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第三十八話 すべての真相 ①
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ローレザンヌ全体を活性化させる夏市は依然として熱気と活気に満ち溢れていた。
最初日からサン・ソルボンス大聖堂内でのジョルジュ・ロゼ司教暗殺未遂や、大広場での修道騎士団と不審な外套集団による激しい抗争が勃発したにもかかわらずである。
この血生臭い連続事件に一部の大衆市民は動揺と不安に駆られたが、その後も然したる混乱はなく夏市は五日目に突入した。
「万能なる我が主よ。人間の浅ましさをお許しください」
大広場へと続く大通りの中、クラウディアは両指を絡めて神に祈りを捧げた。
刻限は三時課(午前九時)の鐘が鳴り終えたばかり。
一時課(午前六時)ぐらいから市場は開かれるので、今年でローレザンヌに来て五年目のクラウディアには見慣れた光景に違いなかった。
しかし、夏市の五日目である今日は違う。
ローレザンヌの主要道路である大通りの道端には、何間かおきに頑丈な木材で作られた*の形をした六芒星の木架が立てられていた。
一本や二本ではない。
それこそ様々な催し物が開かれる大広場まで何十本という六芒架が整然と屹立しているのだ。
しかもすべての六芒架には裸体の男が手足に釘を打ち込まれて固定され、釘を打ち込まれていた傷口から流れた血が足元の地面に酸鼻たる血溜まりを作っていた。
目を疑いたくなる光景である。
それでも男たちは張りつけになるほどの大罪を犯した故にこうして刑を執行されたのだ。
この六芒架に文字通り釘づけになっていた男たちは、夏市の最初日に大広場で修道騎士団と一戦交えた外套集団――〈戦乱の薔薇団〉という名前の組織に属しており、かくいうクラウディアも〈戦乱の薔薇団〉に被害を受けた一人でもある。
ひとしきり神に祈りを捧げると、クラウディアは多くの人間でごった返している大通りの中を掻き分けるように進んでいく。
去年までの夏市ならばこのように人混みを掻き分けるように進む必要はなかった。
夏市が開かれる六日間は各場所で催し物が開かれ、地元民や旅行客などは必ずしも大通りを通る必要はなかったからだ。
それが今日に限って大通りに人が溢れ返っていた。
(主よ、人間の本能とはかくも死を求めるのですか?)
早歩きで大広場へと向かうクラウディアは、大通りに集まった人間たちの目的が六芒架に張りつけられた男たちであることを如実に悟っていた。
元来、フランベル人は血を好む人種と言われている。
長きに渡った戦乱時では各地で言の葉に乗せることも躊躇させる事件が起こり、ある地方領主などは何百という無実の市民を己の城内で惨殺したとして公開処刑されたという記憶も残されていた。
そして今回は悪名が知れ渡った地方領主とは罪状が違ったものの、公開処刑という点に置いては然したる相違はなかった。
実父であったジョルジュの暗殺を計画した〈戦乱の薔薇団〉の団員たちの公開処刑という点ではである。
やがてクラウディアは目的の場所である大広場へと到着した。
相変わらず大広場も大勢の人間で埋め尽くされている。
ざっと周囲を見渡せば駱駝に乗ったサラディン人の姿も何人か見受けられた。
「本当に世の中は何があるか分からないもんだな」
「まったくだ。まさか、あのレオ先生がジョルジュ様の命を狙った暗殺集団の首領だったなんて夢にも思わなかったぜ」
立ち止まって荒げていた息を必死に整えていると、クラウディアの耳には近くの見物人たちから紡がれる噂話がしっかりと聞こえてきた。
そうである。
今やローレザンヌではレオ・メディチエールの話で持ちきりだった。
ジョルジュ・ロゼの命を狙った〈戦乱の薔薇団〉の首領が、ソルボンス修道騎士団の団員であり施療院で医者として働いていたレオ・メディチエールだと公表されたのだ。
公表したのは他でもないソルボンス修道騎士団である。
「あ、すいません」
やがて弾んでいた息が正常に戻りつつあった頃、クラウディアの背中に誰かがぶつかってきた。
「いえ、こちらこそ」
クラウディアが後方を見やると、そこには艶やかな黒髪の持ち主が片目を閉じて謝罪を繰り返す姿があった。
アオ・ザイと呼ばれる衣服に身を包んだ人間は、自分と同じ十六、七歳と思しき少女である。
しかも黒髪の少女は流暢なフランベル語で謝っている。
「そんなに謝らないでください。こんな人混みですもの致し方ありません」
クラウディアは黒髪の少女に柔らかな口調で言うと、すぐに視線を戻して大広場の中央へと目を馳せた。
大広場の中央には夏市のために設置された大舞台があった。
本来ならば団体曲芸や聖歌隊による聖歌が歌われ、聖職者によるクレストの全生涯を芝居にした「聖史劇」なども行われる場所である。
だが夏市の五日目を迎えた今日は違う。
芝居や歌などの準備は行われておらず、代わりに大舞台の中央には一際目立つ一本の六芒架が立てられていた。
「ああ……何てことなの」
目的だった巨大な六芒架を視認したとき、クラウディアは口元を両手で覆って悲痛な声を漏らした。
大衆の目線を一心に浴びていた巨大な六芒架には、亜麻色の髪をした中肉中背の男が張りつけにされていた。
両手の掌の中央と両足を重ねるようにした状態の甲の部分に、鈍色の釘が痛々しく打ち込まれて固定されている。
レオ・メディチエール。
巨大な六芒架に張りつけになっていた男は誰が見てもレオであった。
遠目からでも分かる相貌や体型は生前のレオとまったく同じである。
悲しみに暮れるクラウディアを余所に、周囲の見物人たちは大舞台で晒し者にされていたレオの死体を見て嬉々とした表情を浮かべていた。
夏市の最初日から騒動を起こした集団の主犯格が処刑された事実と、近年では滅多に見られなくなった磔刑に暗い喜びを感じているのだ。
「ねえ、貴方はもしかしてレオ・メディチエールの顔見知り?」
同僚であり淡い恋心を抱いていた人物の変わり果てた姿に悲しんでいると、ふとクラウディアは後方から誰かに肩を叩かれた。
クラウディアは顔だけを振り向かせる。
すると今ほどぶつかってきた黒髪の少女と至近距離から目が合った。
「そうですけど……それが何か?」
目元に浮かばせていた涙を指で拭い取るなり、クラウディアは陽気に尋ねてきた黒髪の少女に首を縦に振って見せた。
「失礼だけど名前を窺ってもよろしいかしら?」
唐突な質問にクラウディアは一瞬だけ呆気に取られた。
「そういう貴方は誰ですか? 見たところシン国の方のようですけど生前のレオを知っているのですか?」
質問を質問で返したクラウディアに、黒髪の少女は両手を腰に添えて答えた。
「私の名前はリ・シェンファ。以前、レオ・メディチエールには叔父の怪我を治療して貰ったことがあるの。サン・ソルボンス修道院内の施療院でね」
「ソルボンス修道院の施療院で?」
黒髪の少女――シェンファは満面の笑みで首肯した。
(一体、この子は何者なんだろう?)
クラウディアもサン・ソルボンス修道院内の施療院で働いていたが、シン国人を治療した覚えはまるでなかった。
「あのう……もしかして別の施療院と勘違いしていませんか? 私もサン・ソルボンス修道院内の施療院で働く修道女ですが今までシン国の方を治療した覚えはありません」
「いえ、貴方が知らないだけで私の叔父は施療院で治療を受けたんですよ」
シェンファはきっぱりと言った。
「でも、貴方が知らないのも無理はないわ。だって叔父のケイリンが治療を受けたときには〈戦乱の薔薇団〉に攫われて貧民街の廃修道院に囚われていたんですものね」
唖然とするクラウディアにシェンファは言葉を紡ぐ。
「そうでしょう。クラウディア・ロゼさん」
そのとき、クラウディアは見ず知らずの他人に名前を当てられて瞠目した。
「貴方は一体誰ですか?」
しばらくしてクラウディアは眼前のシェンファに恐る恐る訊いた。
「私? だから今言ったじゃない。私の名前はリ・シェンファだって」
「いえ、そういうことではなくて」
最も訊きたかったことは名前ではなく、なぜ自分の名前や〈戦乱の薔薇団〉に連れ攫われたことを知っているのかということだった。
名前ぐらいならば少し調べれば分かる事柄だが、ジョルジュの暗殺を企み修道騎士団との抗争に乗じて自分を攫ったことは一般人には知りようがない。
なぜなら、自分が連れ攫われた事実は実父であるジョルジュの命令で最後まで秘匿された事実だったからだ。
それでも目の前の異国人は知っていた。
〈戦乱の薔薇団〉という暗殺集団が自分を連れ攫ったという事実を。
「ねえ、どうなの? 貴方はクラウディア・ロゼさんじゃないの?」
再三に渡り確認を求めてくるシェンファに、クラウディアは小さく首肯した。
「やっぱり。教えて貰った容貌と瓜二つだったからすぐに分かったわ」
蕾から花へと開花したような笑みを浮かべたシェンファ。
一方、クラウディアは未だに現状がよく理解できない。口振りから察するにシェンファは誰かに頼まれて自分を探していたように感じられた。
「クラウディアさん。悪いんだけど少し付き合ってくれない。どうしても貴方に合わせたい人がいるのよ」
会わせたい人?
心中で首を傾げたクラウディアだったが、つぶらな瞳を向けてくるシェンファの提案を否定した。
「残念だけど私はレオの行く末を最後まで見届けたいの」
クラウディアは磔刑に処されているレオをちらりと見た。
大勢の人間たちの衆目に晒されているレオの死体は、ソルボンス修道騎士団の公表を信じるならば午前中一杯は現状を保たれているはずだ。
その後は修道騎士団により市井を引き回され、最終的には街外れの墓地に埋葬されるはずである。
その道程をクラウディアは目蓋の裏に焼きつけたかった。
ローレザンヌの犯罪史に名前を連ねる大罪人として埋葬されるのならば尚更である。
「だったら尚のこと私に付き合った方がいいよ。あんな別人の死体を見ているよりはずっと有意義な時間を過ごせると思うから」
そう言うとシェンファは、衆人観衆の中を掻き分けるように進み始めた。
絶妙な隙間を狙って泳ぐように路地裏の方へと進んでいく。
(――別人の死体?)
聞き間違いではない。
今、シェンファは紛れもなく磔刑に処されているレオを別人の死体だと言った。
そして自分に付き合えば有意義な時間を過ごせるとも。
正直、クラウディアは迷いに迷った。
出会ったばかりの異国人に黙ってついていくほどクラウディアは世間知らずではない。
下手をすれば二度目の拉致に遭遇する危険性も否めなかった。
しかし、それ以上にシェンファの言葉は別の意味で魅力的だった。
別人の死体とはどういうことなのだろう。
散々迷った挙句、クラウディアは物言わぬ骸と化していたレオから視線を外し、シェンファの後を追って路地裏に向かったのだった。
「約束通りに連れてきたか」
大通りの一角に設けられた路地には、両腕を組んだ状態で建物の壁に背中を預けていたマルクスがいた。
修道騎士団の象徴である甲冑を着込み、本革製のベルトからは長剣が吊るされている。
「当たり前でしょう。私は約束を絶対に違えない性格なの」
クラウディアを連れてきたシェンファはなぜか得意気だった。
華やかな刺繍が施されたアオ・ザイの裾を翻して鼻を鳴らす。
一方、件のクラウディアは先ほどから放心している。
無理もない。
マルクスは預けていた壁から背中を離すと、案山子のように立ち尽くしているクラウディアに歩み寄っていく。
「なぜ、貴方がここにいるの?」
眼前で立ち止まったマルクスにクラウディアは目眉を吊り上げて言った。
「つれないな。私たちはジョルジュ大司教公認で婚姻した仲なのに」
「そんなこと私は承諾していません! それにレオを殺した上、こうして衆目に晒した張本人なんかの元へ嫁ぐ気なんて――」
そこでクラウディアは磔刑に処されたレオの姿を思い出したのだろう。
再び目元に熱い涙が溢れてきた。
「嬉しいな。そこまで君はレオ・メディチエールを好いてくれていたんだね」
そう言うとマルクスはすっと手を伸ばし、クラウディアの目元に浮かんだ涙を指先で拭い取った。
「汚らわしい手で触らないで!」
だがクラウディアはマルクスの手を払い退けた。
「気が強いのは相変わらずだな」
マルクスは打たれた手の甲を逆の手で擦る。
明らかに否定と拒絶の態度を取られたマルクスだったが、それでもマルクスは口の端を吊り上げて嬉しそうな笑みを崩さなかった。
そんなマルクスに対してクラウディアは憤怒した。
修道服の裾を握り締めて身体を小刻みに震動させる。
「どうして? どうして貴方はレオを殺したの?」
やがてクラウディアは搾り出すように言葉を吐いた。
「お父様の命令だったから? それともレオを憎んでいたから?」
「おそらく、彼にとってはどっちともだったんだろうね」
「一体その言い草は何? まるで他人事のように言わないで!」
マルクスの言葉にクラウディアは再び怒りを露にした。
そして今度は頬を平手で打とうと素早く右手を動かす。
「他人事さ。今の私にしてみればレオ・メディチエール……いや、マルクス・ドットリーニの公開処刑は他人事に過ぎない」
頬に触れる寸前のところでマルクスはクラウディアの平手を受け止めた。
そのままマルクスはクラウディアの手を力強く握り締める。
「ど、どういうこと? 公開処刑にされたのは貴方じゃなくてレオでしょう」
「いや、公開処刑に晒されているのはマルクスだ」
直後、クラウディアは大きく目を見開いた。
最初日からサン・ソルボンス大聖堂内でのジョルジュ・ロゼ司教暗殺未遂や、大広場での修道騎士団と不審な外套集団による激しい抗争が勃発したにもかかわらずである。
この血生臭い連続事件に一部の大衆市民は動揺と不安に駆られたが、その後も然したる混乱はなく夏市は五日目に突入した。
「万能なる我が主よ。人間の浅ましさをお許しください」
大広場へと続く大通りの中、クラウディアは両指を絡めて神に祈りを捧げた。
刻限は三時課(午前九時)の鐘が鳴り終えたばかり。
一時課(午前六時)ぐらいから市場は開かれるので、今年でローレザンヌに来て五年目のクラウディアには見慣れた光景に違いなかった。
しかし、夏市の五日目である今日は違う。
ローレザンヌの主要道路である大通りの道端には、何間かおきに頑丈な木材で作られた*の形をした六芒星の木架が立てられていた。
一本や二本ではない。
それこそ様々な催し物が開かれる大広場まで何十本という六芒架が整然と屹立しているのだ。
しかもすべての六芒架には裸体の男が手足に釘を打ち込まれて固定され、釘を打ち込まれていた傷口から流れた血が足元の地面に酸鼻たる血溜まりを作っていた。
目を疑いたくなる光景である。
それでも男たちは張りつけになるほどの大罪を犯した故にこうして刑を執行されたのだ。
この六芒架に文字通り釘づけになっていた男たちは、夏市の最初日に大広場で修道騎士団と一戦交えた外套集団――〈戦乱の薔薇団〉という名前の組織に属しており、かくいうクラウディアも〈戦乱の薔薇団〉に被害を受けた一人でもある。
ひとしきり神に祈りを捧げると、クラウディアは多くの人間でごった返している大通りの中を掻き分けるように進んでいく。
去年までの夏市ならばこのように人混みを掻き分けるように進む必要はなかった。
夏市が開かれる六日間は各場所で催し物が開かれ、地元民や旅行客などは必ずしも大通りを通る必要はなかったからだ。
それが今日に限って大通りに人が溢れ返っていた。
(主よ、人間の本能とはかくも死を求めるのですか?)
早歩きで大広場へと向かうクラウディアは、大通りに集まった人間たちの目的が六芒架に張りつけられた男たちであることを如実に悟っていた。
元来、フランベル人は血を好む人種と言われている。
長きに渡った戦乱時では各地で言の葉に乗せることも躊躇させる事件が起こり、ある地方領主などは何百という無実の市民を己の城内で惨殺したとして公開処刑されたという記憶も残されていた。
そして今回は悪名が知れ渡った地方領主とは罪状が違ったものの、公開処刑という点に置いては然したる相違はなかった。
実父であったジョルジュの暗殺を計画した〈戦乱の薔薇団〉の団員たちの公開処刑という点ではである。
やがてクラウディアは目的の場所である大広場へと到着した。
相変わらず大広場も大勢の人間で埋め尽くされている。
ざっと周囲を見渡せば駱駝に乗ったサラディン人の姿も何人か見受けられた。
「本当に世の中は何があるか分からないもんだな」
「まったくだ。まさか、あのレオ先生がジョルジュ様の命を狙った暗殺集団の首領だったなんて夢にも思わなかったぜ」
立ち止まって荒げていた息を必死に整えていると、クラウディアの耳には近くの見物人たちから紡がれる噂話がしっかりと聞こえてきた。
そうである。
今やローレザンヌではレオ・メディチエールの話で持ちきりだった。
ジョルジュ・ロゼの命を狙った〈戦乱の薔薇団〉の首領が、ソルボンス修道騎士団の団員であり施療院で医者として働いていたレオ・メディチエールだと公表されたのだ。
公表したのは他でもないソルボンス修道騎士団である。
「あ、すいません」
やがて弾んでいた息が正常に戻りつつあった頃、クラウディアの背中に誰かがぶつかってきた。
「いえ、こちらこそ」
クラウディアが後方を見やると、そこには艶やかな黒髪の持ち主が片目を閉じて謝罪を繰り返す姿があった。
アオ・ザイと呼ばれる衣服に身を包んだ人間は、自分と同じ十六、七歳と思しき少女である。
しかも黒髪の少女は流暢なフランベル語で謝っている。
「そんなに謝らないでください。こんな人混みですもの致し方ありません」
クラウディアは黒髪の少女に柔らかな口調で言うと、すぐに視線を戻して大広場の中央へと目を馳せた。
大広場の中央には夏市のために設置された大舞台があった。
本来ならば団体曲芸や聖歌隊による聖歌が歌われ、聖職者によるクレストの全生涯を芝居にした「聖史劇」なども行われる場所である。
だが夏市の五日目を迎えた今日は違う。
芝居や歌などの準備は行われておらず、代わりに大舞台の中央には一際目立つ一本の六芒架が立てられていた。
「ああ……何てことなの」
目的だった巨大な六芒架を視認したとき、クラウディアは口元を両手で覆って悲痛な声を漏らした。
大衆の目線を一心に浴びていた巨大な六芒架には、亜麻色の髪をした中肉中背の男が張りつけにされていた。
両手の掌の中央と両足を重ねるようにした状態の甲の部分に、鈍色の釘が痛々しく打ち込まれて固定されている。
レオ・メディチエール。
巨大な六芒架に張りつけになっていた男は誰が見てもレオであった。
遠目からでも分かる相貌や体型は生前のレオとまったく同じである。
悲しみに暮れるクラウディアを余所に、周囲の見物人たちは大舞台で晒し者にされていたレオの死体を見て嬉々とした表情を浮かべていた。
夏市の最初日から騒動を起こした集団の主犯格が処刑された事実と、近年では滅多に見られなくなった磔刑に暗い喜びを感じているのだ。
「ねえ、貴方はもしかしてレオ・メディチエールの顔見知り?」
同僚であり淡い恋心を抱いていた人物の変わり果てた姿に悲しんでいると、ふとクラウディアは後方から誰かに肩を叩かれた。
クラウディアは顔だけを振り向かせる。
すると今ほどぶつかってきた黒髪の少女と至近距離から目が合った。
「そうですけど……それが何か?」
目元に浮かばせていた涙を指で拭い取るなり、クラウディアは陽気に尋ねてきた黒髪の少女に首を縦に振って見せた。
「失礼だけど名前を窺ってもよろしいかしら?」
唐突な質問にクラウディアは一瞬だけ呆気に取られた。
「そういう貴方は誰ですか? 見たところシン国の方のようですけど生前のレオを知っているのですか?」
質問を質問で返したクラウディアに、黒髪の少女は両手を腰に添えて答えた。
「私の名前はリ・シェンファ。以前、レオ・メディチエールには叔父の怪我を治療して貰ったことがあるの。サン・ソルボンス修道院内の施療院でね」
「ソルボンス修道院の施療院で?」
黒髪の少女――シェンファは満面の笑みで首肯した。
(一体、この子は何者なんだろう?)
クラウディアもサン・ソルボンス修道院内の施療院で働いていたが、シン国人を治療した覚えはまるでなかった。
「あのう……もしかして別の施療院と勘違いしていませんか? 私もサン・ソルボンス修道院内の施療院で働く修道女ですが今までシン国の方を治療した覚えはありません」
「いえ、貴方が知らないだけで私の叔父は施療院で治療を受けたんですよ」
シェンファはきっぱりと言った。
「でも、貴方が知らないのも無理はないわ。だって叔父のケイリンが治療を受けたときには〈戦乱の薔薇団〉に攫われて貧民街の廃修道院に囚われていたんですものね」
唖然とするクラウディアにシェンファは言葉を紡ぐ。
「そうでしょう。クラウディア・ロゼさん」
そのとき、クラウディアは見ず知らずの他人に名前を当てられて瞠目した。
「貴方は一体誰ですか?」
しばらくしてクラウディアは眼前のシェンファに恐る恐る訊いた。
「私? だから今言ったじゃない。私の名前はリ・シェンファだって」
「いえ、そういうことではなくて」
最も訊きたかったことは名前ではなく、なぜ自分の名前や〈戦乱の薔薇団〉に連れ攫われたことを知っているのかということだった。
名前ぐらいならば少し調べれば分かる事柄だが、ジョルジュの暗殺を企み修道騎士団との抗争に乗じて自分を攫ったことは一般人には知りようがない。
なぜなら、自分が連れ攫われた事実は実父であるジョルジュの命令で最後まで秘匿された事実だったからだ。
それでも目の前の異国人は知っていた。
〈戦乱の薔薇団〉という暗殺集団が自分を連れ攫ったという事実を。
「ねえ、どうなの? 貴方はクラウディア・ロゼさんじゃないの?」
再三に渡り確認を求めてくるシェンファに、クラウディアは小さく首肯した。
「やっぱり。教えて貰った容貌と瓜二つだったからすぐに分かったわ」
蕾から花へと開花したような笑みを浮かべたシェンファ。
一方、クラウディアは未だに現状がよく理解できない。口振りから察するにシェンファは誰かに頼まれて自分を探していたように感じられた。
「クラウディアさん。悪いんだけど少し付き合ってくれない。どうしても貴方に合わせたい人がいるのよ」
会わせたい人?
心中で首を傾げたクラウディアだったが、つぶらな瞳を向けてくるシェンファの提案を否定した。
「残念だけど私はレオの行く末を最後まで見届けたいの」
クラウディアは磔刑に処されているレオをちらりと見た。
大勢の人間たちの衆目に晒されているレオの死体は、ソルボンス修道騎士団の公表を信じるならば午前中一杯は現状を保たれているはずだ。
その後は修道騎士団により市井を引き回され、最終的には街外れの墓地に埋葬されるはずである。
その道程をクラウディアは目蓋の裏に焼きつけたかった。
ローレザンヌの犯罪史に名前を連ねる大罪人として埋葬されるのならば尚更である。
「だったら尚のこと私に付き合った方がいいよ。あんな別人の死体を見ているよりはずっと有意義な時間を過ごせると思うから」
そう言うとシェンファは、衆人観衆の中を掻き分けるように進み始めた。
絶妙な隙間を狙って泳ぐように路地裏の方へと進んでいく。
(――別人の死体?)
聞き間違いではない。
今、シェンファは紛れもなく磔刑に処されているレオを別人の死体だと言った。
そして自分に付き合えば有意義な時間を過ごせるとも。
正直、クラウディアは迷いに迷った。
出会ったばかりの異国人に黙ってついていくほどクラウディアは世間知らずではない。
下手をすれば二度目の拉致に遭遇する危険性も否めなかった。
しかし、それ以上にシェンファの言葉は別の意味で魅力的だった。
別人の死体とはどういうことなのだろう。
散々迷った挙句、クラウディアは物言わぬ骸と化していたレオから視線を外し、シェンファの後を追って路地裏に向かったのだった。
「約束通りに連れてきたか」
大通りの一角に設けられた路地には、両腕を組んだ状態で建物の壁に背中を預けていたマルクスがいた。
修道騎士団の象徴である甲冑を着込み、本革製のベルトからは長剣が吊るされている。
「当たり前でしょう。私は約束を絶対に違えない性格なの」
クラウディアを連れてきたシェンファはなぜか得意気だった。
華やかな刺繍が施されたアオ・ザイの裾を翻して鼻を鳴らす。
一方、件のクラウディアは先ほどから放心している。
無理もない。
マルクスは預けていた壁から背中を離すと、案山子のように立ち尽くしているクラウディアに歩み寄っていく。
「なぜ、貴方がここにいるの?」
眼前で立ち止まったマルクスにクラウディアは目眉を吊り上げて言った。
「つれないな。私たちはジョルジュ大司教公認で婚姻した仲なのに」
「そんなこと私は承諾していません! それにレオを殺した上、こうして衆目に晒した張本人なんかの元へ嫁ぐ気なんて――」
そこでクラウディアは磔刑に処されたレオの姿を思い出したのだろう。
再び目元に熱い涙が溢れてきた。
「嬉しいな。そこまで君はレオ・メディチエールを好いてくれていたんだね」
そう言うとマルクスはすっと手を伸ばし、クラウディアの目元に浮かんだ涙を指先で拭い取った。
「汚らわしい手で触らないで!」
だがクラウディアはマルクスの手を払い退けた。
「気が強いのは相変わらずだな」
マルクスは打たれた手の甲を逆の手で擦る。
明らかに否定と拒絶の態度を取られたマルクスだったが、それでもマルクスは口の端を吊り上げて嬉しそうな笑みを崩さなかった。
そんなマルクスに対してクラウディアは憤怒した。
修道服の裾を握り締めて身体を小刻みに震動させる。
「どうして? どうして貴方はレオを殺したの?」
やがてクラウディアは搾り出すように言葉を吐いた。
「お父様の命令だったから? それともレオを憎んでいたから?」
「おそらく、彼にとってはどっちともだったんだろうね」
「一体その言い草は何? まるで他人事のように言わないで!」
マルクスの言葉にクラウディアは再び怒りを露にした。
そして今度は頬を平手で打とうと素早く右手を動かす。
「他人事さ。今の私にしてみればレオ・メディチエール……いや、マルクス・ドットリーニの公開処刑は他人事に過ぎない」
頬に触れる寸前のところでマルクスはクラウディアの平手を受け止めた。
そのままマルクスはクラウディアの手を力強く握り締める。
「ど、どういうこと? 公開処刑にされたのは貴方じゃなくてレオでしょう」
「いや、公開処刑に晒されているのはマルクスだ」
直後、クラウディアは大きく目を見開いた。
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悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
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ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
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※小説家になろうにも掲載しています。
【完結】あなたに知られたくなかった
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