願わくは

ラティ

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願わくは

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はまだあるし、使わないからあげるよ」
「え、でも」
「大丈夫だから、はい」

 授業中、斜め前での会話。
 少し巻き毛の、黒い短髪が、教室の照明によって艶めいている。ワイシャツは第一ボタンまで閉められいて、背筋はピンとのびていた。
 どこから見ても完璧で、頭も良くて、優しい。
 消しゴムをなくした同級生に、嫌な顔ひとつせず自分のをあげる。
 彼の名前は、浦見うらみなぎくん。
 今日もかっこいい……。
 高校の入学式で盛大に転んだ私に、手を差し伸べてくれた。わざわざ保健室まで連れてってくれて、それから私は凪くんを好きになった。loveじゃなくて、likeの方だ。まぁ、凪くんが明るい髪色が好きだと言っていたから、元々茶色かったボブを、黄色に近い色に染めたりはしたけど。それは、世間で言われている推し活的な感じ。
 観察するほど、善人なのが分かるし、優等生。
 いつか恩返しがしたくて、機会を見計らっている。
 素敵だなと、横目で眺めていたら、振り返った凪くんと、視線が合ってしまった。すぐに顔を背け、なんでもないふうにする。
 やばい、バレてしまったかもしれない。
 私は別に、関わりたいわけじゃない。
 いや、まぁ、喋れたら嬉しいけど、近づいて迷惑はかけたくない。だから、なるべく目立たないように気をつけている。
 そんなこんなで、特に何事もなく、授業は終わった。
 六時間目だったので、あとは帰るだけ。
 支度を整えて、下駄箱に向かった凪くんの背中を追いかける。一定の距離を保ち、外に出てからも後をつけた。
 帰り道に危ない人に遭遇したら、助けられるように、私の力じゃ、意味ないかもしれないけれど。
 数メートル先で、凪くんが見えなくなった。角を曲がったのだ。
 十秒くらいしてから私も走れば、凪くんとの距離もちょうどいい。
 数え終わり、足を動かす。
 前に凪くんがいるはず、と思った私は、何かにぶつかった。突然の出来事に、しりもちをついてしまう。
 え、と顔を上げれば、見知った人物。
 私を見下ろす彼は、ぽかんと口を開けていた。

「な、凪くん、ど、どうしてここに」
「えーと、あんずさんこそ、どうしてここに」

 私の頭はパニックになった。
 言い訳が思いつかない。辺りを見回してから、再び凪くんの方を見る。不思議そうに首を傾げていた。
 こんな時なのに、かっこいいと思ってしまう。
 ずっとまごついてる私に、手を伸ばしてくれた。
 
「とりあえず、汚れちゃうから。立てる?」
「え、あ、う、好き」

「え?」と、聞き返されて、我に返り、慌てて「す、好きなんです座るの!」と言った。
 ちんぷんかんぷんの私のセリフに、当然凪くんは黙ってしまった。
 穴があったら入りたい。
 急いで立って、「では!」と、来た道をもどる。
 流石に今日は、これ以上尾行はできないので、そのまま帰ることにした。
 任務失敗である。
 自宅で、凪くんが無事に着いたかが、気になって仕方なかった。
 次の日、私は再び凪くんの後を追った。
 周りに誰もいない、一本道になった時、凪くんの歩くスピーが早くなった。
 びっくりして、固まってしまう。どんどん距離が遠くなっていくので、すぐに私も走った。
 見失わないようにしようとしたら、片足をぐにゃりと捻ってしまった。
 迫る地面。咄嗟に腕を伸ばしたので、肘を擦りむくだけで済んだ。
 どんくさくて嫌になる。
 そういえば凪くんはと、前を向いたら、人影が自分にかぶさってきていることに気づいた。

「大丈夫? さすがに、地面で寝るのが好きとかではないよね」

 聞こえた声に、すぐに凪くんだと分かった。
 ごめんねと言い、立たせてくれた。「家すぐだから、手当するよ」と、手を引かれた。
 いつの間に近くにいたのと疑問が浮かんだが、それよりも、転んだ所を見られたのが恥ずかしかった。ほっぺが異常なくらい熱い。
 凪くんからの誘いを断われるはずもなく、私は黙ってついていくことにした。
 数分してから目的地に着いた。鍵を開け、家の中に入って行く。後ろで、私は立ち尽くした。

「入って大丈夫だよ、誰もいないから挨拶もいらないし」

 声をかけられ、おずおずと靴を脱ぐ。
 凪くんが階段をのぼったので、私も続いた。
 上がってすぐに扉が見えた。その部屋に入り、好きなところに座って、と言われたので、右奥の、勉強机の前に腰を下ろした。
 室内は、至ってシンプルだった。
 左側にはベッドがあって、ドア横の壁にはクローゼット。小さなテレビもあった。全体的に黒色が多い。
 生活感があって、本当にここに住んでるんだと思った。
 いい匂いも、する気がする。
「救急箱を取ってくる」と、出ていったので、私一人だけになった。
 その間に、記憶にとどめておこうと、隅々まで観察する。今更だけれど、憧れの凪くんの家にいるなんて、夢みたいだ。
 きっかけは最悪だったけれど。
 思い出したらしんどくなってきて、私はうずくまった。
 最初からやり直したい。そう思っていたら、視界に、何かが映った。
 光が少し反射している、紙のようなもの。
 ベッドの下にある。
 罪悪感よりも、好奇心が勝ってしまい、なんだろうとつい手を伸ばしてしまった。
 けれど、それが良くなかった。
 ツルツルとした肌触り、落ちていたのは、クラスの集合写真。
 絶句した。
 普段、一緒に授業を受けている人達の顔に、ボールペンで刺したような穴が、いくつもあったのだ。
 気持ち悪さに声を漏らし、遠くに投げる。ヒラヒラと空を舞い、床に落ちたと同時に背後から呼びかけられた。

「杏さん、何してるの?」
「えっ、あ」

 振り返る。にっこりと、いつもの穏やかな笑みを浮かべていた。

「な、なにも」
「ではないよね、だって、それ見てたし」

 指さした方向には、集合写真があった。
 どう反応すればいいか分からない。こんなことを凪くんがするとは思えない。
 声がうわずりながらも、「これ、誰がやったの?」と尋ねた。

「なんでそんなこと聞くの?」

 逆に質問をされた。
 いつもの凪くんと、雰囲気が違う。ごくりと唾を飲み、私は口を開いた。

「こ、こんなこと、凪くんがするとは思えなくて、だから誰がやったんだろうって」

 しりすぼみになっていく私に、凪くんはフッと、息を漏らした。

「すっごいムカつく。俺がするとは思えないって、勝手にしてる妄想だろ」

 という言葉。
 吐き捨てるように喋る凪くんに、目を見開く。

「良い人でいた方が生きるの楽だから、そうしてただけで。ほんとはもうちょっと優等生の浦見凪でいたかったけど。脳内お花畑なお前見てたら、ムカついたしもういいわ、それ、俺がやったんだよ。流れ的に、全員買わないといけないってなったから持ってるだけで、写真なんかいらねーし、馬鹿みたいな顔してるやつばっかで、イライラして、暇つぶしにぶっ刺した」

 何も言えず、拳を固く握る。

「何、信じられない? お前一人にバレたくらいで、どうこうならないだろうからいいかなって、思ったんだけど、あ、もしかして泣く?」

 しゃがんできたので、真っ直ぐに凪くんの表情が見える。いつもと変わらない、整った笑顔。
 だから本当に、今のセリフが口から出てきたのか疑いたくなった。
 沈黙が流れ、凪くんがため息を吐く。

「あとさぁ、お前さぁ、俺につきまとってるだろ」

 ビクリと、肩を揺らしてしまう。
 なんで、という私の考えを感じ取ったのか、凪くんは口角を片方あげて言った。

「ジロジロ、ジロジロ、きもいから。ばればれなんだよ」

 背中に嫌な汗がつたう。体温が下がる。
 鼻がツンとなって、下唇を噛んだ。

「今日家入れたのはそれ言うため、ストーカーのお前は、こういう場所じゃないと昨日みたいに逃げ出しそうだったから。まぁ、まさか写真見つかるとは思ってなかったけど」

 腕を掴まれ、無理やり引っ張られる。
 要件は終わったから早く帰れと、背中を押された。一歩二歩と進みながら、ぐるぐると頭を動かした。
 理解ができない。私が好きだった凪くんは別人? 今までのはなんだったの。
 裏切られたという気持ちに、胸が締めつけられた。
 玄関につき、ドアを開けようとする凪くんの腕を、反射的に握る。
 ……違う。
 確かに、凪くんは最悪で、最低な人なのかもしれないけれど。私が助けられた事実は変わらない。周りがクスクスと笑っていた時、凪くんだけが助けてくれた。
 だから、私は何かを返したい。
 自己満足かもしれないけれど。
 整理ができ、思いを言う。

「わ、私は、それでも好き!」
「は?」
「あ、えっと、凪くんがクソ野郎だとしても、私は凪くんの役に立ちたい!」
「喧嘩売ってんの?」

 顔面をギリギリと掴まれる。慌てて、違う! と叫んだ。
 何とか離してもらえて、ちらりと様子を確認すれば、眉間に皺を寄せて、とても機嫌が悪そうだった。

「キモすぎ、病院行った方がいいよ」

 呆気に取られてる間に、バタンと、無機質な音がなった。扉を叩いても、返答がない。
 私は諦めて、帰ることにした。
 
 その日の夜、私は準備をした。護衛ストーカー禁止令が出てしまったので、他の方法で凪くんの役に立てないかと考えた結果だ。既にだいぶ嫌われてそうだが、きっとなんとかなる。

 ***

 翌日、いつもより三十分早く学校につき、凪くんの机をピッカピカに掃除した。新しい消しゴムも用意した。
 これで不足はないだろうと、自分の席に戻る。
 しばらくしてからクラスメイトが教室に入ってきて、凪くんもやってきた。椅子の横で立ち止まっている。
 数秒間動かなくなり、突然私の方を見た。穏やかな顔をしているが、目が笑っていない。
 私はそっぽを向いた。
 足音が近づいてきて、話しかけられた。

「杏さん、消しゴム間違えて置いてたよ」
「そ、それは凪くんのだよ」

 下を向きながら答えると、そっか、と返事をされた。怒ってないと胸を撫で下ろした私の耳に、凪くんが囁いた。

「余計なことすんな、机も汚いし、こんなもん、いるわけねーだろ」

 手に消しゴムを無理やり詰め込まれる。
 すごく怒っていた。
 失敗して気分が沈んだが、次だ、次! と気持ちを切り替えた。

 昼休み、色々なおかずを持って、凪くんの元へ向かった。凪くんが食べてるものが、ほぼ毎回菓子パンなので、栄養が気になっていたのだ。
 両手に食べ物を抱えて、凪くんに声をかけると、ギョッとしていた。けれど、すぐにいつもの凪くんに戻った。

「た、たくさんあるから、好きなの食べて、その方が健康的だし」
「ごめんね、用事思いだしたから行かないと」

 本当に用事があるかのように、教室から出て行ってしまった。
 仕方がないので、残ったご飯は一人で食べた。
 私は、その後もめげずに行動した。
 国語の発表で、凪くんが押し付けられそうになっていたから、代わりに名乗り出た。プリントを配るのを頼まれそうになっていたから、私がやった。放課後の掃除当番も変わろうとした。
 でも、どれも上手くはいかなかった。
 そして帰り道。
 隠れてついていくのは怒られたので、堂々と後ろを歩いた。
 人の気配がなくなったころ、凪くんが振り返った。

「お前さ、まじ何? 今日の意味不明な行動。迷惑なんだけど」

 がしがしと頭をかきながら、睨まれる。私はショックを受けた。
 まさか、今日やっていたこと全てが、凪くんを疲弊させていたなんて。

「ご、ごめんなさい。ち、力になれると思って。嫌な気持ちにさせてたなんて、知らなくて」

 凪くんは私をじっと見て、何も言わずに足を動かした。
 背中が小さくなっていく。このまま何もしないで終わるなんて、嫌だった。
 早足で追いかけ、凪くんの服を掴んだ。

「うわっ、おい、何すんだよ」
「な、凪くんは、何したら嬉しい? わ、私に出来ることないかな。す、好きなこととか、欲しいものとか、教えて」

 私の手から逃れようとしてくるので、負けじと力を込めた。全然離さなかったので、諦めたのか、凪くんがぼそりとつぶやいた。

「ないけど、そんなん」

 予想外の答えに復唱してしまう。
 気に障ったのか、「それがなんだよ」と怒鳴ってきた。

「だ、だって、自己紹介の時、本読むのが好きって。それに、好きな音楽の名前も言ってたし」
「そんなん嘘に決まってんだろ、印象よさそうなやつ、適当に選んだんだよ」

 既に壊れていた凪くんのイメージが、さらに崩れていく。
 凪くんは舌打ちをして、無理やり服を引き抜いた。
 再び距離があく。
 名前を呼んでも反応がない。だから私は声を上げた。

「み、見つける。一緒に、凪くんが楽しいとか、好きとか、気に入れる何か」

 呼吸が乱れる。
 祈るように視線を向けた。
 すると、ため息が聞こえてきた。

「うざ、何言っても無駄なくせに、勝手にやれば」

 呆れたような顔。全然優しさは感じないけれど、それでも返事をしてくれたのが嬉しかった。

 ***

 次の日も、また次の日も、私は凪くんにたくさんのことを提供した。スマホゲームをしたり、面白い動画を見せたり、モノマネをしたりもした。
 学校にいる間は、凪くんも良いリアクションをとってくれるのだが、放課後になると、完全無視だった。
 続けていくと、ひとことだけ返してくれるようになった。調子にのって色々な質問をすると、キレられた。
 そんな時、凪くんが学校を休んだ。
 過去にも来ない日があったけれど、理由は聞けなかった。自分から話しかけられるほど仲良くもなかったから。
 でも、今は違う。
 授業が終わってすぐ、私は凪くんの家に向かった。
 体調不良の可能性もあったので、コンビニで飲み物と冷えピタを買った。
 インターホンを押して、待つ。
 しばらくしても返事がない。
 もしかして倒れてる? と思い、血の気が引いた。
 ピンポンピンポンと連打して、名前を呼ぶ。
 がちゃりという無機質な音と同時に、玄関から人が出てきた。

「……しつこすぎ、いい加減にしろよ」

 良かった生きてた。
 現れるのが遅かったのは、やっぱり、熱があって体が重いせいかもしれない。
 腕に下げていたビニール袋から、冷えピタを取り出して封を切った。
 近づいて、顔を見る。
 いつもより、赤いような、気がしなくもない。
 凪くんのおでこに冷えピタを貼り付け、飲み物も差し出した。

「なんだよこれ、てか冷たいんだけど」
「な、何って、冷えピタだよ、熱あるんだよね、水分もとってほしいし」

 ペットボトルは受け取ってくれなかった。それどころか、私がつけた冷えピタを剥がして、丸めた。
 また失敗だ。何をやっても上手くいかない。
 視線を落とす。

「熱なんかないんだけど」
「え」
「ひとりで暴走して、やばすぎだろ」

 飛んできた声に、顔を上げる。熱がない?

「いや、休む理由が、全部体調不良なわけないだろ」
「た、確かに。……えっとじゃあ、どうして今日こなかったの?」

 質問に凪くんは、「なんだっていいだろ」とそっぽを向いた。家の中に戻ろうとするので、咄嗟に腕を掴む。
「いてっ」と、凪くんが呻いた。
 そこまで強く握っていないのに。
 違和感に、私は空いてる方の手で、袖をめくった。
 赤紫色の跡。拳ひとつ分くらいの大きさのものが、ポツポツとあった。
 息をのむ。これはどういうことだろう。
 見つめていると、凪くんが腕を引き抜いた。

「勝手に触んな!」
「ど、どうしたの、それ」
「なんでもいいだろ」

 治せるものないかと、鞄の中を漁る。
 その間にも凪くんは扉を閉めようとするので、待ってと引き止めた。
 常備していたありったけの絆創膏を渡す。

「こ、これしかなくて、も、もしかしたら治るかもしれないから」

 ちらりと様子を伺う。

「た、たくさん貼れば治るかもしれないから」
「……意味わかんねー」

 つぶやいた凪くんは、頬を痙攣させていた。
 これは、多分、笑っている。

「絆創膏で治る傷じゃないだろ、本当に。いつも意味分かんねーし……」

 声を殺して、手で隠している。
 そんなに変だっただろうか? とりあえず私も、笑っておいた。
 ガサリという音に、荷物の存在を思い出す。買ってきたもの全てを凪くんに渡した。
 あげると伝えれば、三秒くらいしてから受け取ってくれた。

「なにこれ、全部俺の?」
「うん!」

 たたき落とされるのではと危惧していたが、そんなことはなかった。凪くんは袋と私を交互に見た後、へー、と言った。

「俺は、なんも持ってないけど」
「うん! いいの、熱じゃないって分かっただけで良かったから」

 鞄のチャックを閉めて、また学校でと、別れの挨拶をする。来た道を戻ろうとした時、後ろから肩を掴まれた。
 驚いて確認すると、凪くんだった。
 斜め下を見ながら話しかけてくる。
 
「お菓子、ある。く、食いきれねーから寄ってけば」
「え、いいの? う、嬉しい!」
 
 突然のお誘いに、ルンルンでついていく。
 玄関に入ってすぐの廊下、以前は綺麗だったそこに、酒瓶がいくつも転がっていた。中身は空っぽだ。

「あ、忘れて……おい、目つぶれ、そのまま二階こい」

 動けずにいると、視界を遮られる。別のところを見ながら、言われるがままに部屋へ向かった。
 途中で、私は「凪くんが飲んだの?」と聞いた。

「なわけねーだろ、……母さんだよ」
「……そうなんだ」

 凪くんの家庭環境が少し、分かった気がした。
 
 それから、二人でお菓子を食べて、ちょっとだけ話をして、帰る時間になった。
 別れる前に、「凪くんが危なくなったら助けに行くから!」と言えば、余計なお世話だと拒否された。
 それでも、最初より仲良くはなれてるはず。
 私は、スキップしながら帰路についた。

 ***
 
 次の日

 自席でソワソワとしていたら、凪くんが教室に入ってきた。すぐに会いに行く。

「おはよう、凪くん!」

「おはよう、杏さん」と、仮面をかぶった凪くんが答えてくれた。昼休みにゲームをしようと提案すれば、のらりくらりとかわされた。
 すぐにチャイムがなった。
 先生がやってきて、HRが始まる。
 そうして、授業を受け、休憩をしていたら、いつの間にか四時間目が終わっていた。
 ご飯を食べ終わってから凪くんの元へ向かおうとして、立ち上がる。

横井よこいさん」

 名前を呼ばれ、足を止めた。
 私に話しかけてきた先生は、手に書類を持っていた。

「良かったら、職員室まで持ってくの手伝ってくれない? ご飯ちょうど食べ終わったみたいだし」
「えっと」

 早く食べたのは、凪くんに会いに行くためなのだが。
 それを直接言うこともできず、頷いた。
 ゲームをしようと提案した時、凪くんは乗り気ではなさそうだったから(いつもだけれど)、別にいいか。
 そう思って、渡された紙を両手に、教室を出た。
 すぐ戻れると考えていたが、棚にしまうのも手伝ってくれと言われて、片付けてたらチャイムがなった。
 昼休みが潰れたが、仕方ないと諦めた。
 五時間目、六時間目は特に何事もなく、帰りのHRも終わったので、荷物を整理していた。
 凪くんに声をかけようかと思い、手を伸ばして、辞めた。
 私、もしかして喋りかけすぎ? 昼休みに離れてみて、ちょっとだけ冷静になった。
 日課になっていたから、深く考えてなかったけれど、凪くんの立場になって自分を想像したら、グイグイいきすぎかもと思った。
 これからは、二日に一回とかにした方がいいのかもしれない。
 バッグを肩にかけ、うしろから出ようとしたら、「杏さん」と、聞き馴染みのある声がとんできた。

「な、凪くん?」
「ちょっとついてきて」

 よく分からず、うん、と同意する。早足で進んで行くので、置いていかれないよう気をつけた。
 ちょっとついてきて、と言われてから数分。
 普段一緒に歩いている道についた。黙ったままの凪くんの様子を伺う。
 突然振りかえってきたので、驚いて数歩下がった。

「……なんで、話しかけてこねーんだよ」

 予想外の言葉に、え? と聞き返す。

「今日、ゲームするって言ってただろ、帰りも、先行こうとして、なんなんだよ……。俺の好きなやつとか、楽しいと思うこと、とか、一緒に探すとかほざいてたくせに」

 睨まれている。
 なんで怒っているんだろう。
 とりあえず言い訳をするため、口を開いた。

「せ、先生にたのまれて。それに、私って邪魔なのかなって思ったから」
「邪魔ってか、そんなん……勝手にしろって言っただろ……」
「う、うん」

 
 困惑しながら首を縦に振る。
 凪くんの思考回路がよく分からない。本当はウザがってたんじゃないの?
 話が終わったので、じゃあねと言えば、凪くんは「は」とこぼした。

「どこいくんだよ、一緒に帰んじゃねーの」

 思わず目を見開く。
 当の本人は、首をかしげ、全然理解していなさそうだ。

「う、ん。一緒に帰る」

 隣に並んだら、歩幅を合わせてくれた。多分、無意識に。嬉しくて笑ったら、何笑ってんだよと、指摘された。
 すぐ家に着いたので、会話量は多くはなかったけれど、明日ゲームをする約束をした。
 あくる日、予定通り、休憩時間に凪くんに話しかけた。
 トランプを使って、ババ抜きをすることにした。
 
「他の人も誘おっか」

 大人数でやる方が楽しいと思って、周りに声をかける。途中、凪くんが無言で私の服を掴んできた。どうしたの、と聞いたけれど、「……別に」と、手を離して椅子に座ってしまった。

 最終的に、クラスの半数でババ抜きをすることになった。カードを取り合っていき、最初に凪くんがあがった。
 私も負けじと、挑んだのだが、最後の二人に残ってしまった。
 順番に引き、手元からババが消えたり現れたり、全然決着がつかないので、口が緩む。周りも、ケラケラと笑っていた。
 ふと、凪くんの姿が目に入って、私は表情を戻した。
 いつもみたいに優しい顔をしているけれど、机に置かれた拳は固く握られ、唇を噛んでいる。
 心配になり、適当にカードを取って、ゲームを終わらせた。時間もちょうど良かったので、解散になった。残った三分の間に、大丈夫? と、凪くんに確認する。
 何かしら返事をしてくれると思ったが、一瞬私を見て、無視された。
 いつもと違う様子に不安になる。全然相手にしてもらえないので、自分の席に戻った。
 学校が終わった後、凪くんは、昇降口からさっさと出て行こうとした。引き止めても、振り向いてすらくれない。

「な、凪くん……」

 気づけば、凪くんの家の前まで来ていた。
 もう一度名前を呼べば、「なんだよ」という小さな声が返ってきた。

「ご、ごめんね。私、何かしちゃったかな」
「……今日はふたりでやるはずだったろ、お前は、誰にでも媚び売って、ヘラヘラして。俺の事なんか、忘れてたみたいだしな」

 凪くんが声を荒らげた。

「たくさんいた方が、楽しいかなって思ったんだ……。でも、嫌な気分にさせて、ごめんなさい」

 少し前に出て顔を覗けば、口がへの字に曲がっていた。私は、「今から、二人だけでやらない?」と聞いた。
 場が静まり返る。

「まぁ、別にいいけど、ふたりなら。……仕方ねーな」

 早く入ってと、引っ張られた。ちょっとだけ、機嫌が良くなったように感じるのは、気のせいだろうか。
 以前あった酒瓶はなくなっていた。尋ねれば、「お前、急にくる時あるだろ」と言った。
 それとなんの関係があるのかわからなくて、適当に相槌をうった。
 数回凪くんの家にお邪魔してるので、だいぶ慣れてきた。部屋の中を歩いていたら、机の上の日記が目に入った。

「これ、書いてるの?」
「あぁ、それは、昔父さんが買ってくれて、なんか、大事なことだけ書いて……って、余計なこと言った、見んなよ」

 凪くんが、強引に端に寄せたので、バサリと音をたてて床に落ちた。あっちむけ、と指示されたので、大人しく従うことにした。

「飲み物持ってきてやるから、動くなよ」
「うん」

 五分も経たないうちに、水と、柄の違うコップを持って、やってきた。
 その間に、ゲームの準備をしていたので、すぐに初められた。
 二人で黙々とやっていると、突然、凪くんが「学校で、あんま、他のやつに喋りかけたりとかするな」と、無表情で伝えてきた。
 なんでと返す。

「なんでもなにも、お前が俺のこと好きって言ったんだから、俺以外と関わるなよ」

 そんなのおかしい。
 でも、否定すると怒りそうだったので、分かったと応えた。

「グループワークとかの時は、どうするの?」
「そんなん……無視しろ、無視」
「え、そ、そんなことしたら、みんなから嫌われちゃうよ」

 身を乗り出すと、凪くんは、手に持っていたカードをぐしゃりと握った。

「何、俺に嫌われるより、周りから嫌われる方が嫌だっていいてーの?」
「そ、そんなことないけど……」
「……ふん」

 手元のババが取られる。
 凪くんの地雷がよく分からない。
 一瞬ヒヤリとしたが、何とか乗り切れたようだ。
 

「そうだ。凪くんは、何か好きなこととか、気に入った物とか、見つかった?」
「別に、ない。まぁ……こうやって遊ぶのは、まだ、マシだけど」
「そっか」

 ない、という言葉に、ちょっとだけ落胆する。
 今日の凪くんは、なんだか怖い。そんな状態だからか、早く見つけて欲しい、と思ってしまった。そうしたら距離をおけるから。

「はい、俺の勝ち」
「えっ」

 気づいたら、私の手には、ジョーカーだけが残っていた。息を吐き、水をごくごく飲んでいる姿を眺める。

「私、そろそろ帰ろうかな」
「は、もう? 前はもっといただろ」
「うん。でも、宿題とかもあるから」

 凪くんは、変な顔をした。苦いものを食べた時みたいな。

「明日、休みだけど、昼間は母さんいねーし、お前が来たいならきてもいいけど」

 誘われたが、嬉しいとは思えなくて、そんな自分に驚いた。
 ここ最近は、放課後も凪くんといたので、関わりすぎているせいかもしれない。予定があるからと断れば、「そーかよ、じゃあ早く帰れば」と急かされた。
 この他に、会話をすることもなく、私達は別れた。

 ***

 休み明けの日から、少し変だと思っていた凪くんの様子が、さらにおかしくなった。
 授業中や移動中に視線を感じ、確認すれば、凪くんがずっと私を見ている。今までは私から遊びの提案をしていたのに、凪くんから話しかけてくるようになった。
 逃げたら、帰り道に捕まって、そのまま強制的に遊ばされる。同級生に声をかけようとすれば、間に割り込んできた。
 周りとの交流が、だんだんと減っていった。
 私の精神は、蝕まれていった。
 
 今日も、いつの間にか凪くんの家に行くことになり、一歩二歩と、前に進む。

「な、凪くん。あのさ、やっぱり、私帰ろうかな」
「いきなりなに、お前がみたいって言ってたからDVDわざわざ借りたのに?」
「あ……そうだよね、ごめん」

 そこまで見たくないのに、勝手に勘違いしてるだけじゃん。という不満を、脳内でつぶやく。
 行きたくないと思ってても、時間は過ぎる。あっという間に、凪くんの家に着いてしまった。

「お母さん……は、今いるの?」
「いたら呼ばねーよ。帰ってくるのは夜だし、不定期だから」

 家族仲が良くないことは、薄々感じていたが、それでも、ふたりでいるのが嫌で、尋ねた。
 もしかしたら帰れるかもという期待は、消え去った。
 渋々凪くんの部屋に入る。

 DVDの設定をしてくれてる間、体育座りで待っていた。
 ブレザーを脱いで、ワイシャツ姿の凪くんの背中は、やけに大きかった。

「凪くん……。そろそろ見つかった?」
「なにが」
「大切なもの」

 てっきり、ない、と言われると思ったのに、返事がない。

「凪くん?」
「できたって言ったらどうすんの」
「よ、良かったねって、い、祝う」

 振り向いた凪くんが、私の腕を引いてきた。

「……お前」
「え?」
「だから、俺が大切なのは、お前……。あ、杏だよ」

 再度聞いても、同じ答えで、私は口を閉じた。
「杏だよ」って、どういうこと? 冗談? でも、凪くんが冗談を言う性格ではないことは、よく知っている。
 掴まれた腕から、体温がじんわりとしみる。
 逃げたくなった。全身の細胞が、警報を鳴らしている。

「ち、違うよ、人じゃなくて」
「大切とか、楽しいってどんな気持ちだと思ってんの、お前は」
「えっと、心が……えっと、なんか暖かくなって、良い気分になる……」

 ふわふわとした説明しかできない。

「それならやっぱ、俺にとっては杏だから。これからは今以上に、他のやつと関わんないで」

 大切なのが私、というところまでは、何とか理解できたが、そこから先が全く分からない。
 真剣な目に、私は、首を横に振った。

「い、嫌だよ。最近だって、クラスの子と喋れてないのに、もっとだなんて」
「俺のこと好きなら必要ないだろ!」

 鼻息を荒くさせ、近づいてきた。圧と怖さで、視界がぼやける。

「私が好きって言ったのは、そういう意味じゃない。凪くんの大切に、なりたくない。もう凪くんに関わらないから……私、帰る」
 
 そばに置いていた鞄を取り、立ち上がる。
 部屋のドアを開けようとしたら、後ろから、顔を覆われた。

「ふ、ふざけんな! さ、散々好き勝手して、今さらなかったことになんて、できるわけねーだろ」

 やめてと抵抗する。けれど、力の差が大きくて、離れられない。大声を出したら、唇に指をあてられた。

「無理なんだよ、無理。知っちゃったら、忘れられるわけない。ここで逃がしたら、遊ぼうって話しかけてくることも、笑ってくれることもないんだろ。それなら、それなら……」

 凪くんは、私をベッドに倒した。パニックで、姿勢を戻せない。
 ビッ。
 謎の音、嫌な予感がした。

「お、お前を、杏を閉じ込める」

 ガムテープを持った凪くんは、私をうつ伏せにしてきた。馬乗りになり、手を縛ってくる。身を捩るが、ビクともしない。
 お腹が苦しい。足も縛られてしまい、助けを呼ぶ間もなく、口も塞がれてしまった。

「んー! ん、んー!」
「はは、俺のものになったって感じで、なんか、すげーいい気分」

 惨めな私に、満足気な表情をした。
 ふー、と一息ついてから、お腹に手を回してくる。
 そのまま床に下ろされた。ずるずると運ばれ、向かった先は、クローゼットだった。
 鳥肌が立つ。
 芋虫のように、体を動かした。嫌だ、逃げたい。言葉にすらならなくて、目から溢れた水が、カーペットに染み込んだ。
 横のまま押し込まれ、薄暗い空間に、僅かな光が射し込む。
 ドアを閉められる直前に見えた凪くんは、私が好きになった、綺麗な顔をしていた。


 ***

「あ~、頭痛い! 吐きそ」

 静まり返った道を歩く。夜だけれど、街頭と月で、歩きにくさはない。
 良い男を捕まえて、順調だと思ったのに、結局追い出された。最初から本性を知っていれば、違うやつを選んだのに。
 そういえば、今から向かう家にいる、血の繋がっている息子。
 顔を合わせるのは何週間ぶりだろう。
 
 二日酔いのせいで、気分が悪い。戻ったら、酒を飲んで忘れよう。
 そうだ、イライラするから、発散のために殴ってやろう。

 わざと音をたてて、扉を開ける。

「凪~、お母さんが帰ったんだけど」

 いつもは呼びかければ、貼り付けたような笑みを浮かべて迎えてくるのに、なんのアクションも返ってこない。

「おい、返事しろよ。凪? お母さん帰ってきたって言ってんでしょ!」

 階段を、力をこめて上る。
 息子の部屋に怒鳴りながら押し入った。
 人影がない。
 今まで家にいなかったことはない。だから、どこかに隠れているのだろうと、布団を確認したり、クローゼットを覗いたが、誰もいなかった。

「……はぁ? なんなんだよ」

 舌打ちをして、部屋から出ようとした。
 足に、何かが当たる。
 分厚い本。多分日記だと思われるそれを、手に取った。

「きたな……」

 特に何も考えず、ページをめくった。




 20‪✕‪✕‬年8月6日
 おとうさんがノートをかってくれました。おとうさんがおでかけをするからしばらくあえないっていいました。かなしいかおをしていたから、ぼくのたのしかったことをたくさんかいてノートをプレゼントしたら、おとうさんもおなじきもちになって、よろこんでくれるかもしれないとおもいました。

 20‪✕‬‪✕‬年8月7日
 今日はごはんをたべました。ごはんとたまごのふりかけをたべました。おいしかったです。
 おとうさんはたまごがすきだから、こんどいっしょにたべようとおもいました。

 20‪✕‬‪✕‬年8月8日
 おさんぽをしていたら、おおきなお花がありました。すごくきれいだとおもいました。

 20‪✕‬‪✕年8月15日
 ゆうえんちにいくおはなしをみました。おとうさんとおかあさんとぼくでいったらたのしそうだなとおもいました。

 20‪✕‬‪✕‬年8月25日
 おとうさんにあいたい。

 20‪✕‬‪✕‬年11月20日
 小学5年生になった。
 この前のテストで100点をとった。
 笑って、優等生でいれば、みんなが優しくしてくれることに気づいた。

 20‪✕‬‪✕‬年12月25日
 雪が綺麗だった。コンビニで買ったケーキが美味しかった。

 20‪✕‬‪✕‬年5月20日
 中学生になった。父さんが去年亡くなっていることを知った。多分日記を書くのは、これが最後になると思う。

 20‪✕‬‪✕‬年6月30日
 高校生になった。
 変な女に会った。

 20‪✕‬‪✕‬年7月22日
 最近、学校に行くのが待ち遠しくなった。よく分からないけれど、小さい頃のわくわくを思い出す。

 20‪✕‬‪✕‬年8月4日
 大切なものができた。大切にしまっておこうと思う。

 20‪✕‬‪✕‬年8月9日
 毎日が楽しい。
 
 20‪✕‬‪✕‬年8月16日
 大事にしてるつもりなのに、うまくいかない。

 20‪✕‬‪✕‬年8月20日
 壊れた。

 20‪✕‬‪✕‬年8月25日
 何をしても無駄だとわかった。だから全部終わらせることにした。

 日記はここで終わっていた。
 後半は特に、意味がわからなかった。
 読まなきゃよかったと後悔する。適当に放り投げ、足で踏んづけた。紙はくしゃくしゃになり、ゴミになった。
 私はそれを放置し、階段を下りた。
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