黒犬と山猫!

あとみく

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奇行、同棲、一円玉

第347話:「一緒に、住むから」

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 すっかり暗くなった頃黒井が起きて、僕は何となく、逃げるように買い物に出た。
 でも作るものや食材を考えたりする頭がどうしても働かなくて、最寄りのコンビニで弁当を二つ買った。
 ・・・ほかにも、お茶やカップうどんやヨーグルト、野菜ジュースに食パンにレトルトカレーなどなど。
 黒井を健康的な環境に置いてなるべく精神状態を安定させ、「現実でいい」に戻してこなくては・・・と思っての買い物だった。
 でも、傘と両手の大荷物と、僕には少しゆるい黒井のスニーカーでゆっくり歩きながら、世話を焼きすぎるのは僕の方の依存か、とも思った。
 これじゃいけない、お互いきちんと自立しないと、やがて、破滅する。
 でも、とりあえず今日だけは、いったん今夜のところは、雨に打たれて風邪を引きそうな黒井のために僕が買い物をするくらい、これは親切であって依存なんかじゃない・・・。
 
 部屋に戻り、自分にいろいろ言い聞かせながらキッチンを整理し、またベッドの上で食べると言う黒井にチンした弁当を渡す。「なんかピクニックみたいじゃない?」なんて黒井はまだふわふわしていて、その目は僕じゃなくて「<それ>に近づくためのおもしろいこと」を探しているみたいで、僕はそこから引き戻す術に思いを巡らせた。
 ・・・でも。
 ベッドの上で伸ばされたその素足を見るともなく見ていたら、それを舐めたいだの頬ずりしたいだの、足の指で脇の下をくすぐってほしいだのおかしな妄想ばかりでどうにもならなくなった。


・・・・・・・・・・・・・・・


 それで、つい「それじゃ俺、食べたら帰ろうかな」と言ったら、黒井は「うん」とうなずいたきり、しかし引き留めてはくれなかった。
 とっさに「あ、でも洗濯物干してなかった」とあがいてみるけど、「俺自分でやっとく」と返されたら、もう何も言えない。
 しまいには「駅まで、送る」で、小雨の降る中、一本のビニール傘を僕が差しかけながら無言で歩いた。

 サンダルの黒井に合わせてゆっくりと歩きながら、欲しいけど手に入らないこれまでの黒井の人生や、黒井への親切と依存の境界線など、答えの出ない問いを追いかける。
 それでもやっぱり「現実でいい」が正解で、お互い自立するべきだろう。
 でもそこへいくためには、僕が黒井をしっかり連れ戻さなきゃという、庇護欲と管理欲、依存心が生まれる。
 それらはない交ぜになって身体の中で暴れ、どうすることも出来ず、心臓が重く脈打った。

 一言も話さないまま駅に着いてしまい、傘を閉じて渡す。
 しかし一瞬、それは、僕の方に戻された。
 見ると、黒井は「傘、ないなら持って行けば」という顔をしていた。僕は鞄に折り畳み傘があるから、首を横に振ってからうなずき、「大丈夫、持ってる」を示す。たとえ持っていなかったとしても、今朝、屋上であれだけ濡れたお前を傘なしで帰したりはしない。
 「お前が差して帰れ」という意味で、黒井が傘を持つ手に自分の手を重ねて、そっと握った。

 しかし、触れてしまったら、何かが爆発しそうになって。

 目を閉じて、・・・お互い傘を持ってる、これからはそれぞれできちんと差して、どちらかの傘に入って奇行を繰り返すのはやめよう、現実で生きよう、と言い聞かせた。
 ・・・分かってる。
 別に、僕だってまともな人間じゃない。社会的に見て奇行といえるクロの行動と、しかし表に現れないぼくの行動は実はそれほど大差ない。節約のためといって業務用の鶏肉を夜な夜な解体したり、脳トレだといって写経をするのは奇行ではないけれど、僕は世間にその本心をしっかり隠しておけるだけ。頭の中だけにとどめておけるだけ。
 僕は黒井の奔放さに引き寄せられた友人じゃなく、もっとどす黒いものを抱えた同類だ。
 あのサナトリウムでの、肝試しだって。
 そしてその後の、車の中でのことだって。
 あの時僕が言った「果物ナイフを持ってきた」というのは実はハッタリだったけど、本当にそれがあったら、あの空気のままもう「奇行」では済まないことになっていただろう。
 だけど、そのあと何の化学反応か、黒井が僕に恋をして・・・奇跡的に「現実でいい」までたどり着けた。そのことはもしかして尊く、貴重で、稀有なことなのかもしれない。

「クロ、あの・・・」
 僕はゆっくり手を離す。
「・・・うん?」
「その、冷蔵庫に、ヨーグルトとか、野菜ジュースとか、買っといたから。あとご飯は冷凍しといたし、お前、風邪気味だったら明日、外出かけないでレトルトカレーで食べて・・・」
「・・・」
 黒井はただ微笑んで、ちょっと鼻で笑った。
 このお節介は、僕の庇護欲や管理欲でもあるけれど、それでも「現実でいい」方の話だ。
 そうだ、このまま帰ればいい。だって、お前がまた屋上に行ってしまわないように明日も明後日も見張ってるなんて、そっちの方がまずいだろ。それぞれの傘で、いったん帰ろう。
「あのさ・・・ねこ」
「う、うん?」
「あの、・・・髪、やってくれて、その・・・」
「あ、ああ、いいんだよそんなの。・・・はは、ちょっとお前、ハネてる。変な風に乾かしたから・・・ごめん」
 僕はその上の方のハネを見て笑ったけど、黒井は頭に手をやることもなく「・・・あの」と。
「・・・う、ん?」
「あの、俺、これからも、やって、もらいたくて・・・」
「えっ、あ・・・う、ん」
「って、いうか」
「・・・」
「その、・・・もう少ししたら」
「・・・」
「俺んちで、お前と一緒に、住むから」

 ・・・。
 だから今日は・・・おやすみ、と、少しはにかんで、黒井は傘を差すことなく持ったまま歩き去った。

 僕はしばらく突っ立って、ああ、おやすみを返さなかった、クロにおやすみを言わなかった、とそれだけ考えた。


・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
 電車の中では、努めて何も考えないようにした。
 そして帰宅して、胸に抱えているものが、手がつけられないほど膨れ上がっていく。

 ・・・。
 ・・・一緒に、・・・住む?

 黒井の部屋で、僕たち二人が・・・ど、同棲する?

 ・・・。
 それは、ただただ垂直に真上から落ちてきて、何かを差しはさむ余地もない、まっすぐな言葉・・・いや、まっすぐな通達だった。
 「お前と、一緒に、住むから」。
 きっと、本来なら、屋上のことがなかったら・・・僕はあのまま、駅前で黒井に抱きついて離せなくなってしまっていたかもしれない。
 しかし僕が、「それぞれの傘で」と思った次の瞬間、どうして、こうなるんだ。
 いや、っていうか、一緒に住むなんて、大丈夫なんだろうか。
 ・・・大丈夫、な、はずはない。
 黒井は<ぶり返し>ているし、僕はそんな黒井に頼られたくて必死で、たぶんこのままだとそのうち、黒井の興味を惹きたくて僕が何らかの奇行を発動するだろう。それはよくないと自制すればするほど無意識の内側から出てきてしまい、しかしそういうものこそが見事に黒井を引き寄せる。
 ・・・説得、しようか。
 僕たちはもうちょっと、たぶん普通にまた動物園にデートに行ったり、居酒屋で飲んだり、仕事の相談をしている方がいい。そうやって「現実でいい」をもっとちゃんと定着させて、それから一緒に住んだ方がいい。

 ・・・「一緒に、住むから」。

 その声が脳内で再生されると、さーっと、今考えていた正論が、波が引くように左右に去っていく。
 一日中、朝も晩も、黒井のことを見ていられる。黒井は僕のことが好きで、僕は毎晩その髪を洗って乾かして、シャンプーが切れたらお母さんに電話をして、ちょっぴり神妙な声で「彰彦さんのこと、ずっと見ててあげてね」と言われ、「大丈夫です、俺がついてますから」と答える・・・。
 その後は、一緒にベッドに入って「やまねこ、俺、お前がいなきゃ生きていけない」って抱きつかれて、髪を撫でるとキスをされて、そのまま・・・。
 ・・・。

 ・・・だめだ。
 思考が、こちらにしか向かわない。
 僕は、いったいどれだけ、誰かから必要とされたいんだ。
 <誰かから必要とされる>なんてのは幻の概念だし、信じちゃいけない。ユートピアにしがみついて生きたら夢の住人になってしまう。
 僕がこの基盤を持っている限り、黒井が僕を頼ろうとする時に発する微粒子みたいなものを全部キャッチして、それは庇護欲や管理欲や依存心に変換されて、黒井を支配してしまうだろう。誰かから必要とされたいと思うのはきっとおかしなことではないが、僕みたいに行き過ぎた基盤を持って待ち構えてしまうと、健全さは損なわれる。
 ・・・まずは、僕のこの<必要とされたい欲求>を何とかして、その上でクロが<ぶり返し>ても僕が歪みなく健全に支えて、それが出来た暁には晴れて一緒に住めるんじゃないか・・・。

 気がつくと、布団の上で正座をして両ももの上に拳を乗せ、真正面を見据えてまるで切腹する人みたいになっていた。
 本当はこんなことを考える前に、クロに言っていない「おやすみ」を言わないと挨拶が完結しなくて気持ちが悪いんだけど、メールでも電話でも今言える気がしなくて、仕方がなく歯を磨いて寝た。


・・・・・・・・・・・・・・


 日曜日、そして祝日の月曜日。
 頭の中はぐちゃぐちゃで、ついには部屋の大掃除をはじめ、ゴミだけじゃなく、しばらく使っていないもの、もう要らないと思うものも袋いっぱい放り込んでいった。それからスーパーへ買い物に行って、食材と生活雑貨を見て回った・・・わけだけど。
 「現実でいい」という正論の着地点に反して、僕の無意識は、もうそちらに向いてしまっているみたいだった。
 スーパーで目に入るのは、食器だとか、たくさん干せるピンチハンガーとか、二人分の、鍋つゆだとか・・・。
 今まで、気にはなったけどそこまでは必要ないかと思っていた色んなものも、急に目に入ってきて、知らず、心が躍った。傘立てとか、シューキーパーとか、速乾タオルとか、こんな風に使えるんじゃないか、あんな時に役立つんじゃないか・・・。
 ・・・二人で、暮らす。
 何だか、ただワクワクする気持ちがわいてきてしまって、色んな危険がひそんでいると分かっていても、抗えそうにない。
 もういいんじゃないか、正論なんか関係なく、やってしまえばいいんじゃないか・・・。

 しかし、スーパーから帰って少し冷静になって、また別のことに気がついた。
 もし正論を選択するならば、クロに「今はまだ一緒に住めない」と告げることになる。そしてその時、クロに「あっそう、じゃあもういい!」と言われたら・・・それは嫌だ。
 そんなことを言われるくらいなら、破滅の道であっても特攻してしまいたい。
 いや、それは間違っている。でも分かっていてもなお、怖い。
 
 ・・・でも。
 何となく何かに似ていると思ったら、それは、<プラトニックの約束>だった。
 クロは、僕と最後までしてしまったら自分の中の小さな焚き火が消えてしまう気がするから、それを避けるために「プラトニックでよければ、付き合ってほしい」と言った。
 その時クロは、僕が「最後までヤらないなんて、そんな生殺しは無理!」と断ることを、恐れただろうか。
 たぶん、そうじゃないだろう。
 そして・・・ああ。
 <小さな焚き火>というのが具体的に何を指すのかよく分かっていなかったけど、それこそが「現実でいい」の種だったとしたら。
 クロだって、「現実でいい」を守るために、リスクを冒しながらも誠実に<プラトニックをお願い>していたことになる・・・。
 僕はただ何となく「一線を越えるには、心の準備がいるから」と言われたような気持ちで「いつ出来るようになるんだろう」なんてぼんやり待っていたけど。
 クロは一足早く、これをやっていたのか。
 それなら、<ぶり返し>ているクロに代わって、やっぱり僕がこれを守らないと。
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