異世界で魔族が全滅してるらしいが、俺は普通にゴルフしてるだけ ~無能扱いされた男が 、距離だけで世界を変える話~

ぬこまる

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37 鷹の目

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エルフの家は、森の中にひっそり建っていた。

外から見れば、ただの小屋だ。苔むした屋根、古木の柱、井戸、干された白い布。けれど一歩入ると、空気が変わる。湿った森の匂いの中に、乾いた紙と古い革の匂いが混じり、暖炉の火がぱちぱち鳴り、鍋がことこと音を立てて、家の中だけ季節が一枚ずれているみたいだった。

棚には本が詰まっている。背表紙は読めない文字で埋まり、机の上には古文書が積まれている。壺や石板、何に使うか分からない道具が当たり前みたいに置かれていて、生活と魔術と歴史が同じ部屋で息をしていた。

その机の端で、シルフィが眠っている。

いつもなら、俺の肩で「芝、げんき」とか「やりすぎ」とか、勝手に採点してくる妖精が、今日は動かない。寝かされている。小さな胸がかすかに上下しているだけだ。

羽は破れていた。

透けて光るはずの羽が裂け、縁がちぎれて、影みたいに萎れている。あの軽さがない。あの羽音もない。あの「ふわっ」がない。

俺は、喉の奥が少しだけ痛くなった。

(治したい)

ガルドも、黙ってシルフィを見ていた。表情はいつも通りなのに、視線だけが静かに鋭い。

「魔族を産む大樹は、どこにある?」

ガルドが言った。

ルウナは、当たり前のように答えた。

「ここだよ」

「……ここ?」

ガルドが一拍置く。

俺も同じ顔になった。

「いや、ルウナ」
俺は口を挟んだ。
「この世界の“どこ”にあるかを聞いてるんだけど」

「うん」
ルウナは頷き、指を一本立てた。
くるくる回す。意味が分からない。かわいいけど意味が分からない。

「だから、ここ」
「この森」
「古文書に書いてある」

そう言って、机の上の紙束を指さした。

「ほら、ここ」

俺は古文書に目を落とした。

……読めねぇ。

一文字も読めねぇ。
古代語とかそういうレベルじゃない。線と点の集合体だ。読める人間いるのかこれ。

「いや、読めないし」

「私も見たことないから、詳しくは知らないんだよね」
ルウナはさらっと言った。
「もし見つけたら、枝ごと葉っぱを持って来てよ」

軽い。

世界の根っこの話を、買い物頼むみたいなテンションで言う。

ガルドが、少しだけ眉を動かした。

「大樹か……」

そして、俺を見た。

「ナオキ」
「俺に考えがある」

「ん?」

「高い所から探せばいい」

「……なるほど」
俺は頷いた。
「森の上から見えるなら、見えそうだな」

ルウナがあっさり肯定する。

「そうだね」
「大きい人は鷹の目を持ってるから、それでいい」

(鷹の目、イーグルアイ)

高い所。

どこだろう?

俺が考え込む前に、ルウナはもう興味を失ったらしい。古文書の山をがさがさ漁り始めた。探し物があるときの動きだ。人間相手の会話は、必要最低限で終わる。

一方、エルネスは暖炉の前でぬくぬくしていた。

椅子に沈み、火を見つめている。完全回復ではない。顔色は戻ってきているが、目の奥に疲れが残っている。今はそっとしておく方がいい。

それより。

今は、妖精を救いたい。

俺はシルフィを見た。
小さく寝息を立てるだけの、静かな存在。
この世界で一番うるさかったはずのやつが、こんなに静かだ。

「いくぞ、ガルド」

「……ああ」

俺たちは扉を開ける。

背後では、暖炉の火がぱちぱち鳴っていた。
古文書の紙の匂いが鼻に残っている。
そして、机の上で、シルフィが眠っている。

森の空気は冷たい。

だが、歩く足は止まることなく。

高い所へ。
鷹の目で。
大樹を探しに行く。

——全部、妖精を救うためだ。





 ガルドが向かったのは、崩れた要塞の“崖の下”だった。

 見上げると、瓦礫が積み上がり、山のようになった要塞跡が切り立っている。
 石壁は裂け、断面はむき出しで、ところどころ黒く焦げた跡が残っていた。
 鳥が輪を描いて飛んでいる。
 あいつらなら簡単に上まで行ける。
 だが、人間の足では――どう考えても無理だ。

「……ここだ」

 ガルドが、低く言った。

 その声を聞いた瞬間、俺の胸が締めつけられた。

 ここにある。
 高台の向こうに、“大樹”がある。
 妖精を救うために必要なものが、確かにそこにある。

「……行けるのか?」
 俺は崖を見上げながら言った。
「どうやって、あそこまで」

 ガルドは答えなかった。
 ただ、崖全体を、静かに見つめている。

 距離。
 高さ。
 傾斜。
 岩の割れ方。

 ――測っている。

 そのときだった。

 ゴトゴト、と馬車の音が近づいてきた。
 土と石の匂いに混じって、金属と油の匂いがする。

「がははは!」

 豪快な笑い声。
 振り向くと、御者台に座ったドランが手を振っていた。
 荷台には、工具箱、杭、縄、鉄の留め具。
 隣には、日に焼けた腕の男が仁王立ちしている。

 ミグルだ。
 庭師――いや、国家土木の人。

「芝の人! 距離の人!」
 ドランが叫ぶ。
「エルネスは?」

「……魔法の特訓中……それより、一刻も早く道を作りたい」
 俺が言うと、

「んだべ」
 ミグルが即答した。
「顔見りゃ分かるべ」
「必死な顔してる」

 俺は、思わず歯を食いしばった。

「……妖精を、助けたいんです」

 その一言で、場の空気が変わった。

 ドランが笑うのをやめた。
 ミグルが、崖を見上げた。

「道ぁ……作るべ」
 ミグルが言った。
「時間かかるが」
「作れねぇ道じゃねぇ」

 胸の奥が、熱くなった。

「……お願いします」
 俺は頭を下げた。
「どうしても、必要なんです」

 ドランが、ぽんと俺の肩を叩く。

「がはは」
「いい顔だ」
「そういう仕事は嫌いじゃねぇ」

 ミグルが合図を出す。
 人が動き出す。
 杭を打つ音。
 石を転がす音。
 土を掘る音。

 森の匂いの中に、汗の匂いが混じっていく。

「ナオキ」
 ガルドが言った。
「お前も来い」

「……もちろん」

 俺は鍬を握った。

 重い。
 手の皮が擦れる。
 腰が悲鳴を上げる。

 でも、止まれなかった。

(妖精が、シルフィが羽を破ったまま、眠ってる)

 風に溶けて、芝を見て、意味の分からないことを言って、
 それでも、俺を呼んでくれた存在。

 ――助けたい。

「……まだやる」
 俺は言った。

「帰るぞ」
 ガルドが言う。

「……まだ」

 夕方になり、空が赤く染まり始めても、俺は手を止めなかった。

「もう帰るべ」
 ミグルが言った。
「暗いと怪我すんべ」

「……もう少し」

 ガルドが、俺の腕を掴んだ。

「ナオキ」
「今は、帰る」

 その声は、命令じゃなかった。
 心配だった。

 俺は、ようやく鍬を下ろした。



 温泉宿に戻った。

 湯はぬくい。
 源泉がぽちゃんぽちゃんと落ちる。
 星が近い。

 でも、今日は癒されなかった。

 湯の中で、俺は空を見上げた。

(間に合うのか)

 妖精は、まだ目を覚まさない。
 羽は破れたまま。

 夕飯に遅れて入ると、リリアーナ姫が駆け寄ってきた。

「シルフィが怪我をしたんですね」

「はい」
 俺は真剣に言った。
「……助けたいです」
「私もです!」

 姫は、何かを決心したように歩き出す。
 ローナも、心配そうに頷いた。

「分かります」
「……シルフィは家族ですから」

 ガルドは黙って遠くを見ていた。
 その視線は、崖の方角に固定されている。


 翌朝。

 宿の前が、うるさかった。

 馬のいななき、足音、鎧の擦れる音。
 そして、見慣れない旗。

 俺が外へ出ると、そこに大勢の人がいた。

 先頭に立っているのは——

「師匠!」

 セリウス・フォン・リュミエール王子だった。

「……え?」
 俺は固まった。
「なんでここに?」

 セリウスの後ろには、揃った装備の兵士たち。  
 ただし、武器よりも縄、杭、工具袋を持っている者が多い。

「姫から聞きました」
 セリウスが言う。
「アルヴェイン王国の一大事だと」
「我が国から応援に来ました。土木もできます」

 俺は思わず涙腺が緩みかけた。

「いや、嬉しいけど……」
「どうやって?」

 セリウスがさらっと言う。

「港が開けましたから」
「船で夜通しです」

 ……そうか。  
 湖と海が繋がった。  
 それが、国を繋いだ。

 そこへリリアーナが、息を切らして現れた。

「間に合いましたね……!」

「姫様……」
 ガルドが眉をひそめる。

「昨夜、馬車で湖へ行って」
 姫が言う。
「打ちっぱなしをしていたセリウス様にお願いしました」

(姫、行動力が戦場級だな)

 セリウスが俺の手を握った。

「師匠」
「高台への道を作りましょう!」

「お、おう!」

 ミグルが腕を組んで笑った。

「んだべ! 人がいりゃ早ぇべ!」

 アルヴェインの民と、リュミエールの民が混ざって動き出す。

 杭を打つ。  
 石を運ぶ。  
 道を固める。  
 排水を切る。  
 曲がりを作る。  
 滑らないように芝を残す。

 働いて、働いて、働きまくる。

 昼には、ローナとリリアーナが炊き出しを始めた。

「温かいスープありますよー!」
「パンもどうぞ!」

 湯気が上がる。笑い声が上がる。  
 人の力が集まると、世界が進む。

 夕方——

「できたぞー!」

 誰かが叫んだ。

 道が、高台まで繋がっていた。

 歓声が上がる。拍手が起きる。  
 セリウスが俺の肩を叩いた。

「やりましたね」

「……ああ」
 俺は息を吐いた。
「ありがとう」

「お礼はゴルフを教えてください」
 セリウスが即答する。

「ああ」
 俺は笑った。
「任せろ」



 高台からの景色は、想像以上だった。

 作物の村が見える。  
 漁村が見える。  
 湖が見える。  
 海が開いた港が見える。  
 温泉村の湯気が見える。  
 アルヴェイン城が遠くに白く立つ。  
 芝域が、緑の帯みたいに城と町を繋いでいる。  
 そして——妖精が眠る森が、深い影として広がっている。

 夕焼けが燃えて、空が赤い。  
 湖は鏡になり、光を返す。  
 世界が「繋がっている」ことが、一枚の絵みたいに分かる。

「見えるか?」
 俺はガルドに聞いた。

 ガルドは頷いた。

「……問題ない」

 そして指をさす。

「……十万五百八十歩」

「え?」
 俺は目を丸くした。
「そんな数字、普通に出てくる?」

「大樹がある」
 ガルドは言い切った。

 俺は息を呑んだ。

「……すごい」

「いくぞ」
 ガルドが言う。

 振り返ると、ドランとミグルが要塞の中へ入っていくところだった。  
 瓦礫の隙間を、道具を担いで進む。  
 鉱物と宝石の匂いを追っている顔だ。

 俺はドランに声をかけた。

「わかってると思うけど」
「リュミエールの人たちにも分前、あげなよ」

 ドランが振り返り、にやりと笑った。

「当たり前だ!」
「今度は国と国を回すぞー! がははは!」

 頼もしいやつだ。

 俺とガルドは高台を降り始めた。

 道はできた。  
 視界も開けた。  
 目的地も見えた。

 あとは——距離を詰めるだけだ。

 夕焼けの中、風が静かに背中を押していた。

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