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新たなる脅威篇
4 暗躍-8-
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「ええ! それじゃまた行っちまうのかい?」
「そうなんです。あまり長期間はいられないみたいで――」
「若い力が要るんだけどなあ」
「すみません。判子を押さなくちゃいけないんです……」
皇帝という立場を抜きにしても、彼はなかなかの人気者のようだった。
柔和な顔つきと純朴そうな言動がそうさせているのかもしれない。
礼儀も作法もないプラトウ訛りで話しかける彼らに、従者たちは複雑な思いだ。
かつてなら皇帝にこのような振る舞いをすれば逮捕されるのが常だった。
ペルガモンの威信を揺るがす要素は、たとえ町民ひとりの言動であっても排除される。
もしそれでも怒りが治まらなければ、町そのものを火の海にすることさえ厭わない。
こうして軽口をたたかれることを許している若き皇帝を見て、従者は自分たちこそ変化についていけていないのだと自覚した。
「判子ならオレらがいくらでも押してやらあ。なんなら書類全部こっちに送ってもらえばいいやな」
「いくらなんでもそれは……」
和やかな雰囲気の彼らに比し、従者たちを取り巻く空気は張りつめていた。
2度の襲撃に加え、その正体は不明。
一帯は警察も充分に機能していないため、例の襲撃者たちは地下の貯蔵庫に拘束してある。
その監視にも人手を割いており、シェイドの護衛は手薄になっていた。
事態を理解しているライネは常に彼の傍から離れない。
(さすがにこんなところで襲ってはこないよな……)
と彼女は思うのだが、暗殺者の考えていることなど分かるハズもない。
「……そのほうがいい。手配すべきだ」
「これは内々に――」
避難者と楽しそうに話しているシェイドを横目に、従者たちは何事かを囁きあっている。
「おや、眠いのかい?」
こらえきれず大きなあくびをした彼に老婆が声をかけた。
「ええ、ちょっと……」
恥ずかしそうに笑ったシェイドの目は眠そうだ。
「こちらに来てから忙しくされていましたからお疲れでしょう。そろそろお休みになってはいかがですか?」
待っていたように従者が言う。
夜も更けてきた。
子どもが寝る時間もとうに過ぎている。
「おお、もうこんな時間か」
「こんな遅うまでお話ししちゃってすまんかったねえ」
健康な若者ならまだしも、どうにか生き延びた年配や子どもたちはここでただ時が過ぎるのを待つばかりである。
そこにやってきたシェイドたちはよい刺激だ。
閉塞感のただよう避難所に外からの風は新鮮だ。
それが彼らを饒舌にさせていたのだった。
「明日も早いからなぁ、そろそろ寝たほうがいいやな」
このまま徹夜で宴会が始まりそうな雰囲気だったが、主役がお疲れとあればそうもいかない。
それぞれに挨拶を述べてひとり、またひとりと自分の部屋へと消えていく。
「シェイド様、お付きの方々にもお部屋を用意してあります。ただ――」
責任者は縮こまって言った。
「なにぶん避難所で物資も設備も行き届いておらず、失礼をいたしますが……」
つまりは皇帝や従者に相応しい待遇はできない、ということである。
もちろん各部屋は壁で仕切られているが、室内にあるのは簡易のベッドに量産のシーツをかけてある程度だ。
「気を遣わないでください。僕たちは泊まりに来たワケじゃないですから……!」
シェイドは慌ててそう言いつつ振り返る。
あなた方もそれでいいか? と従者たちに目で訴える。
「ええ、もちろんですとも」
彼がそう言うのなら異見はできない。
「では……では、案内いたします」
責任者は安堵のため息をついた。
部屋に通されたシェイドはベッドに腰かけ、ぼんやりと天井を見上げた。
あわただしい一日だった。
変わり果てた故郷に懐かしさを感じる暇もなく働き、何者かの襲撃を受け、気が付けば日も変わろうとしている。
(疲れた…………)
彼は人前ではこの言葉を口にしないようにしていた。
自分よりもずっと責任が重く、自分よりもはるかに重大な仕事をこなしている人はいくらでもいるから。
そんな彼らをさしおいて”疲れた”と声に出すのは憚られた。
そういう意味ではこの瞬間が最も羽を伸ばせるかもしれない。
さすがに女の子と同室というワケにはいかず、ライネとは別室である。
今なら誰にも見られず、聞かれず、いくらでも弱音を吐くことができる。
「………………」
しかし今の彼にそれはできなかった。
体も心も疲れていたのだ。
愚痴をこぼす気力も残っていない。
「はぁ…………」
代わりにため息がひとつ。
粗末なベッドも今ばかりは使い古した寝具のように心地よい。
それから数分と経たないうちに、少年は深い眠りに落ちた。
「そうなんです。あまり長期間はいられないみたいで――」
「若い力が要るんだけどなあ」
「すみません。判子を押さなくちゃいけないんです……」
皇帝という立場を抜きにしても、彼はなかなかの人気者のようだった。
柔和な顔つきと純朴そうな言動がそうさせているのかもしれない。
礼儀も作法もないプラトウ訛りで話しかける彼らに、従者たちは複雑な思いだ。
かつてなら皇帝にこのような振る舞いをすれば逮捕されるのが常だった。
ペルガモンの威信を揺るがす要素は、たとえ町民ひとりの言動であっても排除される。
もしそれでも怒りが治まらなければ、町そのものを火の海にすることさえ厭わない。
こうして軽口をたたかれることを許している若き皇帝を見て、従者は自分たちこそ変化についていけていないのだと自覚した。
「判子ならオレらがいくらでも押してやらあ。なんなら書類全部こっちに送ってもらえばいいやな」
「いくらなんでもそれは……」
和やかな雰囲気の彼らに比し、従者たちを取り巻く空気は張りつめていた。
2度の襲撃に加え、その正体は不明。
一帯は警察も充分に機能していないため、例の襲撃者たちは地下の貯蔵庫に拘束してある。
その監視にも人手を割いており、シェイドの護衛は手薄になっていた。
事態を理解しているライネは常に彼の傍から離れない。
(さすがにこんなところで襲ってはこないよな……)
と彼女は思うのだが、暗殺者の考えていることなど分かるハズもない。
「……そのほうがいい。手配すべきだ」
「これは内々に――」
避難者と楽しそうに話しているシェイドを横目に、従者たちは何事かを囁きあっている。
「おや、眠いのかい?」
こらえきれず大きなあくびをした彼に老婆が声をかけた。
「ええ、ちょっと……」
恥ずかしそうに笑ったシェイドの目は眠そうだ。
「こちらに来てから忙しくされていましたからお疲れでしょう。そろそろお休みになってはいかがですか?」
待っていたように従者が言う。
夜も更けてきた。
子どもが寝る時間もとうに過ぎている。
「おお、もうこんな時間か」
「こんな遅うまでお話ししちゃってすまんかったねえ」
健康な若者ならまだしも、どうにか生き延びた年配や子どもたちはここでただ時が過ぎるのを待つばかりである。
そこにやってきたシェイドたちはよい刺激だ。
閉塞感のただよう避難所に外からの風は新鮮だ。
それが彼らを饒舌にさせていたのだった。
「明日も早いからなぁ、そろそろ寝たほうがいいやな」
このまま徹夜で宴会が始まりそうな雰囲気だったが、主役がお疲れとあればそうもいかない。
それぞれに挨拶を述べてひとり、またひとりと自分の部屋へと消えていく。
「シェイド様、お付きの方々にもお部屋を用意してあります。ただ――」
責任者は縮こまって言った。
「なにぶん避難所で物資も設備も行き届いておらず、失礼をいたしますが……」
つまりは皇帝や従者に相応しい待遇はできない、ということである。
もちろん各部屋は壁で仕切られているが、室内にあるのは簡易のベッドに量産のシーツをかけてある程度だ。
「気を遣わないでください。僕たちは泊まりに来たワケじゃないですから……!」
シェイドは慌ててそう言いつつ振り返る。
あなた方もそれでいいか? と従者たちに目で訴える。
「ええ、もちろんですとも」
彼がそう言うのなら異見はできない。
「では……では、案内いたします」
責任者は安堵のため息をついた。
部屋に通されたシェイドはベッドに腰かけ、ぼんやりと天井を見上げた。
あわただしい一日だった。
変わり果てた故郷に懐かしさを感じる暇もなく働き、何者かの襲撃を受け、気が付けば日も変わろうとしている。
(疲れた…………)
彼は人前ではこの言葉を口にしないようにしていた。
自分よりもずっと責任が重く、自分よりもはるかに重大な仕事をこなしている人はいくらでもいるから。
そんな彼らをさしおいて”疲れた”と声に出すのは憚られた。
そういう意味ではこの瞬間が最も羽を伸ばせるかもしれない。
さすがに女の子と同室というワケにはいかず、ライネとは別室である。
今なら誰にも見られず、聞かれず、いくらでも弱音を吐くことができる。
「………………」
しかし今の彼にそれはできなかった。
体も心も疲れていたのだ。
愚痴をこぼす気力も残っていない。
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