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第2章:消された投稿

4.スクールカーストの影

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真広が初めて「スクールカースト」という言葉を強く意識したのは、中学二年の文化祭のときだった。誰がセンターで踊るか、誰が実行委員か、誰が最後まで後片付けを任されるか。あのころはまだ、それが“見えない階層”であることに違和感も覚えず、「そういうもの」として受け入れていた。でも、高校に入ってからそれはより洗練され、見えにくくなった。ランキング表など存在しない。誰かが口にするわけでもない。ただ、空気の濃度と視線の流れが、自然と人間関係を縦に分けていく。声の大きさ、笑いの種類、スマホに映るストーリーの再生回数。そういった微細なデータが人間の“居場所”を静かに、だが残酷に定めていく。

そして――結月は、そのどこにもいなかった。

いや、正確に言うなら、“どのグループにも属していない”という意味ではなく、“グループという概念からあらかじめ除外された存在”だった。中心でもなければ、端でもない。いわば“周縁の外側”であり、教室という構造に必要不可欠な存在ではなかった。気配はある。存在もある。けれど、視界には入ってこない。彼女の席はいつも整頓されていて、提出物は期限内にきちんと出ている。先生に当てられれば小さな声で答える。でも、誰もその返答を“記憶”としてとどめない。

彼女は“空気”と呼ばれていた。

陰口ではない。蔑称でもない。むしろ親しみと軽い冗談を込めて言われる、“あの子は空気みたいだよね”という言葉。悪意がない分だけ、深く、じわじわと効く。真広も、かつてはその言葉を軽口のひとつとして聞き流していた。そして気づけば、自分も“空気”を吸っていたのだと後になって知る。

だが、今となってはそれが“無関心という暴力”だったのだと、痛感している。誰もが気づかないフリをしながら、その“存在の消耗”を助長していた。決定的な悪意はない。ただ、誰も手を差し伸べなかったという事実。そこに“罪”があるのだと、ようやく思えるようになった。

真広は、天海先生の痕跡をたどった帰り道、ふと校舎裏の旧備品倉庫の前で立ち止まった。ここは生徒立ち入り禁止区域で、過去に何度か出入り口が施錠され、結局誰も近づかなくなった場所だった。掲示板に貼られていた“例の写真”のフェンスが、この倉庫の裏手にあるものと酷似していた記憶がよみがえる。校内マップをスマホで引っ張り出し、位置を照らし合わせる。確かに一致している。そして、さらに記憶を探る――一年前の掃除当番のとき、偶然この裏手を回されたことがあった。そのとき、ほんの一瞬だが誰かの姿がフェンス越しに見えた気がした。あれは誰だったのか。それが結月だったのではないかと、今なら思える。

もしかして、あの場所は彼女にとっての“避難所”だったのかもしれない。教室にいづらくなったとき、あるいは存在の薄さに圧迫されそうになったとき、こっそりと立ち寄れる空間。誰にも見られず、誰にも気づかれず、ただ立っていられる場所。そういう空間が、きっと彼女には必要だった。

真広は、今さらながら思う。どうしてもっと早く気づけなかったのか、と。たとえ一言でも声をかけていたら、視線を向けていたら、あの机の上に無関心な“見て見ぬふり”の積もった埃を払えていたのではないか、と。けれど後悔は、いつだって“事後”にしか生まれない。時計の針が進んだあとにしか、自分の立ち位置には気づけないのだ。

その日の夕方、彼はもう一度SNSを開いた。すると、結月の投稿が再び“別アカウント”で引用されていた。今度は「空気の子だった」という見出しが添えられ、まるで“教室から消えていった少女の怪談”のような扱いになっていた。軽いフォント、笑い混じりのコメント、アスキーアートで装飾された引用ツイート。それらはどれも、彼女が“確かにいた”という事実を面白おかしく加工し、消費していた。

彼女が死ぬかもしれない、という事実すら、“面白い話題”の中に落とし込まれていく。誰もが、彼女の死を“エンタメ”として再構成し始めている。それが、真広の神経にひりつくような怒りを残した。

そのとき、ふと一人のクラスメイト――かつて“結月の隣の席”だった男子の投稿が流れてきた。

〈結月って誰だっけ?名前は聞いたことあるけど〉

真広はスマホを強く握りしめた。その言葉の軽さよりも、“それが本心であること”のほうが怖かった。名前は聞いたことがある。でも思い出せない。それは彼だけの問題ではない。クラス全体が、学校全体が、そういう構造になっていたのだ。スクールカーストの影。それは、光を浴びない人間の存在を、無自覚に“見えなく”していくシステムだ。そしてその見えなさは、やがて“いなかったこと”に変わる。

結月が選んだ沈黙。彼女の小さな声は、誰にも届かないことを知っていたのかもしれない。だからこそ、“死”という形でしか、誰にも気づいてもらえないと悟ったのかもしれない。

だけど、それで終わらせるわけにはいかない。真広の中で、ある種の“反抗心”が芽生えていた。この世界が彼女を消そうとしても、自分だけは“記憶する側”に立ちたい。記録するのではなく、忘れないという意思を持って、彼女の存在を認めたい。それは贖罪でも正義感でもなく、ただの“意地”だった。

カウントダウンは16時間を切っていた。数字の小ささが、現実の重さに比例していく。時間が減っていくことが、彼女が“いなくなる可能性”を視覚化していく。真広は、スマホをポケットにしまい、ゆっくりと立ち上がった。これ以上、教室にいても意味はない。彼女を“空気”に戻さないために、自分がやるべきことは、まだ残されていた。
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