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第七章 フロマージュ
49.婚約者北山との対面
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夕希はSNSや電話など隼一との連絡を全て絶ち、一人暮らししていたマンションを引き払って実家に引っ越した。母は夕希が約束を守ったことに大喜びした。
ワイドショー好きな母と過ごしていると、「二度と顔を見せるな」と言った隼一の姿をテレビ越しに目にすることもあった。相変わらずメディア上では人を寄せ付けないようなオーラを放ち、すました顔でコメントしている。画面で見るより実物はもっと人間味がある人だけど――と夕希は思った。最後の彼の態度は恐ろしかったけれど、心のどこかで恋しいと思っている自分が嫌だった。
誕生日の翌週に、夕希は婚約者の北山と初めて顔を合わせることになった。彼は最初に連絡をくれてからずっと夕希に会いたがっていたが、のらりくらりとそれをかわして会わずにいた。
たとえ彼が夕希の嫌いなアルファであっても、悪い人とは限らない。それに夕希には新しい仕事もある。アルファに頼りきりになることなく生きていけるはずだ。
大丈夫、一人で頑張れる。そう何度も自分に言い聞かせた。
当日夕希の自宅まで車で迎えに来た北山は、写真どおりの高慢そうな男だった。
「こんにちは。やっと会えたね」
「はじめまして、今日はよろしくお願いします」
運転のため前を見ている彼を横目で窺う。ダークブラウンの髪で、鼻筋の通った顔にメガネをかけている。信号で車を停止させた彼がこちらを見て首を指差す。
「それ、付けてくれてるんだね。嬉しいよ。よく似合ってる」
「ありがとうございます」
「全然会ってくれないから、嫌われちゃったかと思ったよ」
「いえ、そんなことは……」
嫌うも何も、会ったこともないのに。信号が青に変わり、彼が運転するドイツ車は音もなく滑り出した。
「静かですね、この車」
「EV車だからね。僕は騒々しいのは苦手なんだ」
機嫌の良さそうな彼を見ているとなんとなく意地の悪いことを言いたくなった。
「そうなんですか? 僕、感情の起伏が激しくて落ち着きがないってよく兄に言われるんですよ」
「そうなの? そんなふうには見えないな」
彼は夕希が冗談を言ったのだとでも思ったのか、軽く笑って受け流した。この人と本当に結婚するのか……と他人事のように思う。
お見合いと言っても、親の都合でもう結婚するのは決まったようなものだった。だから初対面とはいえ単なるデートをしたにすぎない。
フレンチレストランで食事をし、彼の自慢話に相槌を打つ。よくわからない経営の話を聞かされ、興味のあるふりをしていた。夕希の適当な対応でも、彼は喜んだ。それだけなら良かったのだが、彼はワインについてうんちくを語り始めた。
夕希としては隼一から教えられて知っていることばかりで退屈だった。しかもちょっとした間違いを指摘したら鋭い目で睨まれ、きつくたしなめられた。
「オメガのくせにこちらにいちいち口答えする必要はない」
それまではごく普通に会話していたので急にそんなことを言われて夕希は戸惑った。
「アルファと結婚するつもりならもう少し慎みというものを覚えるべきだ。以前も男とフラフラ食べ歩いてるのをSNSで自慢していたが、ああいうのは良くない」
この店には夕希は以前隼一と訪れたことがあり、店員が夕希のことを覚えていたのも気に入らなかったようだ。それにしても散々な言われようだ。
そもそも、結婚を望んできたのは向こうのほうだ。夕希はアルファと結婚したいわけでもないのに、なぜこんなことを言われなければいけないのか。
波風を立てぬよう非礼を詫びると、彼は機嫌を直して食事を終えた。終始ギクシャクしたデートだったが、不思議なことにそう感じていたのは夕希だけだったようだ。
彼は帰り際に「僕の家に寄って行く?」と誘ってきた。もちろんそんな気にはなれず一刻も早く帰りたかった夕希はそれを断わった。
◇
その後数回北山と会ってみたが、やはり彼とは合わないということがわかっただけだった。中でも我慢ならないのが、彼が飲食店で店員に対して偉そうにしているところだった。
比較しても仕方がないことだが、隼一は食事を楽しむにあたりお店の人との関係も大事にしていた。決して相手を見下すような態度は取らなかった。
北山が店員のミスにいちいち嫌味を言う度に、自分が結婚後どんな扱いを受けるかを見せつけられているようで胃が痛くなる。
三回目のデートの帰りには、断りきれずに彼の部屋に連れて行かれた。彼にキスをされてもただ不快な気分になるだけだった。生理的に彼の匂いがどうしても受け付けない。
彼は一般的にはルックスも良い方だし、経営者の息子で将来も約束されている。時間に正確で夕希を待たせたことは無いし、人前ではパートナーに優しく見えるように振る舞う。
しかし、裏では夕希の行動を常に束縛したがるし、何をするにも気に入らないことがあれば逐一文句を言ってくる。特に、オメガらしく従順にしていないと突然怒り出すことがあった。
部屋に赴いた際、身体を求められたけど彼の考えが古風だというのを逆手に取って「初夜まで待って欲しい」と恥じらってみせた。するとその件に関しては、無理強いせずに応じてくれた。
ワイドショー好きな母と過ごしていると、「二度と顔を見せるな」と言った隼一の姿をテレビ越しに目にすることもあった。相変わらずメディア上では人を寄せ付けないようなオーラを放ち、すました顔でコメントしている。画面で見るより実物はもっと人間味がある人だけど――と夕希は思った。最後の彼の態度は恐ろしかったけれど、心のどこかで恋しいと思っている自分が嫌だった。
誕生日の翌週に、夕希は婚約者の北山と初めて顔を合わせることになった。彼は最初に連絡をくれてからずっと夕希に会いたがっていたが、のらりくらりとそれをかわして会わずにいた。
たとえ彼が夕希の嫌いなアルファであっても、悪い人とは限らない。それに夕希には新しい仕事もある。アルファに頼りきりになることなく生きていけるはずだ。
大丈夫、一人で頑張れる。そう何度も自分に言い聞かせた。
当日夕希の自宅まで車で迎えに来た北山は、写真どおりの高慢そうな男だった。
「こんにちは。やっと会えたね」
「はじめまして、今日はよろしくお願いします」
運転のため前を見ている彼を横目で窺う。ダークブラウンの髪で、鼻筋の通った顔にメガネをかけている。信号で車を停止させた彼がこちらを見て首を指差す。
「それ、付けてくれてるんだね。嬉しいよ。よく似合ってる」
「ありがとうございます」
「全然会ってくれないから、嫌われちゃったかと思ったよ」
「いえ、そんなことは……」
嫌うも何も、会ったこともないのに。信号が青に変わり、彼が運転するドイツ車は音もなく滑り出した。
「静かですね、この車」
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機嫌の良さそうな彼を見ているとなんとなく意地の悪いことを言いたくなった。
「そうなんですか? 僕、感情の起伏が激しくて落ち着きがないってよく兄に言われるんですよ」
「そうなの? そんなふうには見えないな」
彼は夕希が冗談を言ったのだとでも思ったのか、軽く笑って受け流した。この人と本当に結婚するのか……と他人事のように思う。
お見合いと言っても、親の都合でもう結婚するのは決まったようなものだった。だから初対面とはいえ単なるデートをしたにすぎない。
フレンチレストランで食事をし、彼の自慢話に相槌を打つ。よくわからない経営の話を聞かされ、興味のあるふりをしていた。夕希の適当な対応でも、彼は喜んだ。それだけなら良かったのだが、彼はワインについてうんちくを語り始めた。
夕希としては隼一から教えられて知っていることばかりで退屈だった。しかもちょっとした間違いを指摘したら鋭い目で睨まれ、きつくたしなめられた。
「オメガのくせにこちらにいちいち口答えする必要はない」
それまではごく普通に会話していたので急にそんなことを言われて夕希は戸惑った。
「アルファと結婚するつもりならもう少し慎みというものを覚えるべきだ。以前も男とフラフラ食べ歩いてるのをSNSで自慢していたが、ああいうのは良くない」
この店には夕希は以前隼一と訪れたことがあり、店員が夕希のことを覚えていたのも気に入らなかったようだ。それにしても散々な言われようだ。
そもそも、結婚を望んできたのは向こうのほうだ。夕希はアルファと結婚したいわけでもないのに、なぜこんなことを言われなければいけないのか。
波風を立てぬよう非礼を詫びると、彼は機嫌を直して食事を終えた。終始ギクシャクしたデートだったが、不思議なことにそう感じていたのは夕希だけだったようだ。
彼は帰り際に「僕の家に寄って行く?」と誘ってきた。もちろんそんな気にはなれず一刻も早く帰りたかった夕希はそれを断わった。
◇
その後数回北山と会ってみたが、やはり彼とは合わないということがわかっただけだった。中でも我慢ならないのが、彼が飲食店で店員に対して偉そうにしているところだった。
比較しても仕方がないことだが、隼一は食事を楽しむにあたりお店の人との関係も大事にしていた。決して相手を見下すような態度は取らなかった。
北山が店員のミスにいちいち嫌味を言う度に、自分が結婚後どんな扱いを受けるかを見せつけられているようで胃が痛くなる。
三回目のデートの帰りには、断りきれずに彼の部屋に連れて行かれた。彼にキスをされてもただ不快な気分になるだけだった。生理的に彼の匂いがどうしても受け付けない。
彼は一般的にはルックスも良い方だし、経営者の息子で将来も約束されている。時間に正確で夕希を待たせたことは無いし、人前ではパートナーに優しく見えるように振る舞う。
しかし、裏では夕希の行動を常に束縛したがるし、何をするにも気に入らないことがあれば逐一文句を言ってくる。特に、オメガらしく従順にしていないと突然怒り出すことがあった。
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