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第十七話 施術
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「この中農という緑豊かな街は、華秦国でも大きな街の西京と王都である東安のちょうど真ん中にあります。だから西京の街から東安へ行くための休憩地点として利用する人が多いんですよ」
温もりが感じられる優しい老婆の声が、広場の一角に響き渡る。
広場には大道芸人たちの見世物や、飲食の露店などのお陰でそれなりの賑わいを見せていた。
老婆がいたのは、そんな広場の端っこのほうだ。
どうやら俺が広場に来る前から、この中農の街を初めて訪れる旅人に対して、街に滞在するための注意点などを説明しているらしい。
特に南方に対する旅人などへの説明に熱心だった。
他の人間より赤銅色の肌をしていることもあって、もしかすると南方出身なのかもしれない。
そんな老婆が善意なのか道楽でしているのかは分からないが、名所案内などの話は初めてこの街に来た者にとっては金言だ。
だとしたら俺も聞かない手はない。
実際、俺もこの中農の街に来たのは初めてだった。
そのため俺は見世物や露店よりも、身なりの良い服装をした老婆の話に耳を傾けることにしたのだ。
現在の時刻は、未の刻(午後1時~午後3時)に入ったばかりだろうか。
つまり、アリシアさんと馬車に乗っていたときから丸1日が経っている。
けれども、アリシアさんはここにはいない。
道中で採取した貴重な薬草などを、この街では道家行より規模も権威も高いという薬家行へ換金しに行っている。
薬家行とは、医術に用いる薬の発明や調合・売買を行う場所だ。
主に利用するのは、医術と薬に詳しい薬士たちである。
そんな薬家行に最初は俺もついていくつもりだったが、2人旅なのだから情報取集と換金の二手に分かれて行動しようということになったのだ。
ちなみにアリシアさん曰く、西方の国で薬家行は薬師ギルドという名前で同じような活動をしているという。
まあ、それはともかく。
俺は老婆の話に耳を集中させる。
「――でも、中農には休憩以外の目的でこの街を訪れる人がとても多い。さて、それはなぜでしょうか?」
話を聞いていた十数人の顔を見渡しながら、老婆は満面の笑みを浮かべている。
「はいはい、ボクは知ってるよ」
そのとき、1人の子供が大きな声で手を挙げた。
老婆の話を聞いていた旅人の子供だろう。
「この街の周りでたくさん採れる、お薬になる草を探しに来ているんだよね?」
「あら~、よく知っているわね。大正解よ」
老婆は子供を褒めると、再び傍聴人たちを見渡して言葉を続けた。
「この子の言ったように、この中農の街の周辺の森には貴重な薬草などが豊富に取れます。ですが、それと同じぐらい危険な妖魔も多い。特にこの周辺に生息する妖魔は、人間が特定の草花を摘んでいることを知っていますから、貴重な薬草を採りにいく際には十分に注意してくださいね」
なるほど、と俺は思った。
これは事情を知らなかった人間――特にこの街を初めて訪れた、道士や薬士にとっては貴重な話だ。
たとえば薬草採取の仕事を受けて森に入ったのに、気がつけば妖魔討伐になっている可能性もあるということか。
他にも何となく分かったことがある。
ただの老婆が街中で旅人相手に説明しているということは、この街の道家行や薬家行は上手く機能していないのかもしれない。
おそらくこの街の道家行や薬家行の連中は、新入りや他の街から来た道士たちにほとんど薬草採取にともなう危険の説明をしていないのだろう。
なので事情を知った老婆のような人間が、こうして街中で犠牲者を増やさない活動をしているのは非常に感心できる。
などと推測しながら、俺は老婆の話を聞き続けた。
それから四半刻(約30分)後――。
注意事項に加えて街の観光名所なども話し終えた老婆は、自分の前から誰もいなくなると広場の隅にそっと腰を下ろした。
腰痛の持病を持っているのだろう。
老婆は背中を丸め、左右の腰をさすりながら顔を歪めている。
「大丈夫ですか?」
俺は老婆に近づいて声をかけた。
「あら? あなたも私の話を真剣に聞いてくれていた人ね」
老婆は他人に弱みを見せたくない性格に違いない。
すぐに背筋を伸ばして、にこやかな笑みを作る。
「あなた、この街には来たばかり?」
俺はこくりと頷いた。
「正確には昨日の夜にこの街に辿り着いたんです。なので、あなたの話は非常にタメになることばかりでした……え~と」
「うふふ、私の名前は水連よ。あなたは?」
「孫龍信といいます」
「見た目からして、行商人というわけではなさそうね」
「はい、これでも道士なんです……まあ、最低等級なんですが」
へえ、と水連さんは目を丸くさせる。
「もしかして、あなたも例の妖魔を倒す目的でこの街に来たの? 私が薬を依頼している、あの薬士さんのところの」
「薬士? 例の妖魔?」
俺は何のことか皆目見当がつかなかった。
こんなお婆さんでも知っているほど、有名な妖魔でも出没するのだろうか?
それに薬士さんのところの、というのはどういうことだ?
小首を傾げた俺を見て、水連さんは察したのだろう。
「ごめんなさい。知らないならいいのよ。それに初対面の道士さんにこんなことを言うのは失礼なんだけど、あなたは妖魔と闘えるほど強そうには見えないわ」
「はは……よく言われます」
と、俺が水連さんと話を合わせたときだ。
「あ痛たたた」
水連さんは苦痛に顔を歪め、両手で腰を押さえ始めた。
「腰は痛めてから長いんですか?」
そうね、と水連さんは答える。
「この腰のせいで以前の仕事を辞めてから10年の付き合いになるかしら。どんな薬や医術者に見せても一向に治らなくてね。もう諦めているわ」
俺はしばし考えた。
「……良ければ、俺が腰を診ましょうか?」
水連さんはきょとんとする。
「あなたは医術者じゃなくて道士さんなんじゃないの?」
「そうなんですが、そっちのほうも得意だったりするので」
水連さんは「そうね……」と乾いた笑みを浮かべた。
「それじゃあ、お願いしようかしら。ちょっと腰を揉んでもらうだけでも楽にはなるから」
俺は「そんなつもりで言ったわけじゃないです」と答える。
「多分、治せますよ」
俺は水連さんの背中側に移動すると、「失礼します」と言って背中を触った。
それだけではない。
下丹田で精気を練り上げ、そのほどよく練った精気を水連さんの身体に送って内部の様子を診る。
「腰が必要以上に反ってますね。それに首の骨の位置も微妙におかしい。おそらく、水連さんは片側だけでモノを食べる癖はありませんか? それに加えてお腹周りの筋肉も固まっているので、背骨が歪んだ形で固定されてしまっています」
水連さんは顔だけを俺に振り向かせると、「どうして、そんな詳しいことが分かるの?」と目で問いかけてくる。
「それなりの数の人間は診てきましたから」
事実だった。
俺はこれまで孫家の屋敷で働いていた何十人もの人間や、仁翔さまに会いに来たご友人がたの不調なども治してきたのだ。
「まさか、本当に私の腰痛を治せるの?」
「治せますし、治ります……ですが、施術に数日ください。今の水連さんの身体は、腰痛が当たり前の状態になっているんです。それは肉体だけではなく心もそうなっている」
「ど、どういうこと?」
「水連さん自身が治らないと決めつけているなら、治るものも治りません。そして、その凝り固まった心も解すのに数日が欲しいんです。俺はちゃんとした医術者ではありませんが、〈保健功〉という心身の異常を治すのが得意な道士なんですよ……どうです? 騙されたと思って俺の施術を受けてみますか?」
水連さんは大きく首を縦に振った。
「今まで何十人もの薬士や医術者に診てもらったけど、あなたほど自信に満ち溢れた目と声で治せると言ってくれた人はいないかったわ」
お願いします、と水連さんは頭を下げてくる。
「分かりました」
俺は水連さんの背中から両手を離すと、改めて気合を入れるためボキボキと指の骨を鳴らす。
そして――。
心が清々しくなるような晴天の下、俺は水連さんの施術を開始した。
温もりが感じられる優しい老婆の声が、広場の一角に響き渡る。
広場には大道芸人たちの見世物や、飲食の露店などのお陰でそれなりの賑わいを見せていた。
老婆がいたのは、そんな広場の端っこのほうだ。
どうやら俺が広場に来る前から、この中農の街を初めて訪れる旅人に対して、街に滞在するための注意点などを説明しているらしい。
特に南方に対する旅人などへの説明に熱心だった。
他の人間より赤銅色の肌をしていることもあって、もしかすると南方出身なのかもしれない。
そんな老婆が善意なのか道楽でしているのかは分からないが、名所案内などの話は初めてこの街に来た者にとっては金言だ。
だとしたら俺も聞かない手はない。
実際、俺もこの中農の街に来たのは初めてだった。
そのため俺は見世物や露店よりも、身なりの良い服装をした老婆の話に耳を傾けることにしたのだ。
現在の時刻は、未の刻(午後1時~午後3時)に入ったばかりだろうか。
つまり、アリシアさんと馬車に乗っていたときから丸1日が経っている。
けれども、アリシアさんはここにはいない。
道中で採取した貴重な薬草などを、この街では道家行より規模も権威も高いという薬家行へ換金しに行っている。
薬家行とは、医術に用いる薬の発明や調合・売買を行う場所だ。
主に利用するのは、医術と薬に詳しい薬士たちである。
そんな薬家行に最初は俺もついていくつもりだったが、2人旅なのだから情報取集と換金の二手に分かれて行動しようということになったのだ。
ちなみにアリシアさん曰く、西方の国で薬家行は薬師ギルドという名前で同じような活動をしているという。
まあ、それはともかく。
俺は老婆の話に耳を集中させる。
「――でも、中農には休憩以外の目的でこの街を訪れる人がとても多い。さて、それはなぜでしょうか?」
話を聞いていた十数人の顔を見渡しながら、老婆は満面の笑みを浮かべている。
「はいはい、ボクは知ってるよ」
そのとき、1人の子供が大きな声で手を挙げた。
老婆の話を聞いていた旅人の子供だろう。
「この街の周りでたくさん採れる、お薬になる草を探しに来ているんだよね?」
「あら~、よく知っているわね。大正解よ」
老婆は子供を褒めると、再び傍聴人たちを見渡して言葉を続けた。
「この子の言ったように、この中農の街の周辺の森には貴重な薬草などが豊富に取れます。ですが、それと同じぐらい危険な妖魔も多い。特にこの周辺に生息する妖魔は、人間が特定の草花を摘んでいることを知っていますから、貴重な薬草を採りにいく際には十分に注意してくださいね」
なるほど、と俺は思った。
これは事情を知らなかった人間――特にこの街を初めて訪れた、道士や薬士にとっては貴重な話だ。
たとえば薬草採取の仕事を受けて森に入ったのに、気がつけば妖魔討伐になっている可能性もあるということか。
他にも何となく分かったことがある。
ただの老婆が街中で旅人相手に説明しているということは、この街の道家行や薬家行は上手く機能していないのかもしれない。
おそらくこの街の道家行や薬家行の連中は、新入りや他の街から来た道士たちにほとんど薬草採取にともなう危険の説明をしていないのだろう。
なので事情を知った老婆のような人間が、こうして街中で犠牲者を増やさない活動をしているのは非常に感心できる。
などと推測しながら、俺は老婆の話を聞き続けた。
それから四半刻(約30分)後――。
注意事項に加えて街の観光名所なども話し終えた老婆は、自分の前から誰もいなくなると広場の隅にそっと腰を下ろした。
腰痛の持病を持っているのだろう。
老婆は背中を丸め、左右の腰をさすりながら顔を歪めている。
「大丈夫ですか?」
俺は老婆に近づいて声をかけた。
「あら? あなたも私の話を真剣に聞いてくれていた人ね」
老婆は他人に弱みを見せたくない性格に違いない。
すぐに背筋を伸ばして、にこやかな笑みを作る。
「あなた、この街には来たばかり?」
俺はこくりと頷いた。
「正確には昨日の夜にこの街に辿り着いたんです。なので、あなたの話は非常にタメになることばかりでした……え~と」
「うふふ、私の名前は水連よ。あなたは?」
「孫龍信といいます」
「見た目からして、行商人というわけではなさそうね」
「はい、これでも道士なんです……まあ、最低等級なんですが」
へえ、と水連さんは目を丸くさせる。
「もしかして、あなたも例の妖魔を倒す目的でこの街に来たの? 私が薬を依頼している、あの薬士さんのところの」
「薬士? 例の妖魔?」
俺は何のことか皆目見当がつかなかった。
こんなお婆さんでも知っているほど、有名な妖魔でも出没するのだろうか?
それに薬士さんのところの、というのはどういうことだ?
小首を傾げた俺を見て、水連さんは察したのだろう。
「ごめんなさい。知らないならいいのよ。それに初対面の道士さんにこんなことを言うのは失礼なんだけど、あなたは妖魔と闘えるほど強そうには見えないわ」
「はは……よく言われます」
と、俺が水連さんと話を合わせたときだ。
「あ痛たたた」
水連さんは苦痛に顔を歪め、両手で腰を押さえ始めた。
「腰は痛めてから長いんですか?」
そうね、と水連さんは答える。
「この腰のせいで以前の仕事を辞めてから10年の付き合いになるかしら。どんな薬や医術者に見せても一向に治らなくてね。もう諦めているわ」
俺はしばし考えた。
「……良ければ、俺が腰を診ましょうか?」
水連さんはきょとんとする。
「あなたは医術者じゃなくて道士さんなんじゃないの?」
「そうなんですが、そっちのほうも得意だったりするので」
水連さんは「そうね……」と乾いた笑みを浮かべた。
「それじゃあ、お願いしようかしら。ちょっと腰を揉んでもらうだけでも楽にはなるから」
俺は「そんなつもりで言ったわけじゃないです」と答える。
「多分、治せますよ」
俺は水連さんの背中側に移動すると、「失礼します」と言って背中を触った。
それだけではない。
下丹田で精気を練り上げ、そのほどよく練った精気を水連さんの身体に送って内部の様子を診る。
「腰が必要以上に反ってますね。それに首の骨の位置も微妙におかしい。おそらく、水連さんは片側だけでモノを食べる癖はありませんか? それに加えてお腹周りの筋肉も固まっているので、背骨が歪んだ形で固定されてしまっています」
水連さんは顔だけを俺に振り向かせると、「どうして、そんな詳しいことが分かるの?」と目で問いかけてくる。
「それなりの数の人間は診てきましたから」
事実だった。
俺はこれまで孫家の屋敷で働いていた何十人もの人間や、仁翔さまに会いに来たご友人がたの不調なども治してきたのだ。
「まさか、本当に私の腰痛を治せるの?」
「治せますし、治ります……ですが、施術に数日ください。今の水連さんの身体は、腰痛が当たり前の状態になっているんです。それは肉体だけではなく心もそうなっている」
「ど、どういうこと?」
「水連さん自身が治らないと決めつけているなら、治るものも治りません。そして、その凝り固まった心も解すのに数日が欲しいんです。俺はちゃんとした医術者ではありませんが、〈保健功〉という心身の異常を治すのが得意な道士なんですよ……どうです? 騙されたと思って俺の施術を受けてみますか?」
水連さんは大きく首を縦に振った。
「今まで何十人もの薬士や医術者に診てもらったけど、あなたほど自信に満ち溢れた目と声で治せると言ってくれた人はいないかったわ」
お願いします、と水連さんは頭を下げてくる。
「分かりました」
俺は水連さんの背中から両手を離すと、改めて気合を入れるためボキボキと指の骨を鳴らす。
そして――。
心が清々しくなるような晴天の下、俺は水連さんの施術を開始した。
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