空気王女の8年戦争

風音悠鈴

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王宮に吹く風は、いつだって冷たい。
冬だからではない。私――リシェル・エルディアの立場そのものに染みついた、冷たさだった。

私はエルディア王国の第一王女。肩書きだけ聞けば、華やかに響くかもしれない。だが、現実は違う。私は「亡くなった側妃の子」。正妃の産んだ兄、ユリウス王太子、第二妃の産んだライナルト第二王子、そして私と双子の弟ルシアンは、まるで存在しないかのように扱われる。

本邸ではなく、少し離れた別邸に暮らす私たち双子。兄たちの姿は、遠くの尖塔や庭越しにちらりと見かけるだけ。あるいは侍女や使用人の小声の噂で耳にする。幼い頃から、宴や公的な場での私たちの席は必ず「目立たない隅」。誰もが注目する場所から外れた席に座るたび、私は自分が空気のような存在であることを知る。

だが――五歳のある日、すべてが変わった。いや、正確には「思い出してしまった」のだ。前世の記憶を。

――ここは、あの乙女ゲームの世界。

スマートフォンの画面を追い、胸がきゅっと締めつけられたあの感覚。私は理解した。この世界で、私は脇役として「空気王女」に過ぎず、将来は政略結婚の駒になる運命にあるのだと。

だが、私は嫌だった。駒にされるのは構わない。ただし、相手は「唯一の人」でなければならない。そのためには、力を持たなければならない――幼い私は心に決めた。



朝の光が別邸の窓から差し込む。銀色の髪を結いながら、私は小さく息をついた。五歳の双子、ルシアンと共に暮らす別邸は、広い庭と石造りの書斎があるだけで、豪華ではない。だが、自由に動ける空間があることは、何よりの財産だった。

「姉上、今日も魔法の練習する?」
ルシアンの金色の瞳が、好奇心で輝く。

「ええ、少しだけ。外に出る時間も作ろうと思っているの」
私たちは今日、城下町を覗きに行くつもりだった。自由にできるお金はほとんどない。けれど、ほんの少しの小銭で触れられる外の世界は、空気王女の私たちにとって新鮮な体験になる。

庭を抜け、石畳の道を歩く。馬車が軋み、人々の声がざわめく。香辛料の匂いや焼きたてのパンの香り、鶏の鳴き声が混ざる。人々は忙しげに通り過ぎ、私たちはその群衆を遠目に眺めた。ルシアンは私の手を握り、少し緊張した表情を見せる。

「姉上、あの子……見てみて」
ルシアンが指差すのは、広場で走り回る少年たちの姿。

「うん……あ、あの子たち、孤児院の子みたいね」
目を凝らすと、一人、十歳くらいの男の子がこちらを見て微笑んだ。活発で、鋭い目元。彼は走りながら、私たちに声をかける。

「おお、最近越してきた子か?」
リシェルは自然に顔をほころばせ、少し照れながら答えた。
「えっと……うん、リアナ。よろしく」
偽名を使うのは当然のことだ。王族は本名を軽々しく口にできない。

「リアナか。俺はカイ。よろしくな」
カイは元気に手を差し出す。ルシアンも、少し照れながら手を差し出し、
「ぼくはルオ。よろしく」
と偽名で自己紹介。私たち双子は、自由を享受しつつも、秘密を守る必要があった。

広場の隅でカイが提案する。
「じゃあ、かくれんぼしようぜ。俺が鬼な」

私たちは頷き、草むらや噴水の陰に隠れる。風が髪を揺らし、太陽の光が肌に触れる。ルシアンの笑い声とカイの足音が交じり合う。空気のように存在してきた日々が、今、鮮やかに変わる瞬間。

「お、リアナ! 見つけたぞ!」
笑い声に混じり、胸が熱くなる。ルシアンも笑いながら走る。自由にできるお金はない。けれど、遊ぶ喜びは無限だった。

鬼ごっこが終わると、三人は広場のベンチに座る。息を整えながら、カイが尋ねる。
「ねえ、リアナ、ルオ。今度から暇だったらここ来いよ。俺ら、いつもここで遊んでるからさ。」
リシェルは小さく頷き、ルシアンも嬉しそうに笑う。

夕方、別邸へ戻る時間が近づく。私たちは肩の力を抜き、今日の出来事を胸に刻む。城下町で触れた空気、笑い声、友情……外の世界は学ぶべきことに満ちていた。

別邸に戻ると、書斎の机に向かい、私は小さく心に誓った。
――空気であることを盾にして、自由に、力をつけ、自分の未来を掴む。

遠くの本邸では、兄たちはまだ私たちの動向に気づかない。ユリウス王太子の冷静な視線も、ライナルト第二王子の鋭い洞察も、今は及ばない。だが、いつか、この双子が王宮でその存在を示す日が来る――その予感だけが、静かに胸を熱くした。

――これは、空気の王女リシェルの、長い戦いの始まりだった。
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