公爵様、どうか僕を忘れてください

まんまる

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25.震える心~拙い恋~ (※)

「知らなかったとは言え、勝手に触れたりして、悪かった⋯」
「ち、違うんです!アイクさんは、全然怖くなくて⋯、僕⋯自分でも驚いているんです」

ジルは瞳をゆらゆらと揺らしながら、ゆっくりと口を開いた。

「僕、王都の孤児院で育ったんです。両親の顔も覚えていません」
「⋯言いづらいことを、言わせて悪かった」
「いいえっ!」

ジルは、顔を左右に何度も振って、握り締めた拳を見つめるようにうつむいた。

「孤児院の皆はとても温かくて、僕は寂しいと思ったことは一度もありませんでした。でも、孤児院は15になったら出ないといけないんです。だから、僕もどこか働き口を探そうと思ったんですけど、僕が小さな子供たちに懐かれているからと、院長が孤児院の子供の世話を任せてくれることになったんです」
「じゃあ、そのまま、孤児院で?」
「はい、有り難かったです」

ジルの膝の上の拳が、小刻みに震えている。

「でも、僕が16の時、孤児院に寄付をされていた伯爵家の代替わりがあって、新しく爵位を継がれたご嫡男が、孤児院に来るようになったんです」

心臓が、ドクンと嫌な跳ね方をした。

「新しい伯爵様はまだお若くて、結婚されたばかりだと聞きました。伯爵様は、孤児院に来ると、なぜかいつも僕を個室に呼んで、美味しいお菓子をくれました」

これ以上は聞かない方がいいと思った。
だが、ジルは今まで一人で抱えてきた、自分の中の暗い闇を、誰かに聞いてほしいんだと思った。
俺は、ジルの潤んだ瞳から目をそらさなかった。

「最初はただ、お話をするだけでした。でも、初めは向かい合わせに座っていたのが、気づいたら隣に座っていて、それから太ももに手を置かれるようになり、されるがまま、腰に手を回されるようになりました」
「⋯っ!」
「院長にも相談しづらくて、僕はどうしていいか分かりませんでした。でも、僕が17になった時、今お世話になっているバウアー公爵家の厩番の仕事を、院長から紹介してもらったんです」

ほっとした。
ジルの身に、最悪のことは起こっていなかったんだと思った。

「でも、それを聞きつけた伯爵様が⋯」
「⋯っ!」

喉がからからに乾いて、声がうまく出せない。

「僕に愛人になるように言ったんです」
「なっ!?」
「もし、言うことを聞かなかったら、孤児院を潰す、と言われました。だから、僕⋯」
「まさか⋯」

ジルの握りしめた拳が、ぶるぶると震えている。

「シャツを脱がされ、体に舌をわされました」
「ジルっ!もう、いい!よせっ!」

ジルが首を左右に振ると、大きな瞳から涙がぽろぽろと零れ落ちた。

「僕、気持ち悪くて、ぐすっ、怖くてたまらなくて、逃げ出したんです」
「えっ⋯?」
「散らばっていた服を胸に抱えて、必死に走って逃げたんです。気づいたら、神殿の前に立っていて、たまたま通り掛かった神官様が中に入れてくれました。⋯僕、孤児院を見捨てたんです。お世話になった皆を見殺しにしたんです!」

ジルは俺の胸にしがみついて、泣きじゃくった。
俺の胸にすっぽり収まるほどの華奢な体が、痛々しいほど震えている。

「くっ⋯、ジル⋯」

俺はジルを掻き抱いた。

「違うだろ!ジルは何も悪くない!ジルの方が被害者じゃないか!」
「でも、でも、僕が言うことを聞いていたらっ!ひっ ひっく」

ジルの感情が昂りすぎて、呼吸が乱れてきた。

「ジル!落ち着け!ゆっくり息をしろ!」

「ひっ、僕が!ひっく、僕が あ あ゛あ゛あ゛!ひゅっ」

「ジルっ!!」

俺は食らいつくように、ジルの唇を塞いだ。
ジルの呼吸を落ち着かせるには、もうこれしか思いつかなかった。

「んんっ、んんんっ」

驚いたジルが、目を見開いて、俺の胸を弱々しく叩いてきた。
だが、まだ苦しそうに、肩で息をしている。
俺は心の中でジルに謝りながら、唇を塞いだまま、ジルの体を強く抱き締めた。


しばらくすると、ジルの呼吸が落ち着いてきたのが分かった。
体の震えも止まっているようだ。
俺はそっと唇を離して、腕の力を緩めた。

「ジル、大丈夫か?少しは落ち着いたか?⋯勝手に唇を奪ったのは、悪かった。だが、ジルを落ち着かせるには、ああするしかなかったんだ」
「⋯⋯」
「ジル⋯?すまん、気持ち悪かっただろ?男が怖いと言っていたのに、無理矢理あんなこと⋯」
「⋯⋯」
「ジル?まだ苦しいか?」
「⋯⋯」

ジルは俺が何を聞いても、答えようとしない。
俺はジルの肩に手を置いて、そっとジルの体を離そうとした。

「あっ⋯、だめっ!」

「おわっ!」

体が離れる瞬間、ジルは俺の背中に腕を回して、ぎゅっと抱き締めてきた。

「ジル⋯、どうした?」

ジルは俺の胸の中で、いやいやと言うみたいに、顔を左右に何度も振った。

「ジル、黙ってても分からないぞ。嫌なら、俺を突き飛ばしてもいいんだぞ」
「⋯⋯ない」
「えっ?」
「嫌じゃない⋯です」

ジルが俺を抱き締めたまま、おずおずと顔を上げて俺を見つめた。

「⋯っ!!」

ジルの頬は、熟れた果物のように真っ赤に染まり、潤んだ大きな瞳は戸惑いに揺れ、俺に奪われた唇は、半開きのまま、しっとりと濡れていた。

体中を、ぶわっと甘い疼きが走り抜けた。
鼓動が早鐘のように打ち始め、体温が上がる。


ああ、心が震えている。


ジルの頬にそっと触れると、陽の光を浴びて輝く一筋の銀色の髪が、初夏の爽やかな風に、ふわりと踊った。

「ジル⋯、本当に、俺が怖くなかったか?」
「はい、怖くなかったです。あんなに大きな男の人が怖かったのに⋯」

ジルのはにかんだ笑顔を見て、俺の心が切なく震えた。

「口づけも⋯、嫌じゃなかったか?」

ああっ!俺は何を気持ち悪いこと聞いてるんだ!

俺が焦っていると、ジルがゆっくりと首を横に振った。

「はい、初めてで驚きましたが、アイクさんが、僕を落ち着かせるためにしてくれたのは分かっていますから」
「初めて⋯、そっか、そうだよな。まあ、俺も、って、いや、何でもない!」

俺は余計なことを口走りそうになって、慌てて誤魔化した。
ジルはきょとんとした顔をしている。

「アイクさん?⋯僕の方こそ、アイクさんに謝らないといけないです」
「何をだ?俺がジルに謝ってもらうことなんて、何もないぞ」
「いいえ、だって、アイクさんに、好きでもない僕の唇に触れさせてしまいましたから」

ジルがふっと目を伏せた。

「⋯アイクさんは、ルディア様を慕っているんですよね?」
「⋯っ!?」
「だって、アイクさんは、ずっと僕の銀色の髪を見ているから⋯」

ジルから言われた言葉に、俺はどうしようもなく動揺した。
それは、ルディアを好きなことを、ジルに見透かされて気まずかったからでも、ジルの銀色の髪を見ていたことがバレて焦ったからでもない。

俺の心を震わせているのが、もう何年も想ってきたルディアではなく、今日会ったばかりのジルだと気づいたからだ。

「ジル⋯、確かに俺は、もう何年もルディアを想っていた」

ジルの肩がびくっと小さく震えた。

「ルディアが他人ひとのものになると分かった時、俺はもう、誰かを好きになることなんてないと思っていた。⋯でも違った」
「えっ⋯?」

俺は、ジルの頬を手の平で包み込んだ。

「今日会ったばかりなのに、俺はジルが愛おしくてたまらないんだ。こんなにも心が震えたことはない」

ジルの瞳が潤んで、ゆらゆらと揺れている。

「⋯アイクさんは、僕に同情しているんだと思います」
「違うっ!」
「だって、こんな、僕、きたない⋯から」
「⋯っ!汚くなんてないっ!」
「だって、ぐすっ、僕、体を、うぅっ、裸にされて、触られて⋯、こんな汚い僕、誰も、好きになんて⋯なら⋯」
「もういい!ジル、もう、いいから!黙って俺に抱かれてろ!」

俺はジルを力の限り抱き締めた。

「う、う、うわあ あ゛あ゛あ゛ぁ」

胸の中で、震えながら泣きじゃくるジルの温もりが、震えていた俺の心を、そっと包み込んでくれているようだった。



「取り乱して、すみませんでした」

ジルが泣き止むのを待って、俺達はまたブリーズに乗り、領地をゆったりと見て回った。

ジルは安心したように、俺に身を委ねてくれている。
そんなジルが愛おしくて、俺はジルの腹に腕を回して抱き寄せながら、手綱を握った。

「僕、保護してもらった神殿で、神様の絵を見たんです」
「神様?」
「はい、綺麗な銀色の髪をした神様でした。あまりに綺麗で、僕、思わず手を合わせてお祈りを捧げたんです。お祈りを終えて神様を見たら、優しく微笑んでくれているように見えて、僕はほんの少し、許されたような気がしたんです」
「ジルがそう感じたなら、きっと神様は笑ったんだろうな」

前を向いていて顔は見えないが、ジルが嬉しそうに微笑んだのが分かった。

「孤児院のことは、僕から事情を聞いた神官様から、心配しなくていいとは言われたんです。でも、僕がした事はなくならないから⋯」
「ジル、俺たち平民には、やれる事が限られてる。それにジルはまだ子供だったんだ。もうこれ以上、自分を責めるな」
「はい、ありがとうございます。アイクさんに話を聞いてもらったら、なんだか胸が軽くなった気がします」
「そうか、よかった」

俺がジルの腹に回した腕に力を入れて、ぎゅっと抱き締めると、ジルが微笑みながら、ゆっくりと後ろを振り向いた。

ふっ、可愛いな。

俺がジルの銀色の髪に唇を寄せると、心地いい風が、2人の頬を撫でながら吹き抜けた。

ジルの瞳と俺の瞳が絡まり、引かれ合うように、唇が重なった。
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