後宮画師はモフモフに愛される ~白い結婚で浮気された私は離縁を決意しました~

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第一章

第一章 ~『突きつけた証拠』~

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 雪華せっか李明りめい趙炎ちょうえんの私室に足を踏み入れる。彼が戻ってくるまでに証拠の塗料を発見しなければならないため、二人の行動には焦りが見えた。

 時間が経つごとに緊張感が高まっていく中、雪華せっかは冷静に視線を巡らせる。壁際に置かれた棚には書物が整然と並んでおり、以前、この部屋を掃除した時から変わっていないことに気づく。

趙炎ちょうえん様の浮気が発覚してから、私はこの部屋を掃除していません。それは使用人の皆さんも同じですよね?」
「裏切り者に尽くすほど、僕らも暇じゃないからね」
「なら埃の有無で隠し場所を特定できるかもしれませんね」
「――ッ……さすが雪華せっかだ。それなら効率的に探せるよ」

 証拠の探索を進める中で、雪華せっかはふと机の上に目をやる。他の場所と違い、微妙な乱れが見て取れた。筆や紙が無造作に置かれており、積まれた書類が少し歪んでいる。あたかも何かを急いで片付けたような印象だった。

「この筆や紙は引き出しの中に仕舞っていたはずです」
「別のなにかを仕舞うために、代わりに外に出したのかもね」
「その予想、きっと正解です」

 雪華せっかはそっと引き出しの取っ手に触れる。埃が消えており、最近、開けられたことが伺える。

 引き出しを開けると、そこには塗料の瓶が仕舞われていた。雪華せっかは手を伸ばして、静かに瓶を取り出す。

「間違いなく、この塗料ですね……」

 画師の雪華せっかが見間違えるはずもない。手綱の切れ目を隠すために塗られていた塗料だ。

 引き出しの中に無造作に保管されていた事実に、雪華せっかは彼の怠慢さを再認識する。

「相変わらず、ツメの甘い人ですね」
「僕が指導していた頃からそうだからね。最後の最後で手を抜くから、何度も叱ったものさ」
「でも今の私たちにとっては好都合ですね」
趙炎ちょうえんの性格は計画の要でもあるからね」

 雪華せっか李明りめい趙炎ちょうえんの裏切りに対して、復讐方法を決めていた。彼の怠惰な性格を逆手に取り、追い詰める腹積もりだった。

(準備は整いましたね)

 対峙するための準備を整えた雪華せっかは、静かに息を吐き出す。緊張感を高めながら、扉が開くのを待つ。

 時間が過ぎ、やがてゆっくりと扉の開く音が響くと、その向こうで趙炎ちょうえん美蘭びらんが姿を現す。二人は雪華せっかたちの存在に気づくと、表情を強張らせる。

「なぜ雪華せっかがここに……後宮に行ったんじゃ……」

 驚愕と疑念の混じった声が、趙炎ちょうえんの口から漏れる。まさか自室で彼女が待っているとは夢にも思わず、動揺を隠しきれていなかった。

「それに李明りめいさんまで……」
「僕は雪華せっかの付き添いさ。君に大事な話があるそうだからね」
雪華せっかが俺に?」
「はい。この手綱について、あなたに聞きたいことがあります」

 雪華せっかの手には細工された手綱が握られていた。淡々とした態度とは裏腹に、その目には鋭い怒りが込められている。

「そ、それは……」
「仕掛けがしてありました。あなたは私を殺すつもりでしたね?」
「ち、違う、誤解だ!」

 趙炎ちょうえんは動揺しているのか、声を震わせる。そんな彼に追い打ちをかけるように、雪華せっかは塗料の瓶を提示する。

「手綱の細工を隠すために塗られた塗料を趙炎ちょうえん様の部屋から見つけました。同じものであることは調べればすぐに判明します。言い逃れはできませんよ」
「お、俺の部屋を勝手に調べたのか!」
「はい。あなたのことを信用していませんから」
「うぐっ……」
「警吏に突き出されるか、離縁するか。好きな方を選んでください」

 趙炎ちょうえんに提示した選択肢は脅しではない。彼が離縁を拒否するなら、躊躇なく警吏に突き出し、罪を償わせる覚悟だった。

 その厳しさに趙炎ちょうえんの顔は険しくなる。追い詰められた彼は、背中から冷たい汗を流して黙り込んだ。

 しばらくの間、静寂が流れ、緊迫した空気に包まれる。だが美蘭びらんの笑い声によって、打ち破られることになった。

「ここまできたら言い逃れできないわね。そうよ。私たちはあなたを殺そうとしたの」
美蘭びらん、お前、何を言って……」
「証拠を握られているのよ。座して待てば、私たちは破滅するわ。こうなったら賭けに出るしかないの」
「賭け?」
「幸いにも相手は二人。趙炎ちょうえん、あなたの力なら、始末できるでしょう?」

 美蘭びらんの目は冷たく光り、趙炎ちょうえんをそそのかすように語りかける。

「だが、そんなことをすれば……」
「真っ先に疑われるでしょうね。だから私が筋書きを用意するわ。犯人の李明りめい雪華せっかを襲ったというシナリオをね」
「無茶だ。そんな話、誰も信じるものか」
「でも何もしなければ破滅よ。なら僅かな望みでも賭けに出るべきじゃないかしら」
「それは……」
「やるしかないのよ」

 美蘭びらんの狂気じみた説得に、趙炎ちょうえんは戸惑いながらも頷く。苦悩を浮かべながらも、ゴクリと息を飲む彼に、李明りめいが反応する。

「君はそこまで落ちぶれるつもりかい?」
李明りめいさん……俺は……」

 趙炎ちょうえんはかすかに震える声で応える。かつて師事していた李明りめいの前で、こんな状況に追い詰められた自分を情けなく思う反面、もう引き返せないという重圧が彼の行動を縛りつけていた。

 趙炎ちょうえんは短く息を吸い込み、胸の前で拳を構える。ただ迷いを完全には払拭できていないからか、その構えには隙が生じていた。

 李明りめいもまた無駄のない洗練された構えを取る。

 緊迫した空気の中、睨み合う二人。

 そんな中、趙炎ちょうえんは耐えきれずに動き出そうとする。だがそれよりも早く李明りめいは彼の背後に回り込むと、腕を掴んで、背中に押し込んだ。

 そのまま床に押し倒された趙炎ちょうえんは、うつ伏せになりながら、息を荒げて藻掻く。顔が苦痛に歪み、身動きが取れなくなっていた。

「制圧完了だ」
「さすが、李明りめい様ですね」
「年を重ねたとはいえ、弟子に遅れは取らないさ」

 李明りめいは冗談めかして口にするが、長年の努力で培った実力は本物だ。場を掌握した雪華せっかは、趙炎ちょうえんを見下ろす。

「さて、状況証拠は十分です。正当防衛も成り立つでしょう。その上で趙炎ちょうえん様に聞きます。離縁しますか?」

 趙炎ちょうえんに選択肢は残されていない。彼の運命は今、雪華せっかの手の中に握られている。彼女の目は冷静でありながら、鋭く、容赦がない。

 その瞳に見据えられた趙炎ちょうえんは、何も言えずにただ黙り込む。敗北したことを悟るが、立場を捨てられるほどの覚悟ができていなかったからだ。

「もちろん、私も鬼ではありません。離縁には慰謝料が発生します。金貨百枚でいかがでしょうか?」
「金貨百枚!」
「さらに警吏に突き出しもしません。離縁届けに署名さえすれば、その場で開放しましょう」
「そんな上手い話……」
「それほどまでに、趙炎ちょうえん様と離縁したいのですよ」
「…………」

 警吏に捕まったとしても離縁には即座に繋がらない。もっとも迅速に別れる手段こそ、互いが同意しての離縁届けの提出だった。

 地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸のような提案に、趙炎ちょうえんは息を呑む。

 断れば、無一文で警吏に突き出される。そうなるよりはマシかと、彼が頷こうとすると、美蘭びらんが待ったをかける。

「信じられないわ。金貨百枚もの大金、本当に払えるの?」
「私は卿士けいしですから。用意できない金額ではありませんので」
「でも……」
「論より証拠。こちらが金貨百枚です」

 腰に提げていた革袋を取り出す。その中にはずっしりと金貨が詰まっており、雪華せっかの話には十分な説得力があった。

「これだけの大金があれば、しばらくは遊んで暮らせるわね」
「離縁を受け入れてくれますね」
「もちろんよ。趙炎ちょうえんもいいわね?」
「あ、ああ……」
「話が早くて助かります」

 雪華せっかは伏している趙炎ちょうえんの前に離縁届けを差し出す。重厚な書面には離縁後の扱いや、慰謝料に関する詳細が記されている。

李明りめい様、彼を離してあげてください。実力差は理解できたでしょうし、もう暴れたりはしないでしょうから」

 取り押さえていた趙炎ちょうえんを開放すると、雪華せっかの予想した通り、彼は大人しく筆を受け取る。

「どこに署名すればいい?」
「内容を一読して、署名欄にお願いします」
「分かった」

 趙炎ちょうえんは離縁届に目を通すと、眉間にシワを寄せる。武に優れていても、こうした面倒な書類に苦手意識が強く、怠惰な性格の彼は、書面の内容を読んで理解する力が欠けていた。

 離縁届けのほとんどを読み飛ばした後、署名欄に筆を走らせる。

「書き終わったぞ。これで赤の他人だ」
「確かに」

 雪華せっかは署名を確認し、静かに頷く。その瞳には満足感が浮かんでいた。

「では契約通り、金貨百枚を払ってもらいましょうか」
「はぁ?」
「ふふ、私はこう言いましたよ。金貨百枚を慰謝料として支払うと。浮気されたのは私なのですから。支払うのは趙炎ちょうえん様に決まっているでしょう」

 趙炎ちょうえんは耳を疑ったように唖然とする。彼が思っていた展開とは異なり、浮気の代償として慰謝料を請求されている事実に驚愕を隠しきれなかった。

「感謝してくださいよ。たった金貨百枚で許してあげるのですから」
「ふ、ふざけるな! 俺を騙したのか!」
「あなたが勝手に勘違いしただけです」
「なら、その革袋の金貨はどうなる!」
「私は金貨百枚を用意できると伝えただけです。払うとは一言も口にしていません。それに大切なのは契約の内容です。離縁届けにはしっかりと趙炎ちょうえん様が金貨百枚を支払うと記されていますから」
「それは……」

 分厚い離縁届は内容を把握させないための雪華せっかの罠だったのだ。怒りと悔しさで歯を食いしばりながら、趙炎ちょうえんは抗議の眼差しを向ける。だが彼よりも先に反応を示したのは美蘭びらんだった。

「待って、どういうこと?」
趙炎ちょうえん様が私に金貨百枚を支払っての離縁が成立したのです」
「ふ、ふざけないで!」
「私は冗談が嫌いですから。これはすべて事実です」

 美蘭びらんは眉をひそめ、鋭い目つきで雪華せっかを睨みつける。だが抗議しても無駄だと悟ったのか、すぐに視線を趙炎ちょうえんへと移す。瞳には軽蔑の色が浮かんでいた。

「なら趙炎ちょうえんに価値なんてないじゃない!」
「び、美蘭びらん……お、お前……俺のことを愛して……」
「ふん、金もない、学もない。多少顔が良いだけの腕っぷし自慢の男なんて世の中にいくらでもいるの。もうあんたに用はないわ」
「――ッ……美蘭びらん!」
「じゃあね。私は次の男を探すわ」

 美蘭びらんは冷たく、そして無情に背を向けて部屋を後にする。その背中からは未練の欠片も感じられない。

 趙炎ちょうえん美蘭びらんの冷酷な言葉を受けて、呆然とする。深く傷ついた彼は、失望と無力感に打ちひしがれていたが、このままではいけないと、その背中を追いかける。

「待ってくれ、美蘭びらん!」

 趙炎ちょうえんの声が廊下から届く。少しずつ消えていく足音が、彼らがこの場から去ったことを教えてくれた。

「終わったね」
李明りめい様のおかげです」
「馬鹿な弟子を育てた責任を取っただけさ」

 李明りめいは肩をすくめ、軽く笑いながら答えると、離縁届けを手に取る。

「金貨百枚の取り立ては僕に任せて欲しい。街の金融屋に知り合いがいてね。回収をお願いする予定だから」
趙炎ちょうえん様はきっと後悔しますね」
「間違いなくね。なにせ、こんな素敵な女性を捨てたのだから」

 李明りめいの慰めの言葉に雪華せっかは微笑む。もう結婚はこりごりだと、すべてが終わった開放感に肩の力を抜くのだった。

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