魔法を奇跡とかたる魔女の物語

アイボリー

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第十七話

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 最後の奇跡は王国の南部、国王の農園よりも西にある荒地だった。この辺りが王国のある大陸の中心で、大陸を目覚めさせれば、この荒地もさらに西へも開拓が可能となるだろう。

 ヘラは最後の地まで向かう馬車の中で、緊張に身を強張らせていた。

 今回の奇跡は、今までにない規模のものだった。アシュリーは一度で大陸全土に魔法を届け、大陸を目覚めさせろと命じた。しかし、ヘラの魔法の限界は軽い魔法ならちょっとした町一つ分、大きな魔法だとぐっと範囲が狭くなる。大陸全土に魔法を届けるなら、緑の石をとにかくたくさん使うしかない。しかし、ヘラはこれまで緑の石は一度に一つしか使ったことがない。そして、その一つだけでも魔法の制御を失うことがあった。

 今回の奇跡には使い慣れた簡単な魔法を使う。しかし範囲が広すぎて制御できる自信がなかった。

 しかし、今回の奇跡で全てに勝負が付く。

 審問官は奇跡を魔法と突き止めている。なら奇跡を魔法と証明できれば、神と神の奇跡を騙ったとしてヘラを取り押さえるだろう。

 聖堂騎士が何があっても守ると言ったが、心配なのは自分の身だけでなく、成功か失敗かどうかだった。失敗すれば、自分はおろか、周りの人もどうなるか分からない。

 今から二週間前、フローリアが神の言葉を聞いたと、司教が発表した。ヘラの元に審問官がニルシアの花汁紙を注文しに来たのが彼なりの宣戦布告なら、この司教の発表は、受けて立つという返事のようなものだった。

 審問官は、ヘラの前に現れてすぐ、行方がつかめなくなった。

 司教が彼に付けていた監視もまかれてしまい、彼が今どこで、どうしているのか全く分からなかった。

 ヘラは何とか落ち着こうと深呼吸を繰り返す。でもいくらやっても胸の鼓動は騒いだままで、不安がとめどなく湧いてくる。

 もう何回目か分からない奇跡の手順のおさらいをする。

 今回の奇跡は、奇跡とは言い難い、あまりに質素なものだった。大陸全土に風を吹かせる、ただそれだけだ。大事なのは魔法を大陸全土に行き渡らせること。そうすれば土が目覚めて、この国に実りが約束される。

 風を吹かせる魔法なんてあまりに簡単だ。よそ事をしながらだってできる。でも、範囲が大陸全てとなると話は違ってくる。理論上は緑の石をたくさん使えばできないことはない。シルベスターは理論に自信を持っていた。でも、考えることとやることでは、違う。魔法を使うのはヘラなのだ。

 今回の魔法は、まるで軽い皿を縦にも横にも斜めにも重ねていって大陸全土を覆っていくような感じだった。緑の石で無茶苦茶な皿の積み重ねを可能にしたけれど、ヘラが持っているのには変わりない。ちょっとバランスを崩したら、全ての皿が駄目になってしまう。軽い皿とはいえ、たくさんあってそれがすべて崩れ落ちてきたのなら、怪我どころでは済まないだろう。

 司教の発表により、すでに今回の舞台には多くの人が集まっているという。聖堂騎士が人員整理をしているらしいが、気をつけなければいけないのは彼らではない。

 大丈夫、成功させてしまえば、後は司教なりアシュリーなりが何とかするだろう。

 今回の奇跡には司教が立ち会うという。ヘラより先に現地に入り、ロナウドと共に警戒に当たっている。

「フローリア様、到着いたしました」

 いつの間にか馬車が止まっていて、車の外から聖堂騎士が声をかける。

「はい、今出ます」

 すっかり着慣れた修道服、立ち上がったときに裾を踏んでいて、つんのめった。こんな大事なときにこんな失敗。自分が情けなかった。

 頭を振り、気を取り直した。

 大丈夫、いつもと同じようにやればいいんだ。

 深呼吸をして、自分に言い聞かせる。





 そして、馬車からゆっくりと奇跡の少女フローリアが下りてきた。





      ○





 フローリアは寡黙だった。彼女を声を聞いたものは多くない。フローリアが直接人々に何かを呼びかけたり、語り掛けることはない。フローリアは神の言葉に従順であればいいのだから。

 フローリアは被ったヴェールの向こう、集う人には目もくれず、ただ真っ直ぐ、神の言葉に従い、その場所を目指す。集う人々はこれから起こるであろう奇跡に期待し、熱い眼差しをフローリアに向けた。

 大またで歩けばたった五歩。いつものように歩けば八歩。そんな大したことのない距離が今ではとてつもなく長い回廊に感じた。

 きゅっと、袖で隠れた腕を掴む。そこにある緑の石を確かめた。今日このときのために用意した、緑の石の腕輪。不恰好な緑の石をただ紐で繋げただけの代物。ずっと身に付けていたから、すっかり体温と同じ温かさを持っていた。

 フローリアは、ついにその場に着いた。

 そして、これまでと同じように胸の前で手を組み、そっと目を閉じる。そして、深く、長く、たっぷり十を数えて深呼吸をした。

 魔法を使おうとしたその瞬間、耳を鋭い痛みが貫いた。

「っ!!」

 思わず両耳を両手で塞ぎ、うずくまる。

 するとそれがまるで合図だったかのように、群集の中から数人の男が飛び出し、一人がヘラの前に立った。

「私はガルニエ・フェアリュクト。総本山の聖王より任じられし審問官である! 神と神の奇跡を騙りしこの娘を拘束する」

 審問官ガルニエが名乗っている間に、フローリアの左右に一人ずつ男が立ち、それぞれ耳を塞いでいた腕を後ろに回させ、背中に足を置き、地面に体を押し付けられた。倒れながら、視界の端で司教が同じようにさせられているのが見えた。

 フローリアは今なお続く耳の痛みから立ち直れない。耳の奥で何かが破け、何かがじわじわと滲み出す感触がある。

「人々よ聞け、この者は聖女ではない。ここよりはるか東の地に住まう人々の血を引き、東の秘術、魔法を扱うものだ。今まで奇跡と呼ばれていたものは、全て魔法である!」

 人々は大きくざわついた。ガルニエは続ける。

「始まりは今から十一年前、とある村で起きた。三人の司祭が人々の不安と恐怖を煽り、ある村を焼かせたのだ。その村には世界を呪う魔女がいるとうたって! しかし誤解してはならない。魔法で世界を呪うことはできない。魔法は恐ろしいものではないのだ。我ら人類がこの星を神より与えられる前から、この星にあった自然の理である。決して恐れるものではない」

 フローリアがもがくと、両側の男が背中に押し付けている足に体重をかけ、より強く押さえつける。体がぎりっと悲鳴を上げた。

「真に恐れるべきは魔法でも、魔女でもない。それを使用しようとする悪しき心を持つものだ!」

 人々の向こうからくぐもった悲鳴が響く。その声は司教のもので、これまで聞いたことのないような苦痛にうめく声だった。人々の中から引きつった悲鳴も聞こえる。彼らが司教に何かしたようだ。

「あの者はこの娘を使い、権力や富を得ようと企んだ。聖職者として、神に仕える者としてあるまじき罪深さだ。だが聖王様が貴様の罪を神に代わり裁いてくださるだろう」

 司教は、どうやら総本山に送られてしまうらしい。

 この教区最高の聖職者だから、確かにそれがふさわしいだろう。

 フローリアは何とか首を動かして、ガルニエの足を見つけた。

「私のしてきたことは救いです。決して咎められることではありません」

「神の名を騙る必要はあったのですか? 人々を騙していたではないですか」

 言い返せなかった。自分自身も常々思っていたことだからだ。

 ガルニエは膝を付き、フローリアの耳元で優しくささやいた。

「もういいのですよ。もう嘘を吐かなくていいのです。あの男に無理矢理させられていたのでしょう? もうあなたを縛るものはありません。誰にも強要されることはないのです」

「強要などされておりません!」

 叫んで、驚いた。

 それは意図せず出た言葉だった。今まで自分はやらされていると思っていたのに、咄嗟に出た言葉はそれを否定していたのだ。

 そして、そのときだ。すぐ傍に夢の中で慣れ親しんだ彼の気配を感じる。彼はいつも眠っているとき、夢の中に現れて魔法を教えてくれる存在。今は当然眠ってなんていなくて、ヘラ自身彼の出現に驚いた。

 そして、彼のことに気付いているのは、ヘラだけだった。

「もう嘘をつかなくとも、あの者を庇わなくともいいのです。もうこれで、終わりなのですから」

「終わってなんかいません」

 動かせる限りに首を振って、強く否定した。

 夢の中で魔法を教えてくれた彼が一体何なのかなんて全然分からない。魔女の血が見せる幻影なのか、目覚めたがっているこの大地の意思なのか、それとも本当に星海の果ての楽園の主なのか。

 でも、彼は自分がこれから成そうとすることを支持し、不安に揺れる心を支えてくれていることだけは確かだった。

 彼の存在が、まるで太陽のようにこの先を明るく照らしてくれた。

「審問官ガルニエ・フェアリュクト。あなたに奇跡を見せましょう」

 フローリアはそっと目を閉じた。まるで眠るかのような安らかな顔だった。いつものように祈るように手を組むことは出来ない。そんなことをしなくたって、奇跡は起こせるのだ。

 馬車の中で抱えていた不安や心配は嘘のように消え去り、両手を後ろに回され、地面に押さえ付けられているのに、心はとても穏やかだった。

 フローリアを中心に風が渦巻きはじめた。まるで風そのものに意思があるかのように、ここにいるすべての人の頬を優しく撫ぜた。その風はゆっくりと、ゆっくりと広がってゆく。やがて、風に若葉のような瑞々しい緑の輝きが纏い始めた。それはあの緑の石を使い込むとなる色にとてもよく似ていた。

 緑の風が、青い空に緑を差す。

「そんな、どういうことですか」

 ガルニエは信じられないとうろたえた。

「反魔法式はどうしましたか」

「う、動いております」

「まさか、そんな!」

 ガルニエは自分の目で確かめるためか、慌しい足音を立てて遠ざかる。

 反魔法式。聞いたことはないけれど、それかきっとさっきの耳の痛みをもたらしたものなんだろう。

 慌てふためくガルニエの気配を感じながら、ヘラはとても穏やかだった。あんなに難しいと思っていた大魔法が、小さな花を両手で包み込むように簡単だった。

 そのあまりの容易さに、これが本当に魔法なのかどうか怪しくも思えた。

 緑の風はフローリアを中心に舞うように吹き続け、ついに大陸中を包み込んだ。

 木々の間をすり抜けて、木の葉を揺らし、草を撫ぜて、大地を触れる。さながら、この大陸が緑色に輝いているかのようだった。

 そして、フローリアからとびきり強い風が吹き出すと、風に圧されてフローリアを抑えていた二人の男は飛ばされた。集まった人々も、ガルニエも顔を庇った。

 風が通り過ぎ、人々は風の源を見遣る。

「いない……」

 誰かがポツリと呟いた。

 そう、そこにはもう、誰もいなかった。

 フローリアが被っていたヴェールがゆらゆらと空から落ちてきて、緑色の輝きが残る大地の上でくたりと崩れた。
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