそれはお前が・・・」、そんな、特に何の意味もない、どうでもいい会話。
 でも、二人で喋っているということ自体が楽しくて、そして、やはり周りに対して優越感もあった。たまたま帰路が一緒の同僚にしか見えないだろうけど、本当は付き合っていて、・・・キス、とかも、してるわけで。
 っていうか、もしかして、これから・・・。
 ああ、混んだ車内でめまいがしてくる。今日は座れなくて、でもドアの横でちょっとくっついて、本当はもっと密着したいけど、うん、やっぱり傘が邪魔だなあ。

 ふわふわした気分のまま、桜上水に着いて一緒に降りる。「お前のうちで何するの」なんて訊けないから、まるでボディタッチみたいにさえ感じてしまう<他愛のない会話>を続けながら傘を差した。まだ雨足が強くて、相合傘はできない・・・けど仕方ない。
 ・・・。
 あれから。
 ・・・つまり、僕たちが、ちゃんと両想いになってから。
 何だか、僕はちょっと馴れ馴れしくなっているし、そして黒井は、何というか、くだけてきた気がする。今まで、たかが傘のことだって仕事中の話なんてしなかったし、「おつかれ」も言わなかった。・・・きっと「おはよう」と同じく、いろいろ<普通の日常でよくなった>ということなのかもしれない。


・・・・・・・・・・・・・・


 ほんの、数日前に訪れた部屋に、またいる。
 あの朝、僕はまだ寝てたけど、今日は、起きて、待っている。
 そのドアの向こうで、ガサガサとビニールの音、コンロの火をつける音、冷蔵庫の開閉音・・・。
 「お前そこで待ってて」と言ったきりキッチンにこもった黒井は、また、どうやら、何かを作ってくれているようだった。
 ラグの上で正座して、もう、何度「手伝おうか」と声をかけようとしたけど、ぐっとこらえた。「あちち」とか「うわっ」とかの声が聞こえるけど、あと五分待とう、あと五分・・・、でも、黒い腕時計の文字盤を見たら何の苦も感じなかった。

 だんだんと何かのいい匂いがしてきて、バタンとドアが開く。
「できた!」
 腕まくりで黒犬が持ってきた椀の中は、まごうことなき日清チキンラーメン(卵のせ)。それから皿に載った白いご飯(二人分?)に、卵とウィンナーを炒めたものが出てきた。え、卵だらけだな。しかしウィンナーは普通の茶色いぷりっとしたやつじゃなく、白っぽくてハーブが練りこまれたようなやつ。2パックがテープで留められてるお徳用じゃなく、また高いのを買ったんだろう。
「あ、えっとその・・・ありがとう」
「腹減ったよ、食おうよ!」
「うん、いただきます」
「はは、料理、別に楽しくもないけど、お前に食わせると思うとちょっと楽しい」
「・・・そ、それは、どうも」
「何だよ、嬉しくない?」
「う、嬉しいです」
 テーブルで向かい合って、少し頬を上気させたクロはひと仕事したという感じで屈託なく笑っていた。チキンラーメンは湯が多くて少し薄味、炒めた卵は味付けを忘れたと言い、ウィンナーのハーブ味とともに食べた。ご飯は保温しっぱなしで端っこがカリカリだったけど、口の中のラーメンスープでふやかしてそれも食べた。「美味しいよ、ありがとう」と言うと、「ありがとうは要らない」と返事。
「お前はありがとうを言いすぎだよ、うざい」
「・・・う、うざいって」
「もう禁止ね、これから。お前が俺にありがとうは禁止」
「・・・」
 黒井はずるずると麺を吸い上げる途中、口から数本を垂らしたままにかっと笑った。何だかそれがおかしくて、この距離感があたたかくて、僕は「分かった、分かったよ」と降参した。


・・・・・・・・・・・・・・


 何だかんだ言いながら、僕もお腹が空いていたのか、ぺろりと食べてしまった。食べていたのはものの十五分くらいか。
「じゃ、その、ごちそうさまはいい?」
「・・・まあ、それはいい」
「じゃあ、ごちそうさま。ありが・・・っ」
「・・・くふふっ」
「・・・じゃなくて、美味しかったよ。ありが・・・」
「・・・っ」
「あーもう!」
 黒井は声を立てずに腹を抱えて笑い、僕も頭を抱えて苦笑した。え、本当にそんなにありがとうを言っていたのか?だって、クロが僕に夕飯を振る舞ってくれるなんて、チキンラーメンだろうが何だろうが、有難すぎて涙が出るって。
「・・・もう、もういいだろ!?これ、流しに運ぶよ」
「はは、あーっはっは!お前、俺を笑わせたいの?」
「違う違う!もう言わないからな!絶対言わない!」
 綺麗に空になった皿を重ね、シンクに持っていく。散らばっているラーメンの袋と卵の殻などをざっと片付けて、さて、今日こそは洗い物をしなくちゃ・・・と、思ったけど。
 袖をまくって、ああ、腕時計を外さなきゃ・・・と逡巡していたら、背後から腰を両手でぐっとつかまれ、そのまま、後ろ向きに部屋へと引っ張られる。
「ちょっ、ちょっとなに!」
「いーからもう!」
「な、何だよ、あ、洗っちゃうから!」
「こっち来て!俺つまんないし、それに、今日は・・・」
 そして部屋に入って解放され、バタンとドアが閉じられた。
「・・・今日は、なに」
 急に、心拍数が上がる。
「今日は、さ」
「・・・うん?」
「あのね、今日は、・・・お前を甘やかす会」
「・・・へっ?」
 そうして、黒井は今まで食べていた小さなテーブルをぐいと横にどけて、僕をさっきのラグの上に座らせた。ベッドに寄りかかる位置で、いつもはここでクロが僕の料理を待っているけど、こないだと今日は僕がここだ。
 すると黒井が僕の真正面に・・・というか、僕が投げ出した足にまたがるようにして、目の前で膝立ちになった。思わず少しベッド側に腰が退けて、「あの・・・なに!」と声が上擦ってしまう。いや、あの、迫られてももう・・・断らないんですが・・・。
「ねこさ、・・・俺に、甘えたいんでしょ」
 頭上から、少しにやついた声が降ってきた。恥ずかしくて上は見れない。
「・・・べ、べつに」
「分かるよ。だってさ、お前、何か・・・くにゃくにゃしてるもん」
「・・・くにゃくにゃ?」
「山猫じゃなくて、これじゃ、飼い猫だ」
「・・・」
「でも、俺んちにいるときはいいじゃん。・・・ねえ、ねこ、何してほしい?」
 黒井は僕の両肩に手を置いて、それからさらっとした手つきで僕の頭を撫で、耳をすっと擦り、首筋をなぞって、また元の肩に戻った。僕は目の前の白いYシャツから顔を背け、言葉は何も出てこない。・・・「山猫じゃない」と言われたのがショックだったのか、それとも、してほしいことなんか、口に出せないのか・・・。
 しかし黒井は僕が黙りこくっていても気にせず、再び頭を撫でて、それから覆いかぶさるように、ふわっと僕を抱いた。
 頬に、シャツ越しの体温を感じた。その硬い胸に抱かれて、急に部屋がしーんとなり、・・・心音までも、聞こえるようだった。
 身じろぎもせず、静かに呼吸だけしながらその熱に溶かされていると、ふいに、その身体が離れた。
 そして、黒井は僕の目の前で、シャツのボタンを外し始めた。
「・・・っ」
 思わずベッドの方にのけぞって、今度は反対側の斜め下を向き、ラグの一点を見つめたままじっとしているしかない。衣擦れの音、腕がだんだん下まで来ると今度は前を開け、元から袖のボタンは外していたYシャツが横にざっと投げ捨てられる。薄手のアンダーシャツは、首の後ろ辺りからがばっと脱いで、こちらもあっという間に脱ぎ捨てた。
「・・・ねえ」
「・・・」
「・・・見てよ。俺、どう?」
 しかし、その声は少し明るく乾いていて、僕はおずおずと顔を上げ、目だけでその上半身を見て、やっぱり下げた。
「何だよ、見てってば!」
「・・・な、なにを!」
「俺さ、・・・ちょっと、・・・鍛えた」
「・・・」
「実はさ、お前が全然デート誘ってくんないから、・・・今、ジム通ってる」
「・・・え?」
「どう?前よりかっこよくなった?」
 黒井は僕の足をまたいだまま腰を落とし、上半身が少し後ろへ離れたので、僕はようやくその姿を見た。
 ・・・肌色。
 ・・・男の裸。
 ・・・腕は少し日焼けして、肘の少し上からはやや白い。腕時計だけついていて、妙に、セクシーに見えた。
 鎖骨があって、胸があって、腹があって、胸筋と、腹筋という、いかにもムキムキなものは見えないけれど、引き締まった、といえば、そう、なのか?・・・いや、だってそもそもろくに見慣れてないんだから、どうって訊かれても違いなんて分かんないよ!
「ね、どうってば」
 黒井はさらに、自分の胸や腹をぺたぺたと触りながら訊いてくる。でもそうなると一気に身体測定みたいな雰囲気になって、緊張も解けるから不思議だ。
「・・・ど、どうって、・・・比べられないし、わかんないよ」
「銭湯で、見たじゃん」
「い、いや、見たけど!あんな一回で」
「俺、走る方が好きだけどさ、上半身ばっかやってみたんだよね。ちょっとはいい感じになってない?」
「・・・っていうか、ジム、って?」
「うん。・・・本社いた頃は行ってたんだけど、ほら、会社の福利厚生のやつで割引になって。でもずっと行ってなくて、・・・また行ってみるかなって」
「・・・そ、そう」
 スポーツジム、なんて、通うものなのか。本当に通っている人いるのか。いや、まあそりゃいるんだろう。
 ・・・僕がずっと、電話も<交際>もせず、後ろめたい思いでシャンプーなんかを買っていた間、クロはジムに通ってた?
 それをどう思っていいのかよく分からないけど、別に、浮気とかでもないけど少し、疎外感もあった。ああ、いやいや、クロにとっては僕のドラマ鑑賞だってそれに当たるのか?
「ね、だからさ・・・」
「う、うん?」
 そしてクロはもう一度膝を立てて僕の方に近寄ってきて、「甘えさせてあげる」と言った。
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