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第九話 ――ハーシェルのその後
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〈ご注意〉残酷な表現があります。
* * *
納得できないまま帰宅した俺は寝台に横たわり醒めた目で天井を睨んでいた。
香帆が俺を拒絶した──怒りと焦りを感じながら俺は今日までの自分を振り返った。
この世界のどこかに、必ず香帆がいる――そう信じた。いや、彼女が死の間際に俺を呼び寄せたのだ、と思い込んでいた。前世の滝川涼也としての記憶が、そう囁き続けたからだ。
涼也としての俺は、香帆の一途な愛を甘受しながら、派手な姉・響子の甘い毒に揺らいでいた。だが結婚を考えたのは従順な香帆だ。良妻には彼女がふさわしい、そう決め込んでいた。
その香帆を事故で失い、祭壇に掲げられた微笑む写真の前で、俺は自分の胸を鷲掴みにされる後悔を味わった。もう一度、せめて一言“すまない”と告げたい――そう願ったのは嘘ではない。
だが願いの直後、狂気の刃が俺を刺し貫き、気づけば貴族ニルカート家の嫡男ハーシェルとして転生していた。
* * *
ミゼットの存在を知った時、派手で男女の心をもてあそぶ姿は、響子の面影を見た気がした。――彼女を追えば、香帆の面影を纏ったローゼリアに辿り着いた。
事実、ローゼリア嬢の口から零れる奇妙な“異国語”は日本の片言そのもの。調べを進めるほど、彼女こそ香帆だという確信は強くなった。
香帆となら何でも出来る。侯爵令嬢である彼女は利用価値も高い。
前世の知識で商いを興し、大金を握り、この古い王制の国を日本のように“平等で便利”な国へ造り替えられる――王の座さえ視野に入る。そんな壮図を胸に、俺は彼女に迫った。だが結果は拒絶。
彼女の涙は、俺を赦すものではなかった。
「くそっ……いつまでも過去を根に持ちやがって」
言い放った矢先、父に呼びつけられた。
部屋には静謐が漂っていた。そこに憔悴した父の姿が。
「ハーシェル……お前というやつは!」
冷静沈着な父が声を荒らげるのを初めて見た。
「何か、ございましたか」
「アゼラン侯爵家から断交の書状が来た。娘君との縁談も白紙だ」
胸がざわめく前に、さらに冷たい言葉が続く。
「加えて、お前の口から“国民の平等”だの“王になる”だのと吹聴したと訴えが出ている。王政を揺るがす叛意―― 国家転覆罪だ!」
血の気が引いた。
「叛意など! 俺はただ……この国を良くしようと――」
「黙れ! ニルカート家を潰す気か。舌を抜かれても文句は言えぬぞ! 馬鹿者が!」
父の怒声……それはまるで、喉元に剣先を突きつけられたようだった。
香帆――いや、ローゼリアが俺を“危険”と判断し訴えたのか。それとも、貴族社会の保守派が叩き潰しに来たのか。
「誤解なんです、父上!」
「それを縛り上げろ!」
護衛兵が踏み込み、両腕を捻り上げる。父は背を向け、「屋敷から一歩も出すな」とだけ命じた。
舌に走った激痛と鉄の味。言葉を失った瞬間、同時にすべて失った。――前世の悔恨も、転生の大志も、どろりと崩れ落ちていく。
* * *
薄暗い領地の離れ、重たい扉の内側で、俺はただ天井を見つめている。
どこで間違ったのか。
香帆を探すという執念が、結局は二度目も香帆を失わせ、舌をも失わせた。
もし前世の記憶がなければ、俺はただの伯爵家の息子として平穏に暮らし、ローゼリアとも穏やかに出会えたのだろうか――。
だが願いは泡沫。
壁の灯火の揺らぎを見つめながら、俺は自嘲の笑みを噛み殺した。
前世の栄光も後悔も今世の俺には、何ももたらしはしなかった。執着は足枷となっただけ。
前世の記憶などいらなかった……
舌を持たない口腔に、やがて乾いた血の味が広がった。
――愚かだったのは、いつの世も俺自身。
* * *
納得できないまま帰宅した俺は寝台に横たわり醒めた目で天井を睨んでいた。
香帆が俺を拒絶した──怒りと焦りを感じながら俺は今日までの自分を振り返った。
この世界のどこかに、必ず香帆がいる――そう信じた。いや、彼女が死の間際に俺を呼び寄せたのだ、と思い込んでいた。前世の滝川涼也としての記憶が、そう囁き続けたからだ。
涼也としての俺は、香帆の一途な愛を甘受しながら、派手な姉・響子の甘い毒に揺らいでいた。だが結婚を考えたのは従順な香帆だ。良妻には彼女がふさわしい、そう決め込んでいた。
その香帆を事故で失い、祭壇に掲げられた微笑む写真の前で、俺は自分の胸を鷲掴みにされる後悔を味わった。もう一度、せめて一言“すまない”と告げたい――そう願ったのは嘘ではない。
だが願いの直後、狂気の刃が俺を刺し貫き、気づけば貴族ニルカート家の嫡男ハーシェルとして転生していた。
* * *
ミゼットの存在を知った時、派手で男女の心をもてあそぶ姿は、響子の面影を見た気がした。――彼女を追えば、香帆の面影を纏ったローゼリアに辿り着いた。
事実、ローゼリア嬢の口から零れる奇妙な“異国語”は日本の片言そのもの。調べを進めるほど、彼女こそ香帆だという確信は強くなった。
香帆となら何でも出来る。侯爵令嬢である彼女は利用価値も高い。
前世の知識で商いを興し、大金を握り、この古い王制の国を日本のように“平等で便利”な国へ造り替えられる――王の座さえ視野に入る。そんな壮図を胸に、俺は彼女に迫った。だが結果は拒絶。
彼女の涙は、俺を赦すものではなかった。
「くそっ……いつまでも過去を根に持ちやがって」
言い放った矢先、父に呼びつけられた。
部屋には静謐が漂っていた。そこに憔悴した父の姿が。
「ハーシェル……お前というやつは!」
冷静沈着な父が声を荒らげるのを初めて見た。
「何か、ございましたか」
「アゼラン侯爵家から断交の書状が来た。娘君との縁談も白紙だ」
胸がざわめく前に、さらに冷たい言葉が続く。
「加えて、お前の口から“国民の平等”だの“王になる”だのと吹聴したと訴えが出ている。王政を揺るがす叛意―― 国家転覆罪だ!」
血の気が引いた。
「叛意など! 俺はただ……この国を良くしようと――」
「黙れ! ニルカート家を潰す気か。舌を抜かれても文句は言えぬぞ! 馬鹿者が!」
父の怒声……それはまるで、喉元に剣先を突きつけられたようだった。
香帆――いや、ローゼリアが俺を“危険”と判断し訴えたのか。それとも、貴族社会の保守派が叩き潰しに来たのか。
「誤解なんです、父上!」
「それを縛り上げろ!」
護衛兵が踏み込み、両腕を捻り上げる。父は背を向け、「屋敷から一歩も出すな」とだけ命じた。
舌に走った激痛と鉄の味。言葉を失った瞬間、同時にすべて失った。――前世の悔恨も、転生の大志も、どろりと崩れ落ちていく。
* * *
薄暗い領地の離れ、重たい扉の内側で、俺はただ天井を見つめている。
どこで間違ったのか。
香帆を探すという執念が、結局は二度目も香帆を失わせ、舌をも失わせた。
もし前世の記憶がなければ、俺はただの伯爵家の息子として平穏に暮らし、ローゼリアとも穏やかに出会えたのだろうか――。
だが願いは泡沫。
壁の灯火の揺らぎを見つめながら、俺は自嘲の笑みを噛み殺した。
前世の栄光も後悔も今世の俺には、何ももたらしはしなかった。執着は足枷となっただけ。
前世の記憶などいらなかった……
舌を持たない口腔に、やがて乾いた血の味が広がった。
――愚かだったのは、いつの世も俺自身。
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