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第十四話    死人

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 オリビアには訳が分からなかった。

 何故、敵を全滅させたのに再び剣を抜かなければならないのだろう。

「四狼、落ち着け。もう敵はいない。敵がいないのに戦う必要なんてないだろう? それとも何か、昨日の件をまだ怒っているのか?」

 昨日の件とは、オリエンタが姿と素性を隠しながら四狼と金剛丸に近づき、セシリア救出の仕事を依頼したときのことである。

 オリエンタの警護も兼ねてその場に同行していたオリビアは、少年と不気味な巨人を見て激昂してしまった。

 自分は救出部隊に選ばれなかったのに、こんな少年が救出に向かうことに。

「あのとき、いきなり斬りつけたことはこの通り謝罪する。しかし、今は互いにいかに協力し合ってセシリア様を救出するかを考えてくれ」

 そう言うとオリビアは、右手を胸元に添えて軽く頭を下げた。

 言葉でも伝えた通り、今は協力し合わなければならない状況である。

 それに四狼と金剛丸の人並み外れた強さも確認できた。

 どうやら名のある傭兵の噂に嘘偽りはない。

「アンタの誠意ある態度はわかった。互いに協力し合うという意見にも大賛成だ。だからこそ言わせてもらう。剣を抜いて構えろ、オリビア。まだ終わっていない」

 顔を上げたオリビアは、やはり四狼の言いたいことが分からないという顔を見せた。

 だが次の瞬間、オリビアの耳が異様な音を拾った。

 バキ、ゴキ、という人体の骨を無理やり折ったような音と、甲冑が擦れ合うガチャガチャと鳴る異様な音を。

「な……何だと……」

 ゆっくりと振り返ったオリビアは、言葉をなくした。

 首半分と衣類の一部を真っ赤に染めた男が二本足で大地の上に立っていた。

 間違いなく自分の剣で致命傷を受けたはずの口髭の男が――。

 オリビアは瞬時に鞘から長剣を引き抜いた。震える切っ先を口髭の男に突きつける。

 何故だ? 何故だ? 何故だ? オリビアは胸中で何度も同じ言葉を反芻させた。

 異常を通り越して最早不気味であった。

 致命傷を受けて死んだはずの口髭の男は、視点が定まらない淀んだ目つきのまま阿呆のように口を半開きにさせていた。

 見れば浅黒かった肌が青白く変色し、紛れもなく死者の相を浮かべている。

 だが生きている。そうでなければ二本足で大地に立つなど不可能だ。

「――ビア、オリビア!」

 ビクッとオリビアは身体を振るわせた。

 突如、耳元で四狼の声が聞こえたからだ。

 四狼は呆然としていたオリビアに近づき、ピタリと背中を合わせるように後方に佇んでいた。

「落ち着ついて周りを見てみろ」

 後ろから聞こえてきた四狼の言葉に素直に従い、状況が理解できず視界が狭まっている双眸で周囲を見渡した。

 オリビアは絶句した。

 息を吹き返したのは何と口髭の男だけではなかった。

 四狼が倒した兵隊崩れの男や頭巾を被った男や、金剛丸が吹き飛ばした男たちもゆっくりと立ち上がり、全員が精気を失った淀んだ双眸でこちらを見つめた。

 その間も盗賊たちの傷口からはどす黒い血が溢れ出し、ぼたぼたと地面に赤い花を咲かせている。

「あ……ああ……」

 常日頃から気丈に振舞っていたオリビアとて、この状況には頭が働かなかった。

 当然であった。

 一度死んだ人間が目の前で悉く蘇ったのである。こんなこと現実に起こり得るはずがない。

 やがてオリビアの唇が小刻みに震え始めた。

 カチカチと歯が噛み合う音が自身の耳に異様に響き、膝も笑い始める。

 少しでも気を抜けば失神してしまうかもしれない。

 その直後、オリビアは背中に固い感触を感じた。

 四狼がオリビアの背中に自分の背中をピタリと重ね合わせたのだ。

 四狼は振り向かず静かに囁いた。

「よく聞け、オリビア。こいつらは本質的には人間だ。外見に惑わされるな」

「に、人間だと……ふざけるな……普通の人間が……死んで生き返るか……」

 途切れ途切れの弱々しい言葉を返したオリビアになおも四狼は囁く。

「いいか、こいつらは生き返ったんじゃない。最初から死んでいたんだ。今は強制的に生かされているように見えるが、核を潰せば倒せる。いいか、オリビア。狙うは心臓だ」

 四狼がそう言うと、オリビアの背中に感じていた堅い感触が消失した。

 四狼が重ねていた背中を離したのだ。

 オリビアは振り返らなかったが、四狼が自分の近くから遠ざかっていく気配は感じられた。

 枯葉を走りながら踏み鳴らす音も。

(最初から死んでいた?)

 何度も瞬きをしながらオリビアは、正面にいる兵隊崩れの口髭を見据えた。

 首が半分斬られているので平衡が保てないのか、ぐらぐらと首だけではなく身体も揺らしている。

 オリビアはうっ、と喉元まで込み上げてきた吐き気を意志の力で何とか胃に戻し、落ち着けと何度も頭の中で繰り返し復唱した。

 するとぼやけていた視界は徐々にだが広がっていき、身体の震えも治まってきた。

 しかし、まだとても現実の光景とは思えない。

 そうこうしているうちに、兵隊崩れの口髭に動きがあった。

 兵隊崩れの口髭は視点が定まっていない双眸でもオリビアの姿を確認できたのか、早歩きの速度で近づいてきて突きを繰り出してくる。

「くっ!」

 ただ静止していても埒があかないと悟ったオリビアは、込み上げてくる恐怖を押さえつけ大地を蹴った。

 一気に兵隊崩れの口髭と間合いを詰めたオリビアの身体は、恐怖で縛られた心に反して日頃の修練の成果を遺憾なく発揮してくれた。

「はああああ――ッ!」

 相手の姿に呑まれないように気合を発したオリビアは、兵隊崩れの口髭の突きを斜めに滑り込むようにかわすと同時に突きを放った。

 互いの突きが虚空で交差した直後、長剣が胸元に深々と突き刺さっていた。

 兵隊崩れの口髭の突きではない。オリビアの突きがである。

 間近で見る兵隊崩れの口髭の形相は凄まじかった。

 元が悪いせいもあるが、ぎょろぎょろと無作為に動く眼球に半開きの口から溢れ出る鮮血。

 胸元に剣が突き刺さったというのにまだ抵抗する意志があったのか、長剣を持っていた両手がかすかに動きを見せる。

 だがそれもすぐに終った。

 オリビアは慌てて長剣を引き抜いた。

 すると、兵隊崩れの口髭は口をぱくぱくと動かした後にそのまま後方に崩れたのである。

「やったのか……」

 大の字に倒れて指一本動かない兵隊崩れの口髭を見下ろし、オリビアは安堵の吐息を漏らした。

 そして緊張感を失ったせいで一気に疲労が出てきたのか、持っていた長剣を杖代わりにがくっと両膝を地面につけて座り込む。

(あいつらは――)

 荒くなる呼吸を整えようともせずにオリビアは、視線を四狼と金剛丸に向けた。

 まず目に飛び込んできたのは金剛丸であった。

 だがやはり金剛丸の強さは別格らしく、足元には三人の盗賊団がだらしなく倒れている。

 続いてオリビアの目は四狼の姿を捉えた。

 こちらに背中を向けていたが、その足元には二人の盗賊たちが倒れている。

 こちらもあっさりと倒したと見える。

 そのときである。

 四狼がこちらを振り向くなり、明らかに動揺の動きを見せた。

 瞬間、オリビアの心臓の辺りがじくりと痛み出した。

 よく知っている感覚。自分の身に何か嫌なことが起こる前に発せられる身体からの警告。

 オリビアは瞬時に振り返ると、杖代わりにしていた長剣から手を離した。

 目の前に盗賊崩れの口髭が佇んでいた。

 それだけではない。

 今まさに両手に持った長剣を上段に構え、オリビアの頭上目掛けて振り下ろさんとしていた。

 そんな馬鹿な、自分は間違いなく心臓を貫いたはずだ。

 オリビアはその場から動けず、盗賊の口髭の胸元を注視した。

 そしてはたと気がついた。

 突いたときは間違いなく心臓の場所だと思っていたが、こうして正面から見上げるとよく分かる。

 突いた場所は微妙に上にズレていた。

(――やられる!)

 確実にそう思った。

 尻餅をついている体勢では最早かわすことなど不可能である。

 オリビアは両目をきつく閉じた。

 心中で思い浮かべたセシリアに、助け出せなくて申し訳ありませんと謝りながら。

 まさにその瞬間――。

 ガシャン! という異様な音が聞こえた。

 刹那、オリビアは自分の頭上を高速で通り抜けた〝何か〟の存在を感じると同時に、鼓膜を損傷させるのではないかと思うほどの音を聞いた。

 大岩を川に投げ落とすよりも何倍も激しく恐ろしい音を。

 オリビアは両耳を押さえながら薄く片目を開けた。

 目の前には長剣を振り下ろさんとする兵隊崩れの口髭がいた。

 心臓の場所に後ろの風景が見えるほどの大きな穴を開けて。

 兵隊崩れの口髭はどうと地面に倒れ、今度こそ二度と起き上がってはこなかった。

 やがて、徐々に脳が働き出したオリビアは恐る恐る顔だけを振り向かせた。

 遠く後方には、どっしりと腰を落としている四狼の姿があった。

 しかし、その手には〈忠吉〉は持たれてはいなかった。

 代わりに持っていたのは、先端部分に丸く穴が開いている奇妙な形をした筒のような――。
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