胡蝶、泥の夢

音﨑@もち

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Ⅲ.霞む、君

いつかの夢

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夢を見た。優しげな薔薇の香りのする夢だった。
泡立てたクリームのような、重く身に絡む霧を泳ぐようにかき分けて歩く。仄暗い林の中のようだ。
後ろから足音が聞こえる。私は、それから逃げているようだった。
焦りで汗が出た。まるで形を持つような霧に阻まれて、うまく進めない。足音は迫ってくる。
私は僅かに振り向いて、後ろの相手を確認しようとした。しかし、霧でほとんど見えない。
____鈍く光る金属のような、何かが見えた。細長い……ナイフ?
その時、霧から手が伸びて、私の肩を掴んだ。すごい力だった。細長い指の、ごつごつした手。その場に押し倒され、首にナイフをあてがわれた。こんなに近くで、荒い息遣いも聞こえるのに、相手は霧の衣でも纏ったかのように姿が見えない。影でおそらく背の高い、細身の男性だということだけが分かる。
私は恐ろしく怯えていた。クリームの海で溺れたかのように、息が詰まって苦しい。薔薇の香りも遠のく。いつもはこんなこと、素早く対応できるはずなのに。
『や…………く』
最後に相手が何かを呟いた。それに私は、何かとても大切なことを、思い出したようにハッとする。



「ハーンーナーせーんーぱーい!!」
「ひゃっ!?」
耳元で呼ばれて、夢から跳ね起きる。
ごちん。「あいたっ」何かと頭をぶつけた。鈍い痛みが走る。それと共に先程の夢の記憶が薄れていく。残ったのは霧と薔薇の香りと、嫌なイメージのみ。
思い出そうとしても、残像を掴むようではっきりとしない。

私の上にはシャルが乗っており、頭を抱えている。
「あ、ああ……ごめんなさい、びっくりしたの」
「うぅ……私こそごめんなさいぃ」
私はソファの上で寝ていたようだった。体にクリーム色のブランケットがかかっている。そうだ、放課後に作戦室で昼寝していたんだ。
視線を巡らせて部屋を見れば、他の二人が笑いながらおはよう、と口々に言った。時間は六時五分。胃は空っぽだ。
「お腹空いたー。ご飯行こっか」
「そだねぇ」
伸びをしながらエリンが言い、合わせてソファから皆が立ち上がる。シャルは私のお腹からぴょん、と跳び下りた。体にかかる重みの変化が少ない。本当にあの量の食事はどこに入っているんだ?
「あ、待って待って。私も」
少し遅れて私も立ち上がり、作戦室を後にした。食堂に行くには、一度中央棟に入って、庭を横切って行けば早い。中央棟、ホール入り口の脇のドアを開けた。
夕闇のなかに、春の香りに満ちた庭がある。チューリップやスミレなど、優しげな色の花々が咲いている。中央には東屋、振り返れば白い壁に、暖かな光の漏れる窓のある中央棟。
「おお~教室からも見えたけど、やっぱり間近で見ると綺麗ですね~」
「ええ、そうね……」
シャルに頷く。所々に立っている街灯も綺麗。後ろについてきていた三人も止まって、春の庭を眺める。
お腹がぐうと鳴ってハッとする。花に見とれている場合じゃない。
早足で食堂に入ってさっさと料理を取り、席を確保。席はほとんど埋まっていて、私たちの近くに座っていた生徒に声をかけた。「ごめんなさい。隣、いいかしら?」「も、もちろんっ!」「ありがとう」隣のテーブルに座っていたのは、今日の授業で対戦したセイラと、彼女と仲の良いグループの生徒らだった。
セイラの目が合ったのでニコリとすると、ぎこちなく、不自然に目をそらされた。一緒きょとんとするが、彼女は優秀だが大人しい性格。いつも休み時間は読書をしているようで、あまり話す機会がないので、仲が良いとは言えないだろう。私がどう思われているかはわからない。嫌われていたとしても、気にすることではない。人には苦手なものがあるのだから。私にだって。
…………。と言ってみたものの、少しへこむ……。

「いただきます」
私に次いであとの三人もいただきます、と食べ始める。
夕食も昼食と同じシステムで、今日はカルボナーラにした。湯気の立つ美味しそうなパスタ。フォークで巻いて口に運ぶ。うん、美味しい。
隣にはエイミーが座って、唐揚げ定食を食べている。う、美味しそう。私の物欲しげな視線を感じたのか、エイミーはこちらを向いてニコッと笑った。黄土色の目が細められる。澄んだ瞳は宝石のようだ。……キザっぽくなった。
「ん?一つ食べる?」
「え、あ、うん……いいの?」
決まり文句に決まった流れではあるが、エイミーは本当に快く唐揚げを差し出している。もちろん、と彼女は頷いた。
「はい、あーん」
「ええ!?」
フォークに刺した唐揚げを、そのまま私の口元に運ぶ。これも面倒見の良さなのか?
「ほらほら、いいから!」
「……ん」
素直に優しさを受け取り、唐揚げを咀嚼。美味しい。裏切らない美味しさだ。
私のカルボナーラも、同じようにしてエイミーに一口あげた。未だに思うがなんだこの感じ。エイミーとは初等部……十歳からの付き合いだ。その頃からのほほんとしていて、面倒見が良いと思えば甘えん坊なところもある。スキンシップが多い。そういうところも嫌いじゃないけど。

「ああ、そういえばね」
ティーカップをソーサーに置きながら、斜向かいに座ったエリンが切り出した。
あれからいつもどおりの食事が続き、今は食後のお茶を飲んでいた。朝昼晩と二人前ほどの食事を平らげたシャルは、もう眠たそうにしている。
「来週、“ケモノ”討伐の任務があるんだって。近いうちに参加部隊の作戦会議が開かれるだろうね」
「へぇ、久しぶりね」
「シャルは初めてになるかな?」
エイミーが、船を漕ぎ始めていたシャルを少し揺すって声をかける。
「ふぁ、そーですね……」
ボケーッとしたまま答える。
「あらら……初日で疲れてるのかなぁ?」
「そうね……」
「じゃあ、詳しい話は明日にしようかな?」
三人で頷きあい、なぜか私がシャルをおぶって部屋に連れて行くことになった。力が抜けているからか何なのかわからないが、大分重い。生徒らの視線を感じながら食堂を後にする。
歩いていると、背中からふわふわと薔薇の香りが漂ってくる。相変わらず心地良い香りだ。
「なんで私が……」
「いいじゃん、一番懐いてるみたいだし?」
だから本当にこの人は隊長なのか?
「まぁ、まだまだ私たちにも懐いてもらうけどねー」
「ねー」
「そう……」
寮に入って、シャルの部屋の場所がわからないことが判明。壁に取り付けられた内線電話で中枢管理部に連絡してみる。すると四階の隅の部屋だという。一年生は二階に全員収まる人数のはずだが。とりあえずエレベーターで上がり、‘シャルロッテ’とプレートに刻まれた部屋のドアを開ける。鍵は掛かっていなかった。

「……え、何、この部屋」
「すごい、ね」
「この子、一体何なのかしら?」

私たちは次々に驚きを言葉にした。
ドアを開けたその先にあったのは、通常の部屋の二倍の広さはあるであろう、そして壁に多くの人形が飾られた部屋だったからだ。
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