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第二話 婚約解消
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前世で事故を起こしたのは私のせいではない。
夜の湾岸道路――開けた窓からは潮の匂いがした。ハンドルにかけた両手が震えている。
涼也と別れを告げた直後、スマートフォンがけたたましく鳴った。画面に浮かぶ名前は姉・響子。強く奥歯を嚙みしめる。
『ハロー! 聞いてよ! 涼也君、私にプロポーズしてくれたの。ねえ、これからは“奥さまアイドル”で売るのも素敵じゃない? どう思う、香帆?』
甘い声に滲む優越感。私に広がる嫌悪感……
『奪略愛専門の小悪魔路線がお似合いよ。男好きの響子姉さんには、ね』
言い放ち、通話を切る。続けざまに着信――今度は涼也。
『香帆、響ちゃんを侮辱したって? 何も知らないくせに拗ねるな。あとできちんと謝れ』
脳裏で何かが爆ぜた。何も知らないってどういう意味? 馬鹿にするのもいい加減にして欲しい──
『お断りよ。姉さんにプロポーズしたんでしょう? 婚約は解消、式も取りやめ。二人で好きにすればいいわ』
返事を聞く前に電話を切り、アクセルを踏み込んだ。
――その瞬間、対向車線を越えてきたバイクのヘッドライトが迫った。咄嗟に切ったハンドル、耳を裂く金属音、世界が反転し、意識は暗闇の底へ沈んだ。
***
命を落とした私は意図せずこちらに貴族令嬢として転生してしまった。
涼也への激しい恋慕と違ってグスタビオとは静かな愛情を育んできた。
最初、妹のミゼットが候補だったのだがグスタビオは『ローゼリア様をお慕いしています』と1歳年上の私を選んでくれた。
グスタビオとはきっと運命の糸でつながっていると、この時まで私は信じていたのに……
午後の執務室で、父に呼び出されたときプツリと運命の糸は切れた。
「婚約解消だ。……すまぬな、ローゼリア」
父の声は重く、机上の文書に影が落ちた。
「理由をお聞かせください」
「ミゼットが……傷物になった」
ミゼットは私より一年若く、私と同じ黄金色の髪と碧の瞳を持つ、自由奔放な妹。騎士団の見習いとして訓練に参加していた彼女は、今朝、剣の稽古で顔に深い傷を負ったという。相手は、私の婚約者――グスタビオ・ウォータル伯爵令息。
「跡が残るやもしれん。グスタビオ殿は責任を取ると言った。よって、今後はミゼットと婚約し、いずれ婿として侯爵家を継ぐ」
白い壁時計の針が、一瞬止まったように見えた。
「……私へのご相談は、なかったのですね」
声は静かに震えていた。父は目を伏せ、執務机の角を指で叩いた。
「お前は聡明だ。嫁ぎ先はすぐ見つかる。アゼラン家のためにも、どうか理解してくれ」
侯爵家の娘としての義務――それは父の言葉を受け入れ、従うこと。前世の記憶を抱えたまま、この世界の掟に抗うすべを持たない私は、ただ黙って頷いた。
執務室を出て長い回廊を歩きながら、私は重ねた裾を強く握りしめた。窓からは西日が差し込み、床には今の心情のように黒々と自分の影を映している。
――また奪われた。前世では姉に。今生では妹に。私はいったい、幾度この痛みを飲み込めばいい?
無数の悲しみの棘が私の胸に刺さり悲鳴を上げていた。
同じ運命を辿るのか、次に待つのは……死? いいえ、同じ轍は踏まない。
先の一手を考えて必ず幸福になってみせる。
幸福の糸を手繰り寄せるのだ。
「この手で……」
小さな決心を胸に私は窓を開けて手を伸ばした。外の世界に新たな運命の糸を求めて。
夜の湾岸道路――開けた窓からは潮の匂いがした。ハンドルにかけた両手が震えている。
涼也と別れを告げた直後、スマートフォンがけたたましく鳴った。画面に浮かぶ名前は姉・響子。強く奥歯を嚙みしめる。
『ハロー! 聞いてよ! 涼也君、私にプロポーズしてくれたの。ねえ、これからは“奥さまアイドル”で売るのも素敵じゃない? どう思う、香帆?』
甘い声に滲む優越感。私に広がる嫌悪感……
『奪略愛専門の小悪魔路線がお似合いよ。男好きの響子姉さんには、ね』
言い放ち、通話を切る。続けざまに着信――今度は涼也。
『香帆、響ちゃんを侮辱したって? 何も知らないくせに拗ねるな。あとできちんと謝れ』
脳裏で何かが爆ぜた。何も知らないってどういう意味? 馬鹿にするのもいい加減にして欲しい──
『お断りよ。姉さんにプロポーズしたんでしょう? 婚約は解消、式も取りやめ。二人で好きにすればいいわ』
返事を聞く前に電話を切り、アクセルを踏み込んだ。
――その瞬間、対向車線を越えてきたバイクのヘッドライトが迫った。咄嗟に切ったハンドル、耳を裂く金属音、世界が反転し、意識は暗闇の底へ沈んだ。
***
命を落とした私は意図せずこちらに貴族令嬢として転生してしまった。
涼也への激しい恋慕と違ってグスタビオとは静かな愛情を育んできた。
最初、妹のミゼットが候補だったのだがグスタビオは『ローゼリア様をお慕いしています』と1歳年上の私を選んでくれた。
グスタビオとはきっと運命の糸でつながっていると、この時まで私は信じていたのに……
午後の執務室で、父に呼び出されたときプツリと運命の糸は切れた。
「婚約解消だ。……すまぬな、ローゼリア」
父の声は重く、机上の文書に影が落ちた。
「理由をお聞かせください」
「ミゼットが……傷物になった」
ミゼットは私より一年若く、私と同じ黄金色の髪と碧の瞳を持つ、自由奔放な妹。騎士団の見習いとして訓練に参加していた彼女は、今朝、剣の稽古で顔に深い傷を負ったという。相手は、私の婚約者――グスタビオ・ウォータル伯爵令息。
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白い壁時計の針が、一瞬止まったように見えた。
「……私へのご相談は、なかったのですね」
声は静かに震えていた。父は目を伏せ、執務机の角を指で叩いた。
「お前は聡明だ。嫁ぎ先はすぐ見つかる。アゼラン家のためにも、どうか理解してくれ」
侯爵家の娘としての義務――それは父の言葉を受け入れ、従うこと。前世の記憶を抱えたまま、この世界の掟に抗うすべを持たない私は、ただ黙って頷いた。
執務室を出て長い回廊を歩きながら、私は重ねた裾を強く握りしめた。窓からは西日が差し込み、床には今の心情のように黒々と自分の影を映している。
――また奪われた。前世では姉に。今生では妹に。私はいったい、幾度この痛みを飲み込めばいい?
無数の悲しみの棘が私の胸に刺さり悲鳴を上げていた。
同じ運命を辿るのか、次に待つのは……死? いいえ、同じ轍は踏まない。
先の一手を考えて必ず幸福になってみせる。
幸福の糸を手繰り寄せるのだ。
「この手で……」
小さな決心を胸に私は窓を開けて手を伸ばした。外の世界に新たな運命の糸を求めて。
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