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第三話 謝罪と屈辱
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翌朝、春の冷たい雨がこの世界を静かに濡らしていた。
白い包帯を巻いたミゼットが私の部屋のカーペットを踏んだ。その後ろには黒い礼服のまま硬く背筋を伸ばすグスタビオ。
「お姉様……こんなことになって、本当にごめんなさい。あれは事故だったの。お父様が怒鳴るから、グスタビオ様が『責任を取らせてください』って――」
妹は俯き加減に言いながらも、その顔は誇らしさを隠し切れていない。長身で剣を嗜む彼女は“男装の麗人”として領内の若者の憧れだ。対照的に私は、書架と礼法に囲まれて育った地味な侯爵家の淑女にすぎない。
「おかしいわね。あなたはいつも『結婚は自由を奪う鎖』だと言っていたじゃない。顔に傷がついたくらいで、その大義名分を捨てるつもり?」
ミゼットの青い瞳がきらりと揺れた。
「私が決めたんじゃないわ。お父様のご判断よ!」
――結局、最後は父を盾にする。それが妹の“自由”の実体だった。
「ローゼリア嬢」
沈んだ声でグスタビオが歩み出る。深く頭を垂れる姿は、かつて私が恋した誠実そのものの青年騎士だった。
「剣の未熟さ故に怪我を負わせました。団長――閣下から叱責を受け、私は自ら婚姻を申し出たのです」
そう言いながら、彼はわずかにミゼットを庇うように立った。ああ、この瞬間から彼は“妹の婚約者”なのだ。
「私は被害者よ!」とミゼットが声を高める。「顔の傷は女性にとって一生の問題なの。お姉様には分からないでしょうけど」
「騎士を志すなら傷は勲章のはずよ。あなたが剣を選んだのは父の歓心を買うためだったの?」
妹が反論しかけたとき、グスタビオが肩に手を置き制した。
「ローゼリア、どうか責めないでくれ。非は私にある」
漆黒の瞳が揺れ、私たちは短い間見つめ合った。尋ねることは出来なかった――後悔はないのか、と。沈黙したまま、やがて視線は離れた。
こうして私の婚約は呆気なく解かれ、わずか三か月後、グスタビオと妹の挙式日が告示された。
* * *
その夜の食堂。銀燭台の炎が揺れる向こうで、母と妹は楽しげに笑い合っていた。
「まあ、ミゼットが花嫁になるなんて……頬の傷も、式までにはきっと目立たなくなるわね」
「お母様ったら私より浮かれてる。ねえ、グスタビオ様を迎える部屋の家具、全部新しくしましょう?」
「いいわ、好きになさい」
父はグラスを傾けながら頷く。私の椅子だけが、祝宴から切り離された空席のようだった。
私を横目に妹が宣言する。
「私は侯爵家の後継者として社交界を華やかに彩ってみせるわ」
母が目を細め、父は満足げに微笑んだ。
怪我は偶然だったのだろう――だが、その偶然を父と妹は巧みに掴み取り、私の立場を奪った。流麗な言葉で自由を語りながら、結局、ミゼットは両親の寵愛に身を委ねている。
かつて前世で姉・響子にすべてを奪われた夜が脳裏をよぎる。
私は再び“いらない娘”になった。侯爵家の鍵を守る番人のように生きれば良い――そう安穏を選んだ私への罰なのだろう。
だが、甘んじて罰を受ける気はない。私は静かにグラスを持ち上げ葡萄酒を口に含み、家族を見渡した。己の選択で失ったものは、己の手でしか取り戻せない。
――この屈辱を、ただの痛みで終わらせはしない。
外では朝から降り続いた雨が止んでいた。薄雲の間から三日月が顔を出し、まるで薙刀の刃のように細く白く煌めいている。
その鋭い光を瞳の中に閉じ込めて、私は静かに息を吐いた。
白い包帯を巻いたミゼットが私の部屋のカーペットを踏んだ。その後ろには黒い礼服のまま硬く背筋を伸ばすグスタビオ。
「お姉様……こんなことになって、本当にごめんなさい。あれは事故だったの。お父様が怒鳴るから、グスタビオ様が『責任を取らせてください』って――」
妹は俯き加減に言いながらも、その顔は誇らしさを隠し切れていない。長身で剣を嗜む彼女は“男装の麗人”として領内の若者の憧れだ。対照的に私は、書架と礼法に囲まれて育った地味な侯爵家の淑女にすぎない。
「おかしいわね。あなたはいつも『結婚は自由を奪う鎖』だと言っていたじゃない。顔に傷がついたくらいで、その大義名分を捨てるつもり?」
ミゼットの青い瞳がきらりと揺れた。
「私が決めたんじゃないわ。お父様のご判断よ!」
――結局、最後は父を盾にする。それが妹の“自由”の実体だった。
「ローゼリア嬢」
沈んだ声でグスタビオが歩み出る。深く頭を垂れる姿は、かつて私が恋した誠実そのものの青年騎士だった。
「剣の未熟さ故に怪我を負わせました。団長――閣下から叱責を受け、私は自ら婚姻を申し出たのです」
そう言いながら、彼はわずかにミゼットを庇うように立った。ああ、この瞬間から彼は“妹の婚約者”なのだ。
「私は被害者よ!」とミゼットが声を高める。「顔の傷は女性にとって一生の問題なの。お姉様には分からないでしょうけど」
「騎士を志すなら傷は勲章のはずよ。あなたが剣を選んだのは父の歓心を買うためだったの?」
妹が反論しかけたとき、グスタビオが肩に手を置き制した。
「ローゼリア、どうか責めないでくれ。非は私にある」
漆黒の瞳が揺れ、私たちは短い間見つめ合った。尋ねることは出来なかった――後悔はないのか、と。沈黙したまま、やがて視線は離れた。
こうして私の婚約は呆気なく解かれ、わずか三か月後、グスタビオと妹の挙式日が告示された。
* * *
その夜の食堂。銀燭台の炎が揺れる向こうで、母と妹は楽しげに笑い合っていた。
「まあ、ミゼットが花嫁になるなんて……頬の傷も、式までにはきっと目立たなくなるわね」
「お母様ったら私より浮かれてる。ねえ、グスタビオ様を迎える部屋の家具、全部新しくしましょう?」
「いいわ、好きになさい」
父はグラスを傾けながら頷く。私の椅子だけが、祝宴から切り離された空席のようだった。
私を横目に妹が宣言する。
「私は侯爵家の後継者として社交界を華やかに彩ってみせるわ」
母が目を細め、父は満足げに微笑んだ。
怪我は偶然だったのだろう――だが、その偶然を父と妹は巧みに掴み取り、私の立場を奪った。流麗な言葉で自由を語りながら、結局、ミゼットは両親の寵愛に身を委ねている。
かつて前世で姉・響子にすべてを奪われた夜が脳裏をよぎる。
私は再び“いらない娘”になった。侯爵家の鍵を守る番人のように生きれば良い――そう安穏を選んだ私への罰なのだろう。
だが、甘んじて罰を受ける気はない。私は静かにグラスを持ち上げ葡萄酒を口に含み、家族を見渡した。己の選択で失ったものは、己の手でしか取り戻せない。
――この屈辱を、ただの痛みで終わらせはしない。
外では朝から降り続いた雨が止んでいた。薄雲の間から三日月が顔を出し、まるで薙刀の刃のように細く白く煌めいている。
その鋭い光を瞳の中に閉じ込めて、私は静かに息を吐いた。
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