魔王の遺書

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第5章:継がれし遺書

3.魔王を斬った者

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遺書を読み終えたセリオは、部屋の空気が変わったことに気づいた。たとえば温度が一度下がったような、あるいは時間の流れが半テンポ遅れたような、説明のつかないズレが、まるで部屋全体に膜をかけたかのようにまとわりついていた。

机の上で閉じられた遺書は、もう黙っていた。先ほどまであれほど雄弁に記憶を解き放っていたその革表紙は、今やただの静かな“本”に戻っていた。だがその中身は、セリオの中でまだざわざわと響き続けていた。

《魔王の遺書は、勇者の手による懺悔録であった》

その一文が、何度も何度も脳裏で繰り返される。そして、そこにあった“斬られた魔王”の像と、“剣を下ろした勇者”の記憶が、どこかで同一人物のように重なってくるのをセリオは止められなかった。

外へ出ようと扉を開いたその瞬間、彼は“空気の揺れ”を感じた。

誰かが、そこにいた。

黒衣の男。クロウ。先ほど別れたばかりのはずなのに、まるで“次の場面で待っていた”かのような自然さで、彼はそこに立っていた。仮面は外しておらず、その銀の縁だけが光を反射して微かに光っていた。

「思い出したか?」

そう問われた気がして、セリオは首を横に振った。言葉は交わさなかったが、クロウはそれで納得したようだった。

「ならば、思い出させよう」

そう言わんばかりに、彼は歩き出した。セリオもそれに続いた。言葉はいらなかった。行き先は明らかだった――“あの場所”。セリオの中で何度も夢に出てきた、剣を振るい、血が流れ、笑う魔王が佇んでいたあの廃墟。かつて“決着がついた場所”。

道中、風が吹き、空は淡い色をしていた。街の喧騒が遠ざかるにつれ、セリオの思考は徐々に“ある記憶”に占拠され始めていた。それはまだ完全な映像ではない。声もなく、形もあやふやな影絵のような記憶だった。けれど、それは確かに“自分がいた場所”だった。

やがてたどり着いたのは、谷間にある崩れかけの神殿跡。風が石畳を舐め、空は広く、静寂が支配する場所。まるで、世界の音がすべてここから始まり、またここに戻ってくるかのような場所。

クロウが立ち止まる。セリオもまた、その傍らで立ち尽くす。

「ここで、すべてが終わった。前の世界でな」

その声に、セリオの中の何かが弾けた。意識の底から、映像が一気に浮かび上がってくる。

夜だった。嵐だった。黒い空、裂ける雷鳴、血を吸う地面。そして、自分の手の中にあった剣。正面に立つ男――その顔は見えない。ただ、笑っていた。その口元はどこか寂しそうで、それでいて、誰かを許そうとしているような微笑みだった。

「……おれが……あれを斬った?」

セリオの声は、風にかき消されるほど小さかった。

「いや、“お前が自分を斬った”のだ」

クロウの言葉が落ちた瞬間、世界が静かになった。

「お前はあのとき、二つの選択肢の間で、最後まで迷っていた。“討つ”か、“赦す”か。“英雄として残る”か、“物語の外に出る”か。その結末が、“お前を魔王にした”」

セリオの足が、無意識に後退した。何かから逃れようとしているわけではない。だが、理解が追いついた瞬間、身体の奥から冷たいものが這い上がってきたのだ。

「その剣は、自分に向けて振るわれた」

クロウは続けた。

「そしてその記録を、お前は自分で封じた。だが、完全には消せなかった。“次の自分”に伝えるために、“勇者が魔王を斬った”という形にして遺したんだ」

“魔王を倒した勇者の記録”として語り継がれてきたものが、実は“勇者が自分自身を討った記録”だったとしたら?

“魔王の遺書”が、実は“勇者の記憶”だったとしたら?

セリオは膝に手をついた。視界が揺れ、足元がぐらついた。思考が錯綜し、現実感が剥がれていく。だが、そんな中でも彼の中にはっきりとしたひとつの確信が芽生えつつあった。

――このままじゃ終われない。

記憶を思い出すこと、それがすべてではない。大切なのは、その記憶の“続きをどう生きるか”だ。自分は再び選ばれた。物語の続きに立っている。ならば、前の自分が選べなかった“別の答え”を選ばなくてはならない。

セリオは立ち上がった。風が彼の髪を乱し、背に差す陽の光が薄雲の合間から漏れた。仮面のクロウは何も言わなかった。ただ、彼の視線が、ほんのわずかに“笑った気がした”。

この記録は、まだ書き終わっていない。

今度こそ、自分の手で“終わり方”を決めなければならない。
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