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一章
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「黒金さん……」
偶然ですねと、続けて喋るよりも先に、黒金さんは、どうしたのかと尋ねてきた。
眉間を寄せ、私と玲奈を交互に見てくる。
ズボンは汚れ、頬は腫れているだろう自分の姿を思い出して、カッと体温が上がった。
地面に視線を向ける。
「わ、わたじの、せいなんです」
濁点のついたセリフが飛んできた。
顔を向けると、瞳を潤ませた玲奈が、手で涙を拭っていた。その腕に、小さな傷跡が複数ついていて、肘からは、血が滲んでいる。
私は、くたびれたバッグから、絆創膏を取り出して、貼った。
玲奈は一瞬キョトンとしていたが、すぐにがばりと抱きついてきた。耳元で、「佳代ー!」と叫んだ。
はいはいと答え、背中をぽんぽんと叩いていると、圧迫感が消えた。
一瞬何が起こったのか分からなかったが、目を向けると、黒金さんが、玲奈の腕を引っ張っていた。
「へ?」とこぼす玲奈と同様に、私も口を半開きにする。
「え、あ……いや……、ほら、頬が腫れてるから、痛そうで……ご、ごめんね。無意識に腕掴んじゃった」
当事者である黒金さんが、なぜか一番困惑していた。すぐに手を離し、今度は私に触れてくる。
「か、佳代ちゃんのこと、手当しないとだよね。そうだ、俺の家おいでよ」
どこかに連れて行こうとする黒金さんに、待ったをかける。玲奈と一緒に移動したいし、何より、警察と合流しないといけない。
伝えると、黒金さんは何かをボソリと呟いた。
その後は忙しかった。
事情を警察に説明し、ちぐはぐな玲奈の言葉に、補足をした。
一時間ちょっと経った後に解放され、その間、黒金さんは私の隣にいた。
家に帰っても大丈夫、と伝えたのだが、「女の子だけでいたら、また遭遇した時大変でしょ?」と、反対された。
帰り道、ズキズキと痛むかかとや、こった肩には気付かないふりをした。
玲奈はタクシーで帰らせ、私はどうしようかと考える。
名前を呼ばれ、振り返ると、黒金さんが「ご、ご飯食べない?お店でも、俺の家でもいいんだけど、奢るからさ」と提案してきた。
けれど、今はそんな気分ではないし、早くお風呂に入って寝たかった。明日も授業がある。
「すみません。誘って下さったのは嬉しいんですが、今日は帰ります。服も汚れてるし、怪我もしちゃったので」
「あ……そうだよね、ごめんね」
垂れ下がる耳としっぽの幻覚が、見えた気がした。
さようならと、後ろを向いた後、「待って!」と声をかけられた。
続けて黒金さんは、「また俺に会いに来てくれる?」と問うてきた。
言葉につまる。行く予定など、これから先ないのだが、それを正直に言える訳もなく、私は小さく頷いた。
「い、いつ来てくれる?」
グイグイと大きな胸板が迫ってくる。私は怖くなり、後ずさりながら、「えっと、じ、時間がある時に」と答えた。
がしりと右手首を掴まれた。
黒金さんの目は、不安定に揺れている。
「やっぱり、今日家においでよ」
「ほ、本当に大丈夫です」
両手で巨体を押すと、先程よりも一オクターブ低い声が飛んできた。
「もしかして、新しい担当ができたとか?だから、俺から離れようとするの?最近他のところに行ってるから、会いに来てくれないの?」
ギリギリと効果音がつきそうなほど腕を握られ、私はたまらず、「離してください!」と叫んだ。
「あっ、ごめんね……」
黒金さんに対して恐怖心が芽生える。早く別れようと踵を返したのだが、再び引き止められた。
「待って、もしかして電車でかえろうとしてる?危ないんだからタクシーで帰りな、はい。これ使って」
突きつけられたのはお札だった。貰えないと拒否する私に対して、この前のお返しだと、黒金さんは渡してくる。
渋ったが、引き下がる様子は見えなかったので、とりあえず受け取った。
タクシーに乗る場所まで、着いてきてくれた黒金さんに、お礼を言ってから、私達は別れた。
***
「え、ちょっと待って、何この量」
家まで着いて、支払いをしようとした私は、小さく声を漏らした。
黒金さんから貰ったお金は、全て万札で、数十万近くもあったのだ。
数万円だけ取って、会計を済ませてから、家までの階段を上る。
こんな金額貰えない。返さないと。
そう思い、スマホを取り出した。
黒金さんに、メッセージを送ると、数秒もしないうちに既読がついた。
けれど、数分経っても、返事がない。疑問に思いながらも、まぁいいかと電源を閉じようとした時、スマホは振動した。
――明日、俺の家これる?交通費と欲しい分は、そのお金から引いていいから。
なぜ家なのかは分からないが、送られてきた住所を見ると、大学から比較的近い場所だったので、まぁいいかと、了承のメールを返す。
翌朝、玲奈とは講義が被らない日だったので、安否確認の連絡をした。
次に、十七時くらいに会いに行く、という内容を、黒金さんに送る。
既読はすぐについたが、返事はなかった。
電源を落とし、授業が行われる教室へ向かう。
そうして、一限が終わったあと、玲奈からのメッセージを確認しようとした私は、ホーム画面を見て驚愕した。
――わかった。待ってるね。
――昨日の傷大丈夫?
――やっぱり、心配だから迎えに行ってもいい?
――今日も、昨日の女の子といる?
――既読付けて欲しい
黒金さんからの通知が、数十件も溜まっていた。
慌てて、授業中だったことを伝えると、すぐに「そうだった。授業あるのにごめんね」と返された。
大丈夫ですと打つ前に、スマホが振動し、着信画面が表示される。
――……もしもし?佳代ちゃん?
「あ、はい……」
反射でタップしてしまった私は、小さな声を出す。
――ご、ごめんね。急に。どうしても不安だったんだ。声も、聞きたくて。
「えっと、大丈夫です……。すみません、次も授業あるので、また」
様子のおかしな黒金さんに、妙な胸騒ぎを感じながらも、電話を切ろうとすると、「あのさ!」という声で、止められた。
――今、誰かといる?昨日の女の子とか、男友達とか……。
「いませんけど……急にどうしたんですか?」
――あ、ううん。いないならいいんだ。
「そうですか……?」
不思議に思ったが、休憩時間は数分しか残っていなかったので、慌てて通話を終わらせた。
***
四限分授業を受け、私は今、お金を返すために、バスに揺られている。
窓に頭を預け、空を見ると、雲は灰色に濁っていた。
折りたたみ傘は持ってきたが、雨は降らないで欲しい、と願う。
険しい道でもないのに、車体はガタガタと、大袈裟に揺れた。
バスが目的地に着き、軽くお礼を言ってから、地面を踏んだ。
マップを開いて、経路を確認する。しばらく歩いて、顔を上げると、タワーマンションが私を見下ろしていた。
まさか、と考えたが、目的地はこの場所からズレてはいなかった。
ゴクリと唾を飲み、エントランスを通る。
扉の近くに、金属の四角い物体があった。
恐る恐る近づいて、表面を見ると、数字のボタンがついていた。メールで、事前に送られた番号を入力する。
無機質な音がなったあと、しばらくしてから、黒金さんの声が聞こえた。
「――佳代ちゃん?」
「あ、こんにちは」
お辞儀をし、お金を返しにきたことを伝える。部屋の番号と、エレベーターで上がって来て欲しい、と言われたので、分かりましたと返事をした。
目の前にある透明のドアが、ゆっくりと開く。見慣れない光景に、再び唾を飲んだ。
体が強ばる。けれど、一歩踏み出し、私は指定された階へと向かった。
表札を見ながら、前へ進む。
多分ここだろう、という場所につき、私はインターホンを鳴らした。
微かな物音が響き、続いて、ガチャリと扉が開いた。
「黒金さん――」
「……っ、ほんもの」
私が話しかけるのとほぼ同時に、黒金さんは声を漏らした。
眉をたれさげ、瞳孔は忙しなく動いている。
その様子を見て、どうしたのか気になったが、すぐにお金のことを思い出した。
「これ……!残った分が入ってます。ありがとうございました」
茶色い封筒を渡す。
黒金さんが受け取ったのを確認し、別れを告げた。
「ケーキ!」
後ろから、予想外の単語が飛んできたので、私は、思わず振り向いた。
「け、ケーキがあるんだ、えっと、実は、知人からもらって、良かったら、食べていかない……?あ、お、おれ一人じゃ食べきれなくて。ね、お願い」
不安定な声のトーンだった。
言葉を詰まらせていると、「こ、困ってるんだ、佳代ちゃんに食べてもらえたら、すごく助かるんだけど」と、誘われる。
私は、小さく頷いた。
玄関からリビングに通され、周りを見ると、シンプルな内装だった。
キッチンで、準備をする黒金さんを、見つめながら椅子で待った。
「はい……ショートケーキなんだけど」
「ショートケーキ。あ、いちご」
ツヤツヤとしたいちごが、ふんだんに使われていた。高級そうだ。
玲奈に勧めたら、喜びそうだなと思う。いちごが大好きだから。
「もしかして、嫌いだった?」
「あ、違います!」
「そ、そっか。なら良かった。じゃあ、逆に好きってこと?」
私自身は、嫌いでも好きでもないのだが、とりあえず「はい」と答えた。
「いちご……好きなんだ。……分かった。教えてくれてありがとう」
フォークの音が響く。黙々と食べていると、「今日も、昨日の女の子といたの?」と聞かれた。
「玲奈のことですか?……今日は、授業被らなかったので、私一人でいましたけど」
意図が分からず、黒金さんをじっと見る。
一瞬目があったけれど、すぐに逸らされた。
「……もしかして、その子と、恋愛関係にあったり、する?」
どんな表情をしているのか、私には見えない。けれど、誤解をされていることは確かだったので、「違いますよ」と否定した。
「そっか、でも、すごい気にかけてるよね」
「まぁ、親友なので」
最後に残していたいちごを、口に詰め込む。
甘味を堪能していると、「俺のさ」と話しかけられた。
「お、俺の性格、どう思う?」
いきなりの質問に、まだかみきれていない固形物を、飲み込んでしまった。
どう、とは?
たまに様子がおかしい時もあるが、基本的にはいい人。だと思う。
「……気を使ってくれたり、優しくて、いい人。だと思ってます」
「そ、そっか!じゃあ、俺のこと、タイプ?」
さっきから、一体なんの質問だろう。
タイプって、人として?
それとも、異性として?まさかね。
というか、黒金さんがタイプじゃない人なんているんだろうか。
「はい」
私が賛同すると、目の前の、綺麗な男性の耳が、ぶわりと赤く染まった。顔を上げ、私を見てくる。気まずそうに、けれど、嬉しそうにして、言葉を投げてきた。
「お、俺ね、佳代ちゃんのことが、す、好きなんだ……」
好き。
え?
頭の中はパニックだった。そんなことを言われるなんて思ってなかったし、なんで?という疑問が膨れ上がる。
黒い瞳がこちらを見てきて、バッと、顔を背けた。
「あのね……好きって気づいたのは最近なんだけど、今までの子とは違って、か、佳代ちゃんだけなんだ。佳代ちゃんは、俺のこと、どう思ってる?」
問いかけられ、私の心臓は、外に聞こえそうなくらい、脈をうった。
どうしよう、なんて答えよう。
そんなことを考えていた時、ふと、玲奈の言葉が蘇った。
――色カノって言葉があって、彼女みたいに接してお金使わせるんだって、全部演技らしいから、騙されちゃダメだよ!
もしかして私、いいカモだと思われてる……?
いや、絶対そうだ。
こんなかっこいい人が、告白してくるわけがない、何より、私を好きになる理由が、見当もつかない。
だから、近頃頻繁に、お店に来て欲しい、と連絡してきたのか。
心の中でため息をつく。
「……佳代ちゃん?」
名前を呼ばれ、ビクリと肩がはねる。
私は、前に玲奈が言っていた通りにしよう、と考えた。
「えっと……、私も、好きです」
ガタッ。
椅子が倒れた。
黒金さんが座っていた椅子だ。
足音をたてながら、黒金さんは、何故か近づいてきた。
そして、次の瞬間、がばりと、抱きしめられた。
「え?」
「あ、ごめん!う、嬉しくって」
「そ、そうですか……」
奇行に、若干引きつつ、さりげなく距離をとる。
「じゃあ……、き、今日は、俺の家に泊まってく?」
「なんでですか?」
首を傾げると、黒金さんは、顔をひきつらせた後、真っ青にして、「ご、ごめんね、いきなり過ぎたよね、テンション上がっちゃって、ごめんね、嫌いにならないで」と、早口で捲したててきた。
「だ、大丈夫ですよ。なりませんから」
ありがとうと言われ、何故か手を握られる。
顔を覗き込まれ、体が固まった。
「お、俺の名前、黒瀬 相馬って、言うんだ。黒金ショウは、源氏名で、だから……二人の時は、 相馬って……呼んで欲しい」
とんでもない色気があり、戦いた。
きっと、今までこうやって、何人もの女性を籠絡してきたんだろう。
私は、ただ黙って、首を縦に振ることしか出来なかった――
***
「相馬の顔は、お父さんに似ててかっこいいわね」
濃い口紅を塗った女が、見下ろしてくる。
その表情は、とても醜い。
蕩けた目は、俺ではないものを写していた。
「いい、相馬?女の子と遊んだりする、チャラチャラした男になっちゃダメよ。お父さんみたいにかっこよく、でも、一人の……私だけを見てくれる男になるの」
向けられる言葉には、全て、父親の名前があった。
愛してくれてるんだと、思っていた。けれど、いつしか、違うことに気づいてしまった。バカなままでいたかった。
私だけを見て、あの男のようにかっこいい人になって。というセリフが、頭にこびりついて、離れない。ヒステリックをおこすので、拒絶なんか出来なかった。ロボットのように、ただ、賛同していた。最悪な毎日だった。
大人になって、家を出た時、自分に目標がないことに気づいた。
あの男ようにも、あの女が、言っていた通りの道にも、進みたくない、という、憎しみだけが残った。
ホストを初めたのは、そんな考えからだった。
でも、しばらくしてから、この選択は、間違いだったのではないかと思った。
恋人がたくさんいた父。嘘を吐き、安い愛してるを口にする。
今の俺は、あの男のようだ。あの女が、愛した男。
だからといって、ホストをやめたら、今度は、あの女の言っていた通りになってしまう。
吐き気がした。
夢にまで出てきて、眠れなくなった。
ある日から、俺を見ている人間の、顔が分からなくなってしまった。
呪いだ。
誰も、俺自身を見てくれない。
***
「黒金ショウです。よろしくお願いします。隣、座ってもいいですか?」
笑みを貼り付けるのには慣れた。
モザイクのかかった、客の顔を見ながら、喜ぶであろう言葉を投げかける。
「緊張してる?」
「あ、はい……してます」
「そっかー、俺もこんな可愛い子とおしゃべりできるの緊張してるんだよね、同じだね」
「そ、そうですね」
焦げ茶の、ロングの髪を肩に流し、俯いている。
女の表情は見えなかった。
まぁ、顔をあげたところで、俺にはよく分からないんだけど……。
声が震えていて、ホストに、慣れていない子なんだろうと思った。
上手くいけば、大金を落としてくれるかもしれない。
それから、適当に話を振りながら、会話を続けた。
「俺のこと見てくれないの?俺、佳代ちゃんの可愛い顔みたいな」
距離を詰めて、じっと見る。
「やっと目、合った」
「そ、そそ、そうですね」
次は何を言おうか考えていると、頬に体温を感じた。
触られている。
ぞわり。
鳥肌がたった、でも、なんでもないふりをして、尋ねた。
「……どうしたの?」
「わっ、あ、すみません。いや、あの、黒金さん寝てますか……?」
「え?」
目の前の、顔にかかっていた、モザイクが一瞬消えた。
喋りたいのに、声が出ない。
「その、寝不足なように、見えたので……」
メイクで隠していたのに、なんで気づかれた?
そんなに、酷い顔をしていたのだろうか。
「そっか、そう見えるのか」
自然と口が開く。
早口で、「あ、いや、やっぱり気のせいでした」と、否定されて、しまったとフォローを入れた。
「ううん、実は本当に最近寝れてないんだ、でもまさか気づかれるとは思ってなかった。声かけてくれたの佳代ちゃんだけだよ」
なんだか嫌な予感がし、体の中に、ムズムズとしたものが溜まる。
「もうそろそろ時間だ、俺の事、送りに選んでくれたら嬉しいな」
「おくり?」
「うん、最後に今まで話した人の中から一人選んでもらってお見送りする制度。佳代ちゃんと少しでも多く喋りたいからさ」
「は、はい。分かりました」
「話してくれてありがとう」
グラスを当て、俺は立ち上がる。
きちんと仮面を被らなきゃ、後悔することになる。そんな気がした。
送りに選ばれた時、俺は、普段よりも、気を引き締めて会いに行った。さっきのように、相手のペースに呑み込まれるのが、怖かった。
「選んでくれたのめっちゃ嬉しい。なんで俺にしてくれたの?」
「えっと、黒金さんとのお話が一番楽しかったので……」
「わー、まじか!照れる。出口までだけどいっぱい喋ろうね」
再び会ってから、拍子抜けする。
なんだ、やっぱりさっきのは勘違いか。
他の女と一緒だ。
***
しばらくしてから、いつも通り、営業メールを送った。
また来ても来なくても、お金に困ってるわけではないし、どうでもよかった。
次の日曜日、この前の子に指名された。
顔を見ても、モザイクはかかったままだ。
昨夜から、ズキズキと痛む頭は無視して、笑いかける。
「佳代ちゃんだ!きてくれたの?俺のこと指名してくれて嬉しい」
「えっと、お久しぶりです。名前覚えててくれたんですね」
「もちろん!佳代ちゃんみたいな可愛い子の名前忘れるはずないでしょ」
男慣れしてない感じは、相変わらずだった。もっとハマって、金を出して欲しい。
「あ、いや、私彼氏いないです」
「え、絶対いると思ってた、佳代ちゃん可愛いし、いい子だし」
笑顔を浮かべ、お世辞を並べると、分かりやすく照れ始めた。
ちょろい。
違う席で、シャンパンコールが入り、俺は腰を上げた。
「あ、ごめんね、ちょっと呼ばれたから行ってくるね、すぐ戻ってくるから!」
数十分ほど経ってから、戻ってくると、女は、モジモジとしていた。
「ごめんね佳代ちゃん、おまたせ」
隣に座り、酒を飲みながら話題を提供する。
けれど、意識が、こちらに向いてないことに気づいた。
嫉妬だろうか。
めんどくさいな、と考えていると。
「あ、あのっ……えっと、玲奈がアフターしてもらうみたいで、私も、アフターしてもらえませんか?」
予期していないセリフが飛んできた。
誘ってくるタイプだとは思えなかったので、まじかよ、と少し、衝撃を受ける。
「佳代ちゃんがアフターして欲しいって言ってくるとは思わなかったな。うーん……いつもならシャンパンとか入れてくれたらいいよって言ってるんだけど……」
まぁ、このタイプなら、約束を取り付けたら来るだろう、と考え、了承することにした。
「でも、今日はちょうど予定ないし、いいよ。佳代ちゃんが特別。その代わり、また次の休みの日にお店に来てよ。約束してくれるならいいよ」
「え」
自分から提案したくせに、何故か驚いた顔をしていた。
アフターのため、近くのコンビニで、待ち合わせをすることになった。
「いや、マジで!今回の子、お金めっちゃ出してくれそうなんですよ!本営いけそうだし」
「結構、盛り上がってたもんね」
「そうなんです!」
明るい性格に、複数のピアス、そして金髪。でもやっぱり、顔にはモザイクがかっていた。
この男は、俺より後に入ってきた、春樹という人物だ。元気よく、笑いを交えながらの対話のやり方は、真似出来ないな、と思う。
「あ、なんか、四人でまわる、みたいな雰囲気だったけど、どうなの?」
「え、「二人で遊ぼうね♡」って言われましたよ!てか、四人でって、珍しいですね」
そうだねと、相槌をうった。
あの子が、ただ勘違いしてただけだろう。
待ち合わせ場所についてから、話しかけると、女は、背中を丸めた体制で、謝罪してきた。
「謝んないで、俺は嬉しいから、だって佳代ちゃんと二人でいられるじゃん」
心が伴っていない、言葉を呟く。
あたふたとしていた相手が、急に周りを見始めたので、顔を上げた。すぐにその理由が分かり、「さっきお店出ていったよ」と教える。
「え!」
やけに、お友達、とやらを気にするな、と感じたが、すぐに思考を切り替えた。
「佳代ちゃん行きたい場所ある?」
「えっと――」
女が答える前に、口から、クシャミが飛び出た。
あぁ最悪だ。
「全然大丈夫ですけど……寒いですか?」
「いや大丈夫だよ」
頬をあげ、なんでもないふうに装う。こうすれば、誰も追及してこない。
酒を飲んだせいもあり、体が冷たい。
どこか暖かい場所で寝たい。
でも、寝たらまた、嫌な夢を見てしまう。
「黒金さん」
突然名前を呼ばれ、振り向く。
その瞬間、何かが首を、覆った。
「……え」
「良かったら使ってください」
私は暑がりで使わないので、と答える目の前の女を、口を開けたまま見つめる。
顔にかかったモザイクが、ジジ……ジジ……と、揺れた。
「えっと、元気ですか?」
意味の分からない質問だった。
「……元気、だよ?」
「その、前も言ったんですけど、黒金さん、やっぱりまだ寝れてないですよね?」
ドクンと胸が鳴り、「えっ……」と、喉から息が漏れた。
前にいる、女の表情が、鮮明になっていく。
「ごめんなさい誘っちゃって、こうやって話せただけで楽しかったです。だから、もう家帰って休んでください」
小さくて丸い輪郭。たれた大きな目。ピンクの厚い唇。
「これ、タクシー代です。もし後で足りなかったりしたら言ってください。あ、それと、そのマフラーは次にお店来た時に受け取るので、今日は付けててください」
この場を去ろうとする彼女を、慌てて引き止めた。
「か、帰るの?」
「お金足りないですか?あ、次回来るって約束はちゃんと守りますよ。日曜日辺りに行くと思います。お酒も……なるべく高いの頼みます。破るか不安なら、契約書とか書きますか?」
「そうじゃなくて……」
先程と同じように、空気が読めないクシャミが出た。
「風邪ひいちゃいますよ、あ、風邪薬も持ってるので渡しときますね」
押し込まれた薬を、じっと見て、顔を上げる。
楽しかったです、と、無邪気に笑っている。
モザイクのかかっていない、女の……佳代ちゃんの瞳には、ホストでも、あの男でもない……。
俺自身が映っていた。
偶然ですねと、続けて喋るよりも先に、黒金さんは、どうしたのかと尋ねてきた。
眉間を寄せ、私と玲奈を交互に見てくる。
ズボンは汚れ、頬は腫れているだろう自分の姿を思い出して、カッと体温が上がった。
地面に視線を向ける。
「わ、わたじの、せいなんです」
濁点のついたセリフが飛んできた。
顔を向けると、瞳を潤ませた玲奈が、手で涙を拭っていた。その腕に、小さな傷跡が複数ついていて、肘からは、血が滲んでいる。
私は、くたびれたバッグから、絆創膏を取り出して、貼った。
玲奈は一瞬キョトンとしていたが、すぐにがばりと抱きついてきた。耳元で、「佳代ー!」と叫んだ。
はいはいと答え、背中をぽんぽんと叩いていると、圧迫感が消えた。
一瞬何が起こったのか分からなかったが、目を向けると、黒金さんが、玲奈の腕を引っ張っていた。
「へ?」とこぼす玲奈と同様に、私も口を半開きにする。
「え、あ……いや……、ほら、頬が腫れてるから、痛そうで……ご、ごめんね。無意識に腕掴んじゃった」
当事者である黒金さんが、なぜか一番困惑していた。すぐに手を離し、今度は私に触れてくる。
「か、佳代ちゃんのこと、手当しないとだよね。そうだ、俺の家おいでよ」
どこかに連れて行こうとする黒金さんに、待ったをかける。玲奈と一緒に移動したいし、何より、警察と合流しないといけない。
伝えると、黒金さんは何かをボソリと呟いた。
その後は忙しかった。
事情を警察に説明し、ちぐはぐな玲奈の言葉に、補足をした。
一時間ちょっと経った後に解放され、その間、黒金さんは私の隣にいた。
家に帰っても大丈夫、と伝えたのだが、「女の子だけでいたら、また遭遇した時大変でしょ?」と、反対された。
帰り道、ズキズキと痛むかかとや、こった肩には気付かないふりをした。
玲奈はタクシーで帰らせ、私はどうしようかと考える。
名前を呼ばれ、振り返ると、黒金さんが「ご、ご飯食べない?お店でも、俺の家でもいいんだけど、奢るからさ」と提案してきた。
けれど、今はそんな気分ではないし、早くお風呂に入って寝たかった。明日も授業がある。
「すみません。誘って下さったのは嬉しいんですが、今日は帰ります。服も汚れてるし、怪我もしちゃったので」
「あ……そうだよね、ごめんね」
垂れ下がる耳としっぽの幻覚が、見えた気がした。
さようならと、後ろを向いた後、「待って!」と声をかけられた。
続けて黒金さんは、「また俺に会いに来てくれる?」と問うてきた。
言葉につまる。行く予定など、これから先ないのだが、それを正直に言える訳もなく、私は小さく頷いた。
「い、いつ来てくれる?」
グイグイと大きな胸板が迫ってくる。私は怖くなり、後ずさりながら、「えっと、じ、時間がある時に」と答えた。
がしりと右手首を掴まれた。
黒金さんの目は、不安定に揺れている。
「やっぱり、今日家においでよ」
「ほ、本当に大丈夫です」
両手で巨体を押すと、先程よりも一オクターブ低い声が飛んできた。
「もしかして、新しい担当ができたとか?だから、俺から離れようとするの?最近他のところに行ってるから、会いに来てくれないの?」
ギリギリと効果音がつきそうなほど腕を握られ、私はたまらず、「離してください!」と叫んだ。
「あっ、ごめんね……」
黒金さんに対して恐怖心が芽生える。早く別れようと踵を返したのだが、再び引き止められた。
「待って、もしかして電車でかえろうとしてる?危ないんだからタクシーで帰りな、はい。これ使って」
突きつけられたのはお札だった。貰えないと拒否する私に対して、この前のお返しだと、黒金さんは渡してくる。
渋ったが、引き下がる様子は見えなかったので、とりあえず受け取った。
タクシーに乗る場所まで、着いてきてくれた黒金さんに、お礼を言ってから、私達は別れた。
***
「え、ちょっと待って、何この量」
家まで着いて、支払いをしようとした私は、小さく声を漏らした。
黒金さんから貰ったお金は、全て万札で、数十万近くもあったのだ。
数万円だけ取って、会計を済ませてから、家までの階段を上る。
こんな金額貰えない。返さないと。
そう思い、スマホを取り出した。
黒金さんに、メッセージを送ると、数秒もしないうちに既読がついた。
けれど、数分経っても、返事がない。疑問に思いながらも、まぁいいかと電源を閉じようとした時、スマホは振動した。
――明日、俺の家これる?交通費と欲しい分は、そのお金から引いていいから。
なぜ家なのかは分からないが、送られてきた住所を見ると、大学から比較的近い場所だったので、まぁいいかと、了承のメールを返す。
翌朝、玲奈とは講義が被らない日だったので、安否確認の連絡をした。
次に、十七時くらいに会いに行く、という内容を、黒金さんに送る。
既読はすぐについたが、返事はなかった。
電源を落とし、授業が行われる教室へ向かう。
そうして、一限が終わったあと、玲奈からのメッセージを確認しようとした私は、ホーム画面を見て驚愕した。
――わかった。待ってるね。
――昨日の傷大丈夫?
――やっぱり、心配だから迎えに行ってもいい?
――今日も、昨日の女の子といる?
――既読付けて欲しい
黒金さんからの通知が、数十件も溜まっていた。
慌てて、授業中だったことを伝えると、すぐに「そうだった。授業あるのにごめんね」と返された。
大丈夫ですと打つ前に、スマホが振動し、着信画面が表示される。
――……もしもし?佳代ちゃん?
「あ、はい……」
反射でタップしてしまった私は、小さな声を出す。
――ご、ごめんね。急に。どうしても不安だったんだ。声も、聞きたくて。
「えっと、大丈夫です……。すみません、次も授業あるので、また」
様子のおかしな黒金さんに、妙な胸騒ぎを感じながらも、電話を切ろうとすると、「あのさ!」という声で、止められた。
――今、誰かといる?昨日の女の子とか、男友達とか……。
「いませんけど……急にどうしたんですか?」
――あ、ううん。いないならいいんだ。
「そうですか……?」
不思議に思ったが、休憩時間は数分しか残っていなかったので、慌てて通話を終わらせた。
***
四限分授業を受け、私は今、お金を返すために、バスに揺られている。
窓に頭を預け、空を見ると、雲は灰色に濁っていた。
折りたたみ傘は持ってきたが、雨は降らないで欲しい、と願う。
険しい道でもないのに、車体はガタガタと、大袈裟に揺れた。
バスが目的地に着き、軽くお礼を言ってから、地面を踏んだ。
マップを開いて、経路を確認する。しばらく歩いて、顔を上げると、タワーマンションが私を見下ろしていた。
まさか、と考えたが、目的地はこの場所からズレてはいなかった。
ゴクリと唾を飲み、エントランスを通る。
扉の近くに、金属の四角い物体があった。
恐る恐る近づいて、表面を見ると、数字のボタンがついていた。メールで、事前に送られた番号を入力する。
無機質な音がなったあと、しばらくしてから、黒金さんの声が聞こえた。
「――佳代ちゃん?」
「あ、こんにちは」
お辞儀をし、お金を返しにきたことを伝える。部屋の番号と、エレベーターで上がって来て欲しい、と言われたので、分かりましたと返事をした。
目の前にある透明のドアが、ゆっくりと開く。見慣れない光景に、再び唾を飲んだ。
体が強ばる。けれど、一歩踏み出し、私は指定された階へと向かった。
表札を見ながら、前へ進む。
多分ここだろう、という場所につき、私はインターホンを鳴らした。
微かな物音が響き、続いて、ガチャリと扉が開いた。
「黒金さん――」
「……っ、ほんもの」
私が話しかけるのとほぼ同時に、黒金さんは声を漏らした。
眉をたれさげ、瞳孔は忙しなく動いている。
その様子を見て、どうしたのか気になったが、すぐにお金のことを思い出した。
「これ……!残った分が入ってます。ありがとうございました」
茶色い封筒を渡す。
黒金さんが受け取ったのを確認し、別れを告げた。
「ケーキ!」
後ろから、予想外の単語が飛んできたので、私は、思わず振り向いた。
「け、ケーキがあるんだ、えっと、実は、知人からもらって、良かったら、食べていかない……?あ、お、おれ一人じゃ食べきれなくて。ね、お願い」
不安定な声のトーンだった。
言葉を詰まらせていると、「こ、困ってるんだ、佳代ちゃんに食べてもらえたら、すごく助かるんだけど」と、誘われる。
私は、小さく頷いた。
玄関からリビングに通され、周りを見ると、シンプルな内装だった。
キッチンで、準備をする黒金さんを、見つめながら椅子で待った。
「はい……ショートケーキなんだけど」
「ショートケーキ。あ、いちご」
ツヤツヤとしたいちごが、ふんだんに使われていた。高級そうだ。
玲奈に勧めたら、喜びそうだなと思う。いちごが大好きだから。
「もしかして、嫌いだった?」
「あ、違います!」
「そ、そっか。なら良かった。じゃあ、逆に好きってこと?」
私自身は、嫌いでも好きでもないのだが、とりあえず「はい」と答えた。
「いちご……好きなんだ。……分かった。教えてくれてありがとう」
フォークの音が響く。黙々と食べていると、「今日も、昨日の女の子といたの?」と聞かれた。
「玲奈のことですか?……今日は、授業被らなかったので、私一人でいましたけど」
意図が分からず、黒金さんをじっと見る。
一瞬目があったけれど、すぐに逸らされた。
「……もしかして、その子と、恋愛関係にあったり、する?」
どんな表情をしているのか、私には見えない。けれど、誤解をされていることは確かだったので、「違いますよ」と否定した。
「そっか、でも、すごい気にかけてるよね」
「まぁ、親友なので」
最後に残していたいちごを、口に詰め込む。
甘味を堪能していると、「俺のさ」と話しかけられた。
「お、俺の性格、どう思う?」
いきなりの質問に、まだかみきれていない固形物を、飲み込んでしまった。
どう、とは?
たまに様子がおかしい時もあるが、基本的にはいい人。だと思う。
「……気を使ってくれたり、優しくて、いい人。だと思ってます」
「そ、そっか!じゃあ、俺のこと、タイプ?」
さっきから、一体なんの質問だろう。
タイプって、人として?
それとも、異性として?まさかね。
というか、黒金さんがタイプじゃない人なんているんだろうか。
「はい」
私が賛同すると、目の前の、綺麗な男性の耳が、ぶわりと赤く染まった。顔を上げ、私を見てくる。気まずそうに、けれど、嬉しそうにして、言葉を投げてきた。
「お、俺ね、佳代ちゃんのことが、す、好きなんだ……」
好き。
え?
頭の中はパニックだった。そんなことを言われるなんて思ってなかったし、なんで?という疑問が膨れ上がる。
黒い瞳がこちらを見てきて、バッと、顔を背けた。
「あのね……好きって気づいたのは最近なんだけど、今までの子とは違って、か、佳代ちゃんだけなんだ。佳代ちゃんは、俺のこと、どう思ってる?」
問いかけられ、私の心臓は、外に聞こえそうなくらい、脈をうった。
どうしよう、なんて答えよう。
そんなことを考えていた時、ふと、玲奈の言葉が蘇った。
――色カノって言葉があって、彼女みたいに接してお金使わせるんだって、全部演技らしいから、騙されちゃダメだよ!
もしかして私、いいカモだと思われてる……?
いや、絶対そうだ。
こんなかっこいい人が、告白してくるわけがない、何より、私を好きになる理由が、見当もつかない。
だから、近頃頻繁に、お店に来て欲しい、と連絡してきたのか。
心の中でため息をつく。
「……佳代ちゃん?」
名前を呼ばれ、ビクリと肩がはねる。
私は、前に玲奈が言っていた通りにしよう、と考えた。
「えっと……、私も、好きです」
ガタッ。
椅子が倒れた。
黒金さんが座っていた椅子だ。
足音をたてながら、黒金さんは、何故か近づいてきた。
そして、次の瞬間、がばりと、抱きしめられた。
「え?」
「あ、ごめん!う、嬉しくって」
「そ、そうですか……」
奇行に、若干引きつつ、さりげなく距離をとる。
「じゃあ……、き、今日は、俺の家に泊まってく?」
「なんでですか?」
首を傾げると、黒金さんは、顔をひきつらせた後、真っ青にして、「ご、ごめんね、いきなり過ぎたよね、テンション上がっちゃって、ごめんね、嫌いにならないで」と、早口で捲したててきた。
「だ、大丈夫ですよ。なりませんから」
ありがとうと言われ、何故か手を握られる。
顔を覗き込まれ、体が固まった。
「お、俺の名前、黒瀬 相馬って、言うんだ。黒金ショウは、源氏名で、だから……二人の時は、 相馬って……呼んで欲しい」
とんでもない色気があり、戦いた。
きっと、今までこうやって、何人もの女性を籠絡してきたんだろう。
私は、ただ黙って、首を縦に振ることしか出来なかった――
***
「相馬の顔は、お父さんに似ててかっこいいわね」
濃い口紅を塗った女が、見下ろしてくる。
その表情は、とても醜い。
蕩けた目は、俺ではないものを写していた。
「いい、相馬?女の子と遊んだりする、チャラチャラした男になっちゃダメよ。お父さんみたいにかっこよく、でも、一人の……私だけを見てくれる男になるの」
向けられる言葉には、全て、父親の名前があった。
愛してくれてるんだと、思っていた。けれど、いつしか、違うことに気づいてしまった。バカなままでいたかった。
私だけを見て、あの男のようにかっこいい人になって。というセリフが、頭にこびりついて、離れない。ヒステリックをおこすので、拒絶なんか出来なかった。ロボットのように、ただ、賛同していた。最悪な毎日だった。
大人になって、家を出た時、自分に目標がないことに気づいた。
あの男ようにも、あの女が、言っていた通りの道にも、進みたくない、という、憎しみだけが残った。
ホストを初めたのは、そんな考えからだった。
でも、しばらくしてから、この選択は、間違いだったのではないかと思った。
恋人がたくさんいた父。嘘を吐き、安い愛してるを口にする。
今の俺は、あの男のようだ。あの女が、愛した男。
だからといって、ホストをやめたら、今度は、あの女の言っていた通りになってしまう。
吐き気がした。
夢にまで出てきて、眠れなくなった。
ある日から、俺を見ている人間の、顔が分からなくなってしまった。
呪いだ。
誰も、俺自身を見てくれない。
***
「黒金ショウです。よろしくお願いします。隣、座ってもいいですか?」
笑みを貼り付けるのには慣れた。
モザイクのかかった、客の顔を見ながら、喜ぶであろう言葉を投げかける。
「緊張してる?」
「あ、はい……してます」
「そっかー、俺もこんな可愛い子とおしゃべりできるの緊張してるんだよね、同じだね」
「そ、そうですね」
焦げ茶の、ロングの髪を肩に流し、俯いている。
女の表情は見えなかった。
まぁ、顔をあげたところで、俺にはよく分からないんだけど……。
声が震えていて、ホストに、慣れていない子なんだろうと思った。
上手くいけば、大金を落としてくれるかもしれない。
それから、適当に話を振りながら、会話を続けた。
「俺のこと見てくれないの?俺、佳代ちゃんの可愛い顔みたいな」
距離を詰めて、じっと見る。
「やっと目、合った」
「そ、そそ、そうですね」
次は何を言おうか考えていると、頬に体温を感じた。
触られている。
ぞわり。
鳥肌がたった、でも、なんでもないふりをして、尋ねた。
「……どうしたの?」
「わっ、あ、すみません。いや、あの、黒金さん寝てますか……?」
「え?」
目の前の、顔にかかっていた、モザイクが一瞬消えた。
喋りたいのに、声が出ない。
「その、寝不足なように、見えたので……」
メイクで隠していたのに、なんで気づかれた?
そんなに、酷い顔をしていたのだろうか。
「そっか、そう見えるのか」
自然と口が開く。
早口で、「あ、いや、やっぱり気のせいでした」と、否定されて、しまったとフォローを入れた。
「ううん、実は本当に最近寝れてないんだ、でもまさか気づかれるとは思ってなかった。声かけてくれたの佳代ちゃんだけだよ」
なんだか嫌な予感がし、体の中に、ムズムズとしたものが溜まる。
「もうそろそろ時間だ、俺の事、送りに選んでくれたら嬉しいな」
「おくり?」
「うん、最後に今まで話した人の中から一人選んでもらってお見送りする制度。佳代ちゃんと少しでも多く喋りたいからさ」
「は、はい。分かりました」
「話してくれてありがとう」
グラスを当て、俺は立ち上がる。
きちんと仮面を被らなきゃ、後悔することになる。そんな気がした。
送りに選ばれた時、俺は、普段よりも、気を引き締めて会いに行った。さっきのように、相手のペースに呑み込まれるのが、怖かった。
「選んでくれたのめっちゃ嬉しい。なんで俺にしてくれたの?」
「えっと、黒金さんとのお話が一番楽しかったので……」
「わー、まじか!照れる。出口までだけどいっぱい喋ろうね」
再び会ってから、拍子抜けする。
なんだ、やっぱりさっきのは勘違いか。
他の女と一緒だ。
***
しばらくしてから、いつも通り、営業メールを送った。
また来ても来なくても、お金に困ってるわけではないし、どうでもよかった。
次の日曜日、この前の子に指名された。
顔を見ても、モザイクはかかったままだ。
昨夜から、ズキズキと痛む頭は無視して、笑いかける。
「佳代ちゃんだ!きてくれたの?俺のこと指名してくれて嬉しい」
「えっと、お久しぶりです。名前覚えててくれたんですね」
「もちろん!佳代ちゃんみたいな可愛い子の名前忘れるはずないでしょ」
男慣れしてない感じは、相変わらずだった。もっとハマって、金を出して欲しい。
「あ、いや、私彼氏いないです」
「え、絶対いると思ってた、佳代ちゃん可愛いし、いい子だし」
笑顔を浮かべ、お世辞を並べると、分かりやすく照れ始めた。
ちょろい。
違う席で、シャンパンコールが入り、俺は腰を上げた。
「あ、ごめんね、ちょっと呼ばれたから行ってくるね、すぐ戻ってくるから!」
数十分ほど経ってから、戻ってくると、女は、モジモジとしていた。
「ごめんね佳代ちゃん、おまたせ」
隣に座り、酒を飲みながら話題を提供する。
けれど、意識が、こちらに向いてないことに気づいた。
嫉妬だろうか。
めんどくさいな、と考えていると。
「あ、あのっ……えっと、玲奈がアフターしてもらうみたいで、私も、アフターしてもらえませんか?」
予期していないセリフが飛んできた。
誘ってくるタイプだとは思えなかったので、まじかよ、と少し、衝撃を受ける。
「佳代ちゃんがアフターして欲しいって言ってくるとは思わなかったな。うーん……いつもならシャンパンとか入れてくれたらいいよって言ってるんだけど……」
まぁ、このタイプなら、約束を取り付けたら来るだろう、と考え、了承することにした。
「でも、今日はちょうど予定ないし、いいよ。佳代ちゃんが特別。その代わり、また次の休みの日にお店に来てよ。約束してくれるならいいよ」
「え」
自分から提案したくせに、何故か驚いた顔をしていた。
アフターのため、近くのコンビニで、待ち合わせをすることになった。
「いや、マジで!今回の子、お金めっちゃ出してくれそうなんですよ!本営いけそうだし」
「結構、盛り上がってたもんね」
「そうなんです!」
明るい性格に、複数のピアス、そして金髪。でもやっぱり、顔にはモザイクがかっていた。
この男は、俺より後に入ってきた、春樹という人物だ。元気よく、笑いを交えながらの対話のやり方は、真似出来ないな、と思う。
「あ、なんか、四人でまわる、みたいな雰囲気だったけど、どうなの?」
「え、「二人で遊ぼうね♡」って言われましたよ!てか、四人でって、珍しいですね」
そうだねと、相槌をうった。
あの子が、ただ勘違いしてただけだろう。
待ち合わせ場所についてから、話しかけると、女は、背中を丸めた体制で、謝罪してきた。
「謝んないで、俺は嬉しいから、だって佳代ちゃんと二人でいられるじゃん」
心が伴っていない、言葉を呟く。
あたふたとしていた相手が、急に周りを見始めたので、顔を上げた。すぐにその理由が分かり、「さっきお店出ていったよ」と教える。
「え!」
やけに、お友達、とやらを気にするな、と感じたが、すぐに思考を切り替えた。
「佳代ちゃん行きたい場所ある?」
「えっと――」
女が答える前に、口から、クシャミが飛び出た。
あぁ最悪だ。
「全然大丈夫ですけど……寒いですか?」
「いや大丈夫だよ」
頬をあげ、なんでもないふうに装う。こうすれば、誰も追及してこない。
酒を飲んだせいもあり、体が冷たい。
どこか暖かい場所で寝たい。
でも、寝たらまた、嫌な夢を見てしまう。
「黒金さん」
突然名前を呼ばれ、振り向く。
その瞬間、何かが首を、覆った。
「……え」
「良かったら使ってください」
私は暑がりで使わないので、と答える目の前の女を、口を開けたまま見つめる。
顔にかかったモザイクが、ジジ……ジジ……と、揺れた。
「えっと、元気ですか?」
意味の分からない質問だった。
「……元気、だよ?」
「その、前も言ったんですけど、黒金さん、やっぱりまだ寝れてないですよね?」
ドクンと胸が鳴り、「えっ……」と、喉から息が漏れた。
前にいる、女の表情が、鮮明になっていく。
「ごめんなさい誘っちゃって、こうやって話せただけで楽しかったです。だから、もう家帰って休んでください」
小さくて丸い輪郭。たれた大きな目。ピンクの厚い唇。
「これ、タクシー代です。もし後で足りなかったりしたら言ってください。あ、それと、そのマフラーは次にお店来た時に受け取るので、今日は付けててください」
この場を去ろうとする彼女を、慌てて引き止めた。
「か、帰るの?」
「お金足りないですか?あ、次回来るって約束はちゃんと守りますよ。日曜日辺りに行くと思います。お酒も……なるべく高いの頼みます。破るか不安なら、契約書とか書きますか?」
「そうじゃなくて……」
先程と同じように、空気が読めないクシャミが出た。
「風邪ひいちゃいますよ、あ、風邪薬も持ってるので渡しときますね」
押し込まれた薬を、じっと見て、顔を上げる。
楽しかったです、と、無邪気に笑っている。
モザイクのかかっていない、女の……佳代ちゃんの瞳には、ホストでも、あの男でもない……。
俺自身が映っていた。
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