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最終話
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気が付くと、奇跡を起こした場所から大分離れたところで転がっていた。
ヘラは、自分がどうしてこんなところに転がっているのかすぐに分からなかった。
多分魔法の反動で跳んだか何かしたのだろう、と考え、聖堂騎士か司教、誰でもいいから味方を探し回ることにした。
幸い、跳ばされたのがあの場所から東、王都のある方向だったので、少し歩くと小さな集落が見つかった。
しかしそこはすでに打ち捨てられた廃村で、住民の姿はとうになく、何年も前に人が住んでいたであろう痕跡だけが残されていた。
それが逆に都合が良かった。
土や草にまみれつつも、ヘラが着ていたのは黒い修道服。
フローリアを演じつつも、ヘラは王都市民と同じくらいしか聖典のことを知らない。
もし誰かに遭遇して、フローリアと気付かれるのも、旅の聖職者として祈りや説法を求められても困るからだ。
運良く残っていたボロボロの女物の服に着替え、その日はその廃村で夜を明かした。
翌日、井戸から水を汲んで喉の渇きを癒し、顔を洗うと、草で覆われつつあった道を辿って東へ歩き出す。とりあえず道なりに行けば他の村、人が住んでいる集落に行き着くだろうと考えた。
そうして日が暮れる前に、何とか小さな宿場町に潜り込むことができた。
そこでヘラは、フローリアがどうなったのか、を知ったのだ。
そのときすでに、フローリア最後の奇跡から一週間が経っていた。
ヘラは自分がそんなにも長い間気を失っていたことに驚いたが、さらに驚いたのは、あまりにもできすぎたフローリアの最期だった。
魔法の反動で遠方に飛ばされたヘラは、当然その場に姿はない。だから突然消えてしまったフローリアは、役目を果たしたので、神に楽園へと迎えられたと捉えられたのだ。
フローリアの奇跡の風は大陸全土、王国中に吹いた。
その日、王国にいた誰もがその奇跡を目の当たりにし、緑の風に吹かれた。その神秘的で、感動的な出来事に王国中が感動に沸いていた。
ヘラが辿り着いた小さな宿場町も例に漏れず、お祭り騒ぎとなっており、奇跡の地から近いこともあって、聖女の旅立ちをその目で目撃した人もたくさん滞在していた。
ヘラは盛り上がる人々を見て、とりあえずホッとした。
大賭けである大魔法が成功したことと、人々が心から喜び、笑顔だったからだ。
あのときガルニエは言った。
フローリアは人々を騙している、と。
ヘラも正直そのことが気がかりだった。あれは魔法だ。奇跡なんて神々しいものじゃない。
でも、人々は喜んでいる。
騙していても、それでよかったんじゃないかと思った。騙した上で何かを奪い取ったり、傷つけたわけじゃない。
だから許されるような気がした。
ずるい考えだけれど、騙していたのはフローリアでヘラではないという気持ちもどこかにある。
きっと司教に影響されたのだろう。
翌日、宿場町から出ていた辻馬車に乗り、この辺りで最も大きな街に辿り着く。辻馬車の代金は、ヘラの手首に残っていた緑の石の腕輪の、緑の石の一欠けらで済ませた。
奇跡の前はくすんだ緑をしていて、決してきれいとはいえなかった緑の石は、奇跡の後、輝石や玉石と呼べるぐらい透き通ったものへと変わっていた。
きっと大魔法を使ったから、それで磨かれたのだろう。
自ら淡く輝いているように見えるだけに、ずっと見ていても飽きないほどきれいな代物へと変貌していた。
そうして大きな街へ辿り着いたヘラは、ようやく見知った背中を見つけることができた。
「ロナウドおじさん!」
昔に比べて何だか小さくなったような背中が振り返る。
そして疲れたような顔が驚きで目が見開き、じわじわと笑顔に変わった。
「ヘラ! 無事だったのか!」
ロナウドに駆け寄りつつ、ヘラは大きく頷く。
彼の下に着いた途端に両脇の下に手を差し入れられ、まるで子どもにするように抱き上げられた。
今度はヘラが驚き、大きく声を上げた。
「お、おじさん! やめてよ。恥ずかしい」
ヘラは耳まで真っ赤にして辺りをチラチラうかがう。
ロナウドがいたのは聖堂騎士の駐在所前。人通りは多い。実際、突然往来で抱え上げられたヘラに人々の視線が集まった。
駐在所前でそんな騒ぎを起こしたものだから、駐在所の中にいた他の聖堂騎士たちも表に出てきて、抱え上げられているヘラを見つめて、驚き、そして固まった。
○
「そっか、とにかく無事だったんだな。良かった良かった」
駐在所前でちょっと騒いだ後、ヘラは駐在所の中に招かれた。
さすがに往来のある通りでフローリアの話なんてできない。
ヘラは奇跡からこれまでのことを簡単に説明した。
「フローリア様がいなくなってしまっただろう? 俺たちはずっと探していたんだ」
ヘラもまさか魔法の反動であんなに跳ばされるとは思わなかった。そもそも大陸規模の魔法なんてあのときが初めてで、あれっきりにしたいものだ。
「そうだったんですね。司教様はどうされましたか? あと審問官の方も」
「テレハは無事だ。強く押さえつけられたから、腕を折ったが。心配するほどじゃない」
ヘラは小さく息をのむ。ヘラは怪我をしていないが、審問官の仲間は男性の司教には手加減をしなかったようだ。あの場にロナウドもいたはずだが、司教を守ることができなかったのだろう。
そのせいか、ロナウドの表情はどこか曇っている。
「もう王都に戻られているのですよね?」
「いいや、モルトレール農園だ。あそこで治療を受けている」
ロナウドの表情がさらに暗くなる。
ヘラは相変わらずな彼に思わず噴出してしまった。
そのとき、これまで張り詰めていた何かがふっと緩んで、眠気が押し寄せる。自分が思っていた以上に疲れていたようだ。
結局そのまま休ませてもらうことにした。そして次に目覚めたときは二日後で、すでにヘラもモルトレールに移動する手はずが整えられていた。
「具合はどうですか? ヘラさん」
久しぶりに会った司教の表情はどこも変わった様子はなかった。ロナウドが言っていた通り、折られた右腕を首から布で吊っていて、動きがぎこちない。
「悪くありません。これまでに十分休ませてもらいましたから」
奇跡の反動はなかなか抜けなかった。ここ十日ほど、休みすぎなほど休んでいたはずなのだけれど、横になればすぐにでも眠りに落ちてしまいそうだった。
それでも何とか立って歩いて、そして話をできるぐらいの気力はある。
「フローリアは奇跡を成し遂げたのですね」
「ええ、実に見事なものでした。正しく奇跡でした」
大地は変わっていた。これまでの奇跡で生み出されていた緑の石は見当たらないけれど、明らかに前と違う。大地そのものが生きることを喜んでいるようだった。
「本当のことを言うと、あれを私がやったとは思えないんです」
ヘラはそう零した。
ヘラは魔女だ。だから魔法を使う。でもあのときガルニエは何らかの手段で魔法を封じていて、一度は魔法が使えなかった。その後も、彼の反応では魔法が使えなかったはずだ。でも、ヘラはいつものように魔法が使えた。
ガルニエの失敗だと考えてしまえば簡単なのだけれど、そうだと断じられないものがヘラの中にあった。
あの大魔法を花を咲かせるぐらい簡単に扱えてしまった。
魔法は規模が大きくなればなるほど難しく、時間がかかる。それはヘラの経験から得た知識。
大地の奇跡はそれを大きく覆す結果となった。
思い返してみると疑問ばかりが浮かび上がる。成功したから良いじゃないかといえるけれど、説明できないことが気にかかる。
「でも、あれをできるのはヘラさんだけでしょう?」
司教は首を傾げる。
それもそのはず。あのとき魔法を使ったのはヘラで、大地がそれによって目覚めた。フローリアの奇跡が起きたのだ。
ヘラにとっては難しくて、成功率が恐ろしく低い魔法。それがあのとき成功した。それだけでも奇跡だ。
だからあれを奇跡と言ってもいいのかもしれない。
「そう……ですね。でもこれでフローリアの物語は終わりですね」
「ええ。これで終わりです。十分すぎる、きれいな物語でした」
「司教様はこれからどうなさるのですか?」
「私は……」
司教はふと日差しが差し込む窓を見遣る。
「司教の座を降りようと考えています」
「どうして!?」
「私は役目を果たしたと考えています。これからのことは、他の者が担うのも悪くないでしょう。フローリアも退場したのです。後見人を務めていた私も下がるべきでしょう」
「何だか、寂しいですね」
「もう会えなくなるわけではありませんよ。暇ができたら会いに来てください」
「時間が出来たら、そうします。でもマイルズさんが時間をくれるか分かりません」
「弟にはもっといろいろ言っておかなければなりませんね」
司教とは結局そのとき別れたきりだった。
手紙を書こうと思っていて、忘れることが続いてしまった。日常の忙しなさに押されて、あっという間に時間が過ぎていった。
気が付くと、フローリアの奇跡から半年も経っていて、司教やシルベスターとフローリア計画について話し合っていたのが遠い昔のように思えた。
支払い台帳とにらみ合い、一段落つくと、大きく伸びをした。
通りの喧騒につられて、首を動かす。
ガラスのはまった窓の向こうには、明るい表情の人が行き交う。誰も彼も、未来が明るいものと信じて疑わなかった。
聖女フローリアが、人々を飢えと不安と絶望から救ったのだ。
○
その奇跡は、灰大陸の覚醒と名付けられた。
フローリアはその身を代償にし、その奇跡を起こし、人々を飢えから解き放ったのだ。
人々は自分たちを救ってくれた一人の女性に感謝し、彼女が星の果てにある楽園に、神の御許に受け入れられたことに喜びつつも涙した。
後日、総本山から正式に発表が出された。
ついにフローリアは聖女として認められたのだ。
審問官ガルニエ・フェアリュクトが担当した件で、今回初めて聖女として認定が下された。
しかしガルニエは認定発表後、すぐ審問官をやめてしまったという。
聖王は驚いて彼にその理由を尋ねると、一聖職者として、初めからやり直したいと答えたとか。
そして、フローリア最後の奇跡は王国を変えた。
その年、王国の麦を始めとするありとあらゆる作物の収穫量は劇的に増え、これから数十年間、毎年収穫量を増やし続け、一気に世界最大の農業国として広く知られるようになるのだった。
この王国の夜明けに、アシュレイティス国王は聖女フローリアを王国の守護聖人として、篤く信仰していくことを宣言した。
聖女フローリアは王国から、そして世界から消えたが、魔女は残った。
そして魔女がいることを知っている人はほとんどいない。
ヘラは、自分がどうしてこんなところに転がっているのかすぐに分からなかった。
多分魔法の反動で跳んだか何かしたのだろう、と考え、聖堂騎士か司教、誰でもいいから味方を探し回ることにした。
幸い、跳ばされたのがあの場所から東、王都のある方向だったので、少し歩くと小さな集落が見つかった。
しかしそこはすでに打ち捨てられた廃村で、住民の姿はとうになく、何年も前に人が住んでいたであろう痕跡だけが残されていた。
それが逆に都合が良かった。
土や草にまみれつつも、ヘラが着ていたのは黒い修道服。
フローリアを演じつつも、ヘラは王都市民と同じくらいしか聖典のことを知らない。
もし誰かに遭遇して、フローリアと気付かれるのも、旅の聖職者として祈りや説法を求められても困るからだ。
運良く残っていたボロボロの女物の服に着替え、その日はその廃村で夜を明かした。
翌日、井戸から水を汲んで喉の渇きを癒し、顔を洗うと、草で覆われつつあった道を辿って東へ歩き出す。とりあえず道なりに行けば他の村、人が住んでいる集落に行き着くだろうと考えた。
そうして日が暮れる前に、何とか小さな宿場町に潜り込むことができた。
そこでヘラは、フローリアがどうなったのか、を知ったのだ。
そのときすでに、フローリア最後の奇跡から一週間が経っていた。
ヘラは自分がそんなにも長い間気を失っていたことに驚いたが、さらに驚いたのは、あまりにもできすぎたフローリアの最期だった。
魔法の反動で遠方に飛ばされたヘラは、当然その場に姿はない。だから突然消えてしまったフローリアは、役目を果たしたので、神に楽園へと迎えられたと捉えられたのだ。
フローリアの奇跡の風は大陸全土、王国中に吹いた。
その日、王国にいた誰もがその奇跡を目の当たりにし、緑の風に吹かれた。その神秘的で、感動的な出来事に王国中が感動に沸いていた。
ヘラが辿り着いた小さな宿場町も例に漏れず、お祭り騒ぎとなっており、奇跡の地から近いこともあって、聖女の旅立ちをその目で目撃した人もたくさん滞在していた。
ヘラは盛り上がる人々を見て、とりあえずホッとした。
大賭けである大魔法が成功したことと、人々が心から喜び、笑顔だったからだ。
あのときガルニエは言った。
フローリアは人々を騙している、と。
ヘラも正直そのことが気がかりだった。あれは魔法だ。奇跡なんて神々しいものじゃない。
でも、人々は喜んでいる。
騙していても、それでよかったんじゃないかと思った。騙した上で何かを奪い取ったり、傷つけたわけじゃない。
だから許されるような気がした。
ずるい考えだけれど、騙していたのはフローリアでヘラではないという気持ちもどこかにある。
きっと司教に影響されたのだろう。
翌日、宿場町から出ていた辻馬車に乗り、この辺りで最も大きな街に辿り着く。辻馬車の代金は、ヘラの手首に残っていた緑の石の腕輪の、緑の石の一欠けらで済ませた。
奇跡の前はくすんだ緑をしていて、決してきれいとはいえなかった緑の石は、奇跡の後、輝石や玉石と呼べるぐらい透き通ったものへと変わっていた。
きっと大魔法を使ったから、それで磨かれたのだろう。
自ら淡く輝いているように見えるだけに、ずっと見ていても飽きないほどきれいな代物へと変貌していた。
そうして大きな街へ辿り着いたヘラは、ようやく見知った背中を見つけることができた。
「ロナウドおじさん!」
昔に比べて何だか小さくなったような背中が振り返る。
そして疲れたような顔が驚きで目が見開き、じわじわと笑顔に変わった。
「ヘラ! 無事だったのか!」
ロナウドに駆け寄りつつ、ヘラは大きく頷く。
彼の下に着いた途端に両脇の下に手を差し入れられ、まるで子どもにするように抱き上げられた。
今度はヘラが驚き、大きく声を上げた。
「お、おじさん! やめてよ。恥ずかしい」
ヘラは耳まで真っ赤にして辺りをチラチラうかがう。
ロナウドがいたのは聖堂騎士の駐在所前。人通りは多い。実際、突然往来で抱え上げられたヘラに人々の視線が集まった。
駐在所前でそんな騒ぎを起こしたものだから、駐在所の中にいた他の聖堂騎士たちも表に出てきて、抱え上げられているヘラを見つめて、驚き、そして固まった。
○
「そっか、とにかく無事だったんだな。良かった良かった」
駐在所前でちょっと騒いだ後、ヘラは駐在所の中に招かれた。
さすがに往来のある通りでフローリアの話なんてできない。
ヘラは奇跡からこれまでのことを簡単に説明した。
「フローリア様がいなくなってしまっただろう? 俺たちはずっと探していたんだ」
ヘラもまさか魔法の反動であんなに跳ばされるとは思わなかった。そもそも大陸規模の魔法なんてあのときが初めてで、あれっきりにしたいものだ。
「そうだったんですね。司教様はどうされましたか? あと審問官の方も」
「テレハは無事だ。強く押さえつけられたから、腕を折ったが。心配するほどじゃない」
ヘラは小さく息をのむ。ヘラは怪我をしていないが、審問官の仲間は男性の司教には手加減をしなかったようだ。あの場にロナウドもいたはずだが、司教を守ることができなかったのだろう。
そのせいか、ロナウドの表情はどこか曇っている。
「もう王都に戻られているのですよね?」
「いいや、モルトレール農園だ。あそこで治療を受けている」
ロナウドの表情がさらに暗くなる。
ヘラは相変わらずな彼に思わず噴出してしまった。
そのとき、これまで張り詰めていた何かがふっと緩んで、眠気が押し寄せる。自分が思っていた以上に疲れていたようだ。
結局そのまま休ませてもらうことにした。そして次に目覚めたときは二日後で、すでにヘラもモルトレールに移動する手はずが整えられていた。
「具合はどうですか? ヘラさん」
久しぶりに会った司教の表情はどこも変わった様子はなかった。ロナウドが言っていた通り、折られた右腕を首から布で吊っていて、動きがぎこちない。
「悪くありません。これまでに十分休ませてもらいましたから」
奇跡の反動はなかなか抜けなかった。ここ十日ほど、休みすぎなほど休んでいたはずなのだけれど、横になればすぐにでも眠りに落ちてしまいそうだった。
それでも何とか立って歩いて、そして話をできるぐらいの気力はある。
「フローリアは奇跡を成し遂げたのですね」
「ええ、実に見事なものでした。正しく奇跡でした」
大地は変わっていた。これまでの奇跡で生み出されていた緑の石は見当たらないけれど、明らかに前と違う。大地そのものが生きることを喜んでいるようだった。
「本当のことを言うと、あれを私がやったとは思えないんです」
ヘラはそう零した。
ヘラは魔女だ。だから魔法を使う。でもあのときガルニエは何らかの手段で魔法を封じていて、一度は魔法が使えなかった。その後も、彼の反応では魔法が使えなかったはずだ。でも、ヘラはいつものように魔法が使えた。
ガルニエの失敗だと考えてしまえば簡単なのだけれど、そうだと断じられないものがヘラの中にあった。
あの大魔法を花を咲かせるぐらい簡単に扱えてしまった。
魔法は規模が大きくなればなるほど難しく、時間がかかる。それはヘラの経験から得た知識。
大地の奇跡はそれを大きく覆す結果となった。
思い返してみると疑問ばかりが浮かび上がる。成功したから良いじゃないかといえるけれど、説明できないことが気にかかる。
「でも、あれをできるのはヘラさんだけでしょう?」
司教は首を傾げる。
それもそのはず。あのとき魔法を使ったのはヘラで、大地がそれによって目覚めた。フローリアの奇跡が起きたのだ。
ヘラにとっては難しくて、成功率が恐ろしく低い魔法。それがあのとき成功した。それだけでも奇跡だ。
だからあれを奇跡と言ってもいいのかもしれない。
「そう……ですね。でもこれでフローリアの物語は終わりですね」
「ええ。これで終わりです。十分すぎる、きれいな物語でした」
「司教様はこれからどうなさるのですか?」
「私は……」
司教はふと日差しが差し込む窓を見遣る。
「司教の座を降りようと考えています」
「どうして!?」
「私は役目を果たしたと考えています。これからのことは、他の者が担うのも悪くないでしょう。フローリアも退場したのです。後見人を務めていた私も下がるべきでしょう」
「何だか、寂しいですね」
「もう会えなくなるわけではありませんよ。暇ができたら会いに来てください」
「時間が出来たら、そうします。でもマイルズさんが時間をくれるか分かりません」
「弟にはもっといろいろ言っておかなければなりませんね」
司教とは結局そのとき別れたきりだった。
手紙を書こうと思っていて、忘れることが続いてしまった。日常の忙しなさに押されて、あっという間に時間が過ぎていった。
気が付くと、フローリアの奇跡から半年も経っていて、司教やシルベスターとフローリア計画について話し合っていたのが遠い昔のように思えた。
支払い台帳とにらみ合い、一段落つくと、大きく伸びをした。
通りの喧騒につられて、首を動かす。
ガラスのはまった窓の向こうには、明るい表情の人が行き交う。誰も彼も、未来が明るいものと信じて疑わなかった。
聖女フローリアが、人々を飢えと不安と絶望から救ったのだ。
○
その奇跡は、灰大陸の覚醒と名付けられた。
フローリアはその身を代償にし、その奇跡を起こし、人々を飢えから解き放ったのだ。
人々は自分たちを救ってくれた一人の女性に感謝し、彼女が星の果てにある楽園に、神の御許に受け入れられたことに喜びつつも涙した。
後日、総本山から正式に発表が出された。
ついにフローリアは聖女として認められたのだ。
審問官ガルニエ・フェアリュクトが担当した件で、今回初めて聖女として認定が下された。
しかしガルニエは認定発表後、すぐ審問官をやめてしまったという。
聖王は驚いて彼にその理由を尋ねると、一聖職者として、初めからやり直したいと答えたとか。
そして、フローリア最後の奇跡は王国を変えた。
その年、王国の麦を始めとするありとあらゆる作物の収穫量は劇的に増え、これから数十年間、毎年収穫量を増やし続け、一気に世界最大の農業国として広く知られるようになるのだった。
この王国の夜明けに、アシュレイティス国王は聖女フローリアを王国の守護聖人として、篤く信仰していくことを宣言した。
聖女フローリアは王国から、そして世界から消えたが、魔女は残った。
そして魔女がいることを知っている人はほとんどいない。
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