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第五章・新しい仕事
29・兎織の思い出
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お隣に子供が生まれるらしいと聞いて、兄弟のいなかった兎織はちょっと楽しみだった。
もし男の子なら弟みたいに一緒に遊ぼう、妹ならなにをしたらいいのかな。
染野家は家同士の付き合いもあり、ずっと兎織を可愛がってくれていたから、当然隣の子も可愛がるつもりでいた。
生まれて来たのは女の子で、そのあまりの可愛らしさに初めて見た兎織は、「この子と結婚する!」と宣言したそうだ。
周りはその言葉に爆笑したが、いやまて、よく考えたら悪い話じゃない。
なにせ本人もこう言っているし。
最初は冗談だったはずが、大人たちにとっても利益があると判れば、あっという間に話は進んだ。
兎織と瑠璃は将来結婚するんだ、というのがこの家族の間での決め事になっていた。
兎織には不満はなかった。
なにせ瑠璃はいつも兎織のあとをついてきていたし、最初に喋った言葉も「とーる」だ。
そのくらいずっと傍に居て、まるで妹か娘か。
忙しい瑠璃の親よりもよっぽど兎織のほうが面倒を見ていたし、一緒に寝るのもいつもの事だった。
だから、兎織が全寮制の学校に行く事になった時、瑠璃は全身で泣き喚いたし、暫くは慣れなかった。
やがて、休日には頻繁に帰る事や、そう遠くない場所に学校があった事で、家族も一緒なら会いに行く事もできたのでなんとなく落ち着いたくらいだ。
兎織の成績は優秀で、兎織が年頃になると新興の商売屋どもが軒並み兎織を夫に、と見合い話を持って来たが、昔からのしきたりで許嫁が、と言うと大抵は引きさがってくれた。
瑠璃は可愛らしく、兎織にとても懐いていて、兎織の同級生も瑠璃のことはよく知っていた。
妹だと思い込んでいた人も居たが、婚約者と知ると揶揄う連中もいた。
それでも兎織は、瑠璃を妻にすることに何の不満もなかった。
このまま、幸福に過ごせるならそれが一番良いと思っていたし、万が一、瑠璃がもし、他の男が良いと言った場合は考えなくちゃいけないな、くらいで。
でもその事を考えた日から、ずっと兎織は努力してきた。
瑠璃の最高の一番でなければ、いつか瑠璃が離れていくかもしれない。
そう思うだけで必死になれた。
成績が優秀なのも、品行方正なのも、瑠璃との将来を考えての事だった。
どうすればこの可愛い子にふさわしい男になれるだろうか。
妹みたいに考えて、兄みたいな気持ちなのかもしれない。
でもそれでも、どんな立場でも、瑠璃にとって一番最高の男は自分だと思わせたかった。
それなのに、瑠璃を守るために、瑠璃から離れることになってしまった。
あの時の決断に後悔はないけれど、ただ、瑠璃の傍に居られなかった悔しさはある。
この国に帰れる為にどんなこともやった。
だからやっとこうして、この国に戻り、瑠璃の傍に近づくことが出来た。
この先、なにがあっても失敗するわけにはいかない。
懐に入れているのは潰れた鈴だ。
瑠璃と離れ離れになる時、兎織が持っていた。
あれから何度も大事に抱えていたせいで、いまでは音が鳴る事もないけれど。
まだ兎織であったころの大切なものだ。
(いつになったら)
別に兎織に戻りたいわけじゃない。
それはここへ帰って来てよくわかった。
いまの兎織が、いや、薊が欲しいのは瑠璃だけだ。
もし、瑠璃が兎織のことを忘れてしまって、新しい婚約者でも居れば、ちゃんと身を引くつもりだったのだ。
でも瑠璃は、兎織との約束を守って、いまも毎日神社で兎織を待っている。
それを知って、正気でいられるはずがなかった。
瑠璃を襲おうとした連中をさっさと始末しておかなくて良かった。
これで緑光デパートはこちらに逆らう事がますますできなくなった。
あとは、こちらからどう出るか。
どうすればこの先も、瑠璃を守るために動けるか。
それだけが兎織の望みだ。
「薊様、今度の店舗の件ですが」
ドアをノックされ、薊は起き上った。
仕事だ。
(さて、起きるか)
のそりと起き上り、薊は息を深く吸った。
もし男の子なら弟みたいに一緒に遊ぼう、妹ならなにをしたらいいのかな。
染野家は家同士の付き合いもあり、ずっと兎織を可愛がってくれていたから、当然隣の子も可愛がるつもりでいた。
生まれて来たのは女の子で、そのあまりの可愛らしさに初めて見た兎織は、「この子と結婚する!」と宣言したそうだ。
周りはその言葉に爆笑したが、いやまて、よく考えたら悪い話じゃない。
なにせ本人もこう言っているし。
最初は冗談だったはずが、大人たちにとっても利益があると判れば、あっという間に話は進んだ。
兎織と瑠璃は将来結婚するんだ、というのがこの家族の間での決め事になっていた。
兎織には不満はなかった。
なにせ瑠璃はいつも兎織のあとをついてきていたし、最初に喋った言葉も「とーる」だ。
そのくらいずっと傍に居て、まるで妹か娘か。
忙しい瑠璃の親よりもよっぽど兎織のほうが面倒を見ていたし、一緒に寝るのもいつもの事だった。
だから、兎織が全寮制の学校に行く事になった時、瑠璃は全身で泣き喚いたし、暫くは慣れなかった。
やがて、休日には頻繁に帰る事や、そう遠くない場所に学校があった事で、家族も一緒なら会いに行く事もできたのでなんとなく落ち着いたくらいだ。
兎織の成績は優秀で、兎織が年頃になると新興の商売屋どもが軒並み兎織を夫に、と見合い話を持って来たが、昔からのしきたりで許嫁が、と言うと大抵は引きさがってくれた。
瑠璃は可愛らしく、兎織にとても懐いていて、兎織の同級生も瑠璃のことはよく知っていた。
妹だと思い込んでいた人も居たが、婚約者と知ると揶揄う連中もいた。
それでも兎織は、瑠璃を妻にすることに何の不満もなかった。
このまま、幸福に過ごせるならそれが一番良いと思っていたし、万が一、瑠璃がもし、他の男が良いと言った場合は考えなくちゃいけないな、くらいで。
でもその事を考えた日から、ずっと兎織は努力してきた。
瑠璃の最高の一番でなければ、いつか瑠璃が離れていくかもしれない。
そう思うだけで必死になれた。
成績が優秀なのも、品行方正なのも、瑠璃との将来を考えての事だった。
どうすればこの可愛い子にふさわしい男になれるだろうか。
妹みたいに考えて、兄みたいな気持ちなのかもしれない。
でもそれでも、どんな立場でも、瑠璃にとって一番最高の男は自分だと思わせたかった。
それなのに、瑠璃を守るために、瑠璃から離れることになってしまった。
あの時の決断に後悔はないけれど、ただ、瑠璃の傍に居られなかった悔しさはある。
この国に帰れる為にどんなこともやった。
だからやっとこうして、この国に戻り、瑠璃の傍に近づくことが出来た。
この先、なにがあっても失敗するわけにはいかない。
懐に入れているのは潰れた鈴だ。
瑠璃と離れ離れになる時、兎織が持っていた。
あれから何度も大事に抱えていたせいで、いまでは音が鳴る事もないけれど。
まだ兎織であったころの大切なものだ。
(いつになったら)
別に兎織に戻りたいわけじゃない。
それはここへ帰って来てよくわかった。
いまの兎織が、いや、薊が欲しいのは瑠璃だけだ。
もし、瑠璃が兎織のことを忘れてしまって、新しい婚約者でも居れば、ちゃんと身を引くつもりだったのだ。
でも瑠璃は、兎織との約束を守って、いまも毎日神社で兎織を待っている。
それを知って、正気でいられるはずがなかった。
瑠璃を襲おうとした連中をさっさと始末しておかなくて良かった。
これで緑光デパートはこちらに逆らう事がますますできなくなった。
あとは、こちらからどう出るか。
どうすればこの先も、瑠璃を守るために動けるか。
それだけが兎織の望みだ。
「薊様、今度の店舗の件ですが」
ドアをノックされ、薊は起き上った。
仕事だ。
(さて、起きるか)
のそりと起き上り、薊は息を深く吸った。
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