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愛に恋する自己中女
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暗闇照らす街灯のもとで、彼はひとり佇んでいた。その表情があまりに物憂げで、そして儚くて。
だからかな、私はきっと同情していたんだと思う。それと同時に、赤の他人である彼を労わる自分の優しさに自己陶酔していた。
その偽りの優しさが、実は彼を傷つけるかもしれない。そんな幾何の不安が頭をよぎらないでもなかった。
でも私は、彼より――自分を優先したんだ。溢れる慈愛に酔いたかった。
今にして思えば、私は別に彼でなくてもよかったのだろう。ただ自分の退屈を、紛らわせる相手が欲しかった。
ただ、それだけだったんだ。
声をかけると、彼は暗い表情を変えないまま私を一瞥した。見ず知らずの私に対して、彼は明らかに拒絶の色を見せていた。その拒絶には、ともすると敵意さえ込めている。
てっきり、救いの手を差し伸べる天使を拝むように、彼は私を受け入れてくれるものと思っていた。今にして思えば、実に都合の良いシチュエーションを勝手に夢想して、挙句相手にも優しい物語の登場人物でいて欲しいという、手前勝手な押しつけを強要していたんだと解る。
でもこの時の私には解らない。だって、この時の私は紛れもない善良かつ慈愛に満ちた女を演じていたのだから。
思っていた反応と違ったからかな、私は少し、意地になっていた。言葉を交わす事すら拒絶する彼にしつこく付きまとい、心を閉ざす不可分の領域に、臆面もなく、そして図々しく入り込んでいった。
感動の押し売り程気持ちの悪いものってないでしょう?よくあるテレビの感動番組なんかを、斜に構えて観ている捻くれた、ある種の幼稚さが、この時の私からは綺麗さっぱり失せていた。
いい迷惑。本当に、ごめん。
こんなところで謝るなんて卑怯だけれども、今となっては、彼の顔を見ながら謝る事も出来ない。
だから、ここで感情を打ち明けるズルい私を許して欲しい。
でも反省すべき私の愚行も、この時ばかりはモノの役にたってくれた。傷心していた彼の繊細な心の旋律に、不協和音を伴いながらも響いてくれたんだ。
私も途中から感傷的になっていて、何を話したか細かく覚えていないけれども、彼が後々教えてくれた際には、私は項垂れる彼を叱責し、男らしくないとまで糾弾したみたい。
慈愛の女どころか、これじゃ性悪の継母――それ以下、完全な当たり屋だよ、猛省。
でも、この一喝が彼のプライドを刺激したみたいで、ため込み、抑えつけ、我慢に我慢を重ねた感情の堤防を決壊させ、その濁流は見栄も外聞も無い女々しい泣き言となって私を呑み込んだ。
あぁ、この時私は初めて人の心の一番奥の奥、虚飾のない不可侵の、原初の無垢な精神に触れる事が出来たんだ。
彼の赤裸々な独白の前に、私はただただ無力な傍観者で、彼の真実に近付く程、優しいつもりでいた虚栄心が羞恥心へと変わっていく。
どれぐらい時間が過ぎたのだろうか。長かったような、短かったような、揺す振られる激情の波に翻弄されながら、ただ揺蕩うだけの時間は苦痛を伴うものだった。
私は何も話さない。話せなかったんだ。嗚咽交じりに響く彼の慟哭を、正面から受け止める強さは私にはなく、かといって、その場凌ぎの愛想笑いを振りまくには若すぎた。
でも、終わってみればそれが正解――少なくとも、あの時に取れる対応としては最適解だった。
心の内を全て吐露した彼は、少しばかり心の靄が晴れたように見えた。本当に少しだけだけど、過信していたよりも遥かに非力な私が、彼の負担を少しでも軽減出来たと勘違いするのも、今だけは許して欲しい。
公園のベンチに移動してから、私たちは一言も言葉を交わさなかった。私はただただ気まずさと、それでいて、彼が今何を思っているのか?沸々と湧いてくる興味が彼の一挙手一投足から目を離せずにいた。
私の心配、不安、そして興味を他所に、彼の視線はずっと下を向いたまま。時折目を瞑りながら何か考えこんでいるようだったが、無口な彼は何も答えてくれない。
もっと彼を知りたい。そんな思いが萌したのも、女特融の出しゃばりかしら?えぇ、出しゃばりでしょうとも。でもね、こんな性格だから私は今、こうして彼と二人いる。
何も話さない。でも、彼の独白を聞いた直後の気まずさは時間の経過と共に霧消して、今は少しだけ……私の勘違いでなければ、少しだけ温かい空気が、確かにあったんだ。
きっかけと呼ぶには、本当に小さな、それでいて無意識なものだったけれど、夜の寒気が堪えた私は近くの自動販売機から、温かいカフェオレと——彼は何を飲むんだろう?
よく解らないから、カッコいいしブラックコーヒーを買ってベンチに戻った。
彼は無言で此方を見つめた後、ありがとうとかどういたしましてとか感謝の言葉一つも吐かずに私のカフェオレを取ると、飲みもしないで手の中に握る温かさを楽しんでいた。
……別にいいけど、ブラック飲めないんだよね、私。
彼に倣って、私も缶から伝わる温さを楽しんだ。この温もりが、無言だった私を後押ししてくれた、と言うには、少し脚色の気が強すぎるかもだけれど、いくらか饒舌になった私は、彼に色々質問してみた。
傍から見てれば逆ナンだよ、だって彼、うんともすんとも言わないで、やる事と言ったらたまにこっちに顔を向けて、じっと目を見詰めてくるだけ。
その目は質問に対して、逆にこちらの真意を見抜こうとしているような疑り深さと――その奥底にチカりと光る興味の萌芽が見え始めていた。
やっと私の言葉に興味を持ってくれたんだ。不精者にしか思えなかった彼から、やっと人間らしい感情が見え隠れした事が、私は嬉しかった。
ノッたよ、私は完全に調子にノッたよ。元々、調子のビッグウェーブにノリやすい性格だから、こんな好機到来に、大人しくしているなんて土台無理な話。
行き場を失くした彼の手を握ると、強引にその場から連れ出した。握る手は意外と大きかったけれど、その手から男性の力強さは感じない。
何も言わないけれど、やっぱり不安なんだ。そりゃ今しがた会ったばかりの女の子に、手を引っ張られ拉致紛いの事をされれば、誰だって不安にもなる。
おかしいのは私の方だ。そして気付くんだ。寂しそうに見えたのは彼じゃない。本当に寂しいのは、私自身だったんだ。
一人は辛いよね。だから、誰かを愛するんだ。私は恋愛なんてしたことないけれど、今の気持ちは……おそらく、思春期の子が恋に恋い焦がれる感情と一緒。誰かの為に愛するなんて子供の私には無理。
愛を愛したいが為に、私はこの空虚な心を満たす誰かが欲しかったんだ。未熟な心の隙間を埋めてくれそうな相手として、白羽の矢が立ったのが彼。
やっぱり私は、どこまでいっても自己中で――そして自身を偽るのが苦手な女の子なんだ。
待たしていた車に、彼を乗せる。彼は一瞬躊躇したけれど、無理やり押し込んだ。私も彼も、どこか捨て鉢になっていたんだね。
車は走る。華やぐ街から郊外へ。世界中がそれぞれの生を享受する中で、私たちはまるで生から逃げるように移り行く景色を見る。
車内はずっと無言だ。スピーカーから心地よく響く『二人の舞踏会』が、異質な車内で浮いていた。
車は走り続ける。あたりは町の喧騒からとうに抜け出し、周囲は暗く木々生い茂る林道をひたすら走る。町の明るさから解放されたこの地には、ただ月天の空が煌めく星々を供に輝き続ける。
車はまだ走っている。すっかり温くなった缶だけが、時の刻みを刻銘に物語っている。
あれだけ饒舌だった私の下の根は、乗車した途端に渇いて使い物にならなくなって、目的地である私の家に着くまで、その潤いを取り戻す事はなかった。
長かった移動も終わりが見えて、我が家の玄関が開門される際に、あの厭らしいギギギという不快な音を発しながら、その虎口を開く。
私の帰りを今か今かと待ち侘びる、獣の門。これでまた、私は囚われの生活に戻るだろう。でも今回は違う。何かを期待するには頼りないけれど、彼という異物感が、この息も詰まる獄の光明となるかもしれないから。
だからかな、私はきっと同情していたんだと思う。それと同時に、赤の他人である彼を労わる自分の優しさに自己陶酔していた。
その偽りの優しさが、実は彼を傷つけるかもしれない。そんな幾何の不安が頭をよぎらないでもなかった。
でも私は、彼より――自分を優先したんだ。溢れる慈愛に酔いたかった。
今にして思えば、私は別に彼でなくてもよかったのだろう。ただ自分の退屈を、紛らわせる相手が欲しかった。
ただ、それだけだったんだ。
声をかけると、彼は暗い表情を変えないまま私を一瞥した。見ず知らずの私に対して、彼は明らかに拒絶の色を見せていた。その拒絶には、ともすると敵意さえ込めている。
てっきり、救いの手を差し伸べる天使を拝むように、彼は私を受け入れてくれるものと思っていた。今にして思えば、実に都合の良いシチュエーションを勝手に夢想して、挙句相手にも優しい物語の登場人物でいて欲しいという、手前勝手な押しつけを強要していたんだと解る。
でもこの時の私には解らない。だって、この時の私は紛れもない善良かつ慈愛に満ちた女を演じていたのだから。
思っていた反応と違ったからかな、私は少し、意地になっていた。言葉を交わす事すら拒絶する彼にしつこく付きまとい、心を閉ざす不可分の領域に、臆面もなく、そして図々しく入り込んでいった。
感動の押し売り程気持ちの悪いものってないでしょう?よくあるテレビの感動番組なんかを、斜に構えて観ている捻くれた、ある種の幼稚さが、この時の私からは綺麗さっぱり失せていた。
いい迷惑。本当に、ごめん。
こんなところで謝るなんて卑怯だけれども、今となっては、彼の顔を見ながら謝る事も出来ない。
だから、ここで感情を打ち明けるズルい私を許して欲しい。
でも反省すべき私の愚行も、この時ばかりはモノの役にたってくれた。傷心していた彼の繊細な心の旋律に、不協和音を伴いながらも響いてくれたんだ。
私も途中から感傷的になっていて、何を話したか細かく覚えていないけれども、彼が後々教えてくれた際には、私は項垂れる彼を叱責し、男らしくないとまで糾弾したみたい。
慈愛の女どころか、これじゃ性悪の継母――それ以下、完全な当たり屋だよ、猛省。
でも、この一喝が彼のプライドを刺激したみたいで、ため込み、抑えつけ、我慢に我慢を重ねた感情の堤防を決壊させ、その濁流は見栄も外聞も無い女々しい泣き言となって私を呑み込んだ。
あぁ、この時私は初めて人の心の一番奥の奥、虚飾のない不可侵の、原初の無垢な精神に触れる事が出来たんだ。
彼の赤裸々な独白の前に、私はただただ無力な傍観者で、彼の真実に近付く程、優しいつもりでいた虚栄心が羞恥心へと変わっていく。
どれぐらい時間が過ぎたのだろうか。長かったような、短かったような、揺す振られる激情の波に翻弄されながら、ただ揺蕩うだけの時間は苦痛を伴うものだった。
私は何も話さない。話せなかったんだ。嗚咽交じりに響く彼の慟哭を、正面から受け止める強さは私にはなく、かといって、その場凌ぎの愛想笑いを振りまくには若すぎた。
でも、終わってみればそれが正解――少なくとも、あの時に取れる対応としては最適解だった。
心の内を全て吐露した彼は、少しばかり心の靄が晴れたように見えた。本当に少しだけだけど、過信していたよりも遥かに非力な私が、彼の負担を少しでも軽減出来たと勘違いするのも、今だけは許して欲しい。
公園のベンチに移動してから、私たちは一言も言葉を交わさなかった。私はただただ気まずさと、それでいて、彼が今何を思っているのか?沸々と湧いてくる興味が彼の一挙手一投足から目を離せずにいた。
私の心配、不安、そして興味を他所に、彼の視線はずっと下を向いたまま。時折目を瞑りながら何か考えこんでいるようだったが、無口な彼は何も答えてくれない。
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何も話さない。でも、彼の独白を聞いた直後の気まずさは時間の経過と共に霧消して、今は少しだけ……私の勘違いでなければ、少しだけ温かい空気が、確かにあったんだ。
きっかけと呼ぶには、本当に小さな、それでいて無意識なものだったけれど、夜の寒気が堪えた私は近くの自動販売機から、温かいカフェオレと——彼は何を飲むんだろう?
よく解らないから、カッコいいしブラックコーヒーを買ってベンチに戻った。
彼は無言で此方を見つめた後、ありがとうとかどういたしましてとか感謝の言葉一つも吐かずに私のカフェオレを取ると、飲みもしないで手の中に握る温かさを楽しんでいた。
……別にいいけど、ブラック飲めないんだよね、私。
彼に倣って、私も缶から伝わる温さを楽しんだ。この温もりが、無言だった私を後押ししてくれた、と言うには、少し脚色の気が強すぎるかもだけれど、いくらか饒舌になった私は、彼に色々質問してみた。
傍から見てれば逆ナンだよ、だって彼、うんともすんとも言わないで、やる事と言ったらたまにこっちに顔を向けて、じっと目を見詰めてくるだけ。
その目は質問に対して、逆にこちらの真意を見抜こうとしているような疑り深さと――その奥底にチカりと光る興味の萌芽が見え始めていた。
やっと私の言葉に興味を持ってくれたんだ。不精者にしか思えなかった彼から、やっと人間らしい感情が見え隠れした事が、私は嬉しかった。
ノッたよ、私は完全に調子にノッたよ。元々、調子のビッグウェーブにノリやすい性格だから、こんな好機到来に、大人しくしているなんて土台無理な話。
行き場を失くした彼の手を握ると、強引にその場から連れ出した。握る手は意外と大きかったけれど、その手から男性の力強さは感じない。
何も言わないけれど、やっぱり不安なんだ。そりゃ今しがた会ったばかりの女の子に、手を引っ張られ拉致紛いの事をされれば、誰だって不安にもなる。
おかしいのは私の方だ。そして気付くんだ。寂しそうに見えたのは彼じゃない。本当に寂しいのは、私自身だったんだ。
一人は辛いよね。だから、誰かを愛するんだ。私は恋愛なんてしたことないけれど、今の気持ちは……おそらく、思春期の子が恋に恋い焦がれる感情と一緒。誰かの為に愛するなんて子供の私には無理。
愛を愛したいが為に、私はこの空虚な心を満たす誰かが欲しかったんだ。未熟な心の隙間を埋めてくれそうな相手として、白羽の矢が立ったのが彼。
やっぱり私は、どこまでいっても自己中で――そして自身を偽るのが苦手な女の子なんだ。
待たしていた車に、彼を乗せる。彼は一瞬躊躇したけれど、無理やり押し込んだ。私も彼も、どこか捨て鉢になっていたんだね。
車は走る。華やぐ街から郊外へ。世界中がそれぞれの生を享受する中で、私たちはまるで生から逃げるように移り行く景色を見る。
車内はずっと無言だ。スピーカーから心地よく響く『二人の舞踏会』が、異質な車内で浮いていた。
車は走り続ける。あたりは町の喧騒からとうに抜け出し、周囲は暗く木々生い茂る林道をひたすら走る。町の明るさから解放されたこの地には、ただ月天の空が煌めく星々を供に輝き続ける。
車はまだ走っている。すっかり温くなった缶だけが、時の刻みを刻銘に物語っている。
あれだけ饒舌だった私の下の根は、乗車した途端に渇いて使い物にならなくなって、目的地である私の家に着くまで、その潤いを取り戻す事はなかった。
長かった移動も終わりが見えて、我が家の玄関が開門される際に、あの厭らしいギギギという不快な音を発しながら、その虎口を開く。
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