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第二十二話   量産固体翼機F‐T

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 天馬が向かった先は、戦闘機が何台も収納されている格納庫兼整備工場であった。

 開放されていた入り口の前に佇み、整備をしている人間たちの邪魔をしないように遠目から戦闘機を眺めている。

 量産固体翼機F‐T。

 正式に作戦本部から支給された航空学生専用の小型戦闘機。

 白銀色に輝くボディには、航空戦闘学校の証である紋章と「168」という番号がペイントされていた。

 天馬は建物内をぐるりと見渡した。

 ここ最近、メカニックコースの生徒たちは支給された戦闘機の整備チェックに追われて忙しい日々が続いていた。

 それは同じクラスである智則から聞かされていたのが、どうやらその峠は越えたようである。

 現在、格納庫兼整備工場の中には数人の生徒たちしかおらず、教官の数も少ない。

 整備の神様と謳われているシゲじいの姿もなく、明滅を司っていた天井の照明もすでに半分以上が消されていた。

 だからだろうか。

 ぼんやりと光を反射している戦闘機たちが異様に神々しく見える。

 鎮座している戦闘機の一つに視線を合わし、天馬は自分が操縦席に搭乗して大空に舞い上がる光景を思い浮かべた。

 計器類や操縦桿などの詳しい位置は確認済みである。

 それに父親から操縦技術を学んでいたお陰で、フライト・シミュレーターでは操縦技術Aを叩き出せた。

 だが、それも一度だけ。

 あまり目立ちたくない性格だった天馬は、その後は周囲の生徒たちのレベルに合わせてフライト・シミュレーターの実習をこなしていた。

 しかし、それでも中には不審に思う人間もいる。

 今ではすっかり行動をともにするようになった空也もその一人であり、「誰にも言わないから本当のところを教えろ」としつこく訊いてくる。

 だがさすがに本当のことは言えないので適当なことを言って誤魔化していた。

 入り口で佇んでいた天馬は、気がつくと建物内に足を踏み入れていた。

 近くにあった戦闘機に近づき、機体全体に視線を彷徨わせる。

「綺麗だな」

 溜息とともに天馬は思った言葉を口にした。

 F‐Tは航空学生専用の小型戦闘機という名目から、航空雑誌などでは粗末に扱われることが多かった。

 航空自衛軍が正式採用している戦闘機よりも武装が少なく、搭載できる燃料も少ない。

 旋回性能を重視して造られている反面、出力速度が他の戦闘機よりも大分劣る。

 そのせいでF‐Tは格下の戦闘機と世間では風評されていた。

 そんなことはない。

 天馬は「168」とペイントされた胴体部分にそっと触れた。

 炭素系複合材とマグネシウム合金で構成されたF‐Tは素晴らしい機体だ。

 唯一の武装である一二ミリヴァルカン機関砲も対翼竜戦には有効な武器であり、【第二種】に分類される翼竜とも十分に応戦できる。

 そして明日の実習では実際にこの戦闘機に乗れる。

 天馬が触れているF‐Tは操縦席が一つしかない単座型F‐TⅠだったが、そのF‐TⅠにはもう一つ複座型と呼ばれる機体がある。

 これは正式に飛行免許を取得するまでに使われる練習用の機体であり、仮飛行免許を取得してからも教官を乗せていなければ大空を飛行することはできない。

 そう航空法できちんと決められている。

 どれぐらい機体を眺めていただろう。

 天馬はふと操縦席に乗ってみたくなった。

 本来ならば、教官の許可なく生徒が戦闘機に乗ることは禁止されている。

 それに天馬は一度シゲじいに厳しく注意されていた。

 もしも次に許可なく戦闘機に乗っている姿をシゲじいに見られれば、謹慎処分を通達されることも十分に有り得る。

 それでも天馬は、自身の奥底から沸き起こる衝動を抑えられなかった。

 天馬は視線を操縦席の位置に合わせた。

 整備の途中だったのか風防は開放され、操縦席までタラップが延びている。

 それに周囲にはまったく人気がなく、わずかに残っていた生徒や教官たちも建物の隅にいるせいか自分に気づいていない。

 まさに絶好の好機であった。

 機会に恵まれたと分かると、天馬の行動は迅速だった。

 脇目も振らずにタラップに近寄り、操縦席目掛けてよじ登ろうとした。

 まさにその瞬間――

「そこまでだ、白樺」

 静かだが怒気を孕んだ声が天馬の耳朶を叩いた。

 振り返ると、両腕を組んだ鹿取の姿が目に飛び込んできた。

 どうやら鹿取は非常口から格納庫兼整備工場内に入ったらしく、隅にあった小扉がわずかだ開いていた。

 しまった、と悔いるより早く、天馬は背筋を伸ばして屹立した。

 鹿取はブーツの靴音を響かせながら天馬に近づいてくる。

「白樺天馬、今自分が何をしようとしたか分かっているのか?」

 現場を目撃された以上、言い逃れはできない。

 だが元より、天馬はその覚悟を決めて実行に移ろうとした。

「申し訳ありません。1‐B、パイロットコース白樺天馬。教官の許可なく操縦席に搭乗しようとしました」

 正直に告白した天馬を鹿取はギロリと睨みつける。

 足元が竦んでしまうような威圧感が込められた眼光であった。

 謹慎か。

 天馬は心中で嘆息しながらも鹿取から視線を外さなかった。

 言い訳をするつもりはないが、正直に告白したところで結果は変わらない。

 よくて便所掃除などの雑用、悪ければ一週間の謹慎処分が下されるだろう。

 そして、明日の戦闘機の体験搭乗は当然の如く中止。これはほぼ間違いない。

 だが、鹿取の口から出た言葉は天馬の予想とは違っていた。

「白樺、この機体をどう思う?」

「は?」

 思わず天馬は目が点になった。

 てっきり即謹慎処分を言い渡されると思ったが、鹿取はふっと表情を弛めると、そう言って天馬の隣に近寄ってきたのである。

「どう……と言いますと?」

 鹿取は天馬の顔から視線を目の前にあるF‐TⅠに向けた。

「そのままの意味だ。初めて間近で戦闘機を見て君はどう思った?」

 天馬はしばらく戸惑っていたが、教官の質問には答えなければならない。

 天馬は正直に機体の感想を鹿取に述べた。

「よい機体だと思います。未熟な学生パイロットでも操縦しやすいように設計され、性能も大量生産機とは思えないほど優れています」

 天馬のコメントを鹿取は黙って聞いている。

「確かに航空自衛軍の飛行隊が所有している戦闘機――Xシリーズには及びませんが、それでも乗り手によって十分に翼竜との空戦に臨める……と私個人は思っております」

 時間にして数十秒、天馬は正直な感想を鹿取にすべて述べた。

「蛙の子は蛙だな。以前、篤志さんも同じようなことを言っていた」

 その瞬間、天馬の瞳孔が拡大した。

「鹿取教官は父を知っているのですか?」

「当然だ。篤志さんとは横須賀基地で同じ飛行部隊に所属していた」

 知らなかった。

 鹿取と父親が同じ飛行部隊に所属していたとは。

 天馬は何を言えばいいのか分からず動揺していると、鹿取が再び視線を向けてきた。

「篤志さんは私の四年先輩に当たるパイロットだった。飛行部隊に所属してからも色々とお世話になったもんだ」

 そのとき天馬ははっと気づいた。先ほどまで感じた威圧感がなくなっている。

 だからだったのか、天馬は鹿取の視線を受け止めながら質問した。

「教官が父と同じ飛行部隊だったということは……三年前の戦いにも?」

「ああ、参加していた。日本の領海区域に侵入してきた【第一種】に分類される翼竜たちとの戦闘。今思い出してもあれはひどい戦いだった」

 三年前――危険度最高クラスである【第一種】の翼竜たちが、十数匹単位で日本に押し寄せてきた事件があった。

 すべてのTV局に特別報道管制が敷かれ、後日のニュースでは防戦に当たった航空自衛軍、海上自衛軍にはさしたる被害もなく戦闘に勝利したという旨が大々的に報じられた。

 だが、実際に戦闘に参加していた軍人の家族には真実が包み隠さず報告された。

 海上自衛軍がサポートに向かわせた巡視艦四隻、護衛艦六隻が沈没。

 航空自衛軍が撃退のために飛ばした三隊の飛行部隊も半分以上が撃墜されたと。

 天馬はその3年前に起った事件の詳細を知っている。

 当然であった。天馬の父親の篤志は当時横須賀基地に所属していた二○一飛行部隊のパイロットであり、翼竜に撃墜されて殉職した一人であったからだ。

 だからこそ腑に落ちない。

 天馬はしばし悩んだ後で鹿取にあることを尋ねた。

 あの悲惨な事件から生き残った一人を目の前にして、天馬はどうしても訊いてみたい衝動に駆られた。

「なぜ、教官は自衛軍を除隊して戦闘学校に?」

 ずっと気になっていた事でもあった。

 鹿取は自衛軍を除隊するには若すぎる。

 それが飛行部隊に所属していたのならばなおさらであった。

 現在の日本では、航空自衛軍のパイロットは何かと重宝される存在であった。

 燃料の心配もせずに大空を飛行する化け物と戦うのである。

 だからこそ航空戦闘学校に入学し、パイロットコースに進む学生も何かと優遇される。

 政府から与えられる奨学金も多額だし、希望すればすべての試験をパスして確実に自衛軍に入隊できる。

 確かに他の職業と比べれば圧倒的に死亡率は高いが、それでも誉れ高い職業には違いない。

 自分が日本という国を守る要だと、文字通り肌で実感できる。

「私が除隊した理由か?」

 鹿取はふっと苦笑した。

 すると左手の親指で自分の左目を突くポーズをする。

 左目? 

 天馬は眉間に皺を寄せて目眉を細めた。

 しばらく鹿取の左目を見続けていた天馬。

 そして鹿取の言わんとすることに気づいたのは、たっぷり数十秒間が経ってからであった。

「教官……もしかして目が?」

 鹿取は頷く。

「三年前、俺はあの事件から生還したが、まったくの無傷とはいかなかった。今では発達した医療技術によって皮膚移植の痕は残らなくなったが、さすがに潰れた眼球はどうにもならない」

 そう言うと鹿取は、左目の眼球を人差し指でトントンと突いた。

 鹿取の左目の眼球は、本物である右目の眼球とそっくりに作られた最高級品の義眼であった。

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