異世界で魔族が全滅してるらしいが、俺は普通にゴルフしてるだけ ~無能扱いされた男が 、距離だけで世界を変える話~

ぬこまる

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38 魔族の生態系

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 温泉宿の朝は、静かな音がする。

 湯気の向こうで誰かが桶を置く音、廊下を歩く足音、遠くで湯が落ちる「ぽちゃん」という響き。それだけで世界が成立しているみたいな静けさだ。窓の外は晴れていて、山の稜線が朝日に縁取られている。

 俺は朝食の膳を見下ろして、箸を止めた。

 焼き魚、味噌っぽい汁、漬物っぽいやつ。美味い。ちゃんと美味い。旅館の朝食っていうのは、こういう「正しさ」がある。

 なのに、なんだろう。

 この、もやもやする気持ちは。

「……味気ないな」

 つい口に出したら、向かいのリリアーナ姫が顔を上げた。

「味付けが薄いのですか?」

「いや、そうじゃなくて」
 俺は苦笑して、箸を持ち直す。
「ローナの飯の方が、なんていうか……生きてる感じがする」

 隣のローナが、ちょっとだけ笑った。

「それ、褒めてます?」

「褒めてる。めっちゃ褒めてる」

 ガルドは黙ってもぐもぐしている。旅館の朝食にも「問題ない」を出すのかと思ったら、今日は言わない。表情も少し硬い。

 ローナが、湯気の向こうを見てぽつりと言った。

「妖精さんがいないと……寂しいですね」

 その言葉で、膳の上が一瞬だけ静かになる。

 そうだ。シルフィがいない。
 「芝、げんき」「やりすぎ」「ナイス」って、勝手に採点してくれる存在がいない。
 平和な朝なのに、どこか欠けている。

 ガルドが低く言った。

「……ああ。問題がある」

 姫が心配そうに俺を見る。

「ナオキさん」
「シルフィは治りますよね?」

「大丈夫」
 俺は頷いた。
「今はエルフの家で眠ってる」

「エルフ……?」

 姫とローナの目が同時に丸くなる。
 俺は昨夜のことを、かいつまんで話した。森の奥の小屋、日傘の少女、古文書、そして机の上で眠る妖精シルフィ。

 驚いた顔はしたけど、二人は最後にふっと息を吐いた。

「……よかった」
 ローナが言う。

「まずは安心です」
 姫が胸に手を当てる。

 その瞬間、扉が開いた。

「アルヴェイン王国、さいこー!」

 妙に元気な声。
 セリウス王子が入ってきた。髪が少し濡れている。風呂上がりらしい。爽やかすぎて、朝食の干物が一瞬だけ恥ずかしくなる。

「おはようございます」
 姫が礼儀正しく言う。

「おはようございます!」
 王子が輝く笑顔で返す。

 姫が興味津々で聞いた。

「セリウス様の国、リュミエール王国に温泉は?」

「ありません」
 王子はあっさり言った。
「暖かい気候のせいか、湯に浸かる文化が薄いのです。民の多くは……シャワー派ですね」

「しゃわー……」
 姫が首をかしげる。

 俺は内心で思った。
(都会の人みたいなこと言うな、この王子)

 廊下の向こうから、賑やかな声がする。
 昨日土木をしてくれた人たちが、朝からぬくぬくしているらしい。働いて、温泉に入って、また働く。国が回る音は、案外こういうところにある。

 朝食が終わり、俺たちは荷をまとめた。

 ローナはガルドに弁当を手渡す。
 姫は俺に弁当を手渡す。

 ……なんか照れる。

「今日は、王家の味です」
 姫が胸を張る。

「ありがとう」
 俺は笑った。
「楽しみにしてます」

 馬車の外ではドランが準備していた。工具箱も当然のように積まれている。その横にゴルフバックを並べた。

「鉱物が出たらすぐ強化するぞ」
 ドランが言う。

「それ、旅じゃなくて出張だよな」
 俺が言うと、

「がはは! 商人は全部出張だ!」
 ドランが笑う。

 ガルドが短く言った。

「……行くぞ」



 馬車は街道を進む。

 晴れた空。穏やかな風。放牧された馬と牛。草原の波が揺れて、遠い山が青く霞む。こんな景色の中に、竜がいるなんて信じられないくらい平和だ。

 ガルドは窓の外を見て言った。

「……魔族はいない」

 ドランが舌打ちする。

「いねぇなぁ」
「宝石が欲しいから、今じゃ逆に魔族が出て欲しいぜ」

「その事実、民の前で言うな」
 ガルドが即ツッコむ。

「いや、民だって薄々気づいてる」
 ドランは平然と言った。
「魔族は厄災だが、宝石を落とす」
「旨味で生きてるやつもいる。それが事実だ」

 俺は、ふーんと頷いた。

(難しい話だな)
(ゴルフだと、ボギーでも次で修正できるのに)

 街道はだんだん細くなり、やがて消えた。

 深い森が口を開けている。
 入口も出口も分からない。鳥が鳴き、葉がかさかさ揺れて、森そのものが「入れ」と言っているようだった。

 ドランが馬車を止める。

「ここから先は歩け」
「ここは開拓できねぇ」

 ガルドが頷いた。

「……神聖な森だ」

 ドランはゴルフバックを俺に渡した。

「城に戻ってるから、強化したかったら来い……あと」
「死ぬなよ」

「死にませんよ」

「死ぬなよ」
 ガルドが被せた。

(被せるな、おまえも行くんだぞ)

 ドランは馬車を返し、俺とガルドは森へ入った。



 森の空気は、別の世界だった。

 光が細い。木々の葉が幾重にも重なり、太陽の矢をふるい落としている。苔は湿り、根はうねり、地面は柔らかい。足を置くたび、土が息を吸う。

 匂いが深い。
 土と樹液と、古い木の皮と、見えない水の気配。
 森が、長い時間を抱えているのが分かる。

 俺は小声で言った。

「……大樹の場所、分かるのか?」

 ガルドは迷いなく答えた。

「……問題ない」

「いや、それ毎回言うけどさ」
「本当に問題ないの?」

「問題ない」

 断言が強い。
 この人の「問題ない」は、たぶん世界基準だ。

 歩きながら、俺は昨日のことを思い出した。

「魔族が木から産まれるって知ってたか?」

 ガルドは首を振る。

「そのような情報はない」
「知っていたなら、国家規模で焼き払う」

「だよね」
 俺は頷いた。
「さっきドランが“開拓できない”って言ってたのは?」

 ガルドが低く言った。

「この森は昔から“魔女が出る”と噂だ」
「立入禁止区域」

「魔女……ルウナ」

 口に出して、俺は鳥肌が立った。

(そういうことか)

 なんかいろいろ、わかってきた。

 俺は、ふと立ち止まった。

「ていうかさ」
「俺をこの世界に呼んだやつって誰だ? シルフィなのかな?」

 ガルドが即答した。

「妖精ではない」

「え?」

「……エルネスだ」

 その一言で、頭の中の景色が一気に過去へ飛ぶ。

 ジム。
 カップルの筋トレ。
 シミュレーションゴルフ。
 妖精の声。
 世界がひっくり返る感覚。

 城。
 王様。
 兵士。
 魔法陣。
 杖を持った魔法使い。

(あの魔法使い……エルネスだ)

「マジか!」

 ガルドが続ける。

「詳しいことは、大樹の枝を採って」
「ルウナの家に戻ったら聞くんだな」

「分かった」
 俺は深く息を吸った。

 森は静かだった。
 でも静かすぎて、逆に怖い。
 音が少ないと、人は余計なものを聞き始める。

 ガルドが歩みを止めた。

「……着いたぞ」

 俺は目を上げた。

 まだ遠い。だが、見える。
 森の奥で、ひときわ大きい影が立っている。
 枝が空へ伸び、葉が風を受けずに揺れている。

 そこだけ、世界の時間が違うみたいだった。

「……あれが」

「大樹だ」
 ガルドが言った。

 その瞬間。

 空が暗くなった。

「曇り?」
 俺が言いかけたとき、

 赤い翼が、雲の下を横切った。

 ドラゴンだ。

 森の上空を、ただ飛んでいる。
 降りてこない。
 だが、影だけで森が息を止める。

 木々が揺れ、小鳥が鳴くのをやめる。
 風が、冷たくなる。

 俺は喉が乾いた。

(来てる)
(また)

 ドラゴンは、ゆっくりと大樹の方へ近づいていく。

 ガルドが小さく言った。

「……見られている」

 俺は拳を握った。

 芝の上なら、距離は測れる。
 風も読める。
 再現性もある。

 でも、森の中で——
 大樹の前で——

 距離が、意味を変える気がした。

 ドラゴンの影が、木々の上を滑っていく。

 空は青いままだ。
 なのに森は、暗かった。

 俺は、息を吐いた。

「……シルフィ」
 心の中で呼んだ。
「絶対に助けるからな」

 大樹は、何も答えなかった。

 ただ、そこに立っている。





 空は青いのに、胸の奥がずっと冷たい。

 大樹は目の前にある。  
 なのに、そこへ向かうたび、森の音が一段落ちる。小鳥が鳴くのをやめ、小動物が葉の裏に消え、風さえ慎重になる。まるで世界が「近づくな」と言っている。

 赤い翼が、空を横切った。

 ドラゴンだ。

 雲の下をゆっくり旋回している。降りてこない。襲ってもこない。距離を取って、ただ見ている。見られているという感覚だけが、皮膚の内側に刺さる。

「……行くぞ、ナオキ」
 ガルドの声は低い。

「ああ」

 俺たちは木の影を選び、岩陰を渡り、根の盛り上がりに身を沈めて移動した。枝が折れる音ひとつで、終わる気がする。足音を殺すたびに、自分の心臓がやたらうるさい。

 大樹に近づくにつれて、匂いが変わった。

 土の匂いが薄れていく。代わりに、鉱物の匂い。冷たい石の匂い。水気があるのに乾いている、矛盾した匂いだ。

 そして、見えた。

 魔族を産む木。

 幹は黒い。黒いのに、光を返す。  
 まるで黒いダイヤモンドだ。表面を無数の水晶が覆っている。石英の結晶が幹の皮膚のようにきらきらと並び、太陽の角度で色を変える。

 美しい。

 腹が立つほど美しい。

 葉は、ハート型だった。  
 人が好意を象徴にする形を、木が当たり前のように纏っている。しかも整いすぎている。自然の“ゆらぎ”がない。

「……美しいな」
 俺が思わず言うと、

「……ああ」
 ガルドも短く頷いた。

 その声が、少しだけ震えていた。

 幹の上のほうに、黒い実がついているのが見えた。小さいのも、大きいのもある。小さいのはただぶら下がっているだけだ。だが、大きいのは違った。

 どく、どく。

 鼓動している。

 実が呼吸しているみたいに、脈を打って膨らむ。木の外側にあるのに、臓器みたいに動いている。しかも、規則正しい。人の心臓より落ち着いていて、逆に気持ちが悪い。

(……産まれるのか)

 喉が渇いた。

 空にいるドラゴンは、まだ降りてこない。距離を取ったまま、翼の影だけが木の根元を横切っていく。

 俺は息を吸って、吐いた。

 シルフィを救うんだ。

 机の上で眠っているあいつの羽を、もう一度光らせたい。  
 あいつが「芝、げんき」って言って、俺の一打を勝手に採点して、意味不明なことを言って、勝手に笑ってくれる日常を取り戻したい。

 俺は大樹に近づき、ハート型の葉がついた枝に手を伸ばした。

 硬い。

 指が滑る。爪が立たない。木というより鉱物だ。結晶の皮膜が、刃物みたいに冷たい。

「……折れない」
 俺が言う。

 ガルドが同じ枝に手をかけた。右手ではなく、左手だ。力を込める。だが、枝は微動だにしない。

「……硬すぎる」

 俺は焦りかけた。

 そのとき、ふっと、耳の奥で声がした気がした。

 風の残像みたいな、短い断定。

――ナオキ。  
――打つ。

 幻聴かもしれない。  
 でも、その言い方は、確かにシルフィだった。

「……そうだな」

 俺は、笑った。

 冷静になれ。  
 俺は、普通にゴルフするだけだ。

 大樹を折る必要はない。必要なのは枝一本。距離と角度さえ合えば、それでいい。

 俺がバッグに手を伸ばした、そのとき。

「ナオキ……問題が起きた」
 ガルドが言った。

「ん?」

 大樹の上で、鼓動する実が揺れている。  
 一つ。二つ。三つ。

 どく、どく、どく。

 鼓動が速くなる。心臓が焦っているみたいに。

 落ちた。

 黒い実が地面に転がる。ころころと、卵みたいに。

 ひびが入った。

 細い亀裂が走り、次の瞬間、内側から押し開かれる。

 割れた。

 湿った音がした。  
 中身は赤くない。血の色じゃない。黒い。鉱物の泥みたいなものが、ぬるりと出てくる。

 そして、立ち上がった。

 魔族。

 小さい。だが、形が“人”に似ていない。昆虫に近い。頭が尖り、四肢が細く、関節が多い。目はなく、口だけが裂けている。そこに牙が並んでいる。

 怖い。

 でも、目が離せない。

 三体の魔族は、産まれた瞬間から目的地を知っているみたいに動いた。会話も確認もしない。ただ、嗅ぐように、探るように、森の中を進む。

「魔族たちの動きが気になる……」

 ガルドが俺に問いかける。

「枝は?」

「……ああ」
 俺は頷いた。
「俺に考えがある」

「ナオキ、俺のまねか?」
 ガルドがぼそっと言った。

 こんな場面で、少しだけ笑ってしまった。

 俺たちは魔族の後を追った。木の影から影へ。足音を殺して。息を詰めて。

 三体の魔族は、岩場で止まった。

 爪を立てる。

 ガリガリと岩を削る音。

 牙で噛み砕く。

 バリ、と小さな破片が飛ぶ。

(……掘ってる)

 こいつらの爪と牙は、動物を殺すための形じゃない。  
 人間を憎むための形でもない。

 鉱物を掘るためだ。

 岩の割れ目から、きらりと光るものが出てきた。宝石だ。鉱物だ。魔族はそれを口に入れ、噛み砕き、飲み込む。

 ガルドが、震えた。

 握っている拳が小さく揺れる。怒りではない。気づきだ。

「……魔族は」
 ガルドが言った。
「鉱物を探しに、城へ来ていたのか……」

「え?」

「城には宝石がある」
 ガルドは静かに続けた。
「王家の宝物庫」
「商人の蔵」
「戦利品の保管庫」

 言葉が繋がっていく。  
 ジグソーパズルのピースが、音もなくはまっていく感覚。

 俺は息を呑んだ。

(魔族は、憎しみで攻めてきたんじゃない)
(資源で、寄ってきただけだ)

 そのときだった。

 風圧。

 地面が揺れた。

 空が暗くなる。

 ドラゴンが降りてきた。

 赤い鱗が森の影を裂き、翼が木々を押し潰す。音が遅れて耳に届く。存在が重い。世界の重さが変わる。

 ドラゴンは魔族を食った。

 一体。

 バリ、と宝石ごと噛み砕く。

 二体。

 牙と爪と鉱物が一緒に消える。

 三体目は、逃げた。

 ドラゴンは追わない。

 あえて逃がしたように見えた。

 ドラゴンは翼を打ち、また空へ戻っていく。赤い影が遠ざかる。森が、ようやく息を吸う。

 俺は肩で呼吸した。

「……なぜ見逃した」

 ガルドが答える前に、三体目の魔族が動いた。

 宝石を食っている。  
 そして、移動する。

 大樹の方角へ。

 俺たちは追う。

 魔族は大樹の根元まで戻り、吐き出した。

 ごろり、と宝石が地面に落ちる。

 それは餌じゃない。排泄でもない。  
 供物みたいだった。

 宝石は土に沈み、結晶の根に吸われるように消えていく。大樹の結晶が、わずかに光った気がした。

 理解した。

 魔族は宝石を掘り、食い、運び、吐く。  
 大樹はそれを養分にする。  
 ドラゴンは魔族を食って宝石を得る。

 だからドラゴンは大樹を壊さない。  
 だから魔族を絶滅させない。  
 宝石を食べたいから。  
 宝石を生み出す循環を守りたいから。

 生態系だ。

 ひどく美しくて、ひどく怖い。

 俺とガルドは目を合わせた。

「……魔族のことが理解できたな」
 ガルドが言う。

「したくないけど、した」
 俺は正直に言った。

 そして、目的を思い出す。

 枝だ。

 俺は戻る。大樹の枝を見上げる。ハート型の葉。

「壊さない」
 俺は小さく言った。
「必要な分だけ取る」

 ゴルフバッグからアイアンを出す。  
 金属球を落とす。土が軽く鳴る。  
 素振りをひとつ。

「……80歩」
 ガルドが言った。
「やや東」
「あの枝がいい」

「わかった」

 俺は構える。  
 肩の力を抜く。  
 枝のしなりを信じる。

 振る。

 カキィン。

 乾いた音が森に響いた。  
 球が飛ぶ。黒い結晶の光を切って飛ぶ。

 見事、枝に当たった。

 硬いもの同士がぶつかる音がして、枝が折れた。  
 ハート型の葉をつけたまま、立派な枝が落ちてくる。

 俺は駆け寄って拾った。

 重い。冷たい。美しい。

 これなら、妖精を救える。

「ルウナの家に戻ろう」
 ガルドが言った。

「ああ」

 俺はゴルフバッグを担ぐ。  
 ガルドは枝を抱える。

 背後で、大樹は変わらず立っていた。  
 魔族の循環も、ドラゴンの影も、消えてはいない。

 でも今は、それでいい。

 俺たちは大樹から離れた。

「今行くよ、シルフィ!」
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